木走日記

場末の時事評論

若年層の心情と完全に乖離しているマスメディア論説〜視野が狭いのはどっちだ?

 終戦記念日の8月15日、菅内閣の全閣僚が予定通り靖国神社を参拝しませんでした。

 これを受けて16日付け産経社説と毎日社説が取り上げています。

【主張】靖国菅内閣 国家の責務に背を向けた
2010.8.16 03:11

 65回目の終戦の日の15日、今年も炎暑の中、多くの国民が靖国神社を訪れた。民主党政権下で迎えた初の8月15日だったが、やはり菅直人内閣の閣僚は一人も参拝しなかった。
 このようなことは終戦の日の閣僚参拝について政府に記録が残る昭和60年以降、初めてだ。予想されたこととはいえ、戦没者遺族にとって無念だったに違いない。
 各閣僚の主体性のなさも問題である。菅首相仙谷由人官房長官が内閣の申し合わせとして靖国参拝の自粛を求めたにせよ、全閣僚がそれに従ったというのは、情けない話だ。
 改めて言うまでもないが、靖国神社にまつられている幕末以降の戦死者ら246万余柱のうち213万余柱は先の大戦の死者だ。それだけ、8月15日の参拝の意義は大きい。特に、首相が国民を代表して、国のために亡くなった国民の霊に哀悼の意を捧(ささ)げることは、国を守るという観点からも、重要な国家の責務なのである。
 一方、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーは昨秋と今春の例大祭に続いて、この日も靖国神社を参拝した。民主党議員も参拝したが、菅内閣副大臣政務官は加わらなかった。

 同会とは別に、自民党谷垣禎一総裁、安倍晋三元首相らも参拝した。谷垣氏は昨年の総裁選で「8月15日に靖国参拝する」と主張し、約束を果たした。今後も、その姿勢を貫いてほしい。
 この日の靖国神社は、年老いた遺族や戦友らにまじって、学生や若い男女、親子連れの姿がさらに増えたように思われた。8月15日の靖国参拝は、国民的行事として定着しつつある。
 同じ日、韓国のソウルで開かれた日本統治からの解放65年を祝う「光復節」記念式典で、李明博大統領は日韓併合100年に関する菅首相談話を評価し、「歴史を忘れず、ともに新しい未来を開拓する」ことを訴えた。
 10日に出された菅談話は日本の朝鮮半島統治を一方的に非難する内容で、与野党の反対・慎重論を押し切って閣議決定された。
 今回、菅内閣の閣僚が参拝しないことも、中国や韓国のメディアは好意的に報じている。近隣諸国にのみ配慮し、戦没者の霊に背を向ける首相は、日本のリーダーとしての資質が疑われよう。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100816/plc1008160311000-n2.htm

 うむ、産経社説子はお怒りです。

 「予想されたこととはいえ、戦没者遺族にとって無念だったに違いない」と指摘、「菅首相仙谷由人官房長官が内閣の申し合わせとして靖国参拝の自粛を求めたにせよ、全閣僚がそれに従ったというのは、情けない話」と批判します。

 「首相が国民を代表して、国のために亡くなった国民の霊に哀悼の意を捧(ささ)げることは、国を守るという観点からも、重要な国家の責務」なのであるとし、社説の結びとして、「近隣諸国にのみ配慮し、戦没者の霊に背を向ける首相は、日本のリーダーとしての資質が疑われよう」と菅首相の姿勢を突き放しています。

 一方の毎日社説。

社説:閣僚参拝ゼロ なお決着遠い靖国問題

 歴代の自民党政権との違いを示したのは確かだろう。65回目の終戦記念日を迎えた15日、菅直人首相と菅内閣の全閣僚が靖国神社を参拝しなかった。閣僚の参拝者がゼロだったのは記録が残っている80年代以降初めてである。かねて私たちも、首相らの靖国参拝にはさまざまな問題があると指摘してきたところだ。今回の菅内閣の対応を評価したい。

 ただし、これで靖国問題が決着したわけではない。特に残念なのは、靖国神社に代わる新たな追悼施設建設に関する政界の議論が途絶えていることだ。

 言うまでもなく靖国問題の核心の一つは、極東軍事裁判A級戦犯となった戦争指導者たちが合祀(ごうし)されている点である。昭和天皇A級戦犯合祀に強い不快感を示していたとの側近のメモが見つかったのは記憶に新しい。先の大戦の正当化につながるような靖国神社のあり方に疑問を抱く国民も少なくないだろう。

 内外の人々がわだかまりなく戦死者を追悼するにはどうするか−−。長年の課題の解決策の一つが、新しい追悼施設の建設だったはずだ。

 民主党は野党時代にまとめた「09年政策集」で「特定の宗教性をもたない新たな国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進める」と明記した。ところが党内には反対論もあり、昨年の衆院選マニフェストには盛り込まれなかった。最近も長妻昭厚生労働相が新施設建設に前向きな考えを示しているが、建設を検討する調査費を来年度予算案に盛り込むといった動きにはなっていない。

