田原総一朗氏とファフィントン・ポストの限界性について〜『木走日記』が朝日新聞批判を止めない理由
当ブログでは一連の従軍慰安婦問題で朝日新聞批判を繰り返していますが、メールなどで「木走はこんなポジションだったのか」とご批判をいただいています。
当ブログが批判されても朝日新聞批判を止めない理由をまとめておきたいです。
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あまり得意ではないのですが自分語りを少しさせてください。
木走正水(きばしりまさみず)という名前は私の本名の漢字からパーツを取り出して作ったペンネームなのですが、市民記者として記事を遠慮無く書くには本名ではちょっとまずいので考えたものです。
私はネット言論空間に初参加したのは、いまは廃刊になりましたが「インターネット新聞JANJAN」の市民記者登録をしたのがきっかけでした、10年前です。
元朝日新聞社出身の編集長のもとで、「インターネット新聞JANJAN」に掲載される記事はかなり反政府・反権力的に偏向していました。
事実検証の弱い記事でも反権力であれば大抵掲載されていました。
編集部の言う事を聞かない不良(?)記者である私は、JANJAN編集部と衝突を繰り返します。
やがて私はJANJANのコメント欄や掲示板を通じてJANJAN編集部と激しく論争する、「反逆グループ」のリーダー(?)のような役回りになりました。
そしてJANJANは実名以外のコメント欄書き込みを禁止いたします。
ネットの自由な言論空間を自ら制約を課したJANJANは、読者減少に歯止めが掛からず廃刊となります。
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読者のみなさんは『木走日記』などの時事問題を扱う個人ブログに何を望んでいるのでしょうか。
いろいろな考え方があると思いますが、「公平」とか「中立性」とかを個人ブログに望まれている人は少ないと思います。
大新聞が自称する「社会の木鐸」などという欺瞞に満ちた一見「公平」で無難なポーズも、個人ブログに望まれてはいないことでしょう。
私は自分のブログで心掛けていることは、「ある視点・ある事実・ある考え方の読者への新しい提供」です。
マスメディアが取り上げていない角度からの事実の検証ができ、それを読者にお伝えできれば、といつも考えています。
そして『木走日記』としての一つのテーマがマスメディア評論です。
朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日経新聞、当ブログでは系列テレビ局も含めてマスメディアは全て批判対象としてきました。
日本のマスメディアはクロスオーナーシップの弊害で、新聞はTVを、TVは新聞を批判しません、できません。
マスメディア自身の自己批判もタブーですのでメディア批判の論説をメディアで見ることはほとんど絶望的です。
例えば悪名高い日本の新聞の「押し紙」問題をTVが取り上げることは皆無ですし、逆に免許制にあぐらをかいたTV電波利権の大問題を新聞が積極的に取り上げることもありません。
これらメディア批判はTVに出演する、あるいは新聞に論説を載せる、コメンテーターや評論家にとってもタブーとなります。
例えばです。
従軍慰安婦問題は朝日新聞の取り上げた吉田清治氏の捏造報道により国際化したことはネットではよく知られていることですが、前回のTV朝日の「TVタックル」では、漫画家の小林よしのり氏は「朝日新聞」ではなく「いろんなメディア」とごまかして発言しています。
また、朝まで生TVなどでMCをつとめる田原総一朗氏も、ある出演者が「朝日新聞による慰安婦捏造記事が発端」と指摘したことに対して議論を打ち切っています。
考えてみれば自明ですが、朝日の批判しない人がTV朝日に出演するのは当然です。
評論家が出演料や原稿料を稼いでいるお得意先であるマスメディアを批判しないのはある意味当然です。
出入り禁止なれば飯の食い上げだからです。
従軍慰安婦問題でTV朝日に出演している田原総一朗氏は朝日新聞捏造報道の追求はできません。
そこが彼の限界です。
日本の言論空間で制約無くマスメディアを批判することが可能な数少ない場であるネット空間ですら、TVや新聞と関わっているプロ評論家やプロサイトはメディア批判を控えます。
朝日新聞と提携しているファフィントン・ポストは朝日新聞批判が出来ません。
ですから一連の「従軍慰安婦」問題に関連する記事をファフィントン・ポストで読んでも、失礼ながら気の抜けたソーダのような生ぬるさと切れ味の無さを感じてしまいます。
そこがファフィントン・ポストの限界です。
が、私のような本職を別に持っている素人個人ブログは、遠慮なくメディア批判が可能です、私は失うものはありません。
もちろん他者を批判しているわけですから当ブログが反論にあうことも必然です、互いの考察が深まるならば、異論や反論はむしろ大歓迎です。
日本のマスメディアは朝日新聞だけでなくいろいろな問題を抱えているわけですが、一番の問題はメディアによるメディア批判がタブー化していることです。
私は、ネット言論空間で、もしマスメディアに問題があるならば、遠慮なくマスメディア批判を展開するのは必要だし必然である、と考えています。
(木走まさみず)