木走日記

場末の時事評論

産経「反進化論」記事を批判するJANJAN記事をメディアリテラシーしてみる

 すっかり過ごし易くなってまいりましたね。
 連休中でもありますし、秋の夜長にたまには科学的な考察をじっくりしてみるのもよろしいでしょう。
 今回はみなさまととってもホットな科学の論争について考察してみたいと思います。
 読者のみなさんは、『インテリジェントデザイン(ID)理論』をご存知でしょうか?


●「ID理論」擁護 にせ科学で道徳を補強する産経新聞

 少し長いですが、昨日のインターネット新聞JANJANのトップ記事より・・・

「ID理論」擁護 にせ科学で道徳を補強する産経新聞 2005/10/08

 私は生物科学の研究を仕事にしているものだが、最近世の中に「似非科学」がどんどん勢いを増していることを知るようになり、またそのことの持つ問題性に気づくようになった。

 似非科学にはいくつかのタイプがあるようだ。単に正確な知識が無いまま間違ったことを断言するものに関しては、その間違いを正せば済むことだ。一番問題であるのは、第1に自分がひと儲けしたいためにいい加減な商品の宣伝文句として確信犯的に似非科学を利用するもの、そして第2に、道徳と科学を意図的にごちゃ混ぜにして、自分の考える道徳のあり方を正当化するために似非科学を利用するものである。

 残念なことに両者とも非常に広く世の中に広がっている。第1のカテゴリーの裾野は非常に広く、医薬品のような効果を謳う食品など、ごく少数のものが最近ようやく薬事法違反などで追及されるようになった。これは大変な問題であるが、第2のカテゴリー・道徳関係に使われている似非科学に関しては、その意図が法律違反に問われることも無く、考えようによっては第1のカテゴリーに属するものよりも問題が大きいかもしれない。

 9月26日付の産経新聞朝刊に、京都大学名誉教授である渡辺久義氏のインタビュー記事が掲載され、Web産経でもその記事を読むことができる。渡辺教授は英米文学専攻の学者で、著書も多い人だそうだが、この記事は英米文学の話ではない。インテリジェントデザイン(ID)理論と呼ばれる「科学理論」についてである。IDとは端的には、産経記事にもあるように、「人間の存在は進化論では説明できず、何らかの『知的存在』がデザインしたという理論」であるとされる(IDについては例えば、こちら参照)。

 現在の科学の知識から考えて、この「理論」は全く荒唐無稽なものである。いわゆる進化論というのは、生物が単純な構造のものから徐々に変化を遂げて、我々ヒトを含めた複雑な構造と機能を持つものが生まれるに至ったとする考えである。これを支持する直接間接の証拠は枚挙に暇がない。最近のゲノム科学によって、例えば現存のヒトとチンパンジーは進化の過程上どのくらい前に分かれたか、という計算も可能である。このことを受け入れるかどうかに論争がある、などとする考えは、その人自身が論争をつくりたい、あるいは論争があることにして進化論を否定する自説を進化論と同レベルのものとして扱いたいと願っているに過ぎない。

 いくつかのBlogはこの記事を批判的に取り上げている。だが、大新聞の言うことを信じてしまいがちな人も多いに違いない。これは憂慮すべきことだ。科学者の中にはそういう危機感を表明している人もいる。例えば、このサイトの9月28日付のBlog記事。

 インタビュー記事の最後の節は、識者の意見という体裁を見せつつ、実は編集部の意見であると考えられるが、そこに現れているように、この記事の目的は「進化論は道徳にマイナスである」と主張することのようだ。

 インタビューの中にもこの名誉教授の意見として、「『生命は無生物から発生した』『人間の祖先はサルである』という唯物論的教育で『生命の根源に対する畏敬(いけい)の念』(昭和41年の中教審答申『期待される人間像』の文言)がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです」という一節がある。

 また、最後の節の中には「『進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ』という議論は、日本でも多くの識者から主張されてきた」という文章もある。「進化論=唯物論=人間の尊厳を重視しない」という図式を作ってこれを攻撃している。

 進化論は科学に基づくものであり、人間の尊厳や生命への畏敬とは別の次元のものである。産経新聞はおそらく意識的に京大名誉教授の肩書きを利用して科学と道徳をごちゃまぜにしようとしている。現在の学校教育において、道徳がきちんと教えられていないという不満を無理やり進化論のせいにしようとしている。

 だが、進化論に限らず、そもそも科学的理論によって覆されるような道徳など初めから無意味なように私には思える。この産経新聞記者・編集者のような、にせ科学を使って補強しなければならないような自信のない道徳観こそが再考されなければならないのではないか。

