木走日記

場末の時事評論

"Curse of Egawa Scandal"

ここ10日間ほどで起こった読売巨人軍の内紛劇を読売記事でトレースしておこう。

 始まりは11日の読売巨人軍清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM)の文部科学省内での異例の記者会見だった。

巨人のコーチ人事、会長が指示と批判…清武代表
(2011年11月11日22時16分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20111111-OYT1T01094.htm?from=popin

 清武代表によると、岡崎郁ヘッドコーチの留任について渡辺恒雄球団会長(読売新聞グループ本社会長・主筆)に報告し、了承を得ていたのに、9日になって渡辺会長から「ヘッドコーチは(元巨人投手の)江川卓氏とし、岡崎ヘッドは降格させる」と、これを覆す指示があったという。

 清武代表は「桃井恒和オーナーを飛び越えて、不当な鶴の一声で内定した人事を覆すような行為を、許すことはできない」と述べ、渡辺主筆の行為は組織人として重大なコンプライアンス違反であると主張した。

 一般には企業コンプライアンスとは企業の法令遵守を指すのだが、この言葉「コンプライアンス」は一連の騒動のキーワードとなりこれ以降一人歩きして双方が相手を「コンプライアンス違反」と罵り合うことになる。

 翌12日、渡辺朱筆は文書で反論する。

「著しい名誉毀損」渡辺会長が文書
(2011年11月12日22時55分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20111112-OYT1T00823.htm?from=popin

 冒頭、渡辺主筆は「正確な事実を説明する」とし、清武代表が大王製紙オリンパスの問題を例に挙げたことに、「刑事犯罪的事案であり、巨人軍の人事問題とは次元が異なる。同列に扱うのは、読売新聞社、巨人軍、私個人に対する著しい名誉毀損(きそん)」として謝罪を求めた。

 問題となったヘッドコーチ人事について、「10月20日に清武代表から人事を示されたのは事実だが、クライマックスシリーズで惨敗した以上、多少の変更が必要になったのは当然」とその経緯を説明した。

 江川卓氏の起用構想は、原監督から提案されたことを明かした。「助監督として原監督のご意見番になってくれればとも考えた。しかし社内的に正式手続きは取っておらず、江川君と接触もしていない」とし、「構想段階の企業機密であるにもかかわらず、清武代表が公表してしまったため、直ちに実現することは困難になった」と批判した。

 渡辺会長は結びで、清武代表の行動を、会社法355条の「取締役の忠実義務」に違反するとの見解を示したが、「今後の対応は本人の反省次第。現時点では処分を求めるつもりはない」とした。

 同じ読売グループの幹部同士がなぜ直接会わないで、他のメディアで会見したり文書を他のメディアで公開して醜聞を撒き散らしてしまうのか理解に苦しむのだが、渡辺主筆は、江川卓氏の起用構想は認めたものの、コンプライス違反は清武代表のほうであると主張したわけである。

 18日夕刻、読売電子版に小さな記事が掲載される。

巨人軍、清武取締役を解任

 読売巨人軍の専務取締役である清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM)が、渡辺恒雄球団会長(読売新聞グループ本社会長・主筆)を批判する記者会見をした問題で、読売巨人軍は18日、清武氏の取締役を解任するとともに、代表兼GMの職を解いた。

(2011年11月18日18時21分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20111118-OYT1T01010.htm?from=popin

 2時間後、読売巨人軍の桃井恒和社長の会見が行われた。

巨人軍社長「清武氏は取締役としての義務違反」

 読売巨人軍の専務取締役である清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM)が解任されたことを受けて、読売巨人軍の桃井恒和社長は18日、東京・大手町の球団事務所で緊急記者会見を開いた。


 清武氏が渡辺恒雄球団会長を批判する記者会見を独断で開いたことなどについて、「取締役としての義務違反に当たる」と解任理由を説明した上で、「来季に向け練習に専念できる環境を、1日も早く取り戻したい」と語った。

(2011年11月18日20時18分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20111118-OYT1T01101.htm?from=popin

 同日深夜、長文の「読売巨人軍が記者会見で配付した文書の全文」が掲載される。

読売巨人軍が記者会見で配付した文書の全文
(2011年11月19日01時34分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20111119-OYT1T00078.htm

 この中で、清武氏の「渡辺主筆がオーナー、GMの人事異動を内示した。ヒラ取締役の一存でオーナー職等を剥奪するのは、会社の内部統制違反、コンプライアンス違反だ」発言に対して、「当社の定款では、前記人事のほか、読売新聞グループ全体にかかわる重要な事項についても、株式会社読売新聞グループ本社代表取締役の事前の承認が必要とされており、清武が前記記者会見を独断で行ったことこそ、定款に違反しており、内部統制違反、コンプライアンス違反と言わなければならない」と反論しているところが実に興味深いのである。

