木走日記

場末の時事評論

世界経済はエントロピー増大の法則への反逆〜グローバルからリージョナルへ変質する不均衡

熱力学第二法則エントロピー増大の法則)

熱力学第二法則エントロピー増大の法則)
断熱系において不可逆変化が生じた場合、その系のエントロピーは増大する。

 この宇宙の性質として時間経過とともにエントロピー(乱雑さともいえましょう)は増大していく、という法則であります。

 コーヒーの中にミルクを一滴入れると、やがてミルクは拡散しコーヒーの中に溶けていきます。
図1:熱力学第二法則エントロピー増大の法則)
 
 この変化は不可逆的であり、逆の変化つまり一度溶けたミルクを1箇所に戻すことはできません。

 閉じた系において不可逆変化が生じると、このようにエントロピーは増大していきます、逆にポテンシャルは減少していきます。
 もう一例だけ、中学の理科の教科書でお馴染みの温度の異なる水の話。

 今、ひとつの水槽に65℃の水1ℓと10℃の水10ℓが断熱されたしきいで分けられています。

 しきいを取るとエントロピー増大の法則により、2つの水は混ざり合いますがそのときの温度は何度になるでしょうか。

 この計算は熱量という単位を用います。

 1ccの水を1℃高める熱量を1cal(カロリー)と定義すれば、65℃の水1ℓは、

 65 * 1000 = 65kcal

 10℃の水10ℓは、

 10 * 1000 * 10 = 100kcal

 の熱量を持っています。

 熱量の総和は

 65 + 100 = 165kcal

 したがってその熱量を11ℓで割ると、

 165 / 11 = 15℃

 時間とともに15℃の水11リットルが出来上がります。

図2:時間とともに平準化する水

 もちろん、これは気温など外部からの熱エネルギーが流入しない、つまりこの水槽が断熱されている(閉じた系といいます)ことが前提となります。

 この世の中のすべてのものは時間とともに乱雑になっていく、このエントロピー増大の法則は、単なる科学法則というだけでなく哲学的に解釈されることも多いですね。

 『平家物語』冒頭部分のくだり、諸行無常、盛者必衰に通底したモノをエントロピー増大の法則に見ることができるからです。

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

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■人類文明はエントロピー増大の法則への反逆、レジスタンス活動

 エントロピーの増大に逆らうことは不可能ですが、「閉じた系」を「開いた系」すなわち外部からエネルギーを取り込めば、その系内ではエントロピーの増大を抑制することができます(この場合も外部まで考慮すればエントロピーは増大しているのですがその説明は省略)。

 今高い所にある水槽Aと低いところにある水槽Bをパイプでつなぎます。

 水槽Aに水を流すとやがて水はすべてパイプを通じて水槽Bに溜まります。

 水はそのポテンシャル(位置エネルギー)を縮小させ、エントロピーは拡大します。

 これは不可逆的反応であり閉じた系であれば当然の帰結です。

 しかし、今がポンプをセットし外部からのエネルギーでそのモーターを回転させ、水槽Bの水をくみ上げ水槽Aに送り出すとすると、エントロピーの増大は抑制され、水は循環をはじめます。

図3:「閉じた系」と「開いた系」

 実は我々人類を含む生命活動はこのエントロピー増大の法則への反逆、レジスタンス活動だともいえます。

 放って置けば我々の体を構成する分子もバラバラになってしまうのを、呼吸をし外部から水と食物を取り入れ不要物を排泄し、循環させることで、エントロピー増大を抑制していると見ることができます。

 もちろん、しかし、最終的には「死」によってそのような循環は停止し、我々の体を構成していた物質もやがて拡散し土に返ることになります。

 しかし生命活動の素晴らしいところはひとつひとつの個体はやがて滅ぼうとも、自らの遺伝子を子孫に残し「種」として系統していく、つまり宇宙を貫く大法則に対しての反逆活動を連綿と繰り返しているわけです。

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 生命体だけではなく、我々人類社会、人類文明も、まさにエントロピー増大の法則への「反逆」活動ととらえることができましょう。

 人類文明は、火力、水力など自然に存在するポテンシャルの高いエネルギーを取り入れて文明を発達してきました。

 ここ100年では、石油石炭などの化石燃料、また、蒸気機関ガスタービンなどの技術が発明され、原子力エネルギーまで取り入れました。

 現在地球上には70億人が生存しています。

 近い将来、70億の生命をエネルギーを循環させて維持していくことは、地球という系のエネルギーの有限性から困難を伴うものとなりましょう。

 食料・エネルギー問題は間違いなく人類文明そのものを脅かす大きな問題となることでしょう。

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■過去最悪を更新する日本の「相対的貧困率

 ここで、熱力学第二法則エントロピー増大の法則)から少し離れて格差問題について考えてみたいのです。

 昨年8月の読売新聞記事が日本の「相対的貧困率」が過去最悪を更新したことを報じています。

日本の相対的貧困率、過去最悪
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=46251

 相対的貧困率とは、「国民一人ひとりの所得を順番に並べ、中央の値の半分より低い人の割合」のことをいいます。

 2010年調査では、年間112万円未満が貧困になり、相対的貧困率は16%で、前回の07年調査より0・3ポイント上昇、結果、日本はOECD諸国の中でメキシコ、トルコ、米国に次ぐ4番目の高さになりました。

図4:相対的貧困率の国際比較

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4654.html

 確かに日本の相対的貧困率は近年悪化の一途を示しています。

図5:相対的貧困率の年次推移

 私が相対的貧困率に注目するのは、それがあくまで「相対的」である指標であることであり、日本人全体が貧乏になっても、あるいは日本人全体の所得が伸びても、相対的貧困率は不動であり何も変わらないはずですが、富の偏在が拡大するときに、つまり格差が拡大したときだけこの貧困率は悪化するわけです。