 自民党小泉政権当時、福田康夫官房長官の私的懇談会が追悼施設建設を検討したことがあったが、その後立ち消えになっている。

 一方、昨年12月には日本遺族会会長である古賀誠自民党元幹事長の地元、福岡県遺族連合会が事実上、A級戦犯分祀を求める見解をまとめている。しかし、靖国神社側はいったん合祀されたA級戦犯分祀神道の教義上困難との考えを崩しておらず、分祀論も進展はしていない。

 韓国では15日、日本の植民地支配からの解放65周年式典が行われ、李明博(イミョンバク)大統領は先に発表された日韓併合100年に関する菅首相の談話について「日本の一歩前進した努力と評価する」と明言したうえで、「具体的な実践を通じて新たな100年を築いていかねばならない」とも語った。

 この菅首相談話に対しても民主党の一部には異論がある。だが、韓国や中国のみならず各国との「未来志向」の関係を定着させるためにも追悼施設に関する議論を途切れさせてはなるまい。歴史認識をめぐる党内対立を回避するため、議論もしないというのではあまりに内向きだ。

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100816k0000m070088000c.html

 毎日社説子は閣僚参拝ゼロを評価したうえで、しかしこれだけではなお靖国問題の決着は遠いと注文を付けています。

 「歴代の自民党政権との違いを示した」としたうえで「今回の菅内閣の対応を評価」しています。

 ただ「これで靖国問題が決着したわけではない。特に残念なのは、靖国神社に代わる新たな追悼施設建設に関する政界の議論が途絶えていること」と指摘、「韓国や中国のみならず各国との「未来志向」の関係を定着させるためにも追悼施設に関する議論を途切れさせてはなるまい」と主張します、

 「歴史認識をめぐる党内対立を回避するため、議論もしないというのではあまりに内向きだ」と、民主党政権に追悼施設に関する議論をすすめるように促しています。

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 興味深いのは産経・毎日両社説とも解放65周年式典での韓国李明博(イミョンバク)大統領の発言を取り上げていることです。

 その発言から産経社説子は、「10日に出された菅談話は日本の朝鮮半島統治を一方的に非難する内容」だったことをあげ、さらに「菅内閣の閣僚が参拝しないことも、中国や韓国のメディアは好意的に報じている」事実に触れて、「近隣諸国にのみ配慮し、戦没者の霊に背を向ける」菅首相の姿勢の批判につなげています。

 一方毎日社説子も、大統領が「日韓併合100年に関する菅首相の談話について「日本の一歩前進した努力と評価する」と明言」した事実をふまえ、「具体的な実践を通じて新たな100年を築いていかねばならない」の発言に応えるためにも「追悼施設に関する議論を途切れさせてはなるまい」と続けます。

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 8月15日の靖国参拝で思い出すのは4年前のことです、2006年8月15日早朝、小泉純一郎首相(当時)は靖国神社を訪れ、日本国首相としては21年ぶりの終戦記念日の参拝に踏み切りました。

 当時、テレビは早朝から生中継、新聞も夕刊からこのニュース一色になり、翌日社説は全紙がこの「小泉参拝」を取り上げてそれこそ大狂騒の報道となりました。

 新聞の論調は朝日・読売・毎日・日経がこれを批判、一人産経だけが小泉首相を支持するという今日と変わらぬ図式でしたが、世論調査においても参拝支持と不支持が拮抗するまさに国を二分する論争となりました。

 その当時の狂騒から比べると今回の民主党政権閣僚参拝ゼロの報道は、正直産経以外はかなりさめているな、という印象であります。

 朝日や読売・日経が取り上げないのは閣僚参拝ゼロをおそらく評価しているからでしょう。

 しかしです。

 この4年の間で私はかなり深刻な問題として、日本国民、特に若年層の心情と、マスメディアの論説の乖離(かいり)が無視できないほど広がってしまったと感じています。

 私は前回のエントリー「菅談話を評価するのは日本の新聞社説だけ〜日・韓・朝・台で「総スカン」」で、日韓併合100年に関する菅首相の談話が国内だけでなく近隣諸国でもさんざんな評価であることをテキストにしましたが、当ブログやBLOGOSのコメント欄、あるいはブックマークの反応を見ていくつかのコメントに共鳴してしまいました。

 いくつかご紹介。

もう何十回謝罪したんだろう。うんざりした。菅首相と仙谷官房長官が主導したらしいけど、がっかりした。

何度謝罪したらいいのか? 韓国人の気持ちを思うのはいいが、これほど何十年も「日本が悪い」と刷り込まれてしまって、「若い日本人」の心の傷はどうなるのか?

