木走日記

場末の時事評論

SEALDs学生のみなさんへ。〜一部大人たちの甘言に惑わされるな

 SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)の活動が活発です。

 初めに当ブログの立ち位置を明確にしておく必要があると思います。

 私は学生の諸君がこの国の政治に関して関心を持ち、合法的な行動を起こすことに、一点の曇りもなく賛成いたします。

 デモ活動も含めて合法的な活動である限りそれを認めますし、彼らの主張するところが、ときの政権に対する批判の色を帯びているとしても、むしろそれは成熟した民主主義社会にとり健全なシグナルであろうと肯定いたします。

 時の政権の政策が100%正しいことなどはあるはずもなく、その政策に対し理性的かつ論理的に反証をし建設的な対案を示すとすれば、国民にとっても選択肢が提供されるという意味でプラスに作用することでしょう。

 世界には中国や北朝鮮など権力批判がまったく許されない非民主的な国家も少なくない中で、この日本では法を犯さない限り、広く言論の自由が認められているわけです。

 さてそのうえでですが、SEALDsの諸君には是非感情に流されず理性的に自己主張をしていただきたいとお願いするものであります。

 ここにSEALDsのホームページがあります。

SEALDs
私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます。 
http://www.sealds.com/

 このホームページに彼らが掲げる外交・安全保障政策が"NATIONAL SECURITY"と題して掲載されています。

 大切な主張なので失礼して全文引用。

NATIONAL SECURITY
私たちは、対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます。

 私たちは、対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます。現在、日本と近隣諸国との領土問題・歴史認識問題が深刻化しています。平和憲法を持ち、唯一の被爆国でもある日本は、その平和の理念を現実的なヴィジョンとともに発信し、北東アジアの協調的安全保障体制の構築へ向けてイニシアティブを発揮するべきです。私たちは、こうした国際社会への貢献こそが、最も日本の安全に寄与すると考えています。

  現政権は2年以内の憲法改正を掲げるとともに、集団的自衛権の行使容認、武器輸出政策の緩和、日米新ガイドライン改定など、これまでの安全保障政策の大幅な転換を進めています。しかし、たとえば中国は政治体制こそ日本と大きく異なるものの、重要な経済的パートナーであり、いたずらに緊張関係を煽るべきではありません。さらに靖国参拝については、東アジアからの懸念はもちろん、アメリ国務省も「失望した」とコメントするなど、外交関係を悪化させています。こうした外交・安全保障政策は、国際連合を中心とした戦争違法化の流れに逆行するものであり、日本に対する国際社会からの信頼を失うきっかけになりかねません。
長期的かつ現実的な日本の安全保障の確保のためには、緊張緩和や信頼醸成措置の制度化への粘り強い努力が不可欠です。たとえば、「唯一の被爆国」として核軍縮/廃絶へ向けた世界的な動きのイニシアチブをとることや、環境問題や開発援助、災害支援といった非軍事的な国際協力の推進が考えられます。歴史認識については、当事国と相互の認識を共有することが必要です。

  先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります。私たちは、対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を求めます。

 非常に理性的な文章です。

 私とは考え方が一部異なりますが、主張する内容はよく理解できます。

 平和憲法を持ち、唯一の被爆国でもある日本は、その平和の理念を現実的なヴィジョンとともに発信し、北東アジアの協調的安全保障体制の構築へ向けてイニシアティブを発揮するべきです。私たちは、こうした国際社会への貢献こそが、最も日本の安全に寄与すると考えています。

 日本が「北東アジアの協調的安全保障体制の構築へ向けてイニシアティブを発揮するべき」、素晴らしい主張です。

 例えば「「唯一の被爆国」として核軍縮/廃絶へ向けた世界的な動きのイニシアチブをとること」や、「環境問題や開発援助、災害支援といった非軍事的な国際協力の推進」、「歴史認識については、当事国と相互の認識を共有すること」などがあげられています。

 「日本には、世界、特に東アジアの軍縮民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあり」「対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を求め」るとしています。

 具体的実現策は弱いですがそこは学生の主張ですから当然でしょう、今後、具体的な行程計画など肉付けを期待しますが個別の政策で理性的に議論することは可能でしょう。

 私の主張と隔たりがあるところは一点だけ、現政権への評価と対中国政策であります。

  現政権は2年以内の憲法改正を掲げるとともに、集団的自衛権の行使容認、武器輸出政策の緩和、日米新ガイドライン改定など、これまでの安全保障政策の大幅な転換を進めています。しかし、たとえば中国は政治体制こそ日本と大きく異なるものの、重要な経済的パートナーであり、いたずらに緊張関係を煽るべきではありません。さらに靖国参拝については、東アジアからの懸念はもちろん、アメリ国務省も「失望した」とコメントするなど、外交関係を悪化させています。こうした外交・安全保障政策は、国際連合を中心とした戦争違法化の流れに逆行するものであり、日本に対する国際社会からの信頼を失うきっかけになりかねません。

 安倍政権の諸政策に関し、中国に対し「いたずらに緊張関係を煽るべきではありません」と批判されていますが、ここ私の考えと因果が逆なのです。

 今東アジアで軍事的緊張が高まっている原因は主として中国による一方的な軍事拡張にあります、安倍政権は対抗上日本の安全保障を守るために安保法制などの改正に着手しているだけです、結果です。

