木走日記

場末の時事評論

科学に宗教と市場原理を導入したブッシュ政権の「非科学的」科学政策

●新大統領待ち望む米科学者ら〜AFP通信記事

 まだオバマ氏勝利が確定する前の2週間ほど前のAFP通信記事から。

オバマでもマケインでも今よりまし、新大統領待ち望む米科学者ら

【10月27日 AFP】米大統領選まで残すところ約1週間。民主党バラク・オバマBarack Obama上院議員共和党ジョン・マケイン(John McCain)上院議員のどちらが米大統領に選ばれようと、米国の科学者たちは選挙後、胸をなで下ろすことだろう。

 両候補ともジョージ・W・ブッシュGeorge W. Bush)大統領の政策からは距離を置くと言明しており、科学の進歩を否定するキリスト教保守派の意見を聞き入れてきたブッシュ政権が、ようやく終わりを告げるからだ。

 ブッシュ大統領が2001年に導入した受精卵の胚(はい)性幹細胞(ES細胞)を用いた研究の規制については、両候補とも撤廃する考えだ。また、ブッシュ大統領が就任した2001年以後、縮小されていた科学技術問題担当の大統領顧問の役割についても、拡大するとしている。

 宇宙開発については、2020年を目標に有人月面探査の再開と火星への有人ミッションを行うとしたブッシュ大統領による計画を、両候補とも予算を増強して踏襲する方向だ。

 地球温暖化については、両者とも人的活動に起因すると認めたうえで対策に取り組む姿勢を見せ、エネルギー資源の海外依存からの脱却を訴えるが、その中身には違いもみられる。

 オバマ氏は、化石燃料代替エネルギーの研究開発予算として10年間で1500億ドル(約14兆円)をつぎ込むとする一方、マケイン氏のエネルギー対策は温暖化ガスを排出しない原子力発電所を、2030年までに45基増設するというものだ。

 オバマ・マケイン両候補は、それぞれ科学技術対策に856億ドル(約8兆円)、788億ドル(約7兆4000億円)をつぎ込むと野心的に語っているが、世界金融危機の影響は避けられないだろう。

 両候補の間で違いが見られるのは、学校で「進化論」をどう教えるかについてだ。

 両者とも人間は原始生物から進化してきたとする「ダーウィニズム」を支持するが、マケイン氏は人類の進化について「ダーウィニズム」を一部で認めながら「偉大なる知性」の力が働いているとした「知的設計(インテリジェント・デザイン)」論も並行して教えるとの立場だ。「知的設計」論は、副大統領候補サラ・ペイリン(Sarah Palin)アラスカ(Alaska)州知事が支持する理論だ。(c)AFP

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2532807/3472061

 「科学の進歩を否定するキリスト教保守派の意見を聞き入れてきたブッシュ政権が、ようやく終わりを告げる」というわけです。

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 善し悪しは別としてですが、原爆開発や月到達有人計画などのシンボリックなエポックを並べるまでもなく、戦中・戦後を通じてアメリカが人類のあらゆる科学分野で先駆的役割を果たしてきたことには異論ないことでしょう。

 しかしながら、世界で最も科学的であるはずのアメリカの科学政策が過去8年の「非科学的」保守政策により、ブッシュ政権の下で予算も含めてすっかりゆがんでしまったのは、衆知の事実であります。

 そこには、1980年代のレーガン政権のころから強まったアメリカ社会の保守化と「小さい政府」という主張に基づくネオリベラリズム新自由主義規制緩和という二つの流れが大きく影響してきました。

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 本日は近年アメリカにおいて、いかに「科学」という言葉が宗教原理とネオリベラリズムのもとで政治的文脈で使われてきたか、その検証をしたいと思います。



●科学の前に立ちはだかるキリスト教原理主義

 具体的にまいりましょう。

 まず、アメリカ社会の保守化(キリスト教原理主義化)を象徴しているのが進化論論争の再燃です。

 人類は進化の結果生まれた種であって、神によって創造されたのではないというダーウィンの進化論は、当初は聖書を否定し神を冒涜(ぼうとく)する考え方として宗教的批判を浴びていましたが、今日では標準的な生物学として認められていることは、世界の常識といってよいでしょう。

