木走日記

場末の時事評論

日本が核武装を選択する合理的理由は見当たらない〜「日本核武装論」についての一愚考

 20日の朝日新聞から・・・

保有の是非、再び「議論を」 中川政調会長

2006年10月20日23時13分
 自民党中川昭一政調会長は20日、静岡県浜松市での党静岡県連の集会で「(北朝鮮に)攻められそうになった時にどう防ぐか。万が一のことが起きた時にどうなるかを考えるのは、政治家として当然のことだ」と述べ、日本の核保有の是非を議論すべきだとの考えを重ねて示した。

 また、中川氏は「あの国の指導者はごちそうを食べ過ぎて糖尿病だから(攻撃を)考えるかもしれない」とも語った。この発言について、同氏は集会後、記者団に「国民が貧困にあえいでいるのに、指導者がぜいたくざんまいをしているのはおかしいという趣旨だった」と釈明した。
http://www.asahi.com/politics/update/1020/013.html

 糖尿病の患者さんに対する配慮のかけらもない「あの国の指導者はごちそうを食べ過ぎて糖尿病だから(攻撃を)考えるかもしれない」失言には、政治家としての資質に疑問を持たざるを得ません(苦笑)が、日本の核保有の是非を議論すべきだとの主張を繰り返す中川昭一政調会長なのであります。

 中川氏の発言に麻生外相は積極的に賛同の意を表明、中韓両国メディアからは日本核武装論が脅威を持ってその実現可能性を語られ、アメリカのメディアでも東アジア核武装ドミノ論から日本核武装奨励論まで飛び出すにぎやかさであります。

 中川氏や麻生氏の発言が国内外で波紋を広げる中、さすがに自民国防族も危機感を募らせたのか核武装の否定に動き出したようです。

 22日の日経記事から・・・

核武装の否定、強調へ・自民国防族、月内にも見解

 自民党石破茂防衛庁長官国防族の有力議員が中心になり、日本の核武装を否定する見解を月内にもまとめることが21日、分かった。麻生太郎外相や中川昭一政調会長の「論議は構わない」などの発言が米国や周辺国に核武装推進論と誤解されかねないとの判断からだ。

 見解には(1)唯一の被爆国が核を持つ必要はない(2)核には核しか抑止力がないということではない(3)日米同盟を信用しないことになる――などを明記。日本には核実験をできる場所がなく、核武装は現実として不可能と強調する考えだ。 (07:01)
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20061022AT3S2100H21102006.html

 ・・・

 北朝鮮による横暴な10月9日の核実験以来、日本の内外で「日本核武装論」が盛んに議論されているようでありますね。

 一部にはこのような議論をすること自体に問題があるとする考えもあるようですが、ここは名もない場末のブログの強み(苦笑)でありまして、タブーなき議論をさせていただこうと思います。(ごめんね、朝日新聞(苦笑))

 今回は最近の「日本核武装論」について少し考察してみたいと思います。



●米国は日本に対し核抑止力を築くことを奨励せよ〜興味深い超過激なニューヨークタイムス記事

 「日本核武装論」に関する海外の論調でもっとも興味深くかつ日本でもっとも話題になっているのは、10日付けニューヨークタイムスデビット・フラム氏の記名記事「Mutually Assured Disruption(相互確証撹乱)」でありましょう。

Mutually Assured Disruption
October 10, 2006, Tuesday
By DAVID FRUM (NYT); Editorial Desk
http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F10716F838540C738DDDA90994DE404482

 すでに有料記事扱いなので転載は控えますが、記事の主張は「米国は日本に対しNPTを脱退し、独自の核抑止力を築くことを奨励せよ」という、日本人も驚愕の日本核武装奨励論なのであります。

 筆者のフラム氏は2001年から2002年まで第一期ブッシュ政権大統領補佐官として働いた共和党保守派の論客として有名な人物であります。

 この記事について、産経新聞論説委員であり国際問題評論家の古森義久が日経BPネット上でくわしく論説をしています。

 以下、古森義久氏の論説より、当該ニュヨークタイムス紙記事に関する部分を抜粋引用いたします。

(前略)

 ブッシュ政権大統領補佐官を務めたデービッド・フラム氏がニューヨーク・タイムズ10月10日付に発表した寄稿論文での主張である。フラム氏はこの論文で北朝鮮とその背後にいる中国を厳しく非難していた。北朝鮮が米国をはじめ国際社会をだまして、核実験に踏み切り、しかも中国はその冒険を阻止できる立場にあるのに止めなかった、と糾弾している。だから米国は北朝鮮と中国にそんな危険な挑発行動への代償を払わせるために一連の断固とした措置をとるべきだ、と主張している。

