木走日記

場末の時事評論

日本の「美しい核」はいつできる?〜日本の核兵器製造能力について広くみなさまにお尋ねいたします

<木走の素朴な疑問>

 あらゆる政治的・外交的要素を全く無視して、明日から日本が本気で核兵器を開発着手すると仮定して、はたして日本は核兵器の製造能力を有しているのでしょうか。

 有しているとしてどのくらいの期間で自前の核兵器を完成できるのでしょうか。

 最近のメディア報道から現状の日本の核兵器製造能力と製造期間について、両極端の2つの論説をご紹介いたしましょう。



●4年前の安倍首相の壮語「その気にさえなれば、1週間以内に核兵器を持つことができる」

 まずは木走がざっと知る限り最短の開発期間を指摘している記事であります。

 昨日(25日)の韓国・中央日報の興味深いコラム記事から・・・

<コラム>菊と刀

北朝鮮による核事態で、日本が「ワイルドカード」に登場した。北朝鮮は日本という要素を過小評価した。日本の動き次第では終着駅が変わりうる。チェイニー副大統領をはじめとする米ネオコン新保守主義派)は、日本が「核武装」する可能性に公に触れている。

「日本の核武装は中国の計算を完全に崩すことができる… わわわれは何故、安定的かつ信頼でき民主的な同盟(日本)を、負担を分けることに利用しないのか」。米国の保守志向のコラムニスト、チャールズ・クラウサマー氏の反論だ。第2回世界大戦の束縛を解除し、日本の核武装を再び考えてみようという注文だ。

日本は「すでに」核強国だ。4万キログラム以上のプルトニウム保有し、原発の象徴ウェスティングハウス東芝の手に入った。再処理施設が稼働されれば、毎年8000キログラムのプルトニウムが得られる。核兵器1000個を作れる分量だ。日本は自力で偵察衛星を打ち上げており、イラク戦に投下された米軍ミサイルの部品のうち日本製が50%を超える。

「その気にさえなれば、1週間以内に核兵器を持つことができる」。4年前の安倍首相の壮語が口先だけの言葉ではない。世界唯一の被爆国である日本では、核兵器への反感が非常に大きい。米国との関係や中国・ロシアのけん制などから考えて、短期間での核武装は実現しがたい。逆に、核兵器の威力を体験しただけに日本の危機意識は格別だ。

とりわけ、東名高速道路に沿って70%以上の企業が密集している日本は、3、4発の初期の核攻撃で経済が無力化するぜい弱な構造を抱えている。核兵器は日本で二重の意味を持たざるを得ない。北朝鮮の核実験は、日本が自ら足首にはめていた敗戦の足かせを、61年ぶりに完ぺきに破った。核不拡散条約(NPT)と「非核3原則」(核兵器保有・製造・持ち込みの禁止)を順守するという公式の立場は変わらないが、それこそ公式の立場であるだけだ。

核武装の「議論」だけでも、タブーが解除されたわけだ。北核事態が長引く場合、日本の出方は誰にも分からない。安倍政権は北朝鮮への強硬政策がなかったら、誕生できない運命にあった。だから、さらに必死になっている。北朝鮮の核脅威を完全に除去できなければ、政権の存立まで危険になりうる。

日本が「北朝鮮の核保有自体を決して容認できない」という強行姿勢を崩さずにいるのはそのためだ。核の移転だけに神経を尖らせている米国や、北朝鮮の追加行動を防ぐことにこだわっている中国とは異なる。日本は、北の核実験についてはじっとも譲れない。6カ国協議が再開されても、日本は、取り戻せない、完ぺきな核廃棄を求めることに違いない。

米国はそうした日本を、中国に圧力を加えるための挺子にしている。日本が「北朝鮮は放っておいて、何故日本は自衛用の核を持つことができないのか」と反発すれば、返す言葉がない。中国とロシアにとって、日本の核武装はそれこそ大失敗だ。中国は「アジアの盟主」の席を譲らなければならず、日本との間に海を挟んでいるロシアも嬉しいはずがない。

