ネット特性をフル活用した朝日新聞のホメオパシー報道
ことの発端となった7月9日付け読売新聞のスクープ記事から。
「ビタミンK与えず、自然療法の錠剤」乳児死亡で助産師を提訴…山口
山口市の助産師(43)が、出産を担当した同市の女児に、厚生労働省が指針で与えるよう促しているビタミンKを与えず、代わりに「自然治癒力を促す」という錠剤を与え、この女児は生後2か月で死亡していたことが分かった。
助産師は自然療法の普及に取り組む団体に所属しており、錠剤はこの団体が推奨するものだった。母親(33)は助産師を相手取り、約5640万円の損害賠償訴訟を山口地裁に起こした。
母親らによると、女児は昨年8月3日に自宅で生まれ、母乳のみで育てたが、生後約1か月頃に嘔吐(おうと)し、山口県宇部市の病院でビタミンK欠乏性出血症と診断され、10月16日に呼吸不全で死亡した。
新生児や乳児は血液凝固を補助するビタミンKを十分生成できないことがあるため、厚労省は出生直後と生後1週間、同1か月の計3回、ビタミンKを経口投与するよう指針で促し、特に母乳で育てる場合は発症の危険が高いため投与は必須としている。
しかし、母親によると、助産師は最初の2回、ビタミンKを投与せずに錠剤を与え、母親にこれを伝えていなかった。3回目の時に「ビタミンKの代わりに(錠剤を)飲ませる」と説明したという。
助産師が所属する団体は「自らの力で治癒に導く自然療法」をうたい、錠剤について「植物や鉱物などを希釈した液体を小さな砂糖の玉にしみこませたもの。適合すれば自然治癒力が揺り動かされ、体が良い方向へと向かう」と説明している。日本助産師会(東京)によると、助産師はビタミンKを投与しなかったことを認めているという。助産師は読売新聞の取材に対し、「今回のことは何も話せない。今は助産師の活動を自粛している」としている。
ビタミンK欠乏性出血症 血液凝固因子をつくるビタミンKが不足して頭蓋(ずがい)内や消化管に出血を起こす病気。母乳はビタミンKの含有量が少ない場合がある。
(2010年7月9日 読売新聞)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=27819
この最初のスクープ記事には記されていませんが、助産師が飲ませた錠剤とはレメディと呼ばれるホメオパシーで使う様々な成分をその分子が検出できないほど水で希釈して砂糖玉にしみ込ませたものであります。
元の成分が分子レベルでまったく存在しないほど薄めてありますので、この砂糖玉(レメディ)自体は全く有害ではないですが、この件で問題視されているのは、ビタミンKを投与せずにレメディを与えてしまった行為そのものにあります、現代医療を受けていれば助かった可能性が高い命が救えなかったことにあります。
ホメオパシーとは何かは15日付け毎日新聞がわかりやすく説明してますのでご紹介。
質問なるほドリ:ホメオパシー療法って?=回答・小島正美
<NEWS NAVIGATOR>
◆ホメオパシー療法って?
◇病気と似た症状作り治療 自然治癒力利用、効果に疑問も
なるほドリ 山口県で昨年10月、ビタミンK欠乏性出血症で2カ月の赤ちゃんが死亡して、裁判になったらしいね。記者 助産師がホメオパシー療法として、ビタミンKの代わりに特殊な錠剤を投与、母親が提訴しました。
Q ホメオパシーって?
A ドイツのハーネマンという医師が18世紀末、生み出しました。病気と似た症状を引き起こす物質を服用して病気を治すとされる療法です。例えば熱が出た時は、顔が赤くなって熱が出たかのような症状を起こす植物のベラドンナを活用します。体は熱が来たと判断し、自然治癒力で熱を下げようとします。
Q 症状を起こす物質って?