 コンプライアンス違反・・・

 いろいろな見方があろうが、私はそもそも渡辺主筆が強引に人事で江川卓氏を迎えることに動き出した時点で、野球の神様が、この懲りない読売グループに対して、"Curse of Egawa Scandal"、読売グループ史上最大最悪のコンプラアンス違反事件であった「江川事件」、その「呪い」を復活させたのだと思えてならない。

 読売巨人にそもそもコンプライアンスを語る資格はないのだ、と。

 ・・・

 33年前の今日、1978年11月20日、江川はアメリカ留学を突如切り上げて緊急帰国する。

 その翌日の11月21日午前に、読売巨人軍は江川と入団契約を締結する。

 読売側は「ドラフト会議の前日は自由の身分で、ドラフト外の選手として入団契約可能」と解釈し、ドラフト外入団という形で契約締結を決行する形となった、いわゆる「空白の一日」を突いたのだ。

 当時の野球協約では、ドラフト会議で交渉権を得た球団がその選手と交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日までとされていた。この規定は前日まで交渉を続けた場合には、その交渉地が遠隔地だった場合に、気象の急変などによって球団関係者がドラフト会議に出席できず、ドラフト会議に支障をきたす恐れがあるため、ドラフト会議の準備期間(移動日)として設けたものだった。また、当時のドラフト対象学生は「日本の中学・高校・大学に在学している者」であり、当時の江川は社会人野球にも行かなかったため、野球協約の文言上では「ドラフト対象外」だった。

 以上のことから、ドラフト会議の前日の11月21日には西武の交渉権が消滅しており、「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」をドラフト対象とするのはドラフト会議が行われる11月22日以後であると読売は解釈し、11月21日時点でドラフト対象外選手である江川と自由に契約できると主張して入団契約を行った。

 ドラフト対象選手を在学生野球選手と社会人野球選手に限定すると解釈できる文言になっていたことは野球協約の抜け穴であり、読売は野球協約の盲点を突いたことになるが、これを認めればドラフトは骨抜きになるため、セントラル・リーグ会長の鈴木龍二は巨人との契約を無効とする裁定を下した。

 結局、翌年の1月31日、金子コミッショナーの提言を受け入れる形で読売と阪神は、阪神が江川と一度入団契約を交わし、同日中に小林繁との交換トレードをすると発表。阪神は最終的に金子の要望を受け入れることとなるのだが、読売グループの一連の暴挙は、大きく社会問題化、読売新聞不買運動にまで広がっていく。

 この間、読売内部では激しい権力闘争が渦巻いていく。

 当時編集局長編集局総務(局長待遇)であった渡辺現主筆江川卓投手獲得のために先頭に立って、紙面を挙げての「江川獲得」キャンペーンを展開していく。

 江川事件発生から二週間後、読売新聞は「オピニオンのページ」一面をつぶして、「江川問題これが本質だ」(見出し)という膨大な解説記事を載せた。問題を「ドラフト制度は基本的人権である職業選択の自由侵害」へとすり替えたのだ。筆者は運動部長である。しかし、運動部には「江川獲得方法はフェアでない」という空気が強く、運動部長が江川獲得合法論を書ける状況ではなかった。運動部員は「社命で政治部次長が書いた」と弁明している。

 このとき、社内で渡辺氏の意向に従わない部門が一つあつた。それは論説委員会だった。論説委員会は討議の結果、「スポーツの世界は法律解釈や詭弁にとらわれず、フアンとフェアプレー精神を尊重すべきだ」という委員の多数意見に従い、江川獲得を支持するような社説は載せないことにした。

 渡辺氏は、その後、編集局長より論説委員長のポストをねらい、半年後、それが実現する。そして、江川事件論説委員人事などで渡辺氏の音向や ?社論?に従わなかつた論説委員は、その後次々とパージ、委員会から外されていく。

 論説委員会における渡辺委員長の社論決定プロセスは、それまでの会議重視とは正反対で、まったく独断的だった。渡邉委員長になると、会議の表面的な時間は長くなったが、実質的な討議は薄くなった。

 こうして読売の論調は [渡辺社論]ヘと急転回していくのだが、そのきっかけが当時はコンプライアンスという言葉は使われてはいなかったが、世紀の読売グループのルール違反事件である「江川事件」がきっかけだったのだ。

 ・・・

 33年前の江川事件は読売グループの信頼と評判を大きく傷付けた、そしてそれが渡辺主筆の独裁体制の誕生を促したのだ。

 そして現在、渡辺主筆は再び強引な手法で江川氏をコーチとして招こうとして、子飼いの部下から「コンプライアンス違反」との批判を受けている。

 なんという因果応報なのであろう。

 世紀のコンプライアンス違反「江川事件」で誕生した渡辺主筆独裁体制が、33年後奇妙にも江川氏を招くことをきっかけに揺るがされているのだ。

 まさにこれは"Curse of Egawa Scandal"、「江川事件の呪い」ではないか。



(木走まさみず)



<テキスト修正> 2011.11.20 18:50
コメント欄のご指摘により渡辺氏の当時の役職名を訂正しました。
satohhide様ありがとうございました。