 ここ20年で日本を取り巻く東アジアの安全保障環境は大きく変貌しました。

 中国の著しい軍事的台頭です。

 具体的数値で押さえておきます。

 平成元(1989)年(グラフの一番左)には 中国18336百万ドル、日本46592百万ドルであった両国の軍事費は平成15(2003)年(グラフ中央あたり)で逆転し、平成26(2014)年(グラフの一番右)では、中国190974百万ドル、日本59033百万ドルと3倍以上の差がついています。

 1989、2003、2014各年の日本の軍事費を1としての中国の軍事費の割合を視覚化してみましょう。

 過去26年で日中の軍事費は日本:中国で1:0.39と日本のそれが中国の軍事費の2.5倍であった26年前から完全に逆転し、最近では日本:中国で1:3.24と中国の軍事費は日本の3倍以上に膨れ上がっています。

 SEALDsのみなさん。

 この25年で10.46倍と驚異的なペースで軍事費を拡大している中国ですが、上記グラフで確認できますが、同時期日本の軍事費がほぼ横一線であることと対比すれば、今東アジアの軍事力のパワーバランスが大きく中国寄りに変動していることは明白です。

 このグラフは、日本が今までのように個別的自衛権のみで平和を守ることは不可能、つまり中国の急速な軍事的膨張を日本一国で対抗する手段は現実としては策がないことを如実に示しています。
 このグラフは、日本がアメリカやその同盟国との集団的自衛権について、建設的かつ積極的に議論すべき時代が到来したことを、冷徹な国際状況のすべてを物語っているわけです。

 関心がある諸君は、ぜひ拙エントリーをお読みください。

2015-08-06 なぜ今この国に安全保障関連法案が必要なのか
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20150806

 いずれにせよ、認識の違いはありましょうが、理性的論理的に議論を深めることは可能です。

 繰り返しになりますが、SEALDsの諸君には是非感情に流されず理性的に自己主張をしていただきたいとお願いするものであります。

 ・・・

 さて、産経新聞がたいへん残念なニュースを報じています。

首相に「バカか、お前は」 連合主催集会でシールズメンバー 安保法案反対の具体論語らず 「首相はクーデター」「病院に行って辞めた方がいい」
http://www.sankei.com/politics/news/150823/plt1508230007-n1.html

「権力者が憲法違反のことをしたらどうなるか。政治家をお辞めになるしかない。それかクーデターだ。そのようなことが起こっている」
「安倍首相がクーデターを起こしている」
「一言でいうと、バカなんじゃないかなと思いながら見ている」
「国会の傍聴には行かない。首相が『どうでもいい』なんてやじを飛ばしたが、ああいうことを見ると、靴でも投げそうになるのでインターネットを通して見るようにする」
「どうでもいいなら首相をやめろ。バカか、お前は」
「『バカか』とかひどいことを言っても、あんまり伝わらない。もうちょっと優しく言えば、僕は首相の体調が非常に心配なので、早く病院に行かれてお辞めになられた方がいい」
 このような罵詈雑言を自分たちの批判者に一方的に浴びせかけることは、逆にあなた方の主張を弱めることになりかねないと強く忠告しておきます。

 公の場で政治的主張をする場合、あくまでも真摯に理性的にその主張を訴えるべきであり、扇情的感情的に相手を罵るような振る舞いは、自らに大きなマイナスとして必ず返ってきます、言論の自由とは一方的に相手に罵詈雑言を浴びせることではないはずです。

 あなた方を支持する大人たちの中には、「ふつうの言葉」などという極めてファジー(あいまい)な表現で諸君のラップなどを用いたデモ活動を称えている人たちがいます。

内田樹
2015年08月24日 07:56
8月23日SEALDsKANSAI京都でのスピーチhttp://blogos.com/article/129745/

 内田氏は諸君の活動を、「ふつうの言葉」で平和主義と立憲デモクラシーが語られていると絶賛しています。

僕が一番うれしく思うのは、そのことです。みなさんが語る言葉は政治の言葉ではなく、日常のことば、ふつうの生活実感に裏づけられた、リアルな言葉です。

その「ふつうの言葉」で平和主義と立憲デモクラシーが語られている。これまで、ひとまえで「政治的に正しい言葉」を語る人たちにはつねに、ある種の堅苦しさがありました。なにか、外来の、あるいは上位の「正しい理論」や「正しい政治的立場」を呼び出してきて、それを後ろ盾にして語るということがありました。

でも、SEALDsのみなさんの語る言葉には、そういうところがない。自分たちとは違う、もっと「偉い人の言葉」や「もっと権威のある立場」に頼るところがない。自分たちがふだん学生生活や家庭生活のなかでふつうに口にしている言葉、ふつうに使っているロジック、それにもとづいてものごとの正否を判断している常識、そういう「手元にある道具」を使って、自分たちの政治的意見を述べている。こういう言葉づかいで政治について語る若者が出現したのは、戦後日本においてははじめてのことだと思います。

 たしかに、「偉い人の言葉」や「もっと権威のある立場」に頼るところがないことは素晴らしいことです。

 自分たちの言葉で自己主張する、それ自体はよいことでしょう。

 しかし安全保障政策を日常の言葉だけで議論することは現実的には困難です、ましてや扇情的感情的な他者批判からは、建設的な議論は決して生まれないでしょう。

 SEALDsのみなさん。

 あなた方を利用しようとしている一部大人たちの甘言に惑わされてはいけません。

「ふつうの言葉」だけでこの冷徹な21世紀のこの国の安全保障を議論することなど不可能なのです。

 SEALDsの諸君には是非感情に流されず理性的に自己主張をしていただきたいとお願いするものであります。



(木走まさみず)