A レメディーと呼ばれる錠剤です。原料はトリカブトなどの植物、ハチなどの動物、鉱物など数千種類あります。その物質を何回もかくはんして水などで薄めたものを服用します。元の物質が検出できないほど薄まっていますが、実践する人たちは「水がその物質を記憶しており効果がある」と主張しています。
Q 本当に効果あるの?
A そこが議論になります。現代医学では、「元の物質がほとんど残っていないのに、水が記憶するというのは荒唐無稽(むけい)な主張で科学的な根拠はない」(唐木英明・東大名誉教授)や「鍵となる概念の多くが現代科学の常識とかけ離れている」(杉森裕樹・大東文化大大学院教授)という意見が大半です。
Q 各国で行われているの。
A ドイツ、英国、フランス、米国、インドなどで盛んです。英国ではホメオパシーの病院もあり、公的な健康保険の対象にもなっています。ただ、05年に英医学誌ランセットに「ホメオパシーの効果は偽薬の効果と同じ」との論文が出るなど、有効性について議論になっています。国内では複数のグループがありますが、健康保険の対象にはなっていません。
一方、民主党は、西洋医学に代替療法を取り入れた「統合医療」の推進を政策に掲げており、厚生労働省は今年2月、プロジェクトチームを発足させ、効果や安全性の検討を始めました。
Q 亡くなった乳児はかわいそうだね……。
A 厚労省研究班は新生児にビタミンKを投与するよう指針を出しています。裁判では患者が有効な治療を受けたかどうかが争点になると思われます。国が、代替療法の科学的根拠の有無を情報発信する必要があるでしょう。(生活報道部)
http://mainichi.jp/select/wadai/naruhodori/news/20100815ddm003070102000c.html
問題は「元の物質が検出できないほど薄まっていますが、実践する人たちは「水がその物質を記憶しており効果がある」と主張してい」るとの説明で、現代科学では解明できてはいませんが水には謎の作用があって記憶力があるのだとの主張です、「鍵となる概念の多くが現代科学の常識とかけ離れている」(杉森裕樹・大東文化大大学院教授)という当然の批判を浴びています。
読売記事に戻りますが、この助産師は日本ホメオパシー医学協会(由井寅子会長)の資格者でありました。
ここから朝日新聞の長野剛記者と岡崎明子記者が「ホメオパシー療法」関連記事を展開していきます。
7月31日付け紙面記事から時系列に。
問われる真偽 ホメオパシー療法
2010年7月31日付 朝日新聞東京本社朝刊beから
気が遠くなるほど薄めた「毒」を飲むことで病気を治す、という欧州生まれの代替医療ホメオパシーが「害のない自然な療法」と日本でも女性層を中心に人気が高まりつつある。だが、この療法が公的医療の一角を占める英国は今年、議会委員会がその効果を全面否定、公的医療から外すよう政府に勧告した。日本でも裁判が起こされるなど、その効果を巡ってホメオパシーは批判対象にもなってきている。(長野剛)
(後略)
日本ホメオパシー医学協会会長の由井寅子氏にも取材した上での実に丁寧な記事であり、特に問題なのはホメオパシーの「好転反応」という概念にあるとの医師の見解を記しています。
6月には都内の医師のブログに「悲劇を繰り返さないため何かできないものでしょうか」と訴える書き込みがあった。血液のがんの悪性リンパ腫で友人を失ったという人物の書き込みで、友人はホメオパシーでがんを治そうと通常の治療を拒否。結果、病院に運び込まれた時には、すでに手遅れになっていたという。
このブログを開設する大塚北口診療所の梅沢充医師は「自分が実際に診た人のなかにも、ホメオパシーに頼った結果、手遅れになったがん患者がいる」と証言する。
梅沢さんは患者を病院から遠ざける一因に「好転反応」という用語を挙げる。
好転反応について、ホメオパシー医学協会の由井さんは「症状は有り難い」との持論で説明する。ホメオパシー治療では、病気の症状がかえって激しく出ることがあるが、それは治療で自己治癒力が向上したことの証しの「好転反応」で、有り難いことなのだ、という理論だ。こんな極論を信じた結果、患者は症状が悪化しても「良くなっている」と思いこみ、病院に行くのを拒否する、というのが梅沢さんの指摘だ。