 フラム氏はそのなかで日本について次のように述べていた。

 「米国は日本に対しNPTを脱退し、独自の核抑止力を築くことを奨励せよ。第二次世界大戦はもうずっと昔に終わったのだ。現在の民主主義の日本が、台頭する中国に対してなお罪の負担を抱えているとするバカげた、見せかけはもうやめるときだ。核武装した日本は中国と北朝鮮が最も恐れる存在である」。

 「日本の核武装は中国と北朝鮮への懲罰となるだけでなく、イランに核武装を思いとどまらせるという米国の目標にも合致する。日本の核武装の奨励は、他の無法国家がその地域の核の均衡を崩そうとする場合、米国とその友好諸国がその試みを積極果敢に正そうとすることをイランに知らしめることになる。米国はイスラエルの核攻撃能力を高めることもできるのだ」。

 大胆だが明快な主張である。今の米国ではもちろん超少数派の意見でもある。ブッシュ政権にも日本に核武装を促すという気配はツユほどもない。だがそれでもこうした政策提言が初めて堂々と出てきたことは注視せざるをえない。

(後略)

(注:文中太字は木走付記)

”外交弱小国”日本の安全保障を考える〜ワシントンからの報告
第33回 「日本に核武装」― 米国から出た初めての奨励論 より引用
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/33/index.html

 いやはや「現在の民主主義の日本が、台頭する中国に対してなお罪の負担を抱えているとするバカげた、見せかけはもうやめるときだ。核武装した日本は中国と北朝鮮が最も恐れる存在である」とは、すごい論調なのであります。

 「日本の核武装の奨励は、他の無法国家がその地域の核の均衡を崩そうとする場合、米国とその友好諸国がその試みを積極果敢に正そうとすることをイランに知らしめることになる。米国はイスラエルの核攻撃能力を高めることもできるのだ」とは、少々国際世論を無視した暴論気味なのでありますが、確かに古森義久氏曰く「大胆だが明快な主張」でありますね。

 ・・・

 興味深い古森義久氏の論説ですが、記事タイトル「「日本に核武装」― 米国から出た初めての奨励論」は少々誤解を招くミスリードでありいただけません。

 このような過激な意見が「今の米国ではもちろん超少数派の意見」であるのは間違いないですが、数年前より繰り返し共和党系保守派の一部から主張されてきたモノであり、今回が「米国から出た初めての奨励論」ではまったくありません。

 参考までに防衛庁防衛研究所の主任研究官による3年前2003年4月のブリーフィング・メモから・・・

(前略)

今日、北朝鮮の核開発疑惑の再燃を契機に、再び日本核武装論が目につくようになってきている。今日散見される日本の核武装論は、概ね二種類に分けることができる。1つは、北朝鮮核兵器保有・配備すれば、韓国や日本がドミノ式に核兵器開発に踏み切るという見方である。2つ目は、米国の対中政策のカードとしての日本核武装論である。これは米国の一部の元政府関係者やコラムニストが唱える議論であるが、その骨子は、日本の核武装を恐れるはずの中国が、北朝鮮核兵器開発問題に真剣に取り組まないのであれば、米国は日本の核武装を是認し、支援するというものである。外交政策のカードとして他国に核武装をさせるといった発想の不遜さもさることながら、日本国民に植え付けた広島、長崎のトラウマに一顧だにせずに、米国内でこうした議論が交わされることには不快感を禁じ得ない。したがって、外交カードとしての日本核武装論は論外としても、第1の論点については、検討しておかねばならない。

(後略)

(注:文中太字は木走付記)

―再燃している日本の核武装をめぐる論議について― より抜粋引用
第1研究部主任研究官 小川伸一
http://www.nids.go.jp/dissemination/briefing/2003/pdf/200304.pdf

 すでに3年前には防衛庁防衛研究所の主任研究官のレポートにて「日本の核武装を恐れるはずの中国が、北朝鮮核兵器開発問題に真剣に取り組まないのであれば、米国は日本の核武装を是認し、支援する」という、今回のフラム氏の論説の骨子は出来上がっていたのであります。

 ニューヨークタイムス紙のような大手メディアにフラム氏のような大物が主張を展開するのは「初めて」なのかも知れませんが、古森義久氏の記事のサブタイトル「米国から出た初めての奨励論」は少々誤解を招くミスリードでありましょう。

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 それにしても「米国は日本に対し核抑止力を築くことを奨励せよ」とは、興味深い超過激なニューヨークタイムス記事なのであります。

 しかしこのアメリカ人保守派の日本核武装奨励論でありますが、アメリカ国家の戦略としてはありなのかも知れませんが、とても当事者日本としてはそのまま「はいそうしましょう」と呑めるアイディアとは言えないのであります。

 本当に日本独自の核武装で核の脅威に対処するのは成算のある選択肢なのでしょうか?



