いろいろな意味で残念な政治家のブログ〜「汚れた」政治家の主張は「汚れた」主張になってしまう件
6年前になりますが当ブログにて、「○○は好きだが○○を好きな人々は嫌い」という香ばしい論法について考察したことがあります。
2007-03-15 「○○は好きだが○○を好きな人々は嫌い」という香ばしい論法
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20070315
当時私がアニメ会社の社長さんとランチミーティングしていたとき「私はもちろんアニメを愛していますが、熱狂的なアニメオタク達は大嫌いなんですよ」という発言をされたことをきっかけにいろいろとこの表現について考察を試みたのですが、お時間のある読者はどうか上記の当時のエントリーをお読みくださいませ、考察といっても脱線気味のコラムなので肩の力を抜いて読んでいただきたく・・・
で、この「○○は好きだが○○を好きな人々は嫌い」という論法ですが、いくつかの事例を見ていくうちに、この論法は気を付けないとブーメランしちゃって完全に自爆してしまう危険な表現であることに気づきます。
「阪神というチームは好きだけど熱狂的阪神フアンは大嫌い(苦笑)」
「ルイ・ヴィトンは好きだけどルイ・ヴィトンを持っているオバハン達は大嫌い」
「ワインは好きだけどワイン好きの人のうんちくは大嫌い」
「犬猫は好きだけど犬猫好きの人の犬猫好き話は大嫌い」
例えばですが「ルイ・ヴィトンは好きだけどルイ・ヴィトンを持っているオバハン達は大嫌い」との発言者が年配の御婦人ならば、完全に自爆なわけです、傍から見ていてですが。
「○○を好きな人々は嫌い」との発言者自身が「○○を好きな人々」の一員なわけですから、大嫌いの対象には「熱狂的阪神フアン」というように条件を付けないと自爆してしまうわけです。
全体から部分集合を取り出しておかないと「○○は好きだが○○を好きな人々は嫌い」という論法は自爆するわけです。
・・・
さて前振りの話が長くなってしまいましたが、ここから本題です。
当ブログは「脱原発」支持のポジションを取っております。
ですからネットでも「脱原発」派の主張は概ね賛同するわけですが、ときにその主張が主観的で非科学的であったり事実誤認に基づいていたりした場合、当然ながら賛同できません。
ここに「脱原発」派の筆頭と表現しても良いだろう元内閣総理大臣がエントリーされているブログがあります。
3月3日の今年のひな祭りの日から、月に一度「エコカンハウス報告」というエントリーがされています。
エコカンハウス報告
2013年03月03日 14:38
http://blogos.com/article/57300/?axis=b:30エコカンハウス報告
2013年04月05日 08:19
http://blogos.com/article/59542/?axis=b:30
エコカンハウス報告
2013年06月01日 14:15
http://blogos.com/article/63434/?axis=b:30
3月3日の一回目の報告から。
エコ住宅の我が家を「エコカンハウス」と呼ぶことにし、時折エコカンハウス報告を載せるつもりだ。
窓などの断熱性能を高くし、換気も床下の地中熱を利用する省エネ住宅。雨水を貯めるタンクもあり、庭への水やりや断水時には水洗トイレにも使える。
発電は太陽光発電と都市ガスによる燃料電池発電、つまりエネファームとのダブル発電。今のところ消費電力以上の発電があり、売電している。しかしガスの使用量がどのくらいになるかなど、まだデータが集積しておらず、効果の判断はこれから。
どういう神経があればこのような報告を国民にできるのでしょうか?
ご自身が総理大臣だったときの3.11大震災による原発事故により、今なお何万世帯が避難生活を余儀なくされ自宅に帰ることができないでいるのに、当のご本人が自宅を大改築、最新の設備を導入した自宅を「エコカンハウス」と命名、そして挙句の果てに、ご自身が作った法律「固定価格買取制度」を利用して電気を売って金儲けを逐次国民にご報告されるというのです。
月に一度の「エコカンハウス報告」ですか、これはないでしょう。
いやこの政治的センスの大欠落には驚かされるのですが、案の定毎回のBLOGOSコメント欄の荒れ様は大変なものであります。
で、今月のご報告を読んだとき、私は冒頭に戻るのですが「○○は好きだが○○を好きな人々は嫌い」という論法の考察を昔したことを思い出してしまったのであります。
私は脱原発支持です。
だけれども、この脱原発支持の菅直人氏のブログにおける報告を見て、この政治家の上から目線と厚顔無恥ぶりに驚きを隠せません。
このような「汚れた」政治家が脱原発を主張すれば脱原発そのものが「汚れた」主張になってしまいかねません。
たいへん残念なことですが、この政治家の存在は原発推進派を後押ししていると考えても、けっして間違いではないでしょう。
もちろんご本人はそのようなことにお構いなく今後も自己主張されていくのでしょう、いろいろな意味で残念なことです。
(木走まさみず)