しかしながら米国が黙認すれば、日本の核武装を防げる方法がない。日本との貿易で莫大な利益をあげている中国が経済制裁に出るわけがない。韓国が目ざすものが「韓半島の非核化」ならば、日本というカードも慎重に検討しなければならないだろう。北朝鮮の核には適当に対応しながら、日本の「核武装をめぐる議論」まで必死になって阻止するのはエネルギーの浪費だ。

「悪魔とも対話しなければならない」という太陽(包容)政策支持者の論旨を借りれば、北核問題の解決に最も効果的な「日本カード」を急いで捨てる必要はない。韓国自らがワイルドカードを捨てる格好となる。場合によっては、中国が北朝鮮に供給する石油のパイプを閉めてしまうかも知れない。

米国と日本が太平洋で対決した52年前、米人類学者ルース・ベネディクトは次のように語った。「刀は菊と共に日本の一部である。当然矛盾だが、これもまた真実だ…日本の行動の動機は日和見主義的だ。日本はもし、事情が許されるなら、平和な世界で自分の位置を求めることになるだろう。そうならなければ武装された陣営として、組織された世界の中で自分の位置を見いだすようになるだろう」(『菊と刀』)。もう一度下に線を引きながら読んだ文章だ。その刀が再び閃こうとしている。

李哲浩(イ・チョルホ)論説委員

2006.10.25 16:13:41
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=81133&servcode=100§code=120

 なんだかなあ、第二次世界大戦が「第2回世界大戦」だったり、 米国と日本が太平洋で対決したのが62年前じゃなくて「52年前」だったり、記事としてはいろいろ問題ある文章なのであります(苦笑)が、それにしても日本が「ワイルドカード」に登場したとは大胆な分析なのであります。

 「核武装の「議論」だけでも、タブーが解除された」わけで「北核事態が長引く場合、日本の出方は誰にも分からない」とした上で、日本がその気になったらアメリカすらも「日本が「北朝鮮は放っておいて、何故日本は自衛用の核を持つことができないのか」と反発すれば、返す言葉がない」だろうとしています。

 結語がいいですね。

米国と日本が太平洋で対決した52年前、米人類学者ルース・ベネディクトは次のように語った。「刀は菊と共に日本の一部である。当然矛盾だが、これもまた真実だ…日本の行動の動機は日和見主義的だ。日本はもし、事情が許されるなら、平和な世界で自分の位置を求めることになるだろう。そうならなければ武装された陣営として、組織された世界の中で自分の位置を見いだすようになるだろう」(『菊と刀』)。もう一度下に線を引きながら読んだ文章だ。その刀が再び閃こうとしている。

 日本の「刀が再び閃こうとしている」のだそうです。

 ・・・

 うーん、なんだかなあ、「4万キログラム以上のプルトニウム保有」しているのも、「再処理施設が稼働されれば、毎年8000キログラムのプルトニウムが得られる。核兵器1000個を作れる分量」なのも、「日本は自力で偵察衛星を打ち上げており、イラク戦に投下された米軍ミサイルの部品のうち日本製が50%を超える」のもすべて事実ではありましょうが、李哲浩(イ・チョルホ)論説委員のこのコラムは少しばかり日本の国民感情を無視した過激な論調でありますね、熱い気持ちはわかるけど・・・

 ところで、気になったのは次の一文。

「その気にさえなれば、1週間以内に核兵器を持つことができる」。4年前の安倍首相の壮語が口先だけの言葉ではない。

 えええ、本当に日本って「その気にさえなれば、1週間以内に核兵器を持つことができる」のですかあ?

