木走日記

場末の時事評論

「貧乏だけどウヨな若者」とか「金持ちだけどサヨな老人」とか

 所得と年齢とイデオロギーの組み合わせを考えてみた場合、日本人を8通りに分けてみましょう。

 すなわち 所得で「貧乏」「金持ち」
      年齢で「若者」「老人」
      イデオロギーでは「保守」「リベラル」とすべて二分して分けて考えてみるのです。

 私のようにイデオロギー的には「中庸」を目指しているとか、気持ちでは若いつもりだがすっかりお腹はメタボしちゃっているとか、「貧乏」だとは自覚していないが生活費に事欠いているとか、いろいろな意見はあるでしょうが小さいことは気にせずカテゴリーしちゃいます(苦笑

 そうすると次の8通りの組み合わせのいずれかにあなたは当てはまるはずです。

「金持ち」「若者」「保守」
「金持ち」「若者」「リベラル」
「金持ち」「老人」「保守」
「金持ち」「老人」「リベラル」
「貧乏」「若者」「保守」
「貧乏」「若者」「リベラル」
「貧乏」「老人」「保守」
「貧乏」「老人」「リベラル」

 これね、例えば所得で「中流」、年齢で「中年」、イデオロギーで「中庸・無党派」という中間を入れてしまうと一気に27通りに組み合わせが増えてしまいます。

「金持ち」「若者」「保守」
「金持ち」「若者」「中庸・無党派
「金持ち」「若者」「リベラル」
「金持ち」「中年」「中庸・無党派
「金持ち」「中年」「保守」
「金持ち」「中年」「リベラル」
「金持ち」「老人」「中庸・無党派
「金持ち」「老人」「保守」
「金持ち」「老人」「リベラル」
中流」「若者」「保守」
中流」「若者」「中庸・無党派
中流」「若者」「リベラル」
中流」「中年」「中庸・無党派
中流」「中年」「保守」
中流」「中年」「リベラル」
中流」「老人」「中庸・無党派
中流」「老人」「保守」
中流」「老人」「リベラル」
「貧乏」「若者」「保守」
「貧乏」「若者」「中庸・無党派
「貧乏」「若者」「リベラル」
「貧乏」「中年」「中庸・無党派
「貧乏」「中年」「保守」
「貧乏」「中年」「リベラル」
「貧乏」「老人」「中庸・無党派
「貧乏」「老人」「保守」
「貧乏」「老人」「リベラル」

 さあ、あなたはどこに属されましょう。

 所得で何万円以上が金持ちなのかとか年齢で何歳以上が老人なのかとか、あんまり細かくこだわらなくて良いのでありますよ、あくまでも主観でご自身をカテゴライズしていただいてかまわないのであります。

 で、何がしたいか、言いたいかというと、いったい今の日本人のモードとしてどのカテゴリーが多数派を形成しつつあるのかという興味深いテーマを考えてみたいのであります。

 なんか、「金持ち」「老人」「リベラル」派とか、「貧乏」「若者」「保守」派とか、本来なら例外的少数派だと思われていた層が一つのモードとしてその人数が増えている傾向があるのじゃないのかと漠然と感じるからであります。

 ・・・

 考えてみれば55年体制下の頃の日本は単純でよかった。

 ある意味で左右とも冷戦下にそのイデオロギーをむき出しにして旗立てていた時代であり、労働者階級は左、資産階級は右、所得の分布とイデオロギーはある程度素直に相関していました。

 そりゃ当時だって資産家に生まれたインテリが左翼になったり変わり者はいましたが、まあ例外のようなもんでありました。

 そしてやがて高度経済成長を遂げ「一億総中流」の時代を経て「イデオロギー」と「所得」の相関は急速になくなっていきます、それは左翼勢力の後退の時期とも重なっています。

 そして、バブル崩壊ソ連崩壊と、いろいろな意味でそれまでの価値観が崩壊してしまい、この10年に至ります。

 ・・・

 どうも最近では、ネット上でネットウヨとかいうカテゴリーで発言する若者(実は彼らを若者と特定できる根拠は私にはないのですが、まあ40代オヤジの私よりはおそらくだいぶ平均年齢が低いのでありましょう)なんかが生まれてきているのであります。