 だが、アメリカには今でも進化論を否定する人々が数多く存在し、聖書に基づく天地創造説を「創造科学」と名づけ、ノアの洪水によって化石が地中に埋もれ、グランドキャニオンができたのだ、などという珍説を主張をしています。

 この「創造科学」の最新版が宗教色を薄めた「インテリジェント・デザイン」理論(生命は何らかのデザイナーが意図的に創造したという主張)であり、高校の生物学の授業では進化論と同時に創造説を教えるべきだという運動を起こしており、ブッシュ大統領も「インテリジェント・デザイン」理論には好意的でした。

 驚いたことに、宗教右派などID理論支持派から進化論に対して投げつけられる言葉は、以前のように信仰心が足りないという非難ではないのです。

 こうした宗教的原理主義からの進化論批判の決まり文句こそが、進化論は十分な「科学的な根拠」がないという主張なのであります。

 現在のダーウィン進化論が実証説明が未完であることは事実です。

 このあたり、「インテリジェント・デザイン」理論、ID理論ですが、3年前に当ブログでも取り上げましたので、当時のテキストより抜粋。

(前略)

そもそもなぜID理論が唱えられてアメリカの教科書にまで採用され始めるまで普及しているかといえば、現在のダーウィン進化論が小進化に関する説明はほぼ完璧にできても大進化に関する実証説明が未完であることに起因しているのです。

 たとえば、とうもろこしなどの、ある種の中で人口淘汰による品種改良とかの「小進化」ではすべてダーウィン進化論の理論で説明できますし実証も可能なわけですが、たとえばある種から別な種を発生させるような「大進化」に関しては、ほとんど実証されていないのが現実です。

 私達が教科書で習った進化の系統図ですらまだ科学的にはダーウィン進化論に基づく仮説に過ぎません。

 実験室で検証が不可能なことと、化石でしか検証できないためにいわゆる「ミッシングリンク」が多すぎるわけです。

 このことは上記のテレビ討論でも、ID理論否定派の科学者マッシモ・ピグリウッチ(ニューヨーク州立大学生命科学教授)も認めています。

そもそも我々には、生命の起源まで遡っていけば、一つの共通の先祖がいたのか沢山の共通の先祖がいたのかわかりません。それは議論のあるところであり、現代の進化論の重要な要素ではありません。それはどちらの方向にも働くでしょう。それに我々はダーウィン自身よりもう少し先まで行かねばなない。なぜなら科学というものは進化し進歩するというすばらしい特性を持っていますからね。そいうわけで、現代物理学者がニュートンの言ったことに縛られる必要を感じないように、現代の生物学者ダーウィンのことを、従わねばならぬバイブルか何かのようには思っていないのです

 私としては、ID理論はトンデモ仮説であることは間違いないと思っていますし、少なくとも教科書に進化論と併記するなどとは、全く仮説の実証実験が成功していない現段階では、暴論であると考えます。

(後略)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051009

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 宗教的原理主義からのしばりでは、もうひとつ、医学分野でも、多くの研究者がES細胞の利用についてブッシュ政権を批判しています。

 ブッシュ大統領は、ES細胞の採取にあたって胚の破壊が避けられない点を懸念し、2001年には連邦政府が資金を提供する研究の対象を、わずか数十種類の採取済み細胞株に限定すると決めました。

 ブッシュ大統領が就任以来初の拒否権を行使したのも、実は2年前のES細胞研究法案でした。

 当時の読売新聞記事から。

ES細胞研究法案が廃案
ブッシュ大統領が拒否権を行使

 【ワシントン=増満浩志】ブッシュ米大統領は19日、前日に議会を通過した胚(はい)性幹細胞(ES細胞)の研究推進法案に対し、就任以来初の拒否権を行使した。

 下院で再投票の結果、拒否権を覆せる3分の2の賛成票には届かず、廃案となった。

 法案は、不妊治療で余った受精卵から新たに作り出すES細胞を、研究助成の対象として認める内容。受精卵を研究材料とすることに否定的な現政権は2001年から、助成対象をそれ以前に作製済みのES細胞に限定している。

 拒否権行使について、米国科学振興協会のアラン・レシュナー会長は「余った受精卵は、捨てるより活用する方が倫理的に望ましいのではないか。大変失望した」と語った。

(2006年7月20日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20060720ik07.htm

 記事によれば米国科学振興協会のアラン・レシュナー会長は「余った受精卵は、捨てるより活用する方が倫理的に望ましいのではないか。大変失望した」とありますが、彼に代表される、ES細胞が回復の難しい多くの疾患の治療に大きな役割を果たすと考える研究者たちは、この決定によって研究が大きく妨げられていると主張してきました。