 「4年前の安倍首相の壮語」だそうですが、発言の真贋はともかく、「1週間以内に核兵器を持つことができる」ってのは、どうなんでしょう、アマゾンでCD注文するよりへたすると早いんですが本当なのでしょうか?(苦笑)



●仮に国家挙げて国産核兵器開発に取り組んだとしても3-5年以上の年月と3000億円以上の予算が必要になる

 今度は逆に現状の日本の能力じゃ核兵器の開発の能力なんてないよという記事であります。

 23日の日経ネットの記事は「核武装能力なき日本」と題して「日本核武装論」は根拠のない「夜郎自大」であるとしています。

「裏付けのない核カード」の危うさ・核武装能力なき日本(10/23)

司馬遷史記が生み出した言葉のひとつに「夜郎自大」がある。無知の故に何の根拠もなく自分の能力が大きいと威張る輩や国の指導者を指す。政界や評論界のいわゆるタカ派の一部から出ている「日本核武装論」はそれに近い。

 タカ派に限らず多くの人々には日本が原子力技術とハイテクの大国なのだから、その気になればいつでも「核武装」できる、その能力を発揮すれば「抑止効果」がえられると信じがちである。また、核武装の障害はもっぱら日本の「非核三原則」や「核アレルギー」だと主張する。いずれも単なる思い込みでしかない。

日本を代表する3社が束になっても開発できず

 ただちに核兵器を開発する技術能力は日本にない。北朝鮮の核実験後に政府内部の専門家グループがまとめた極秘の報告書によれば、仮に国家挙げて国産核兵器開発に取り組んだとしても3-5年以上の年月と3000億円以上の予算が必要になるという。これでは当面の「北朝鮮の核」の脅威抑止には間に合わない。

 問題の性格からしてこの報告書は公開されないだろうが、冷静な頭で日本の核技術開発を振り返ればよい。核爆弾原料には高濃縮ウラン(広島型原爆)とプルトニウム(長崎型原爆)がある。

 まず濃縮ウランの場合、日本は遠心分離法を採用している。もちろん目的は低濃縮で済む原発軽水炉)用で、実用化に向けて国、電力業界と重電メーカー大手の日立製作所東芝三菱電機の3社合弁会社が1970年代末から取り組んできた。現在では青森県六ケ所村の日本原燃のウラン濃縮工場が軽水炉用に製造しているとされるが、技術者の話を総合すればいまだに試行錯誤の域を出ない。失敗しては新型機を試す過程の繰り返しである。
 日本を代表するハイテク・メーカー3社が束になって30年近くも取り組んできたのに実用遠心分離機技術を開発できない理由は、①3社が三すくみになってしまい、ある種の無責任体制になっている②低濃縮ウランは輸入したほうが安いので、ユーザーである電力業界の支持が中途半端である③国の開発路線がはっきりしない--などが関係者から指摘されている。

「使用済み核燃料なら簡単」の幻想

 純度3%程度の原発用ですら手間取っているのに純度90%以上が要求される核兵器用を製造するには途方もない開発・設備投資を迫られる。遠心分離設備は現在の10倍以上に拡大する必要がある。ともあれ、日本の遠心分離技術は1998年に遠心分離機を使って高濃縮ウランによる核実験を成功させ核保有国になったパキスタンにも及ばない。

 プルトニウムの場合、原発から出る使用済み核燃料をやはり六ケ所村の再処理工場で化学処理すれば大量に得られるのでウラン濃縮より容易と考えがちだが、専門家の判断は違う。放射性同位元素プルトニウムのうち核弾頭の材料になるのは純度94%以上のプルトニウム239である。しかし、軽水炉から出るプルトニウム同位元素には240、242、244というふうに質量数が高い同位体が多く含まれる。これらは不安定で簡単に自爆するので貯蔵・管理が不可能であり、核弾頭には使えない。つまり軽水炉の使用済み燃料からは兵器用原料をつくれない。

 それでも方法がないわけではない。小規模でもよいから北朝鮮のように黒鉛減速炉を新設するか、カナダから重水炉「CANDU」を導入すれば純度の高いプルトニウム239を得られる。この使用済み燃料のほうは原発用の再処理工場では精製できないので新たに専用の再処理工場を建設する必要があり、数年の時間と巨額の投資を覚悟しなければならない。

 日本にはかつて小型黒鉛減速炉があったし、新型転換炉「ふげん」と呼ばれる重水炉もあった。しかし、70年代末の米国カーター政権による「核不拡散」政策や米国スリーマイル島原発事故後の世界的な原子力発電への見直し、プルトニウムを大量生産する高速増殖炉の開発中止の波などを受けて、日本は順次軍事用につながる原子力技術開発を放棄してきた。黒鉛減速炉もふげんも廃炉になっている。