民主党や日本のマスコミのいう「未来志向」っていうのは、邪悪な民族として民族弾圧を受ける日本人の未来って事ですかね。

 不肖・木走は立派(?)な中年ですし、上記コメントを発した読者が若年層と判断する材料は私にはもちろんありませんが、私が共鳴するのは、これらのコメントの有する、日本主導者の繰り返される謝罪行為への出口のない閉塞感、そしてそれに対するあきらめに近い憤りであります。

 さらに加えるならば日本のメディアの糞まじめなそして時代遅れな「未来志向」というワードの胡散臭さです。

 前回のエントリーでも、日韓併合100年に関する菅首相の談話を、教科書のようなきれい事でそれを評価する新聞社説が、新聞の中の人たちは国際的視野で評価しているつもりなのでしょうが、実は結果的には狭い日本国内のきわめてドメスティックで浮き世離れしている論説になっちゃっていたことが示されたわけです。

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 毎日新聞論説副委員長の与良正男記者が15日付けのコラムにおいて、まさにこの当たりのメディアと国民とくに若年層との意識のギャップについてメディア側からの興味深いコメントを寄せています。

反射鏡:政治の劣化を防ぐため今、必要な辛抱=論説副委員長・与良正男
http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20100815ddm004070002000c.html

 4年前、加藤紘一自民党幹事長とともにテレビの報道番組に出て参拝反対の意見を述べた与良氏は、加藤氏の実家が後に右翼団体所属と分かる男に放火され全焼したと聞いて、言葉を失います。

 そして多くの若者から激しい抗議を受けることになります。

 さらに衝撃だったのは、その後、多くの若い人たちから「なぜ、あなたは参拝に反対するのか」と激しい抗議のメールをもらったことだった。

 与良氏は抗議する若者の心情を「生まれてからほとんどの時期が不況という時代に育った若い人たち」の不満からくると分析します。

 共通していたのは「小泉さんは私たちに誇りを与えてくれた」というフレーズだ。中国は政治大国、経済大国になり、韓国の経済成長も著しい。にもかかわらず、日本は戦前の謝罪ばかりをし続け、中国などに遠慮して首相は靖国に参拝しない。そんな中で、小泉さんは毅然(きぜん)とした態度を示してくれた……。
 生まれてからほとんどの時期が不況という時代に育った若い人たちは、そんな思いだったのだろう。私は「誇りはまず自分や家族に持つようにしようよ」と書いたり、しゃべったりしたが説得力はなかった。

 小泉首相が敵を作ることがうまかったことに触れ、若い人たちにとって「私」は中国人や韓国人同様、敵だったかも知れないと分析します。

 そういえば、小泉氏は「改革抵抗勢力」など、敵を意識的に作り出して自らの政権浮揚を図った首相だった。「敵」を作れば、あらゆる不満のはけ口になる。靖国参拝でいえば、若い人たちにとって敵とは、これまた反日感情をあらわにする中国人や韓国人、あるいは同じ日本人でありながら参拝に反対する私だったのかもしれない。

 ・・・

 毎日新聞論説副委員長のこのコラムですが、なかなか興味深かったです。

 ですが、私に言わせていただければ、全体として、自分たちにくらべて若者は視野が狭い、ではなぜ視野が狭くなったのか、といった上から目線的視座で終始語られているところがどうにもこうにもです。

 もちろん「靖国参拝でいえば、若い人たちにとって敵とは、これまた反日感情をあらわにする中国人や韓国人、あるいは同じ日本人でありながら参拝に反対する私」という分析に当てはまる若者達が一部にいることは認めます。

 「ネトウヨ」と呼ばれる人たちの中には、露骨に中国人・韓国人を蔑視している人たちもおります。

 だがこの分析は単純化しすぎています、私が見聞きするネットの状況では、多くのその他のサイレントマジョリティともいうべき声は小さいがしっかり論理的に物事を考えることができる若者達が、現在の日本の「謝罪外交」に対して極めて冷静(←ここがキモですが)に、批判的に対峙し始めています、この事実をメディアは理解できていません、あるいは無視しています。

 2010年21世紀の現在、日韓併合100年と言っても日本の実効支配は35年だけです、その後の平和な戦後65年間のほうが遙かに長い時間なわけです。

 若者にしてみれば遙か昔の祖父の代の戦争のことです、そんなことでいつまでも繰り返し謝罪をする政治家を見続けてきた「「若い日本人」の心の傷」(当ブログコメント欄)を、日本のメディアは軽視してはいないでしょうか。

 アイデンティティを喪失することを防ぐために、若者達の中のある者は日本の植民地支配の正の部分を見出そうとしています。

 私には人として極めて正常な行動に映ります。

 ・・・

 メディアは視野が広く若者は視野が狭いのでしょうか?

 自分たちが単に若者より長く生きてきただけという単純な事実の前にメディア人はもっと謙虚になるべきではないでしょうか?



(木走まさみず)