つまりホメオパシーを信じてしまい「患者は症状が悪化しても「良くなっている」と思いこみ、病院に行くのを拒否する」事例が発生しているというのです。
いずれにせよホメオパシーについてここまで正面からその問題点を取り上げた新聞は朝日が始めてであり、この段階でも広く国民に問題提起した点でこの記事は高く評価できると思います。
とても興味深いのは、この記事掲載の後の展開です。
記事を起こした長野剛・岡崎明子両記者は、インターネット上ブログで記事の補足説明とともにコメント欄を通じて読者とコミニュケーションを取り始めます。
記者ブログ 「ホメオパシー療法 信じる前に疑いを」(長野剛)(2010/8/3)
https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/kNKQFuNbTK
記者ブログ 第2弾 続「ホメオパシー療法 信じる前に疑いを」(長野剛)(2010/8/5)
https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/glgeK5yOwd
記者ブログ 第3弾 続々「ホメオパシー療法 信じる前に疑いを」(長野剛)(2010/8/8)
https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/dqPcHZmbez
記者ブログ 第4弾 「赤ちゃんは治療法を選べない」(岡崎明子)(2010/8/12)
https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/eBGRLUZdf7
最初のエントリーで長野剛記者は今回の記事を起こした動機を述べた上で、読者に対して具体的な「被害例」の情報収集を呼びかけます。
私がホメオパシーの記事を書こうと思ったのはかなり昔です。近所のお母さんで、お子さんの食物アレルギーをホメオパシーで治そうとしていた方がいたのです。「アナフィラキシーが起こってもホメオパシーで治すの? 死ぬんじゃないか?」と思いました。
具体的な「被害」の例がつかめず、なかなか書けなかったのですが、「be」の流行紹介のコーナー(be report)で書くという手を思いつき、6月中旬に着手した次第です。
ただ、もっと具体的な「被害例」を集め、ホメオパシー治療の実際について、もっと世間に発信したいと思っています。「治る」と信じた結果、かえって通常医療を受ける機会を逸してしまったような方は、いらっしゃいませんか? ぜひ、お話をお伺いしたいと思います。お心当たりのある方はぜひ、アピタル編集部(apital&asahi.com)=&を@に変えてください=までご連絡ください。よろしくお願いいたします。
また、記事に対する通常のブログコメントもどうぞ。
ブログのコメント欄にはたくさんの情報がもたらされます、ネットで収集したそれらの情報を長野剛記者らは紙面記事に生かし始めます。
例えば2回目のブログで長野記者は情報提供者に謝辞を述べています。
○ 我楽者さま
海外の情報提供、ありがとうございます。同僚が本日、社会面に書いた記事の中でデータを使っています。
当該紙面記事はこちら。
「ホメオパシー」トラブルも 日本助産師会が実態調査(2010/8/5)
http://www.asahi.com/health/news/TKY201008040482.html
記者がいう「海外の情報提供」とは、当該記事の以下の豪州情報を指していると思われます。
〈ホメオパシー〉 約200年前にドイツで生まれた療法。「症状を起こす毒」として昆虫や植物、鉱物などを溶かして水で薄め、激しく振る作業を繰り返したものを、砂糖玉にしみこませて飲む。この玉を「レメディー」と呼んでいる。100倍に薄めることを30回繰り返すなど、分子レベルで見ると元の成分はほぼ残っていない。推進団体は、この砂糖玉を飲めば、有効成分の「記憶」が症状を引き出し、自然治癒力を高めると説明している。がんやうつ病、アトピー性皮膚炎などに効くとうたう団体もある。一方で、科学的な根拠を否定する報告も相次いでいる。豪州では、重い皮膚病の娘をレメディーのみの治療で死なせたとして親が有罪となった例や、大腸がんの女性が標準的な治療を拒否して亡くなった例などが報道されている。
