木走日記

場末の時事評論

自由貿易国メキシコの悲惨な教訓〜カーネギー国際平和財団レポートを検証する

 自由貿易の最大の受益者は消費者である」

 経済学者やマスメディアはTPPに関して二言目には経済学の理論から導き出される自由貿易の意義を語るわけですが、これはあくまでも教科書の中だけの話であり、彼らは現実の自由貿易の結果を保障するものではありません。

 リーマンショックしかり、ギリシャ発端の今回のユーロ信用危機しかり、経済学者はだれひとり現実の経済危機の発生を阻止することに成功していません。

 現在の自由貿易の最大の受益者は消費者ではなく多国籍大企業なのであり、競争力のない地場産業は淘汰されるだけであり、地場産業の崩壊を通じて、経済は混乱し失業者が増加し格差は拡大していくのです。

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 机上の理論ではなく、実際に自由貿易で過去に何が起こってきたのかをメキシコの例で検証したいと思います。

 ここに、北米自由貿易協定(NAFTA)、1994年1月1日に発効したカナダ、米国、メキシコの3カ国間の自由貿易協定があります。

 貿易と投資の自由化だけでなく、貿易紛争処理など広範な内容を持ち、2003年までにほとんどの品目で関税を撤廃、最後まで残った一部農産物の関税も08年1月にすべて撤廃されました。

 メキシコ政府はNAFTA加盟時に、ちょうど今のTPP推進派と同じように自由貿易がメキシコを豊かにすると主張しました。

 輸入製品により物価が下がり消費者が受益する

 中期的には域内で最も低いメキシコ人の所得は最も高いアメリカ人の所得に近づく

 貧困がなくなりアメリカへの人口移動が止まる

 では実際何がメキシコで起きたか。

 ここにアメリカのカーネギー国際平和財団が2003年にNAFTA加盟によりメキシコに起きた経済変化についてのレポートがあります。

 財団のサイト。

Carnegie Endowment for International Peace
カーネギー国際平和財団
http://carnegieendowment.org/

 レポートは以下のPDFファイルとして公開されています。

NAFTA's Promise and Reality: Lessons from Mexico for the Hemishphere
NAFTAの約束と現実:西半球のためのメキシコの教訓
http://carnegieendowment.org/files/nafta1.pdf

 このレポート全体はNAFTAに対し中立的に記されており、その賛否の立場を示してはいませんが、こと農業分野に関してはかなり踏み込んで記述されており、その内容は衝撃的なものです。

 レポートの農業に関する当該部分を抜粋、意訳いたします。

NAFTA has not helped the Mexican economy keep pace with the growing demand for jobs. Unprecedented growth in trade, increasing productivity, and a surge in both portfolio and foreign direct investment have led to an increase of 500,000 jobs in manufacturing from 1994 to 2002. The agricultural sector, where almost a fifth of Mexicans still work, has lost 1.3 million jobs since 1994.

NAFTAは、メキシコが必要とする雇用増加の速度に見合った雇用創出には寄与していない。1994年から2000年の間に海外直接投資やポートフォリオ投資、生産性の上昇により、製造業で50万人の雇用が新たに生まれた。しかし、メキシコの全就業人口の20%を占める農業部門では、130万人が仕事を失った。

Real wages for most Mexicans today are lower than they were when NAFTA took effect. However, this setback in wages was caused by the peso crisis of 1994-1995―not by NAFTA. That said, the productivity growth that has occurred over the last decade has not translated into growth in wages. Despite predictions to the contrary, Mexican wages have not converged with U.S. wages.

 大部分のメキシコ人の実質賃金は、NAFTAが発行する以前よりも現在のほうが下落している。これには為替レートの問題もある。しかし、期待されていたように、生産性上昇が実質賃金の上昇をもたらすことはなかった。アメリカの賃金に追いつくという傾向もなかった。

NAFTA has not stemmed the flow of poor Mexicans into the United States in search of jobs; in fact, there has been a dramatic rise in the number of migrants to the United States,despite an unprecedented increase in border control measures. Historical migration patterns,the peso crisis, and the pull of employment opportunities in the United States provide better explanations for the increase in migration than NAFTA itself.

