木走日記

場末の時事評論

韓国が『シンドラーのリスト』のような慰安婦映画を作れない本当の理由

 今回はコネタです。

 13日付け朝鮮日報の朴正薫(パク・ジョンフン)論説委員によるコラムをご紹介いたしましょう。

 大変興味深い内容です。

【コラム】「シンドラーのリスト」のような慰安婦映画を作れない韓国の怠惰
朴正薫(パク・ジョンフン)論説委員
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/11/13/2015111301423.html

 韓国にはなぜ「シンドラーのリスト」のような慰安婦映画がないのか、と嘆くコラムであります。

 詳細は上記リンク先で直接お読みいただくとして、とても長文なので時間のない読者のために、当該コラムの内容を当ブログ風に要約いたします。

 慰安婦問題を考えるたびに悲嘆に暮れることがある。

 なぜ韓国にはまともに作られた慰安婦映画が1本も、大勢の人々に記憶されている慰安婦小説が1作品もないのか、ということだ。

 ユダヤ人たちはナチスホロコースト(大量虐殺)を数千の映画作品や文学作品にして発表し、世界に告発した。

 スピルバーグ監督は『シンドラーのリスト』(1993年アカデミー賞)を手がけ、ノーベル文学賞(2002年)を受賞したケルテース・イムレは『運命ではなく』を書いた。

 ユダヤ人の迫害史が世界の人々の共感を得て人類の正史として記録されているのは、文化発信の力が大きい。

 それにひきかえ、韓国には何があるだろうか。

 金学順(キム・ハクスン)さん(1924−97年)が慰安婦として強制徴用されたことを初めて告白したのが1991年のことだった。

 それ以降も生存者の証言が相次ぎ、資料が発見されたことから、慰安婦問題はあらゆる人権侵害の惨劇が溶け込む「悲劇のるつぼ」となった。

 ところが、あきれたことに文化界の主流を担う人々はこの悲惨な歴史を無視している。

 韓国にはなぜ『シンドラーのリスト』がないのか。数多くの映画監督やプロデューサー、高尚ぶっている文化権力者たちは何しているのだろうか。

 ドキュメンタリー映画や独立系映画を除けば、『鬼郷』は慰安婦問題を取り上げた2本目の劇映画だ。この24年間でたった2本しか映画が作られていないこと自体、信じられない話だ。

 「日本は反省しない」と怒りをぶちまけるだけでは駄目だ。

 『シンドラーのリスト』のように国際的な共感を得られる慰安婦映画を1本作れば、日本は耐えがたい思いをするだろう。

 韓国の巨匠イム・グォンテク監督や海外で知名度が高いポン・ジュノ監督、キム・ジウン監督がメガホンを取り、国民の寄付で制作費を集めるのはどうだろうか。

 あれほど日本の不道徳さを非難しながらも、まともな映画1本作れない韓国の怠惰さは口惜しいばかりだ。

 ・・・

 なかなか考えさせられる強烈な主張のコラムであります。

 韓国にはなぜ『シンドラーのリスト』がないのか。

 その理由をこのコラムは「まともな映画1本作れない韓国の怠惰さ」に求めています。

 「『シンドラーのリスト』のように国際的な共感を得られる慰安婦映画を1本作れば、日本は耐えがたい思いをするだろう」にと嘆いているわけです。

 なんだかなあ、「ユダヤ人の迫害史が世界の人々の共感を得て人類の正史として記録されているのは、文化発信の力が大きい」と指摘しているのに、しまいには「日本は耐えがたい思いをするだろう」と、その目的が日本を困らせることに主眼があるように読めるのは、いかがなものでしょう。

 このコラムが興味深いのは、『シンドラーのリスト』がなぜ世界の人々に受けいられているのか、その理由の分析に「ユダヤ人たちはナチスホロコースト(大量虐殺)を数千の映画作品や文学作品にして発表し、世界に告発した」、つまりユダヤ人の発信力と、「数千の映画作品や文学作品」その数の大さにのみ着目している点です。

 ユダヤ人がナチスホロコースト(大量虐殺)について糾弾する作品を多く残しているのはその通りなのです。

 しかし、『シンドラーのリスト』が世界中で共感を得ているのは、なんといってもその物語が世界が認める「真実」つまり「実話」であることが、広く認められているからです。

 「真実」の持つ説得力、これなくしてはいかに脚本が良くとも監督が良くともそれはひとつの「寓話」の域を出ることはないでしょう。

 このコラムを読んでいると致命的な決定的な”因果の逆転”が見れて興味深いのです。

 韓国にはなぜ『シンドラーのリスト』がないのか。

 世界の人々の共感を得て人類の正史として記録される慰安婦映画を作るにはどうすればよいか。

 それは優秀な監督でも優秀な脚本でももちろん巨額の制作資金でもありません。

 まず「真実」「実話」に基づくしっかりとした慰安婦に関する歴史的検証が大切です。

 その真摯な検証作業の中から初めて、「真実」の持つ説得力が生まれ、世界の人々の共感を得る作品が誕生する土壌が生まれることでしょう。

 そもそもいわゆる「従軍慰安婦」にホロコーストに匹敵するような悲劇があったのかどうか、基本的な検証から始めなければなりません。
 
 今の韓国の人々の「真実」の真摯な検証作業を軽視するその姿勢からは、韓国には絶対に『シンドラーのリスト』のような慰安婦映画を作ることはかなわないでしょう。

 
 ふう。



(木走まさみず)