 繰り返しになるが、道徳と科学を同一次元で考えてはならない。例えば、「大事に使った道具や機械はそれに応えていい働きをしてくれる」とか、「田畑の作物は手をかけたらかけただけよく実る」とかいう考えは広く認められ、賛同する人も多いだろう。しかし、それは自分の真心が金属や植物の構成成分に作用してそれらの性質が変わったためではない。道徳は自分の気持ち、心がけの問題であり、いい加減な似非科学とともに教えるものではない。

 それと同様に、人間の存在が尊い、とするのは、個々の人間の人生と人類の長い歴史の中から生まれてきた思想であり、人間が超越的な力を持つ神によって尊い存在としてつくられたからではない。人間の存在が尊い、という考えは、道徳、倫理、思想史、宗教学などで扱われるべき内容であり、理科、科学の時間に教えられるべき内容ではない。

 にもかかわらず、産経新聞は以前から教育欄を中心にこのような「ID理論」を支持する記事が目立つ。産経は今後「新しい科学教科書を作る会」でも発足させるつもりがあるのではないか、と勘ぐってしまう。

(山田ともみ)

インターネット新聞JANJAN記事より
http://www.janjan.jp/living/0510/0510063447/1.php

 これは興味深い記事です。
 で、問題になった産経新聞記事は以下です。

2005.09.26 産経新聞
■「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050926etc.html

 確かにアメリカでは、ダーウィンの進化論を批判する「インテリジェントデザイン(ID)」論を学校教育に取り入れる動きが広まっている事実があり、ブッシュ大統領も後押し発言してさらに認知度が高まっていますし、推進しているのがキリスト教右派中心であることもあって、裁判沙汰までになって、メディアでも大激論を招いているようです。

2005.09.28 産経新聞
■「反進化論」教育に是か非か 全米が注目 連邦地裁判断
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050928etc.html

 ID・インテリジェントデザイン理論とは、問題の産経記事によれば『人間の存在は進化論では説明できず、何らかの「知的存在」がデザインしたという理論』で、『従来の反進化論と違って多くの科学者が支持』している理論であるそうですが、多くの科学者というのは言い過ぎでしょうが、まあ少なくないアメリカの科学者が支持している理論であります。

 うーん、おもしろいですね。

 人間の存在は進化したんじゃなくある意志の元ですでに設計デザインされていたんだというトンデモない理論なのであります。

 さて、このJANJAN記事ですが、山田ともみ記者はさすが生物科学者としての知見の深さを感じられます。
 記事の主旨は、大きく2つあるようで、ひとつはIDなどは「にせ科学」であるという専門家としての見識が披露されていて、もうひとつは「進化論は道徳にマイナスである」と主張する産経新聞への批判となっております。
 特に産経新聞批判の部分では、識者の意見という体裁を見せつつ、実は産経編集部の意見に読者を誘導していると批判しています。

 インタビュー記事の最後の節は、識者の意見という体裁を見せつつ、実は編集部の意見であると考えられるが、そこに現れているように、この記事の目的は「進化論は道徳にマイナスである」と主張することのようだ。

 インタビューの中にもこの名誉教授の意見として、「『生命は無生物から発生した』『人間の祖先はサルである』という唯物論的教育で『生命の根源に対する畏敬(いけい)の念』(昭和41年の中教審答申『期待される人間像』の文言)がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです」という一節がある。

 また、最後の節の中には「『進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ』という議論は、日本でも多くの識者から主張されてきた」という文章もある。「進化論=唯物論=人間の尊厳を重視しない」という図式を作ってこれを攻撃している。

 しかし、この興味深いJANJAN記事が提起している問題は、『トンデモ理論を擁護する産経の偏向報道という表面的な単純化した扱いでは本質的な部分を見落としてしまいます。
 この問題は根が深いのであります、しっかりリテラシーして検証してみましょう。



●JANJAN記事が取り上げた問題を3つのフェーズに切り分けて検証してみよう

 この記事では、ID理論そのものの実証性の問題と、その理論を日本で普及活動している大学教授の問題、それらを紹介している産経新聞記事の問題が混在しています。
 わかりやすく考察するためにそれらの諸問題を3つのフェーズに分けて検証していきましょう。

フェーズ1:産経新聞インタビュー記事の問題性
フェーズ2:日本でID理論を紹介している渡辺久義京大名誉教授の活動の問題性
フェーズ3:ID理論そのものの実証性の問題