 最近の非正規雇用とかニートな若者とか、統計で見ると若い世代の所得が伸び悩んでいることを考えると、どうも「貧乏」だけど「保守」という新しい層が形成されつつあるような感じなのであります。

 これは興味深い現象です。

 そういえば30年ほど昔にこんなような話を聞いたことがありました。

 一般に若者はカネも資産もない。
 カネの無い若者は大人が築いてきた体制を批判するモノである。
 したがって多くの若者はサヨク的思考に一度は染まるのは当然である。
 しかるにまだ若いのにウヨク志向なのは、その若者が批判すべき体制を自覚できない短絡的「思考」だからである。



 一方、一般に老人はカネも資産もある。
 カネの有る老人は自分の築いてきた体制を保守するモノである。
 したがって多くの老人はウヨク的思考に落ち着くのは当然である。
 しかるに歳を取ってもサヨク志向なのは、その老人が守るべき体制を残せなかった短絡的「人生」だからである。

 (あくまで素材ですから、この文章自体が「短絡的」な言い回しだと「短絡的」には批判しないようにね(苦笑))

 この言い回しは学生時代に私の先輩(今は某大学の教授)が酒を飲むとぶっていた話を私なりに格言風に整理してみたものであります。

 なかなか考えさせられるアイロニーなのであります。

 先輩は当時もっと過激な表現をしていたものです、曰く、「若い内からウヨなやつは頭がタラン馬鹿者だ、歳を取ってもサヨなやつは大馬鹿者だ」ってかんじだったかな(苦笑

 それはともかく最近では、イデオロギーと年齢や所得の関係はどうなっているのでしょうか。

 統計をとったわけではありませんが、ネットではそろそろリタイアされつつある経済的に余裕があるだろう「団塊の世代」の人にリベラル的傾向の発言が目立ち、若い人に保守的傾向発言が目立つという、上記先輩の格言は成り立たなくなってしまったような気もするのであります。

 つまり「貧乏だけどウヨな若者」とか「金持ちだけどサヨな老人」が誕生してきている気がするのです。

 もしこの駄文で推測している現象が事実であるとすれば、興味深いことですね。

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 ひとつのきっかけは中国や韓国の反日的動きが有るのかも知れません。

 2年前の中国の反日デモのとき、「反日無罪」を叫び日本大使館に投石したり暴動を起こした中国の若者達ですが、彼らは有る意味で中国当局の「愛国教育・反日教育」の申し子であったとも言われています。

 本来なら「体制」つまり中国政府に向くべき若者達の怒りが「日本」へと向けられたというわけです。

 最近の日本の「貧乏なウヨな人達」も、本来なら国内の体制への批判へ向かうべき怒りの矛先が嫌中・嫌韓へと転嫁されている面も有るのかも知れません。

 また、団塊の世代を中心にした「金持ちなサヨな人達」は、そんな若い人達の志向を苦々しく思い、郷愁も込めて親中派が多いのかも知れません。

 そういえばですが、プチリベラルのナショナリストと中途半端な立ち位置を自称する不肖・木走ですが、世代的にも「団塊の世代」からは一回り以上若いですし、20代の若者からはやはり一回り以上年寄りであるという中途半端な世代なのであります。

 ・・・

 どうも従来の古典的な労働者階級=低所得階層=(若年層)サヨ的、資産階級=高所得者層=(老年層)ウヨ的、といった単純なカテゴリー分けは、特にネット上で成り立たなくなってきている気がします。

 もちろん昔から少なからず「若いウヨ」も「サヨな老人」もいましたし、全てを単純にはくくれないのでしょうし、私の個人的感覚の話しなのではありますが・・・

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 「貧乏だけどウヨな若者」とか「金持ちだけどサヨな老人」とか。

 最近、従来の古典的なカテゴリー分けでは括れない層が特にネット上で生まれてきている気がしますです。



(木走まさみず)