靖国参拝報道で一番の問題は日本のメディアのマッチポンプ体質かも
今日18日の新聞各社報道は昨日の首相靖国参拝記事で、それこそ社説からコラムまで一色に染まっております。
首相靖国参拝問題をまともに議論するのは別エントリーで展開するとして、今日はこの問題をいい教材として日本の大新聞の社説からコラムまで徹底的にメディアリテラシーしてみましょう。
●首相靖国参拝で各紙社説が揃い踏み
予想通り今朝(18日)の新聞各紙の社説は首相靖国参拝で揃い踏みであります。
【朝日新聞社説】
靖国参拝 負の遺産が残った
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【読売新聞社説】
[首相靖国参拝]「もっと丁寧に内外に説明を」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20051017ig90.htm
【毎日新聞社説】
靖国参拝 中韓の反発が国益なのか
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20051018k0000m070141000c.html
【産経新聞社説】
首相靖国参拝 例大祭にしたのは適切だ
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm
【日本経済新聞社説】
これが「適切に判断」した結果なのか
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20051017MS3M1700317102005.html
うん、社説タイトルからしてもう各紙のスタンスが読めてしまいますね(苦笑
昨日も触れましたが、日本の5大紙においては朝日・読売・毎日・日経が参拝反対であり、産経のみが参拝支持なのでありますが、まあ、今日の各紙社説もその意味では「想定内」の内容であります。
各紙社説を簡単にリテラシーしておきましょう。
以前にも当ブログで触れましたが、社説のような限られた字数の中で主張する文章では、その結語にもっとも訴えたい文を据えるのが普通であります。
さっそく各紙の社説の結語だけ並べてみましょう。
【朝日新聞社説の結語】
首相が参拝の方針を貫いたことで、日本は何を得たのだろうか。首相はあと1年で退任するそうだが、後に大きな負の遺産が残されたのは間違いない。
【読売新聞社説の結語】
今後どのような形で政府として戦没者を追悼して行くのか。首相は体系立ててきちんと説明する責任があるのではないだろうか。
【毎日新聞社説の結語】
首相の靖国参拝のたびに隣国から大きな反発を浴び、外交当局が右往左往する。首相は停滞したアジア外交を立て直す責任をどう果たすのか。
【産経新聞社説の結語】
来年、小泉首相の後継者として、誰が次期首相に選ばれても、靖国参拝を継承してもらいたい。
【日経新聞社説の結語】
11月にはAPEC首脳会議、12月には東アジアサミットが予定されるなど、アジア外交はこれからヤマ場を迎える。靖国参拝の外交ダメージを最小限に食い止めることが首相のせめてもの責任である。
おもしろいですねえ。
結語を並べるだけでも各紙のスタンスが顕著に理解できて興味深いです。
まず当初から強硬に靖国参拝に反対している朝日・毎日と、最近反対に寝返った読売が結語に疑問文をぶつけてきました。
日本は何を得たのだろうか。(朝日)
説明する責任があるのではないだろうか。(読売)
アジア外交を立て直す責任をどう果たすのか(毎日)
これらの疑問文で結ぶ文章とは弱い抗議の意味を持ちます。一般に強い抗議を表現するのは言い切り型の文を用意します。
例えば「XXは悪いことである。」は強い抗議であり「XXは悪いコトじゃないのか?」と疑問文にすることで少し抗議の意志を弱める効果がありますよね。
前述の3紙はつまり首相に対しそれぞれの論点で抗議の意志をしめしているのですが、3紙の中で朝日の社説だけは、疑問文の後に強い抗議文、言い切り型の文で結んでいます。
後に大きな負の遺産が残されたのは間違いない。(朝日)
朝日のこの問題に対する強い批判の意が露出している結語といえるでしょう。
一方、財界よりの日経はこの問題では弱い反対派であり、その論調は日本経済にマイナスに働くようなマネはなるべくしないでほしいと言うことです。
したがって、結語も
靖国参拝の外交ダメージを最小限に食い止めることが首相のせめてもの責任である。(日経)
このように「外交ダメージを最小限に食い止める」ことを首相に要求する文になっているわけですね。
で、「孤軍奮闘」靖国支持派の産経の結語ですが、
誰が次期首相に選ばれても、靖国参拝を継承してもらいたい。(産経)
これはもう「期待」というか「願望」に近いのでありますね。
えーっと、解説不要でありましょう(苦笑
●一面コラムをリテラシーすると各社の思いはより浮き彫りになる
メディア各社の社説をリテラシーしても各社の主張の深層と言いますか本音の部分がなかなか見えてこない場合、一面コラムを参照すると社説には載せられない本音部分がかいま見れて興味深いことが多いのです。
