木走日記

場末の時事評論

「衆愚」を創り「衆愚」に踊る朝日社説〜これでは正に「踏み絵」じゃないか?

靖国参拝 総裁候補は考えを語れ〜朝日社説から

 本日(25日)の朝日新聞社説から・・・

靖国参拝 総裁候補は考えを語れ

 首相の靖国神社参拝に対する視線が変わってきた。

 朝日新聞世論調査では、小泉首相が任期中に参拝することに反対する人は57%で、賛成の29%を大きく上回った。次の首相の参拝についても反対が60%を占め、賛成と答えた人のちょうど3倍である。

 ほかのメディアの調査でも、似たような結果が出ている。

 これまでの世論調査では、賛否が拮抗(きっこう)するか、賛成が反対を上回ることが多かった。いまの世論は明確に参拝反対に傾いている。

 その理由はさまざまだろうが、昭和天皇A級戦犯靖国神社合祀(ごうし)に不快感を抱いていたことを示す側近のメモが明らかになったことが大きい。

 今回の朝日新聞の調査は、これが報じられた後に行われた。参拝の是非をめぐる判断でメモを重視したかどうかを尋ねると、63%が重視したと答えた。

 A級戦犯が合祀された1978年以降、昭和天皇靖国神社への参拝を取りやめた。その理由について、メモは合祀が問題だったことをはっきりさせた。それで民意がこれだけ変化したのだから、この発見の衝撃度が分かる。

 判断にどのような影響があったのかは、人によって違うだろう。ただ、これによって多くの人にA級戦犯や合祀について考えるきっかけを与えたことは間違いあるまい。

 A級戦犯がまつられた神社に、国民統合の象徴である天皇が参拝すれば、戦後日本が再出発の土台としたけじめがあやふやになってしまう。明らかになった天皇の発言からは、そんな憂慮と怒りが読み取れる。

 そこに日本の国を代表する立場の首相が参拝するのはふさわしいことなのかどうか。中国や韓国の反発に屈するのかといった、ナショナリズムをあおられる観点とは違うところから問題を考える契機になったとすれば、その意義は深い。

 自民党総裁選の有力候補と見られた福田康夫官房長官が、靖国問題で国論が二分されている印象を与えたくないと、立候補を断念した。

 だが、福田氏の思いはどうあれ、首相が参拝を繰り返したことで「靖国」が日本政治の重要な論点となってしまったのは動かせない。

 総裁選がそこを避けて通るわけにはいかないのだ。参拝を是とするにせよ、否とするにせよ、候補者たちは明確に考えを語るべきだ。

 谷垣禎一財務相は、首相になれば「当面、参拝を見合わせる」と言い切った。安倍晋三官房長官小泉首相の参拝を評価しつつも、自らのことには明言を避けている。麻生太郎外相は5年前の総裁選では参拝の意欲を語っていた。今の考えはどうなのか。

 行くか行かないかの踏み絵ではない。なぜそう考えるのか、この先、この問題をどう処理するのか、世論が次の首相候補から聞きたいのはそこである。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 ・・・

 なんでしょうこの朝日社説の主張は・・・

 朝日新聞世論調査では」「次の首相の参拝についても反対が60%を占め、賛成と答えた人のちょうど3倍である」とし「首相の靖国神社参拝に対する視線が変わってきた」のだから「総裁選がそこを避けて通るわけにはいかないのだ。参拝を是とするにせよ、否とするにせよ、候補者たちは明確に考えを語るべき」としています。

 社説の結語はこうです。

 行くか行かないかの踏み絵ではない。なぜそう考えるのか、この先、この問題をどう処理するのか、世論が次の首相候補から聞きたいのはそこである。

 しかし「首相の靖国神社参拝に対する視線が変わってきた」から「総裁候補は考えを語れ」という詭弁論法には呆れてしまいます。

 では参拝賛成と反対が拮抗していた場合には問わないのか?

 あるいは参拝賛成が多数派だったらどうなのか?