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■「いざなぎ超え景気」で検証する国民に還元されなくなった利益

 世界経済で起きているさまざまな現象は、グローバル化の必然的な帰結であります。

 新興国の急速なキャッチアップによって先進諸国の経済成長が鈍化することです。

 例えば労働市場の自由化によって、新興国の安価な労働単価に平準化していく圧力が、当然先進諸国の労働者の単価に影響を与えているわけです。

 「図2:時間とともに平準化する水」と同様に、グローバル化により労働市場のしきいがはずれた場合、労働単価の平準化が起ころうとしているわけです。

 5万ドルの収入の1億人の労働者と6千ドルの収入の10億人の労働者が平準化した場合、1万ドルという単価が算出されます。
図6:グルーバル化により平準化する労働単価

 マクロ的には新興国の急速なキャッチアップによって先進国の労働市場で上記のような賃下げ圧力が掛かることはまちがいないでしょう。

 しかし、私は起ころうとしていることはもう少し複雑なメカニズムなのだろうと考えています。

 単純な新興国の急速なキャッチアップによる先進諸国の経済成長が鈍化する現象ならば、相対的貧困率の悪化、すなわち先進国における格差の拡大を説明できないからです。

 輸出産業の好調で日本のGDP成長率がプラスを維持し好景気とされた2002年から5年9か月の長期に及んだ「いざなぎ超え景気」、このときいったい何がこの国に起こったのか、統計数値で正確に検証してみましょう。

 確かに2002年から5年9か月の長期に及んだ「いざなぎ超え景気」で、経団連加盟の輸出産業を中心に大企業は空前の好業績をあげました。

 財務省が公表している「法人企業統計調査」によると、2006年には全産業の経常利益は前年度に比べて5・2%増の54兆3786億円と5年連続で前年を上回り、過去最高を更新いたします。

 しかし、この期間、我々一般国民は空前の景気を実感できていたでしょうか。

 答えは「いいえ」です。

 これらの利益はすべて、経営者や株主には還元されましたが後は、企業内で内部留保されたのです。

 日本国内には還元されませんでした。

 国税庁が公表している「民間給与の実態調査結果」から、この同じ時期に民間平均給与がどう推移してきたか、1997年の467万8千円をピークに、民間給与は下がり続けています、唯一の例外はいざなぎ越え景気の終わりの2007年に+0.5%と下げ止まったのが一年あるだけです。

 その後のリーマンショックによる不況では前年度比-5.5%、24万も給与が急落しています。

 事実として1998年から2009年の12年間で民間給与は1年の例外(それもわずか0.5%の微増ですが)を除いて下がり続けているわけです、この期間総額で61万4千円も私たちの年収は落ち込んでいるのです。

図7:企業経常利益と民間平均給与の推移

 ご覧のとおり、輸出産業を牽引役に5年以上続いた「いざなぎ越え景気」で大企業は空前の利益を生み、右肩上がりに経常利益を伸ばしていきましたが、その間も民間平均給与は右肩下がりで落ち込んでいます。

 まったくといっていいほど、この好景気は国民には還元されなかったのです。

 では利益はどこにいったのか。

 経営者の報酬、株主への配当として還元され、後は企業内で内部留保され蓄えられているのです。

 今日本の企業の内部留保は200兆を超える空前の規模に膨らんでいます。

 ここに新たなる富の偏在を見ることができます。

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■グローバル・インバランスからリージョナル・インバランスへ変質する不均衡


 かつて世界経済は一握りの先進国が富をほぼ独占し、多くの途上国は貧困にあえいでいました。

 古くは南北問題と称され、先進国と途上国、水平方向に経済格差があったわけです。

 今、グローバル化のもと、中国やインドなど新興国の急速なキャッチアップが始まっています。

 これによって先進諸国の経済成長が鈍化しています。

 しかしこの流れの中で各国国内の所得格差が拡大傾向にあります。

 グローバル化による利益が一部多国籍企業やその株主に集中し、それらグローバル市場のプレイヤーに富が偏在する一方、多くの国民はグローバル化による労働力のコモディティ化・平準化の流れの中で所得を減少させているのだと思われます。

 いわば水平方向の経済格差から垂直方向の経済格差へ、すなわち、グローバル・インバランス(世界的規模の不均衡)からリージョナル・インバランス(域内不均衡)へと、経済格差の問題が変質を始めているのではないでしょうか。

図8:グローバル化により変質する経済格差

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 人類文明、世界経済はエントロピー増大の法則への反逆、レジスタンス活動であります。

 外部から絶えずエネルギーを取り入れてエントロピーの増大を抑制しつつ内部で資源を循環させ世界経済は成り立っています。

 今グローバル化の波の中で中国やインドなど新興国の急速なキャッチアップが始まっています。

 そして先進国では押しなべて格差の拡大が起こり始め、物の流れ、カネの流れが大きく変動し始めています。

 多くの企業は生き残るために多国籍化しその労働力は最も安価な地域から向かい入れ、また得た利益も海外投資などにまわされ国内経済は厳しい時代を迎えることでしょう。

 しかし私達はこのような新自由主義的な市場原理主義に基くグローバル化経済の行き着く先を誰も知りません。

 閉じた系である地球の上で70億もの人々が自由競争の名のもとで経済成長を続けることはいったいいつまで可能なのでしょうか。

 一つだけ確かなことは、未来永劫、エントロピーの増大を抑制しつつ循環するシステムなど、我々人類は決して作ることはできないということです。

 その意味であくまでも我々は、謙虚な気持ちで、現在の経済システムや政治システムに対して批判的に対峙し、必要ならば修正する努力を怠ってはいけないのでしょう。



(木走まさみず)