 多くの科学者がこの決定において、科学的側面が重視されたとは思えない、と考えており、ブッシュ政権の熱心な支持勢力であるキリスト教右派の倫理が強く働いていると、疑っています。

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●「科学的な証拠」〜ネオリベラリズム政策に反する公的規制に疑義を差し挟むときのキーワード

 アメリカでは公的規制である消費者保護や環境保護の中心となっていた技術評価局は、ネオリベラリズム規制緩和を進めて政府をスリム化するための標的とされ、市場原理に反する機関として廃止されました。

 1972年10月、ニクソン大統領のときに、政府ではなく連邦議会にOffice of Technology Assessment(OTA=技術評価局)が設立されました。

 この技術評価局は技術の急速な発展によってその影響が大きくなることに対応して、立法上適切かつタイムリーに影響を評価するために設立されたものです。

 この連邦議会技術評価局を1995に廃止したのは、1994年に40年ぶりに連邦議会過半数を制したニュート・ギングリッチ率いる共和党であります。

 ニュート・ギングリッチは、科学への市場原理の導入し、個々の議員が直接、個々の科学者と接触して必要な情報を手にすべきであると主張したのです。

 ギングリッチ派が技術評価局を廃止する際、攻撃の的となったのが、公的規制における「予防原則」であります。

 通常の裁判であれば、十分な証拠がない限り無罪という原則があります。

 しかしながら公的規制の分野では、はっきりした被害が出るまで待っていると取り返しのつかないことになってしまうため、予防的に公的介入を行う予防原則が求められます。
 例えば、日本での薬害エイズ事件はこれが機能しなかった典型的な例であると申せましょう。

 消費者保護という面ではまったく当然な予防原則に対抗して、公的規制の緩和を推し進めるアメリカ政府が使ったキャッチフレーズこそ「科学的な証拠」という言葉だったのであります。

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 2001年3月に、地球温暖化防止のための京都議定書からアメリカが離脱した背後には、エネルギー産業系のシンクタンクに属するアメリカ人科学者による、炭酸ガス排出量と気候の温暖化との因果関係に「科学的な証拠」が十分ではないという議論がありました。

 石油資本・石油利権と密接な関係にあるテキサス出身のブッシュ大統領は、これらのエネルギー産業系のシンクタンクに属するアメリカ人科学者による「科学的な証拠」が十分ではないという論を根拠として京都議定書から離脱したのは衆知の事実であります。

 また日米でBSE牛問題が政治問題化したとき、日本が求める全頭検査に対して、やはりアメリカの規制緩和を支持する政府系科学者から、日本の全頭検査は「科学的な根拠」はないと「科学的」な反論がありました。

 神経内科医・医療社会学者である美馬達哉氏のレポートから。

(前略)

アメリカ政治において使われる「科学的な証拠」という言葉は、こうした政治的文脈から切り離すことはできない。語呂合わせではないが、「科学的な証拠」が十分でないという理由で公的規制が緩和され「予防的に」骨抜きにされているアメリカで、脊椎骨を除去する予防原則が守られなかったことは想定の範囲内のできごとと言うべきだろう。

第6回 牛海綿状脳症BSE)と科学と二人のブッシュ
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/v/06/index3.html

 すなわち、公的規制が行われる前に、その予防原則の前段階となるリスクアセスメントの科学性に疑義を差し挟むときのキーワードがこの「科学的な証拠」もしくは「科学的根拠」なのであります。

 ブッシュ政権下のアメリカ政治において使われる「科学的な証拠」という言葉は、美馬達哉氏指摘のとおり、こうした政治的文脈から切り離すことはできません。

 ネオリベラリズム的市場開放政策を科学分野で実現するために、「科学的な証拠」が十分でないという理由で公的規制が緩和され続けてきたのです。

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 冒頭の記事にもありますが、アメリカの科学者の多くは、科学にまで宗教と市場原理を導入した米ブッシュ政権の政策を大きな過ちであったと考えています。

 今、米ブッシュ政権の「非科学的」科学政策もオバマ新政権の誕生により、終焉を迎えようとしています。



(木走まさみず)