「非核武装」堅持のリーダーシップこそ最良の選択

 日本は原子力技術開発政策を担ってきた限られた数の核技術の権威たちが、国情に合わせて核の平和利用に開発努力を収斂させてきた。この路線を歴代の首相が追認してきたわけである。現在の核武装能力の欠如はこの「平和路線」または「非核三原則」の帰結でもある。

 この現実認識に立てば、「核武装論」の愚かさが見えてくる。第一に政治リーダーがそう宣言したところで、ただちに国産化する技術と設備がないことは北朝鮮や中国に見抜かれてしまい、抑止どころではない。何よりも非核三原則の放棄は国内でも世論の反対を受けるので、政治的にも実現が困難だろう。長期的に核武装をめざすと言い出しても、同盟国米国や近隣のアジア諸国を含めて国際社会に対してただ警戒心をあおるだけの結果に終わる。裏付けのない「核カード」を切れば日本は国際社会で孤立する恐れがあるわけである。

 残る選択はただ一つ、現在の非核武装路線を堅持し、それを梃子に日本は朝鮮半島のみならず世界の核兵器廃絶に向けてより一層のリーダーシップをとることである。幸いにも、「偏狭なナショナリスト」と当初は米国の保守派からも警戒された安倍晋三首相はきちんと現実を見据えてリアリストに変貌しつつあるようだ。安倍首相は自民党タカ派仲間の中川昭一政調会長の「核武装議論」容認論に距離を置き、「非核三原則」を順守する姿勢を見せている。しかし、要は北朝鮮の核実験を機に、日本は夜郎自大に陥ることなく、世界の「平和大国」としての存在感を一挙に高めることではないか。そのことが、虚構の「核」よりもはるかに重大な威力を発揮するのではないだろうか。

http://www.nikkei.co.jp/neteye5/tamura/index.html

 うーむ、「ただちに核兵器を開発する技術能力は日本にない」のであり、その根拠は「北朝鮮の核実験後に政府内部の専門家グループがまとめた極秘の報告書」によれば、「仮に国家挙げて国産核兵器開発に取り組んだとしても3-5年以上の年月と3000億円以上の予算が必要になる」からだとしている記事なのであります。

 結語もこうです。

 残る選択はただ一つ、現在の非核武装路線を堅持し、それを梃子に日本は朝鮮半島のみならず世界の核兵器廃絶に向けてより一層のリーダーシップをとることである。幸いにも、「偏狭なナショナリスト」と当初は米国の保守派からも警戒された安倍晋三首相はきちんと現実を見据えてリアリストに変貌しつつあるようだ。安倍首相は自民党タカ派仲間の中川昭一政調会長の「核武装議論」容認論に距離を置き、「非核三原則」を順守する姿勢を見せている。しかし、要は北朝鮮の核実験を機に、日本は夜郎自大に陥ることなく、世界の「平和大国」としての存在感を一挙に高めることではないか。そのことが、虚構の「核」よりもはるかに重大な威力を発揮するのではないだろうか。

 「日本は夜郎自大に陥ることなく、世界の「平和大国」としての存在感を一挙に高めることではないか。そのことが、虚構の「核」よりもはるかに重大な威力を発揮する」ですか・・・

 なんだかなあ、北朝鮮も実験できたのに、現状では核武装能力はないとは、少しばかり情けない「技術立国日本」なのでありますが、この記事の内容は本当なのでしょうか。

 ・・・



●日本の核兵器製造能力について広くみなさまにお尋ねいたします

 「その気にさえなれば、1週間以内に核兵器を持つことができる」のが本当なのか、「ただちに核兵器を開発する技術能力は日本にな」く「仮に国家挙げて国産核兵器開発に取り組んだとしても3-5年以上の年月と3000億円以上の予算が必要」なのが本当なのか・・・

 どちらの説が現実に近いのでしょうか。

 日本の核兵器製造能力について広くみなさまにお尋ねいたします。

 もし状況がそれを許すと仮定したとき、日本の「美しい核」はいつできるのでしょうか?



(木走まさみず)