 NAFTAは、メキシコの貧しい人々が不法にアメリカに移動することを抑制することに失敗した。反対に不法で移動する人口は急増している。国境線の取り締まりは、2001年の9.11テロ事件以降強化されてはいるが、不法入国者の数は近年増加しているのが実情である。

The fear of a “race to the bottom” in environmental regulation has proved unfounded. At this point some elements of Mexico’s economy are dirtier and some are cleaner. The Mexican government estimates that annual pollution damages over the past decade exceeded us$36 billion per year. This damage to the environment is greater than the economic gains from the growth of trade and of the economy as a whole. More specifically, enactment of NAFTA accelerated changes in commercial farming practices that have put Mexico’s diverse ecosystem at great risk of contamination from concentrations of nitrogen and other chemicals commonly used in modern farming.

 メキシコ政府は、過去10年間の環境破壊による経済的な損害は年間で360億ドルに達すると推計している。この金額は自由貿易がもたらせた経済的利得を上回るものである。特にメキシコ農業の一部がアメリカ向けの商品作物生産に転換したため、農薬、殺虫剤、農業用水などの使用量が増加している。

Mexico’s evolution toward a modern, exportoriented agricultural sector has also failed to deliver the anticipated environmental benefits of reduced deforestation and tillage. Rural farmers have replaced lost income caused by the collapse in commodity prices by farming more marginal land, a practice that has resulted in an average deforestation rate of more than 630,000 hectares per year since 1993 in the biologically rich regions of southern Mexico.

 メキシコ農業の近代化は、森林伐採、耕地の減少を促進している。特に南部地域では1993年以降、貧農が農産品の国際価格の下落を補填するため、より狭小な未開墾地を農地として利用するために、年間平均63万ヘクタール以上の土地が伐採されている。

 自由貿易はメキシコにとって結果として不利なものであり、雇用、賃金、労働移動、環境負荷のいずれについても、総合的に見るとマイナスであるという、かなり衝撃的な内容になっています。

 米国からの輸入増はメキシコの農民の生産を圧迫。農民の4割にあたる250万人が離農し、その多くが職を求めて米国へ渡っていきました。

 NAFTAの効果で、移民は減少すると宣伝されていたが、実際には移民は年間20万人から60万人へと急増したのです。

 またメキシコ政府は、輸入の増加は、消費者価格を下げると宣伝しました。

 しかし、かつてはトン当たり100ドル以下で安定していたトウモロコシの国際価格は、石油価格の高騰、穀物投機、気候変動による農業への影響などによって、大きく変動しながら上昇傾向にあります。

 アメリカ産に支配されたメキシコのトウモロコシ価格はもろに穀物価格高を反映、輸入増は、トウモロコシが主食であるメキシコ人にとり、中小の生産者にも消費者にとっても利益をもたらさなかったのです。

 NAFTAによってメキシコは食料を他国に大きく依存した従属国、食料主権を失った国に変貌させてしまったのです。

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 メキシコの一人当たりGDPは94年の3000ドルから2001年に6100ドルに達しています、NAFTAに加盟してわずか7年で倍増しています。

 しかしカーネギー国際平和財団のレポートにあるとおり、メキシコ人の実質賃金は、NAFTAが発行する以前よりも2003年のほうが下落しているのです。

 これは何を意味しているのか。

 実際の自由貿易が教科書どおり「自由貿易の最大の受益者は消費者である」ことに失敗していることを意味しています。

 少なくともメキシコでは、多国籍大企業に受益が集中する結果、消費者に利益は還元されなかったのです。

 自由貿易は教科書とおりには消費者に利益をもたらさない。

 この事実は重いです。

 

(木走まさみず)