木走日記

場末の時事評論

誤報記事はネットから削除すべきではない!〜産経捏造報道総括

 さて主にネットを主戦場に繰り広げた産経捏造報道「祭り」も一旦終焉のときを迎えたようです。

■また産経が大捏造報道で各区役所が続々猛抗議の巻〜「産経新聞に謝罪・訂正記事の掲載を強く求めます」(豊島区)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20120724/1343101011
■産経が名物コラムで火に油を注ぎ早くも謝罪記事掲載に追い込まれ赤っ恥でござるの巻
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20120725/1343182199
■名物コラムで全面白旗、産経「無条件降伏」の巻〜それにしても強い、強すぎる。豊島区役所無双に見るネット広報の威力
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20120726/1343270795

 当ブログでも過去3日にわたり生暖かく本件をトレースしてきましたが、お陰様でネット上で多くのアクセスを頂戴いたしました。

 そこで今回は本件を当ブログとして総括してみたいと思います。

総括1:当ブログが初報のときから「大捏造」と決め付け「先走り日記」と批判された件

 「また産経が大捏造報道で各区役所が続々猛抗議の巻」(24日)のエントリータイトルですでに「大捏造」と挑発的なタイトルを付け、問題の産経記事は捏造であるとの決め付けを、3エントリーで一貫して行ってきました。

 これに対し、コメント欄ではこれじゃ「木走日記」じゃなくて「先走り日記」だと批判をいただき、またブコメ欄では「この方はSir.木走である。断じて先走りではない」と、「Sir.木走」つまりサー・キバシリというありがたい称号まで授かりました(この称号ですがとっても軽薄な胡散臭さが込められているように感じられ本人は気に入っております(苦笑))。

 確かに「捏造」という強烈な言葉をタイトルに使う場合は、テクニックとしては週刊誌などがよくやる「捏造?」と「?」マークをつけて「捏造かもね」というファジーさを醸し出しといて責任回避策を取ることも考えましたが、いろいろ調べた上で今回は捏造と言い切ることに勝負をかけました。

 言い切ることにした根拠の一つは、最初の記事を書くとき、まだ、千代田、中野、世田谷、豊島、港の5区しか、抗議声明は確認できていませんでしたが、その5区の声明内容を見ただけで、その抗議内容がそれぞれ極めて具体的で一様に産経記者は事実を曲げていると批判していたことです。

 今回の産経記事は事実を誤認した誤報ではなくある意思でもって事実を作り変えた捏造記事だと、区役所側の抗議声明は極めて具体的事例で示していると、私には思われました。

 区役所側の説明が正しいことは検証できていませんが、この段階で少なくとも複数の区が極めて具体的説明を付けて産経新聞に抗議していることをもって、私は「捏造」という言葉を使用しました。

 結果的に11区すべてが抗議声明を提出し産経新聞側も役所に全面謝罪することにより、役所側の抗議内容はおおむね正しかったと認められることになりましょうが、記事の内容の「捏造」の有無やあったとしてどこまでが「捏造」だったかの検証は今もってされていないのは事実です。

 その意味で「捏造」との決め付けは「先走り」である状態なのは今も続いていると自覚しています。

 万が一ですが今後検証の結果、当該の産経記事に捏造の事実がなければ、全面謝罪と訂正をしなければならないのは拙ブログつまり私の責となりましょう。

総括2:産経記事の内容はどこまで事実に基いていたのか検証する必要がある件

 一般に捏造記事というものは、朝日の珊瑚落書き事件の場合もそうですが、多くの真実をちりばめた上でそこにウソを仕込んで構成されます。

 今回の産経記事もそこに書かれていたことは事実と事実ではないことが混在しているはずです。

 それを検証する責任は公式に謝罪をした以上記事を興した産経新聞にあることは自明です。

 記事の内容のうち何が事実で何が誤認(捏造)だったのか、また誤認(捏造)が起こってしまったのはいかなる要因があったからか、そしてこのような誤報が今後発生しないためにどのような対処を社内でするべきか、産経新聞がメディアとして信頼を取り戻すためにも、誠意ある検証記事を是非興していただきたいです。

 日本の場合、誤認記事が発生してもそのまま放置されるか、指摘を受けても訂正記事やおわび記事を掲載してお茶を濁すことがほとんどでした。

 しかしネット時代の現在、そのような事なかれ主義の報道姿勢はもはや通用しないでしょう。

 逆に堂々と誤報記事を検証してそれを報道すればそのメディアの姿勢は評価されることでしょう。

総括3:ネット時代の謝罪方法がしっかりと確立されていない件

 最後に今回の産経新聞の謝罪方法について総括したいです。

 まず、元記事やそれを引用した産経コラムの分量からすると、紙面においてもネットにおいてもその謝罪記事のボリュームの小ささはいかにも不十分であり、誤報記事がもたらした社会的影響の大きさを考えると極めて不十分であると言えましょう。

 また、これは提案なのですが、産経はネットの該当記事を削除しましたが、ネットの特性を生かすならば誤報記事は残しておくことのほうが誠意のある姿勢だと思います。

 これは誤報のまま放置してよいと言っているのではありません、この記事が誤報であったことをおわび記事や検証記事(あるのであればですが)と明示的にリンクをして誰の目にも本記事は誤報であることが明らかな状態にしたうえで、アーカイブとして残すべきです。

 紙面と違い、ネットのメディアとしての特性はその膨大なアーカイブ性にあります、後日の検証のためにも誤報記事を履歴として残すことは意義があることだと思います。

 さらにもうひとつ産経は誤報記事をネット上に残す責任を有していると考えます。

 輪転機ですって印刷して記事をまく従来の紙での報道は、報道したらしっぱなしでよい、有る意味でわかりやすい時代でした。

 もちろんその時代でも誤報があれば、必要ならばあとで訂正記事やおわび記事を興す必要があったわけですが、ネット記事で誤報があった場合の影響度は旧来の紙媒体とは異質の影響を与えてしまいます。

 今回の産経誤報記事もネット上の多くのまとめサイトや議論サイトで紹介され、議論されていました。

 例えば当ブログの提携先であるBLOGOSにおいても130以上の意見が寄せられていました。

自衛隊の統合防災演習時に東京の11区が庁舎立ち入り拒否。。。。どう思う?
http://blogos.com/discussion/2012-07-23/bousaiennsyuu/

 しかし議論の元となる記事が誤報となり、BLOGOS編集部にも苦情の意見が寄せられています。

 確かに記事の正当性の検証は必要でしょうが即時性が求められる議論サイトにおいて正確な検証はほぼ不可能です。

 議論の中心の肝心の産経記事が誤報とされ、多くのサイトは梯子をはずされたような悲惨な状態となってしまいました。

 また多くの人がこの産経記事を誤報と知らずにツイッターなどで拡散していました。

 これらの混乱を招いたことに産経新聞は責任があると考えます。

 張本人である元記事を残すことは、その誤った情報で議論していた人たちやその情報を誤報と知らず拡散してしまった人たちへのメディアとしての最低限のマナーだと考えるべきです。

 以上おもに2つの理由から、私は誤報記事はネットから削除すべきではないと考えます。

 本件で読者のみなさんはいかがお考えでしょうか、ご意見をお待ちします。



(木走まさみず)