木走日記

場末の時事評論

スティーブン・スピルバーグ氏もディスレクシア(読字障害)だった〜文字に拘束されない自由な心の持ち主たち

 4日付け日経新聞記事から。

スピルバーグ監督、障害を告白 「映画で救われた」

 【ニューヨーク=共同】米映画監督スティーブン・スピルバーグ氏(65)が3日までに、読み書きに困難が伴うディスレクシア(読字障害)で少年期にいじめを受けていたと公表した。「映画が私を救った」と述べ、製作活動を通じ、感じる必要のない恥じらいや罪の意識から救われたと説明。同じ障害のある人たちに「あなたは独りぼっちではない」と呼び掛けた。

 学習障害のある若者向けのウェブサイト「フレンズ・オブ・クイン」上のビデオインタビューで公表した。スピルバーグ氏は読字障害のある人々へのメッセージとして「あなたが思うよりよくある障害。読解速度を上げる方法もある。一生付き合うものだが対処の仕方はある」と述べた。

 読字障害と診断されたのは5年前。読み書きに悩んでいたことの「謎が解けた」と振り返り、もっと早く診断されていればよかったと話した。

 教室では皆の前で教科書を読むことがつらかったと告白。当時は読字障害が知られておらず、特に中学では数多くのいじめを受けたという。支えてくれる先生もいたが、怠けていると判断する人もいたと吐露した。

 文章を読む時間が他の人の倍かかるが「ゆっくり読むから非常によく理解できる」と述べた。

 スピルバーグ氏は、日本でもヒットした映画「シンドラーのリスト」や「ジュラシック・パーク」「インディ・ジョーンズ」シリーズなどの監督作品で知られる。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK04008_U2A001C1000000/?dg=1

 大変興味深い記事ですね、スティーブン・スピルバーグ氏が読み書きに困難が伴うディスレクシア(読字障害)であることを公表したそうです。

 私の感想としてはもちろん最初驚きましたが、「ジョーズ」「ET」「ジュラシック・パーク」「インディ・ジョーンズ」数々の彼の既成概念にとらわれていないアイディアに満ちた映画作品を思い出してみれば、「やっぱりあなたもそうでしたか」という想いも強く持ちました。

 彼の代表作である「ジュラシック・パーク」、その中で恐竜博士のモデルになったモンタナ州立大学の考古学者ジャック・ホーナー博士もディスレクシアの一人であることは有名です。ホーナー博士は、恐竜の生態が鳥類に近い生き物であったことを証明し、恐竜研究に革命を起こした間違いなく天才の一人ですが、しかしホーナー博士の読み書き能力は、8才程度だと自分で告白しています。

 ディスレクシア学習障害の一種で、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害であります。

 数字の「7」と「seven」を同一のものとして理解が出来なかったり、文字がひっくり返って記憶されたりして正確に覚えられない、など様々な例がありますが、アメリカでは10%、日本でも5%近くの人々が何らかの形で読字障害に関わる症状を持つという調査結果もあります。

 ディスレクシアの人は脳での情報処理の仕方が一般の人と異なることが明らかになってきています。

 一般の人は脳内の情報を統合する領域で文字を自動処理していますが、ディスレクシアの人々はこの文字処理がスムーズに行えず、通常とは違う脳の働きをしているというのです。

 考えてみれば人類が文字を使い始めてたかだか5千年ほどです、脳にはまだ文字の読み書きを行う中枢領域は存在していません、他の代替機能を使って文字の読み書きをしているだけです。

 ディスレクシアの人々は通常の人々とは異なる脳の領域を使っており、そのためスムーズな文字の読み書きが行えないと考えられています。

 ですからもし5000年前のようにこの世界に文字がなければディスレクシアの人々はなんら「障害」など有さない、いや一般人よりも優秀な人達も多いことでしょう。

 角度を変えて考えてみれば、ディスレクシアの人々は選ばれし文字に拘束されない自由な心の持ち主たちとも言えるわけです。

 私達一般人は、文字と言う記号を現実の事物と対応付けて記憶しています。

 「花」という文字を読めば野に咲く花を思い浮かべますし、「自動車」という文字を読めば町に行きかう自動車を思い描きます。

 そしてこのことは逆もしかりです。

 私達は視角に入る光景を自分達の理解している文字と言う記号に置き換えることを無意識にしているのです。

 例えば下の図を記憶しようと努めてみてください。

 窓が右上にある部屋の様子で、椅子が2つ、中央にテーブルがあり、その上には花瓶に花が一輪ありますね。

 ここで私達一般人は無意識に記号化して記憶しているのです。

 こうして私達の思考は多かれ少なかれこの文字という記号に拘束され、自由度を失います。

 光景のあるがままの姿形を素直に記憶することを文字が邪魔することになります。

 この点でディスレクシアの人々は選ばれし文字に拘束されない自由な心の持ち主たちだと言えます。

 ディスレクシアの人々に独創的な発想が出来る人や空間処理能力が高い人が多いのは頷(うなず)けます。

 トーマス・エジソンレオナルド・ダ・ヴィンチアルベルト・アインシュタイン、独創的なアイディアを生み出す人にディスレクシアが少なくないのは偶然ではないでしょう。

 スティーブン・スピルバーグ氏がディスレクシアであることを認めたこの記事で、やはり私は大いなるリスペクトを込めて「やっぱりあなたもそうでしたか」と、納得したのでした。



(木走まさみず)