木走日記

場末の時事評論

日本の「右傾化」について〜防衛・外交問題で危険なのは左右問わず極端な正論原理主義だと思う

 21日付けワシントンポスト誌の記事がネット上で話題になっています。

With China’s rise, Japan shifts to the right
http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/with-chinas-rise-japan-shifts-to-the-right/2012/09/20/2d5db3fe-ffe9-11e1-b257-e1c2b3548a4a_story.html

 記事はタイトル"With China’s rise, Japan shifts to the right"(「中国の台頭で右傾化する日本」)通り、最近の中国の勢力拡大に伴い日本が右傾化してきているとの内容であります。

 この記事に対して、27日付け毎日新聞の布施広論説委員のコラムが興味深いです。

発信箱:日本の「右傾化」=布施広(論説室)
毎日新聞 2012年09月27日 00時38分

 21日の米紙ワシントン・ポストが「日本の右傾化」を1面で報じている。与那国島への自衛隊配備計画や武器輸出三原則の緩和など、日本は中国の勢力拡大に対して「徐々にだが重大な右転換」をしており、第二次大戦後ではかつてなく「対決的」だという。興味深い記事である。

 ポスト紙といえば一昨年、当時の鳩山由紀夫首相は「ルーピー」(頭がおかしい)だという評価を紹介したコラムを思い出す。「ユキオ、米国の盟友だろう? 米軍の核の傘の下で何十億ドルも節約しただろう?」と続く文章は少々不愉快だが、知人の元ロサンゼルス・タイムズ記者は「米兵は日本のために死んでくれ、遺体袋は日本が用意する、といった同盟では、もう立ち行かない」と、米側の不満を解説してくれた。

 かといって、ペルシャ湾などで米軍と合同演習をすれば、今度は「右傾化」を警戒される。日本もつらい立場だが、安全保障上の諸懸案を長年先送りしてきた結果でもあろう。胃散で胃がんは治せないように、未来志向だ互恵だと言うだけでは、残念ながら中国の荒々しい動きは止められまい。止めるには日米の緊密な軍事協力が不可欠だ。

 米上院外交委員会の公聴会(20日)でキャンベル国務次官補は「中国は琉球に対する日本の主権を公式に認めているか」と問われ、一言「ノー」と答えた。中国にとって尖閣は膨張の一里塚であり、日本の領海に入る中国船は日本の覚悟を試しているのだろうか。困った隣人たちだ。

 米国も日本の覚悟を見ていよう。命がけで領土を守る覚悟が日本人になければ我々が出る幕もない、と。覚悟は外交解決にも必要だ。楽観を戒めた強靱(きょうじん)な外交でないと真の平和を築けないことが今回、はっきりした。平和への戦略と胆力を持つのは右傾化でも何でもあるまい。

http://mainichi.jp/opinion/news/20120927k0000m070126000c.html

 うむ、「命がけで領土を守る覚悟が日本人になければ我々が出る幕もない」、「平和への戦略と胆力を持つのは右傾化でも何でもあるまい」、読売・産経に比較すれば外交・防衛関係ではどちらかと言えば左派的論説だったはずの毎日新聞のコラムとしては「命がけで領土を守る」の表現は、やはりメディアも含めて日本は「右傾化」し始めていることを証明しているようで興味深いことです。

 さて毎日コラムを持ち出すまでもなく、尖閣を巡る一連の出来事で私達日本人は否応なくこの国の安全保障問題についておそらく戦後初めてといっても過言ではないでしょう、真剣に考えざるを得なくなったのは事実であります。

 国を守るために国民が熱心に議論し政府が策を講じる、普通の国では当たり前のことが今までこの国になかったことが異常だったともいえますが、これがよその国からしてみると「右傾化」と映るのでしょうか。

 今回はこの日本の「右傾化」について、少し深く掘り下げて考察してみたいと思います。

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 米ソ冷戦時代はある意味わかりやすかったですね、イデオロギー的にはソ連に代表される、社会主義共産主義を支持するグループが左翼(左派)であり、アメリカに代表される自由主義・資本主義を支持するグループが右翼(右派)でありました。

 冷戦が終わりソ連が崩壊し、左派・右派という単純な二項論的カテゴライズはあまり流行らなくなりましたが、まあそれでもいわゆる保守派(右派)とリベラル派(左派)というくくりは現在も残っています。(※ここでは「リベラル」を厳密なその言葉の定義ではなく日本で一般化している左派の同義語として使用します)

 さて単純にリベラルと保守というイデオロギーによる区分けを横軸とすれば、もうひとつ縦軸として強硬派と穏健派、村上春樹さんの言葉を借りれば、正論原理主義者と日和見主義者というディメンジョンを取り入れたいのです。

 3年前『文藝春秋』09年4月号の村上春樹さんへの独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」で、村上氏が「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖い」と発言されていることがネットで議論を呼んだことがあります。

 ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。

 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。

 なかなか興味深いインタビュー記事であります。

 さて、左派にしろ右派にしろ、強硬派「正論原理主義」つまり「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間」(村上氏)と穏便派「日和見主義」つまり「自分の言葉で誠実に語ろうとする人々」(村上氏)に分けることが可能です。

 ここまで、保守・リベラル、強硬派・穏健派の関係を下の図式のように整理してみます。

■図1:イデオロギーと心情の分類

 4つの層ですが、A層はリベラル強硬派、B層は保守強硬派、C層はリベラル穏健派、D層は保守穏健派と分類できます。

 過激でときに攻撃的な正論原理主義者はA層(ネットサヨク)とB層(憂国の士)になり、穏健派はC層(リベラル派)とD層(保守派)になります。

 ちなみに当ブログの自己評価はC層に近いD層(保守リベラル派)かなと考えてます。

 でこの表でおもしろいと思うのは、著者自身はD層と自己認識していますが、当然ながら隣接するB層(憂国の士)とC層(穏健リベラル)とは、親和性があり、議論によっては隣の層の立場を取ることもしばしばながら、B層よりはC層の論説や考え方がすっきりくることが多いのです。

 つまりこの表の左右の移動はそれほど心理的ハードルは高くないことを自覚しています。

 いっぽう上下の移動はこれは心理的ハードルが高いのです。

 ところで、正論原理主義は「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす」のが得意な傾向があり、実はA層とB層も親和性があって、ちょっとしたきっかけでウヨがサヨになったりあるいは逆が起こったりするようです。

 村上氏の指摘とおりバリバリの学生運動闘士がバリバリの企業戦士に転向したり、読売主幹のナベツネさんのように学生のとき共産党員だったバリバリリベラルが大新聞会長としてバリバリ保守論説を展開したりと、表の横方向のリベラルと保守のハードルは人にもよるのでしょうが、意外と高くない感じがします。

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 ワシントンポスト誌は「日本が右傾化し始めた」と主張していますが、どうなんでしょう私が感じる限り大多数の日本人は穏健派だと思われ、せいぜい領土問題に関しては一部穏健保守(D層)が強硬派(B層)に転じた以外は、穏健リベラル(C層)だった人々が穏健保守(D層)的立場になったぐらいが大部分だと思われます。

 防衛・外交問題は左右問わず正論原理主義的強攻策は危険です。

 「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす」だけでは事態が悪化しかねません。

 日和見と言われようとも現実主義者といわれようとも、現実に則して柔軟に対処していくことが肝要だと考えます。

 柳のようにしたたかに、しかしどんな暴雨でも決して折れない(妥協しない)、骨のある知恵者こそが外交戦に勝利するのだ思われます。


(木走まさみず)