 世論調査の結果靖国参拝反対が6割になったのだから総裁候補は靖国参拝の考えを語れとはあまりにも乱暴な非論理的思考です。

 特に問題なのは例の側近メモに対するマスコミスクラムによる世論誘導を自ら自慢げにこう評価しているところです。

 その理由はさまざまだろうが、昭和天皇A級戦犯靖国神社合祀(ごうし)に不快感を抱いていたことを示す側近のメモが明らかになったことが大きい。

 今回の朝日新聞の調査は、これが報じられた後に行われた。参拝の是非をめぐる判断でメモを重視したかどうかを尋ねると、63%が重視したと答えた。

 側近メモ報道により靖国参拝反対が6割になったのだから総裁候補は靖国参拝の考えを語れとは・・・

 行くか行かないかの踏み絵ではない。

 冗談ではありません、これでは「踏み絵」そのものでしょう。

 この論法では「踏み絵」以外の何ものでもないでしょう。

 この朝日社説はただの世論調査結果を悪用した詭弁であります。

 そもそも「衆愚」とも言えるこの世論調査結果を恣意的に創出したのは朝日社説をはじめとしたマスメディア自身なのに。



昭和天皇の側近メモを煽り利用する一連の朝日社説

 日経スクープ記事が掲載された翌日の21日新聞各紙社説は朝日を筆頭に(産経を除いて)一斉に小泉首相靖国参拝を批判する社説を掲げました。

 21日の朝日社説はメモの真贋の検証もせず、「A級戦犯合祀」により「天皇の参拝が途絶えた」のが明白になり「議論に決着をつけ」るものであると言い切っています。

A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉

(前略)

 A級戦犯の合祀に対し、昭和天皇がかねて不快感を示していたことは側近らの証言でわかっていた。

 それなのに、昭和天皇靖国参拝をやめたのは合祀が原因ではないとする主張が最近、合祀を支持する立場から相次いでいた。

 75年に三木武夫首相が私人として靖国参拝をしたことを機に、天皇の参拝が公的か私的かが問題になったとして、「天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう」(昨年8月の産経新聞の社説)という考えだ。

 こうした主張にはもともと無理があったが、今回わかった昭和天皇の発言は、議論に決着をつけるものだ。

 現在の天皇陛下も、靖国神社には足を運んでいない。戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。

(後略)

http://www.asahi.com/paper/editorial20060721.html

 このメモの真贋もはっきりしていない段階でのこのような決め付けにはとても違和感がありますが、そもそも仮にこのメモ内容が正しいとしても、戦後民主主義国家に再生した日本が天皇の思いで総理大臣の行動が左右されてはいけないのではないか、これはおかしな論理であると私は当日のエントリーでマスメディアのこの論法に反論を試みました。

(前略)

●「昭和天皇の思いを大事にしたい」は方法論として正しいのか

 二番目の疑問は、このメモ内容が正しいとして、この内容を持って小泉首相靖国参拝を批判する日経社説のような論法そのものが、はたして正しいのか、という点です。

 戦後象徴天皇制になり統帥権も失い「人間宣言」した政治権力から事実上いっさい離れた昭和天皇の発言ひとつで、総理大臣の靖国参拝の是非が論じられるというのは、「心」だか「思い」だかわからんですが、いかにも脆弱きわまる論拠ではないでしょうか。

 もし今後、昭和天皇靖国参拝を肯定するような発言メモ、あるいはA級戦犯合祀を肯定するような発言メモがあらわれたとしたら、それでも「昭和天皇の思いを大事にしたい」とするのでしょうか。

 今回のメモはもし内容が真実であるならば学術上貴重な資料となりましょう。

 その意味では信憑性も含めた専門家による全容の検証・解明が待たれます。

 しかし、産経以外のマスメディアがスクラムを組んで、このメモをもって小泉首相靖国参拝批判の論陣を張ることは、現時点ではとても脆弱な論拠で同意しかねます。

 私は靖国参拝凍結派でありますが、別に昭和天皇の思いを大事にするために靖国参拝凍結を主張しているわけではありません。

 戦後60年、民主主義国家として再生してきた象徴天皇制の日本においては、天皇の思いで総理大臣の動向が左右されてはいけないと思うのです。

(後略)

■[主張]日経社説「昭和天皇の思いを大事にしたい」は正しい論法なのか? より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060721/1153453225