つまり、社説では建前上きれい事でまとめざるを得ないがメディアとしての本音ではこんな意見も持っているんだというメッセージがコラムから読みとれることがあるのです。
コラムに本音が書かれることがおおいことは、実は各紙の社説担当の編集委員クラスOBがそのまま名物コラムを担当することが多いわけである意味当然のことなのでしょう。
新聞各社には朝日の【天声人語】をはじめ一面に名物コラム欄があります。
朝日新聞:【天声人語】
http://www.asahi.com/paper/column.html
読売新聞:【編集手帳】
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20051017ig15.htm
毎日新聞:【余録】
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/yoroku/
産経新聞:【産経抄】
http://www.sankei.co.jp/news/column.htm
日経新聞:【春秋】
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20051017MS3M1700217102005.html
今日の(18日)各紙コラムなのですが、やはり首相靖国参拝問題で揃い踏みでありまして、もうおいおい他に扱うネタないのかなと、私など呆れてしまうのでありますが、もうこの際ついでですからコラム欄も検証してしまいましょう(苦笑)
●コラムにはコラムの文章構成上の「しきたり」がある
各紙を検証する前に、各新聞の名物コラムの文章には、実は共通の「しきたり」があるので、今日の【天声人語】を例に解析しておきましょうか。
昨日、「小泉首相が秋の例大祭の靖国神社に参拝する」という速報を聞いた時、以前のような紋付きはかま姿の首相を想像した。実際には背広姿だった。一瞬肩すかしをされたような気がした。
「内閣総理大臣 小泉純一郎」といった記帳はせず、本殿に上がることもなく、ポケットからさい銭を出し、礼をした。過去のような参拝は「公務」とした違憲判決を意識したのかも知れないが、すぐに疑問がわいた。
装いは軽くても、現役の首相の参拝には違いない。水に隠れるのを水遁(すいとん)の術、火を使って姿を隠すのを火遁の術などというが、昨日のやり方は、いでたち、装いに隠れる「装遁の術」のようだった。
作家の安岡章太郎さんの通っていた中学は、九段の靖国神社のとなりにあった。春と秋の神社の祭りでは、境内に大小様々の天幕が並び、サーカス団もやってきた。
テントのかげに、肋骨(ろっこつ)がすけて見えるほどの老馬がつながれていた。いたいたしく見えた馬だが、いったん舞台に出ると見違えるようにいきいきとして、長年鍛え抜かれた巧みな曲芸を見せた(「サアカスの馬」『安岡章太郎集』岩波書店)。
ひきくらべるわけではないが、昨日の首相に、制御のきかない暴走を連想してしまった。これまで「小泉劇場」の「小泉マジック」は、多くの人を引きつけてきた。それはそれで、首相独特の手法なのかもしれない。しかし、司法の違憲の判断をも軽くみているような姿に、「小泉サーカス」の危うさが際だって見える。かたくなな「信念」の行きつく先が心配だ。
うーん、「装遁の術」とか「小泉サーカス」とか、社説ではとても扱えない過激な言葉が使われているのですが(苦笑)、それはさておき、各新聞コラム共通の「しきたり」とは、「蘊蓄(うんちく)の披露」と「権威(けんい)の利用」であります。
新聞一面コラムには本記事や社説にはない使命として「読者に息抜きを与える」ことが必要です。
そこでコラムでは時事性とは関係ない【故事】や【文学】や【科学】などの何らかの「権威」あるモノ(人、作品、理論、時に、学会・博物館など)を引用する形がとられます。で、そこから読者が知らないであろう蘊蓄(うんちく)を披露して、読者を感心させつつ、その引用したモノの権威を利用して自説を展開していくのです。
この天声人語でも、作家の安岡章太郎さんとその作品「サアカスの馬」が、「蘊蓄(うんちく)の披露」と「権威(けんい)の利用」に見事に使われていますね。
このコラムの「しきたり」を頭に置いて各紙コラムを再読すると興味深いことに、他紙でもいかんなく守られていることが理解できます。
ちなみに、読売【編集手帳】では夏目漱石の「草枕」、毎日【余録】では兼好法師の「徒然草」の第百九十二段、産経【産経抄】では「日本新聞博物館」、日経【春秋】では九州太宰府に出来た国立博物館が、ときにあまり文脈に関係なく引用されています。
●やはり朝日と産経が両極だが、それにしても・・・
さて、各紙のコラムを分析してみましょう
全文引用しても無駄なのでやはり結語だけ列挙してみます。
朝日新聞:【天声人語】
ひきくらべるわけではないが、昨日の首相に、制御のきかない暴走を連想してしまった。これまで「小泉劇場」の「小泉マジック」は、多くの人を引きつけてきた。それはそれで、首相独特の手法なのかもしれない。しかし、司法の違憲の判断をも軽くみているような姿に、「小泉サーカス」の危うさが際だって見える。かたくなな「信念」の行きつく先が心配だ。