■フェーズ1:産経新聞インタビュー記事の問題性

 まず、批判対象になっている産経記事の結語部分を抜粋してみましょう。

進化論偏向は道徳教育にマイナス 日本の識者も主張

 「人間の祖先はサルだという教育は、生物の授業の仮説ならともかく歴史教育や道徳教育にはマイナスだ」「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」という議論は日本でも多くの識者から主張されてきた。

 マルクス主義の影響を最も強く受けているとされる日本書籍の中学歴史教科書は平成十三年度使用版まで、見開き二ページを使ってダーウィンの進化論と旧約聖書の創世記、戦前の歴史教科書の日本神話を対比させて聖書や神話を否定的に受け止めるよう誘導していた。

 このような教育に対し、日本神話の再評価を訴えている作家・日本画家の出雲井晶さんは「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。誰が日本人を作ったのかというロマンを教えるべきだ」と話す。

 中川八洋筑波大教授は著書『正統の哲学 異端の思想』でダーウィンを批判。創造論、進化論の双方が非科学的だとしても「文明の政治社会の人間の祖先として『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化を正当化する」と論じている。

 うーん、これは意図的誘導であると指摘されても仕方がない偏向した「日本の識者も主張」であります。
 たしかに、中川八洋筑波大教授などは前から進化論に否定的な見解を示していましたが、そもそも彼は科学者ではなく専攻は国際政治学であり、進化論に対し科学的に学問してきた学者では全くありません。作家・日本画家の出雲井晶さんに至っては、科学には縁もゆかりもない「識者」であります。
 これでは片手落ちでしょう。科学的論争を論じる記事で「識者」の意見を集めるのに専門外からの意見だけで、しかも意図的に反進化論者だけピックアップしているように見えます。
 記事の結語の小見出し「進化論偏向は道徳教育にマイナス 日本の識者も主張」は、かなり無理がある「誘導」だと認めざるを得ません。
 日本の生物科学者の大勢が進化論擁護論者であることは議論を待ちませんし、少なくともこのような結語で主張をまとめようとするならば、せめて識者の意見の中に一人は専門家(生物科学者)の意見も添えなければなりませんでしょう。

 ここの部分ははっきり言って、産経新聞の偏向おてもり結論と批判されても仕方がないように思われます。

 正直、またやったね産経さんって感じですか(苦笑

■フェーズ2:日本でID理論を紹介している渡辺久義京大名誉教授の活動の問題性

 JANJAN記事では渡辺久義京大名誉教授自身の活動にも批判的です。

 9月26日付の産経新聞朝刊に、京都大学名誉教授である渡辺久義氏のインタビュー記事が掲載され、Web産経でもその記事を読むことができる。渡辺教授は英米文学専攻の学者で、著書も多い人だそうだが、この記事は英米文学の話ではない。インテリジェントデザイン(ID)理論と呼ばれる「科学理論」についてである。

 なんで、英米文学専攻の学者が専門外の「科学理論」の普及活動をしているんだ、胡散臭いじゃないかということなのであります。

 ちなみに渡辺教授が創設した「創造デザイン学会」のサイトはこちらです。

創造デザイン学会」公式サイト
http://www.dcsociety.org

 さて、この辺から私達はしっかりリテラシーしていかなければなりません。

 まず、重要なのはこの「創造デザイン学会」は、その目的は科学を普及するということに重点を置かれているわけではないと言うことです。

 この学会発足の動機と目的は「この社会この時代を支配する唯物論的思想を克服しなければならないという使命感」にあります。

(3) 学会発足の動機と目的

 我々全員の考え方が、すべてにおいて一致するのでないことは言うまでもないが、根本において我々が共有しているのは、この社会この時代を支配する唯物論的思想を克服しなければならないという使命感であると言える。そして、そのためにはどのような有効な手段・方策がありうるかという、いわば戦略的な関心もまた我々の共有することころである。その克服すべき唯物論的思想の典型的なものがダーウィン進化論だという認識も、我々の共有するものである。もちろん唯物論的思想は、マルクス主義フロイト思想も含めて、いわゆる左翼思想として、例えば「ジェンダー・フリー」のような形で我々の社会に浸透し深刻な害悪を及ぼしている。しかし無神論者(唯物論者)のダニエル・デネットが確信犯的に高言するように、ダーウィニズムは「それが触れるあらゆるものを溶かしてしまう容器の存在しえない強力な酸のようなものである。」人はそのことにあまり気づいていないかもしれないが、ダーウィニズムこそは、現在の青少年問題を始めとする、この世界を覆う精神的狂いの元凶だと言ってよい。