●観念論ではなく現実論として日本の核武装を考察してみる

 不肖・木走は「日本核武装論」自体は大いに論じるべきであると考えます。

 その上でですが、観念論ではなく現実論として、日本の核武装を、私見も交えつつ、考えてみましょう。

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 たしかに、最近の北朝鮮の核実験及びその運搬手段である弾道ミサイルの開発が我が国に対する大きな脅威であり、わが国の安全保障上、深刻な課題を突きつけているわけです。

 他方わが国は、長年、憲法上の要請から「専守防衛」を防衛の基本方針としてきました。

 ところでこの「専守防衛」は通常戦や通常兵器を念頭に概念化されたものであり、近年顕著となっている大量破壊兵器搭載弾道ミサイルがもたらす脅威を視野に入れているとは言い難い点で「敵地先制攻撃論」や「日本核武装論」が活発に議論される原因ともなっているのです。

 「専守防衛」については、「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう」(2003年『防衛白書』)と説明されています。

 「専守防衛」は、政治的、外交戦略的に大きな役割を果たしてきました。

 「専守防衛」を旨とする受動的、守勢的な防衛態勢をとることによって、悲惨な太平洋戦争を経験し、ともすれば反戦・反軍的姿勢をとりがちであった日本国民に安心感を与えるとともに、近隣諸国に対しては大きな脅威を与えないことにつとめ、友好国や同盟国からも一定の評価をえてきたわけです。

 つまり、敗戦国日本にとり国力に見合う防衛力を維持しつつ近隣諸国の警戒感を押さえるもっとも合理的な手段が「専守防衛」であったわけです。

 もし日本が核武装するならば、日本の防衛の基本方針「専守防衛」は国際的には完全に否定されることでしょう。

 核兵器を持つことによる核抑止論は核による報復攻撃を前提にしており、国際的には立派な核戦略国家として日本は認知されてしまうのは必定であり、国内議論はともかく、それ以前の核抜きの「専守防衛」とは、周辺諸国及び同盟国の日本の軍事力に対する見方は、本質的に変貌することは自明でありましょう。

 もし日本が核武装するならば、日本の防衛の基本方針「専守防衛」に完全に抵触するだけでなく、戦後日本にとり、政治的、外交戦略的に大きな役割を果たしてきた「専守防衛」を放棄するに値する政治的メリットが「日本核武装」になければなりません。

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 ところで日米安保体制を現状通り維持するならば、米国の「核の傘」以外に日本が独自に核兵器を所有する明確な合理的な理由が必要でしょう。

 たとえば米国の核の傘北朝鮮に対して機能しないが、日本の核兵器北朝鮮に対し抑止機能を発揮するとの見方は、現実的な想定としてはあり得ないでしょう。

 金正日が体制の継続が絶望的であると判断した場合、北朝鮮が残存した核ミサイルを使用することも可能性としては考えられますが、こうした決死の自暴自棄攻撃は、米国の核戦力は勿論、仮に日本が核戦力を保有していたとしても、抑止できるものではないでしょう。

 つまり、米国の「核の傘」の下にある限り、日本が敢えて核武装を選択する合理的理由は見当たらないわけです。

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 次に、日米安保体制が何らかの理由で有名無実化した場合の日本の核武装を考えてみましょう。

 この場合、日本の核兵器開発は、それが例えば北朝鮮核兵器を抑止するといった限定的な目的で着手されても、中国およびロシアに対し核戦力増強のインセンティブを与え、日本を対象とした核抑止戦略を高める危険が高いでしょう。

 また、日本の核武装アメリカの国益に反するとして、日本の核兵器開発がアメリカの反発、対抗手段を招く危険があることも忘れてはならないでしょう。

 つまり、日本が核武装を決断しても、究極的にはアメリカや中国やロシアと核抑止関係に入ることを前提とする戦略核戦力の整備を余儀なくされるでしょう。

 日本本土は言うにおよばず、周辺の島々を見回しても、南北に細長く、しかも中国やロシアに近接しているため、日本列島が大陸国家に比べ核防御の縦深性に欠けているのは自明であり、中国・ロシアとの戦略核戦力の整備競争は島国日本にとり、勝利条件がほとんど存在しない絶望的な政策となりましょう。

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 以上、日本が独自の核武装で核の脅威に対処することは、現時点では政治的にも外交的にも軍事的にもデメリットが大きすぎるのであり、まったく政策の選択肢としてはとりえないだろうと、私は考えます。

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 もちろん不肖・木走は「日本核武装論」自体は大いに議論する必要を認めるモノであります。(ごめんね、朝日新聞←しつこいって(苦笑))

 読者のみなさまのご意見はいかがでしょうか。



(木走まさみず)