木走日記

場末の時事評論

社説で海自の16条旭日旗を否定する朝日新聞の社旗は八条旭日旗

11日付け朝日新聞社説が興味深いです。

(社説)東京五輪の年に 旗を振る、って何だろう
2020年1月11日 5時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S14322936.html?iref=editorial_backnumber

社説は問いかけから始まります、あなたは旗をふったことがあるか?と。

 あなたはこれまで旗を振ったことがあるだろうか。

 運動会の応援やスポーツ観戦、あるいはイベントやデモに参加したとき……。

 いったい旗とは何か。米国では、星条旗をこう表現するそうだ。「あなたの信じるすべてのものになりうるだろう」

 今年は東京五輪が開かれる年である。多くの人が多くの旗を掲げる機会がありそうだ。メダルを胸に旗を誇らしげに見上げる人もいるに違いない。

 そんな年の始まりに、少しだけ考えてみたい。そもそも人はなぜ、旗を手にするのか。

で、嫌な予感のとおり、日の丸と旭日旗に論は展開していきます。

スポーツ観戦に「旭日旗」を持ち込むことを、「快く思わない人たちがいることがわかっている旗を意図的に振る行為に、「政治的主張」はないといえるのだろうか」と否定します。

 「日の丸」に対しても、複雑な感情を抱く人々がいる。

 戦後75年が過ぎても、そうした人々から見れば、日の丸を掲げる行為そのものが、侵略戦争の暗い記憶を呼び起こすものにほかならない。

 東京五輪で旭日(きょくじつ)旗を振るのを禁止すべきだ――。最近、韓国の人々からは、そんな声も伝えられる。旭日旗は旧日本陸海軍の旗であり、いまも海上自衛隊自衛艦旗である。

 日本政府は「(旭日旗が)政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」と反発している。

 そう簡単に言い切れるものだろうか。

 昨年のラグビーW杯の観客席でも一部で旭日旗が振られた。わざわざ国際競技の場に持ち込む人の目的は何だろう。快く思わない人たちがいることがわかっている旗を意図的に振る行為に、「政治的主張」はないといえるのだろうか。

 旗がまとう背景や、使う人の意図によって旗は色々な意味を映す。受け止める人次第で見え方が正反対になることもある。

朝日社説は「旗の数だけ、それぞれの思いがあっていい」と結ばれています。

 なぜ、旗を掲げるのか。五輪を前に一人ひとりが立ち止まり、自由に考えてみるのはどうだろう。歴史を学ぶ、他者を尊重する、平和の尊さを発信する。旗の数だけ、それぞれの思いがあっていい。

※以下、画像はすべてパブリックドメインとして使用フリーで公開しているウィキペディアとアンクロペディアから引用しています。

少し旭日旗について。その歴史も含めて確認しておきます。

旭日旗、実は色々種類があるのですが、正統派としては、旧大日本帝国海軍の「軍艦旗」であります。

大日本帝国海軍軍艦旗

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Naval_Ensign_of_Japan.svg

旭から伸びる線の数が16本なので「16条旭日旗」と言われています。

で、この大日本帝国海軍軍艦旗は、戦後2つの軍と一つの民間組織に継承されます。

まず旧海軍軍艦旗の「16条旭日旗」をそのまま継承したのが海上自衛隊の「自衛艦旗」であります。

海上自衛隊

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E6%97%97.jpg

で、陸自では「八条旭日旗」が採用されています。

陸上自衛隊
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Flag_of_JSDF(20070408).jpg

民間団体では、我らが朝日新聞旭日旗に「朝」の漢字を施して戦前より、この21世紀に至るも、威風堂々、社旗として掲げております(苦笑)、変形八条旭日旗です。

朝日新聞社社旗

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%

この社旗を有する朝日新聞が、社説にて旭日旗を批判する、なんだかなあ「近親憎悪」的展開なのであります。

そもそも「旗(はた)」の起源はどこから来ているのでしょうか。

当ブログには旗の起源に関する正確な知識はありませんが、想像するにおそらく古代から洋の東西を問わず戦さのときの敵・味方の区別に使用されてきたことに由来するのではないでしょうか。

そもそも旗の役割は、ある価値観(ときに部族、ときに民族、ときに宗教、ときに国家、ときにイデオロギー)に基づく味方集団の象徴的な印・記号としての役目だったのでしょう。

ある人間集団を特徴付け、その集団の内なるモノと外なるモノ、敵・味方を区別するための閉鎖的側面を「旗」自体が有しているのでしょう。

作家、城山三郎氏の次の詩は、まさにそのような旗の持つ「閉鎖性」を喝破しています。

「旗」

旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため

社旗も 校旗も 国々の旗も 国策なる旗も 運動という名の旗も

ひとみなひとり ひとりには ひとつの命

(後略)

「支店長の曲り角」城山三郎著より
http://www.bk1.co.jp/product/863099

ここでは「国旗」も「社旗」も「運動という名の旗」もすべて否定されています。

具体的に例えば、「旭日旗」も「朝日新聞社旗」も「あか旗」もと言い換えるとまたおしかりいただきそうですが・・・

旗を掲げるという行為には、ある種の集団を記号化した旗のもつ宿命的属性としてのその閉鎖性を指摘することは間違ってはいないでしょう。

では、国旗を否定する城山は左翼なのかといえば、それは間違いで、左翼・右翼のイデオロギー的なカテゴリーではくくれない、ディメンジョン(次元)の違う考え、あえてカテゴライズするとすれば、アナーキストといえましょう。

アナーキズムつまり無政府主義は、「未来に於て国家の存在することを否認する」だけでなく、あらゆるヒエラルキーと呼ばれるような階統的な秩序に対して反対する概念です。

無権力ないし無支配を追求し人間個々が階級を持たず自由であるべきとの考えであるアナーキズムは、平等を追求するという意味では左翼思想と親和性はあるのですが、城山の詩にもあるように「運動という名の旗」も否定している点で、共産主義とは一線を期しています。

群れるな、群れたらそこには必然的にくだらない階級が生まれてしまう、強烈な個人主義が根底にあるわけです、それがアナーキーな人々の主張の特徴です。

さて朝日新聞です。 
 
旭日旗を振ることが政治的メッセージを意味するとの理不尽な論説を堂々と社説に掲げる朝日新聞です。

その乱暴な社説で海上自衛隊の16条旭日旗を否定するとするならばです。

筋論として同じ旭日旗系である自らの社旗(八条旭日旗)を降ろさなければなりません。

もしかして旭の射す数(条数)で、8本は良い旭日旗で16本は悪い旭日旗である(苦笑)とかでも思っているのでしょうか?

アホらしい理屈です。

ふう。



(木走まさみず)