 ダーウィニズムあるいは唯物論を克服する学術的な方策はあるのだろうか。この点で我々が学び、モデルとし、あるいは協働していかなければならないと考えるのは、アメリカから起こり、今知識人の世界を席巻しつつある「インテリジェント・デザイン」理論(運動)である。この運動はまだ出発して間もない新しいものであるが、反ダーウィニズムの科学理論として次第に認められ、抵抗を受けながらも、学界に深く浸透し始めているものである。これが主として科学者の間から起こってきた運動であるところに大きな意味がある。「インテリジェント・デザイン」の強みは、宗教的動機からも人を惹きつけるが、全く宗教とは関係なく純粋に科学理論としても人を惹きつける説得力を持っていることである。

 そこで我々は、この理論を謙虚に学ぶところから始めなければならないと考える。

http://www.dcsociety.org/about_us/mokuteki.html

 いやはや強烈な動機・目的であります。
 この目的はこれはもはや科学と言うよりもイデオロギー・哲学・形而上学的世界のそれでありましょう。
 それゆえ、科学とは専門外の英文学専攻の先生が代表を務められているのでしょう。
 しかし、動機はどうあれ、専門外の教授が代表であることを持ってこの活動を批判する権利は何人にもないでしょう。

 この活動は御自由にどうぞが正しい結論でしょう。
 しかし、

その克服すべき唯物論的思想の典型的なものがダーウィン進化論だという認識も、我々の共有するものである。もちろん唯物論的思想は、マルクス主義フロイト思想も含めて、いわゆる左翼思想として、例えば「ジェンダー・フリー」のような形で我々の社会に浸透し深刻な害悪を及ぼしている。

 右翼のアジテーションかと思っちゃいましたが、こりゃ強烈でありますね(苦笑
 
■フェーズ3:ID理論そのものの実証性の問題

 JANJAN記事はID理論など荒唐無稽な馬鹿げた考えだと批判しています。

 現在の科学の知識から考えて、この「理論」は全く荒唐無稽なものである。いわゆる進化論というのは、生物が単純な構造のものから徐々に変化を遂げて、我々ヒトを含めた複雑な構造と機能を持つものが生まれるに至ったとする考えである。これを支持する直接間接の証拠は枚挙に暇がない。最近のゲノム科学によって、例えば現存のヒトとチンパンジーは進化の過程上どのくらい前に分かれたか、という計算も可能である。このことを受け入れるかどうかに論争がある、などとする考えは、その人自身が論争をつくりたい、あるいは論争があることにして進化論を否定する自説を進化論と同レベルのものとして扱いたいと願っているに過ぎない。

 実は本家であるアメリカの科学界でもID理論肯定派科学者は極少数派であり、否定派からは、あんなものは「科学理論」とはいえない、形而上学であり哲学じゃないか、といった批判があります。

 例えば、ブラウン大学のケネス・ミラー教授(生物学)は、法廷で、自身もカトリック信者であるとしたうえで「信仰と科学は別だ。『知性』の存在を証明するのは不可能で、米科学界で相手にされていないID論を生徒に教えることは、百害あって一利なしだ」教育委員会の決定を批判しています。

 しかしID理論肯定派科学者達はこれはひとつのりっぱな「科学理論」であるといって譲りません。

 しかし、ID理論肯定派科学者達もこの点は認めているのですが、いまだこの理論を科学的に裏付ける仮説に対する実証可能試験は成功していません。

 現段階では、ID理論は進化論と並列に論じることはまったくできない、未実証の真偽不明の多くの科学的仮説のひとつに過ぎないのだと思います。



●木走的総括〜産経新聞記事は論外だが異説は排除したくない

 最後にここまでの検証をまとめたいと思います。

 まず産経新聞のインタビュー記事ですが、インタビュー内容そのものは個人的意見であり問題ないですが、記事の結語の主張は論外であり、一部の意見に偏向しているという批判を受けても仕方がない内容です。せめて専門の生物科学者の意見を併記しなければ客観的「記事」としては失格でしょう。

 次に渡辺久義京大名誉教授の「創造デザイン学会」の活動についてですが、同教授が英文学者で専門外であろうと、その学会の設立目的が科学と言うよりもイデオロギー的主張の実現にあるとしても、そのことをもって批判はできないでしょう。
 日本においてはあらゆる学問的主義主張を表明する自由は保障されているのですから。

