木走日記

場末の時事評論

稲盛和夫京セラ名誉会長「中国と心の交流を」論説は、はたして「老獪」なのか「老害」なのか〜中国に対して「相手に利用されても構わない」無防備な外交が通用するとは思えない

 日経新聞電子版の経営者ブログで稲盛和夫京セラ名誉会長の「中国と心の交流を」という一文が掲載されています。

稲盛和夫 京セラ名誉会長
中国と心の交流を  (稲盛和夫氏の経営者ブログ)
2014/6/16 7:00日本経済新聞 電子版

 日本は今、中国と難しい関係にあります。この問題にどう向き合っていくべきでしょうか。私は中国の経営者の方々と心と心が触れ合う交流を長い間、続けてきました。その経験から、ある確信を持っています。

 ささやかな中小企業から身を起こした私は、今日までいろいろな悩みを抱えて、どう生きるべきか真剣に考えざるを得ませんでした。その結果、自分なりに思想、哲学みたいなものを培い、本などにまとめてきました。幸い世の多…

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK13012_T10C14A6000000/

 会員限定記事ですが、興味のある読者は是非直接ご一読ください。

 うむ、大変興味深い論説でした、そして正直とても考えさせられました。

 論説の中で稲盛会長は「日中関係をほぐしていくには、心による交流を進めていく以外には無理」と説いています。

 日中間では、今後も政治的ないさかいは起こると思います。しかし人間の心の世界には何の障壁もありません。今の厳しい日中関係をほぐしていくには、心による交流を進めていく以外には無理でしょう。

 そして「日本人本来の美徳である美しい心を、中国との関係でも前面に出していけばよい」とし、「そんな弱々しいことでは相手に利用されるだけだ、と言う人もいるかもしれませんが、それでも構わない」と説きます。

 先の戦争では日本は軍国主義を標榜しましたが、その昔、大和の国の人々は平和で温和な、礼儀正しい、和を貴ぶ民族だったのです。その日本人本来の美徳である美しい心を、中国との関係でも前面に出していけばよい。そんな弱々しいことでは相手に利用されるだけだ、と言う人もいるかもしれませんが、それでも構わないと思います。集団的自衛権の問題など安全保障上の対策はある程度講じなくてはいけないが、もっとやるべきことが他にもあります。

 論説の結語として「今こそ日本人の素晴らしい徳を、中国では仁といいますが、それを中国に伝える努力が求められ」のだと指摘しています。

 今こそ日本人の素晴らしい徳を、中国では仁といいますが、それを中国に伝える努力が求められます。その素晴らしさに多くの中国人は歓迎し、強い姿勢を取る中国政府も徐々に尊敬の念を抱くようになると思います。私は82歳で疲れますが、何も求めずに人間の善について説き続けることに対して、中国の経営者はたくさんの好意を返してくれます。そこに打開する糸口があると信じています。

 ・・・

 中国において氏の経営者塾で、経営には「正しい生き方の軸となる哲学が必要」との自説を展開したとき多くの中国人経営者が共鳴していると述べています。

 それに気づいたとき「経営とは単に欲望に従って富を蓄積すればよいというものではありません。正しい生き方の軸となる哲学が必要です」という私の考え方に接して、「これだ」と共鳴したのでしょう。

 利己的な経営は破綻する、経営には「他を慈しみ、他を愛する、他人のために尽くす精神」が必要であるという氏の話は多くの中国人経営者に「心の安らぎを感じるのだと思います」と分析しています。

 「利己的な欲望によって成功しても、そのままいけば必ず欲にまみれて破綻します。あるところまで行ったら、利他という、他を慈しみ、他を愛する、他人のために尽くす精神が無ければいけません。それが伴って初めてバランスが取れるのです」――。こうした私の話を聞いて、心の安らぎを感じるのだと思います。

 稲盛和夫京セラ名誉会長は言うまでもなく日本を代表する経済人であり、京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者にして、破綻したJALの再建に見事に成功した日本航空名誉会長でもあります。

 稲盛氏の「中国と心の交流を」と題するこの論説は、自らの実業人としての数々の成功体験に基づく経営理念・信念に裏打ちされた非常に説得力のある氏の言葉で力強く説かれています。

 当該記事のコメント欄には多くの賛同の意見が載っております、一部抜粋。

40歳代男性
中国在住10年になりますが、似た経験を何度もしました。また、日本を訪問したほぼすべての人が日本人の親切さに感動して帰ってきます。中国にもメンツや美徳の世界が有り、熱意や心意をもって接すれば、必ずそれに応えてくれます。今こそ、そういった心の交流が必要だと思います。そして、それが少しずつ両国の隙間を埋めることになると思います。

おじあにさん、50歳代男性
稲盛さん 日中関係改善に日本人の美徳を持ち出す処は、流石ですね。私も日中関係の悪化に心を痛めています。でも 稲盛塾健在なら多分長期的には友好関係をたもつ事が出来ると、確信致しました。日本人の持ついわゆるおもてなしを初めとする美徳は世界各国に平和を齎すでしょう。今回稲盛さんのお話を聞いて 日本人であることに誇りと自信を持ちました。あとは 世界に発信するだけですね!!!