このようにネットを利用して新聞記者が具体的被害例や関連情報を広く読者に求め、その情報をほぼリアルタイムに紙面記事に利用するという手法には、私は目を見張りました、ある意味画期的でした。
こうして長野記者らはブログを更新しながら読者との会話を深めつつ紙面記事を起こし続けます。
5600万円の賠償求める 山口地裁 ホメオパシー絡みトラブル(2010/8/5)
http://www.asahi.com/health/feature/homeopathy01.html
「ホメオパシー」トラブルも 日本助産師会が実態調査(2010/8/5)
http://www.asahi.com/health/news/TKY201008040482.html
ビタミンK2投与を 周産期・新生児医学会が緊急声明(2010/8/6)
http://www.asahi.com/health/news/TKY201008060083.html
代替療法ホメオパシー利用者、複数死亡例 通常医療拒む(2010/8/11)
http://www.asahi.com/health/news/TKY201008100476.html
特に11日付け記事はネットでの情報収集情報も踏まえた具体的被害例の集大成的な記事になっております。
・・・
補足ですが、もうひとつ興味深いネットならではの事象として、この一連の朝日新聞の記事に対して、日本ホメオパシー医学協会(由井寅子会長)が、ウェブサイト上で執拗に反論と朝日新聞批判を行っていることです。
まず8月5日に朝日記事「「ホメオパシー」トラブルも 日本助産師会が実態調査(2010/8/5)」への批判。
朝日新聞等のマスコミによるホメオパシー一連の報道について その1
http://jphma.org/About_homoe/jphmh_oshirase0805.html
で8月11日には朝日記事「問われる真偽 ホメオパシー療法」への批判。
2010年7月31日付 朝日新聞東京本社朝刊Be report取材における
朝日新聞東京本社 科学医療グループ長野剛記者の取材方法と報道の公平さに関する問題点について
http://jphma.org/About_homoe/jphmh_be_report_20100811.html
で8月13日には朝日記事「代替療法ホメオパシー利用者、複数死亡例 通常医療拒む」への批判。
「ホメオパシー利用者 複数死亡例 通常の医療行為を拒否」
(8月11日付朝日新聞朝刊 社会面掲載
担当 朝日新聞東京本社 科学医療グループ 長野剛記者と同医療グループ 岡崎明子記者)
http://jphma.org/About_homoe/jphmh_answer_20100813.html
17日には日本ホメオパシー医学協会は朝日記者との取材時のメールのやり取りまで公開いたします。
朝日新聞社 科学医療グループ 長野 剛記者と日本ホメオパシー医学協会とのやりとり
http://jphma.org/About_homoe/jphmh_answer_20100817.html
この日本ホメオパシー振興会の反論に対しても朝日新聞側はネット上でリンクを示し紹介しています。
《アピタル編集部から》
前回の「こちらアピタルです。」のエントリーに、日本ホメオパシー振興会の永松昌泰さまからコメントをいただきました。個人ブログへのリンクもある同振興会のウェブサイトで「議論を尽くしていきたい」と表明されています。
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・・・
一連の朝日新聞のホメオパシー報道には目を見張るモノがあります。
紙面記事を起こし、それに対して記事のフォローをネットを通して読者に説明、あわせてコメント欄等を通じて読者の意見と情報を収集し、それを次の記事に生かす。
紙面ではぜったい不可能な媒体としてのネットの特性、リアルタイムな双方向のインタラクティブ(会話)可能なネットの性質を利用しているわけです。
これは旧来の紙媒体主体の新聞メディアにとって新たなフロンティアを開拓できる機会となる可能性を秘めています。
ネット特性をフル活用した新しい報道スタイルの誕生となるかも知れません。
(木走まさみず)