 最後にID理論そのものについての実証性でありますが、実は不肖・木走は新しい「科学理論」としてとても興味を持っています。

 ここでは、ID理論をあくまで形而上学(哲学)ではなく、新しい「科学理論」として扱う立場で議論を進めてみたいと思います。

 以下は一応工学系の学問を修めた木走の個人的知見ですが、新しい「科学理論」として位置付けることを要求するならば、あくまでも科学的手続きを踏まなければなりません。

 まず、その理論から導き出される仮説を提起することです。
 そしてその仮説がテストされうるような実証可能な基準を設定することです
 科学の真髄とは、証拠に照らし合わせて仮説を検証するということです。
 このステップ無くしてただ主張をがなり立てるだけならば、それこそ科学でも何でもなく「カルト宗教」のたぐいと同じであります。

 しかし、興味深いことに一部の肯定派科学者達はこの仮説の提起とテストによる実証に挑もうとしているのです。

 以下のテレビ討論は、米PBSテレビのUncommon Knowledgeという番組によるテレビ討論の全内容を邦文テキスト化したものですが、このの討論は学問的に比較的踏み込んだものであり、とても興味深い内容になっています。

■IDをめぐるテレビ討論
http://www.dcsociety.org/id/ronsou/tv_01.html

 少し長いテキストですが興味のある方には一押しです。

 さて、この中でも激しく議論されていますが、そもそもなぜID理論が唱えられてアメリカの教科書にまで採用され始めるまで普及しているかといえば、現在のダーウィン進化論が小進化に関する説明はほぼ完璧にできても大進化に関する実証説明が未完であることに起因しているのです。

 たとえば、とうもろこしなどの、ある種の中で人口淘汰による品種改良とかの「小進化」ではすべてダーウィン進化論の理論で説明できますし実証も可能なわけですが、たとえばある種から別な種を発生させるような「大進化」に関しては、ほとんど実証されていないのが現実です。

 私達が教科書で習った進化の系統図ですらまだ科学的にはダーウィン進化論に基づく仮説に過ぎません。

 実験室で検証が不可能なことと、化石でしか検証できないためにいわゆる「ミッシングリンク」が多すぎるわけです。

 このことは上記のテレビ討論でも、ID理論否定派の科学者マッシモ・ピグリウッチ(ニューヨーク州立大学生命科学教授)も認めています。

そもそも我々には、生命の起源まで遡っていけば、一つの共通の先祖がいたのか沢山の共通の先祖がいたのかわかりません。それは議論のあるところであり、現代の進化論の重要な要素ではありません。それはどちらの方向にも働くでしょう。それに我々はダーウィン自身よりもう少し先まで行かねばなない。なぜなら科学というものは進化し進歩するというすばらしい特性を持っていますからね。そいうわけで、現代物理学者がニュートンの言ったことに縛られる必要を感じないように、現代の生物学者ダーウィンのことを、従わねばならぬバイブルか何かのようには思っていないのです

 私としては、ID理論はトンデモ仮説であることは間違いないと思っていますし、少なくとも教科書に進化論と併記するなどとは、全く仮説の実証実験が成功していない現段階では、暴論であると考えます。

 それとは別にしかし、JANJAN記事のように『荒唐無稽のにせ科学』と切って捨ててよいのかは疑問なのです。

 少なくとも、科学は異論は異論として認めることにより競うように仮説を立て科学的実証試験に耐えてきたモノが正当な地位を占めるという歴史を繰り返して発達してきました。
 その意味では、アインシュタイン相対性理論も、現代量子理論も、そして現代進化論も決して未来永劫正しい理論というわけではなく、新たな優れた理論によりうち破られる時が必ず来ることでしょう。(かつてのニュートン力学等多くの理論がそうであったようにです)

 その意味で科学は異論を排除すべきではありません。

 私としては、この興味深いトンデモない『インテリジェントデザイン(ID)理論』の仮説の実証試験の結果を待ちたいと思っています。

 この問題に関する読者のみなさまの考察の一助となれば幸いです。



(木走まさみず)



<テキスト修正履歴> 2005.10.10 10.05
引用の不明確な箇所がありましたので訂正しました。
訂正前
 ID・インテリジェントデザイン理論とは、人間の存在は進化論では説明できず、何らかの「知的存在」がデザインしたという理論で、従来の反進化論と違って少なくないアメリカの科学者が支持している理論であります。
訂正後
 ID・インテリジェントデザイン理論とは、問題の産経記事によれば『人間の存在は進化論では説明できず、何らかの「知的存在」がデザインしたという理論』で、『従来の反進化論と違って多くの科学者が支持』している理論であるそうですが、多くの科学者というのは言い過ぎでしょうが、まあ少なくないアメリカの科学者が支持している理論であります。