三木奎吾さん、60歳代男性
稲盛さんのファンが中国でも増えているというのは、率直に期待します。中国共産党の1党独裁のままでは、政治的には早晩、破綻が目に見えています。それでも中華民族は優秀な人たちです。基本的人権と民主主義を実現する方向で、社会変革してくれると期待しています。それまでに日中が戦禍を交えないことを祈ります。

佐藤三禄さん、70歳代以上男性
稲盛氏の対中国の考え方に賛同しています。30数年来、中国の人たちと交流を続けており、中国の人達を信頼しています。杭州の会合は何時、何処で開かれますか。杭州市にいる教え子の若い中国人経営者に知らせてやりたいと思います。現地の連絡単位を教えてください。

elvis_king_creolさん、60歳代男性
" 本当に「美しい国」は何かを簡潔に語られたことに 感動さえ覚えました。この考えこそ学校教育の柱となるべきものとと思います。「日本を取り戻す」とは、この意味で使って欲しいと思います。微力ながらも私も与えられている命の限りで、この方向で努力したいと思います。何があっても、中国・韓国の人たちと殺したり、殺されたりする関係に陥ってはいけない決意です。"

武市陽一郎さん、60歳代男性
「徳を持って包み込め。カリカリしても何も得られないぞ」そんな風に聞こえました。心に一筋の光が射してきました。

やぎさん、60歳代男性
仕事の目的について再考したい。株主資本主義、金融資本主義には違和感を感じる。会社は社員、得意先、及びその家族ためにあると考える。回顧主義といわれるかもしれないが、年功序列、終身雇用制の社会のほうが優れているのではないだろうか。

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 あえて稲盛氏の「中国と心の交流を」と題するこの論説に当ブログとして僭越ながら疑義を唱えたいです、反論を試みたいのです。

 自らのビジネスの成功体験の延長線上で、「心の交流」というメンタルな側面でのみ、個人や私企業における体験を国と国の外交レベルの課題にまで拡大して問題解決の処方箋として論じている論拠の曖昧さを指摘したいです。

 言うまでもなく、ビジネスマンとしての稲盛氏の成功体験は立派な業績ですしその実践は多くのビジネスモデルを生んできた優れたノウハウであることは認めた上でですが、「日本人本来の美徳である美しい心を、中国との関係でも前面に出していけばよい。」、「そんな弱々しいことでは相手に利用されるだけだ、と言う人もいるかもしれませんが、それでも構わない」との主張は、責任ある国家としての外交指針としては危うく脆い甘すぎる方策であると考えます、認めるわけにはいきません。

 誠意を持って接すれば相手も心を開いてくれる、道は自ずと開かれる、そしてまず自ら利他的に行動せよとの論理は完全なる「性善説」に立脚した主張と言えますが、国家対国家の外交は、むしろ「性悪説」に立脚して最悪の事態に備えるべき性質のものであり、「騙されてもいい」などというお人好し外交が通用するはずはありません。
 稲盛さんの主張は自らの成功体験に裏付けられておりご本人も信念を持って語られているのは理解しますが、だからこそ、余計にタチが悪いと言わせてもらいます。

 齢82歳の稲盛翁のこの対中国外交において「心の交流」の大切さを説くこの「淡い」論説には、稲盛翁の成功体験がもたらす弊害もあることは忘れてはいけません。

 一度でも成功を体験すると、それが自身の中で確固たるものとして定着してしまう可能性があり、これは良い面もある反面、悪い面もあるので注意が必要であります、とくに歳をとり思考の柔軟性を失うと、成功体験とその延長線上での思考でしか視座が保てなくなる傾向が強まります。

 私企業のビジネス分野での成功経験を国家間の外交分野にまで拡大して語ることは危険です。

 自らの論説が自らの成功体験に縛られる結果となっていないでしょうか。

 付け足すに、稲盛さんの世代の中国観には、「先の戦争では日本は軍国主義を標榜しましたが、その昔、大和の国の人々は平和で温和な、礼儀正しい、和を貴ぶ民族だったのです。その日本人本来の美徳である美しい心を、中国との関係でも前面に出していけばよい。」との文章に明確に現れていますが、ひとつには先の大戦での軍国日本の中国に対する侵略行為対する贖罪意識が根強くあります。

 彼らの心理の奥底には否定しようにも否定しようがない贖罪意識がある、すなわち「日本はかつて中国大陸でひどいことをした」のだから「その罪をつぐなわなければならない」という前提がある、だからこそ「そんな弱々しいことでは相手に利用されるだけだ、と言う人もいるかもしれませんが、それでも構わない」との「大人」の主張につながっていると言えましょう。

 この論説にコメント欄にて「心に一筋の光が射してきました」などと賛同する人たちのほとんどが、60代、70代の男性であることも興味深いことです、そこには世代が抱え込んでいる中国に対する贖罪意識を含めた複雑な心象を稲盛さんとともに共有しているのだと感じます。

 相手のある外交を上手に司るには、血気盛んな勇ましい主張をがなり立てるだけではだめであります、ときに「老獪」さが必要なことは認めるものです。

 しかしこの厳しい国際外交戦において、国家に対して過去の贖罪意識を込めて「大人」の「利他的」振る舞いを求めるとするならば、危険な愚策となりましょう、そのようなジャッジは「老獪(ろうかい)」というよりも「老害」にすぎないでしょう。



(木走まさみず)