読売新聞:【編集手帳】
◆それでも反発する人はするのだが、中国や韓国の指導者にはぜひ、首相の気遣いにも思案を巡らせてほしいものである。紅葉の美しい秋、登りながら考える山路はあちらにもあるだろう。
毎日新聞:【余録】
▲大切にしたい信心は誰にもあるし、中国や韓国の人にもあろう。お互いぶつかり合えば容易に妥協点の見つからぬ問題を政治の争点にしない知恵、政治的に利用しない賢慮は、日本だけではない現代のすべての国のリーダーに必要な条件だ。
産経新聞:【産経抄】
▼もっとも、いいことばかりで「新聞批判」がないきらいもある。捏造についてはもちろん、国のために犠牲になった人々の霊にお参りする指導者として当然の行為について、隣国を巻き込んで大騒ぎするおかしな風潮が、検証される日が来るのだろうか。
日経新聞:【春秋】
▼「戦没者に哀悼の誠を捧(ささ)げ、二度と戦争を起こさない決意の表れ」という首相の思いを疑う日本人はおそらく少ない。だが形式はどうあれ、矛盾を抱えた「靖国」への参拝が繰り返されるたびに日本の負のメッセージとして近隣諸国に広がり続ける。外交シンボルとしての「靖国」の再考は小泉劇場の宿題である。
これはおもしろいですね。
各紙の社説での主張とこのコラムの結語を、仮に各新聞の「建前」と「本音」と位置付けて分析してみると、各メディアのスタンスがより鮮明になります。
朝日ですが社説(建前)では「後に大きな負の遺産が残されたのは間違いない」と強烈に批判していますが、コラム(本音)でも「「小泉サーカス」の危うさが際だって見える。かたくなな「信念」の行きつく先が心配だ。」と、もう小泉首相の参拝を「小泉サーカス」呼ばわりして指弾していますね。
読売ですが社説(建前)では「首相は体系立ててきちんと説明する責任があるのではないだろうか。」と弱い批判をしていますが、コラム(本音)では「中国や韓国の指導者にはぜひ、首相の気遣いにも思案を巡らせてほしいものである。」と、首相も気遣いしてるのだから中国や韓国も理解してほしいと訴えています。
毎日ですが社説(建前)では「首相は停滞したアジア外交を立て直す責任をどう果たすのか。」と弱い批判を展開していますが、コラム(本音)ではやはり読売同様「お互いぶつかり合えば容易に妥協点の見つからぬ問題を政治の争点にしない知恵、政治的に利用しない賢慮は、日本だけではない現代のすべての国のリーダーに必要な条件だ。」と、中国韓国側の理解も求めています。
おもしろいのは唯一参拝支持の産経でして、社説(建前)では「来年、小泉首相の後継者として、誰が次期首相に選ばれても、靖国参拝を継承してもらいたい。」と参拝評価だけでなく今後も継続して参拝していってほしいと願望をぶつけていますが、コラム(本音)では「国のために犠牲になった人々の霊にお参りする指導者として当然の行為について、隣国を巻き込んで大騒ぎするおかしな風潮」と、煽ってばかりの朝日新聞を「おかしな風潮」を振りまいていると批判しています。
最後に日経ですが社説(建前)では「靖国参拝の外交ダメージを最小限に食い止めることが首相のせめてもの責任である。」と首相に注文を付けていますが、コラム(本音)では「外交シンボルとしての「靖国」の再考は小泉劇場の宿題である。 」と、少し踏み込んだ表現で「再考」してほしいといっています。
どうでしょう。
社説とコラムを両方分析することで各社のスタンスがより詳細に理解できるわけであります。
●靖国参拝報道で一番の問題は日本のマスメディアのマッチポンプ体質かも
しかし、こうして日本の新聞を今日の靖国参拝報道を題材に社説からコラムまでリテラシーしてまいりましたが、やはり主張の両極を成す朝日と産経の一途さは、ちょっとたじたじなのであります(苦笑
ただ、私にはより本質的な問題がここで提起されていると思うのですが、全国紙全ての社説とコラムまで同じ話題で独占されているこの報道の偏向性は、議論されてよい日本メディアの体質の問題と考えて良いのではないでしょうか。
「首相の靖国参拝問題は決して軽視できない問題であるから各紙の紙面を埋めるのは当然である」という意見もありましょう。
しかし、かたやこのような日本のマスメディアの蜂の巣をつついたような大騒ぎな大げさな報道自体がこの問題を必要以上に加熱させている側面もあるのではないでしょうか?
「国民の関心があるからメディアは大きく取り上げる」のも真実ですが、「メディアが大きく取り上げるから国民の関心が高まる」のも事実なのであります。
賛成派にしろ反対派にしろ、マスメディア自体がマッチポンプとして「火に油」を注いでいるとしたら、これは悲しいことです。
靖国参拝報道で一番の問題は必要以上に大騒ぎする日本のマスメディアのマッチポンプ体質なのかも知れません。
(木走まさみず)
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