残念な芸風になった内田樹先生
私事で恐縮ですが当ブログ「木走日記」も開設が2005年2月でしたので、早いもので丸十年になります。
いつのまにかすっかり古参ブログとなってしまいましたが、ここまで続けられてきたのも、このようなつたない場末のブログでも読んでくれる読者のみなさまがあってこそです、この場を借りて感謝申し上げます。
さて少しメディア論をまぜながら話を進めていきたいです。
当ブログがネット言論空間に10年も参加続けてこれたのは、メディアとしてのネットのその優れた特性、そのインタラクティブ性に魅了されているからです。
それまでのマスメディアは、一部の特権的なジャーナリストやメディア関係者だけが情報を独占的に発信してきました。
TVは一方的に情報を視聴者に垂れ流し、新聞は一方的に情報を読者に読ませるだけでした。
ところがネット言論空間は違います、私のような素人ブロガーはじめ、ネット参加者のすべてが情報発信者になり得るわけです。
ときには会話的につまりインタラクティブに双方向で情報がキャッチボールされ得ます。
これは従来のマスメディアにはなかった素晴らしいメディア・媒体としての特性です。
例えば当ブログで何かエントリーをすれば、すぐさまさまざまな反応がネットから返ってきます。
ブログのコメント欄を通じて、あるいはBLOGOSなどの提携先サイトを通じて、あるいはツイッター・FBなどのSNSを通じて、多くの批判やときに賛同や別角度からの指摘など、実にさまざまな情報が返ってきます。
これこそが素晴らしいネット言論空間の優れた特徴です。
この10年、つたないエントリーをするたびに多くのご批判やご指摘、ときに励ましなどいただきましたが、実に勉強になりました、そして自分の主張をときに全面的に訂正を余儀なくされたり、ときに軌道修正をしたり、優れた情報はできうる限り取り入れれるように努めてまいりました、結果情報をリテラシーする力も鍛えられました。
双方向に誰もが情報発信可能であり議論できる、ネット言論空間は素晴らしいではありませんか。
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さて残念なのは最近の一部ネット言論の劣化であります。
失礼して一部抜粋。
それにしても、天皇とホワイトハウスしか自民党の「革命」を止める実効的な勢力が存在しないというような時代を生きているうちに迎えることになるとは思ってもみなかった。
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うーん、どうしたのでしょうか最近の内田樹先生のエントリーは。
芸風がすっかり場末の海外翻訳ブログのようになってしまっています。
かつての深い洞察力はどこにいってしまわれたのでしょうか?
上記のような「思い込み」「事実誤認」「推論の間違い」を一方的に書きなぐるような「質の悪い情報」提供者ではなかったはずなのに。
3年前には「ネット上の発言の劣化について」と素晴らしいエントリーをされていたのに。
ネット上の発言の劣化について
日時: 2011年08月01日 11:08
http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php
内田先生はこのエントリーで「自己点検システムを含まないステートメントは、そのコンテンツの正否にかかわらず「質の悪い情報」」であると喝破されていたのに。
自分の主張に含まれている「思い込み」「事実誤認」「推論の間違い」などについて、価値中立的な視点から精査する自己点検システムを含まないステートメントは、そのコンテンツの正否にかかわらず「質の悪い情報」に分類される。
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安倍政権批判はあっていい。
自民党批判もあっていい。
しかし、「天皇とホワイトハウスしか自民党の「革命」を止める実効的な勢力が存在しないというような時代を生きているうちに迎えることになるとは思ってもみなかった」などという、「思い込み」「事実誤認」「推論の間違い」を一方的に書きなぐり、あとは海外記事の翻訳でごまかすとは、これこそ「質の悪い情報」提供そのものではないでしょうか。
これでは議論を膨らませる余地などありません。
まことに残念であります。
ふう。
(木走まさみず)