 ・・・

 しかしながら、朝日新聞は翌日22日の社説でさらに危うい論説を展開していきます。

日経に火炎瓶 言論への暴力を許すな

 日本経済新聞の東京本社で、バイクに乗った男が火炎瓶を通用口に投げ込み、走り去った。ワインの瓶は破裂したが、火はつかなかった。

 未明の犯行だが、新聞社は人の出入りが絶えない。燃え上がっていれば、けが人が出たことも考えられる。軽く見ることはできない。

 いったい何のために投げ込んだのか。犯行声明は出ておらず、動機は定かではない。だが、思いあたることはある。

 日経新聞は、A級戦犯靖国神社への合祀(ごうし)をめぐる昭和天皇の発言をスクープした。昭和天皇は合祀に不快感を示して参拝を中止した、という元宮内庁長官のメモを手に入れたのだ。現代史の謎に光を照らす見事な報道であり、各紙はそれを追って報じた。

 犯行は日経新聞が報じた翌日だ。警視庁も報道との関連を捜査している。

 報道が気に入らないから、火炎瓶を投げ込んで脅す。そうだとすれば、言論への暴力にほかならない。

(後略)

http://www.asahi.com/paper/editorial20060722.html

 「日経新聞は、A級戦犯靖国神社への合祀(ごうし)をめぐる昭和天皇の発言をスクープした」とし、「報道が気に入らないから、火炎瓶を投げ込んで脅す。そうだとすれば、言論への暴力にほかならない。」とこの段階では根拠のない仮定の推測に基づく主張を展開します。

 「言論への暴力」は断固否定すべきな事はもちろんですが、この段階では「いったい何のために投げ込んだのか。犯行声明は出ておらず、動機は定かではない」わけで、わざわざ社説に取り上げて「言論への暴力」と決め付けて批判するのはいかがなものでしょうか。

 「犯行声明は出ておらず、動機は定かではない」段階で、「日経に火炎瓶 言論への暴力を許すな」との断定的な社説を掲げた大新聞は朝日新聞だけです。

 被害者の日経ですら社説には掲載していません。

 ・・・

 それにしても朝日の一連の社説の恣意的論調はどうでしょう。

 まず21日に、他紙と共に昭和天皇側近メモを取り上げて「A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉」とメディアスクラム小泉首相靖国参拝批判を展開します。

 翌22日には「現代史の謎に光を照らす見事な報道」に対し「言論への暴力」がなされたと断定し、「日経に火炎瓶 言論への暴力を許すな」とただ一紙だけ社説にまで取り上げて事態を煽ります。

 そして今日のこの社説「靖国参拝 総裁候補は考えを語れ」です。

 さんざん昭和天皇の側近メモを煽るだけ煽り利用するだけ利用して、世論を靖国参拝反対に誘導してきて、そして世論調査で好ましい結果が出たとなったら、「靖国参拝 総裁候補は考えを語れ」とは、あきれてしまいます。



●「衆愚」を創り「衆愚」に踊る朝日社説

国語辞典

しゅうぐ【衆愚】

多くのおろかな人。
「―に媚(こ)びる/社会百面相(魯庵)」

三省堂提供「大辞林 第二版」より
http://dictionary.msn.co.jp/result.aspx?j=%e5%9b%bd%e8%aa%9e&keyword=%e8%a1%86%e6%84%9a&startcount=0&matchtype=startwith¤titem=09370500

 時代時代に幾つかの問題はありましたでしょうが、まがりなりにも戦後60年もの長きに渡り、他国においても自国においても血を流さず一度も国際戦争に巻き込まれず平和主義を貫いてきたこと、どこの国にもましてODAなどの国際援助に貢献し、世界に類例無き経済繁栄を達成したこと、私は日本の戦後の歩みを高く評価しております。

 したがって、私は各種選挙を通じて示されてきた戦後日本の民意を基本的には全面的に肯定評価しており、日本の民意を信じている者の一人です。

 しかしながら今回のような意図的な短期集中のメディアスクラムに逢うと、情報の乏しい「民意」はその瞬間大きく影響を受けることも事実であります。

 今回のようにメディアの報道により民意は大きくぶれることもあります。

 人によっては「衆愚」と表現します。

 ・・・

 今日の朝日社説は自らの偏った報道により演出した「衆愚」を利用し、さらに偏った主張を展開しています。

 「衆愚」を創り「衆愚」に踊る朝日社説なのです。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
■[主張]日経社説「昭和天皇の思いを大事にしたい」は正しい論法なのか?
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060721/1153453225