慰安婦問題と靖国問題がリンクしかねない東京新聞スクープ報道
今日の産経新聞記事から。
靖国参拝で考えは変わらない 首相
安倍晋三首相は4日昼、11日から来日する中国の温家宝首相が日本の首相の靖国神社参拝について「二度とないよう希望する」とあらためて表明したことについて、「私の考えは今まで申し上げてきた通りだ。考えが変わることはない」と述べた。官邸で記者団の質問に答えた。首相は就任以来「国のために戦った方々に対する尊崇の念は持ち続けたい」とする一方、自身の参拝については「参拝自体が外交問題化する現実がある以上、参拝するかしないか申し上げない」と明言を避けている。
(2007/04/04 14:50)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070404/shs070404005.htm
靖国参拝に関しては「参拝自体が外交問題化する現実がある以上、参拝するかしないか申し上げない」という巧みな外交戦術でかわしている安倍首相であります。
小泉前首相の参拝強行路線によって悪化した主に対中国・韓国外交を改善すべく、就任早々電撃的に両国を訪問、リアリストとして対外政策を一気に打開する策に打って出た安倍首相でありますが、自身の靖国参拝に関しては、参拝否定の外国の圧力とそれを肯定してきた自身のこれまでの主張とあわせて現実的政策のぎりぎりの折衷案がこの「参拝するかしないか申し上げない」というファジーな言説なのでありましょう。
左右両方からときに批判される安倍氏のこの言説ですが、私はこれでよろしいと肯定的に評価しています。
はっきり「参拝する」と宣言しては、せっかく改善されてきた対東アジア日本外交が持ちません、行き詰ってた小泉外交の再現となります、逆にはっきり「参拝しない」と宣言しては、これまで安倍氏を支持してきた保守派層のシンパシーを逆なでしこの政権は持ちますまい、おそらく次の参院選において厳しい結果が出てしまうことでしょう。
私は安倍政権の内政政策には批判的ですが、最初の訪問国を中国・韓国にしたその外交戦術と判断は高く評価するものであり、これは保守派安倍氏でなければ実現できなかったろうと考えています。
例えば靖国参拝否定派の福田氏や谷垣氏がもし総理大臣になって最初に中国・韓国を訪問していたならば、保守派の論客たちからは、間違いなく「媚中派の朝貢外交」として売国行為と大批判を受けていたことでしょう。
私は保守派安倍氏が首相になったからこそ最初の訪問国を中国・韓国に設定できたのだと個人的には高く評価しているものであります。
しかしながら当ブログで何度か指摘させていただいたことですが、慰安婦問題に関する安倍首相の「広義の強制性はあったかもしれないが日本軍が直接関与した狭義の強制性はそれを示す資料はない」というわかり辛い主張は、これは外交戦術上、他国からいらぬ誤解を招いてしまうという点で、明らかにミスであったと私は判断しています。
そして今私の危惧するのはこれからの問題として、慰安婦問題と靖国問題がもし海外メディア上の論説においてリンクしてしまうとすると、これは安倍政権に取り看過できない事態となるであろうという嫌な予感であります。
そうなったならば国内のリベラル派は靖国参拝批判の勢いを増して、逆に保守派は排外的なナショナリズムへと一気に傾斜し、リアリスト安倍氏をもってしてもおさまりがつかないだろうことを危惧するのです。
●みなさんは、靖国神社にどれくらい神さまがいらっしゃるか、知っていますか?〜靖国神社公式ページ より
読者のみなさまには今更でしょうが、靖国神社公式ページよりその概要を今一度押さえておきましょう。
靖国神社概要
靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建された。
初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。
後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。■靖国神社御祭神戦役・事変別柱数■
明治維新 7,751 西南戦争 6,971 日清戦争 13,619 台湾征討 1,130 北清事変 1,256 日露戦争 88,429 第一次世界大戦 4,850 済南事変 185 満洲事変 17,176 支那事変 191,250 大東亜戦争 2,133,915 合計 2,466,532 (平成16年10月17日現在)
http://www.yasukuni.or.jp/annai/gaiyou.html
靖国神社でまつられている御霊は、「嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達」であり、その総数は246万柱(平成16年10月17日現在)になります。
すなわち本殿への合祀対象者は戦死・戦傷死・戦病死した軍人・軍属に限られているのです。
正確に付記すれば、軍の要請に基づいた戦闘に参加し、当該戦闘に基づく負傷又は疾病により死亡した満州開拓団員や沖縄戦における「ひめゆり部隊」、「白梅部隊」などの名をつけた県立第一高女、第二高女、首里高女など7校の女子生徒460人あまりも含まれています。
より正確を期すために靖国神社公式ページの説明を押さえておきましょう。
Q:神さまのことをもっとたくさん教えてください。
A:みなさんは、靖国神社にどれくらい神さまがいらっしゃるか、知っていますか? 答えは、なんと2,466,000余柱です。こんなにもたくさんの神さまが、お参りするみなさんの前におられます。神さま方のことをお話ししましょう。 靖国神社の神さまの中には、歴史の本やテレビドラマなどでみなさんもよく知っている橋本左内、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作など、江戸時代の終わり頃から明治時代のはじめにかけて国のために活躍した人たちをはじめ、明治・大正・昭和の戦争で戦死された多くの軍人が祀られています。 また、軍人ばかりでなく、女性の神さまが57,000余柱もいらっしゃいます。みなさんと同じくらいの少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています。 今から50年前に起きた大東亜戦争の時のことをお話ししましょう。沖縄にアメリカ軍が攻めてきた時、軍人と一緒に立ち向かった中学生たちがいます。ふるさと沖縄を守るため、沖縄師範学校や県立第一中学、第二中学など九校の男子生徒1,600人あまりが「鉄血勤皇隊」などの名をつけ、軍人と同じように戦いました。 また「ひめゆり部隊」、「白梅部隊」などの名をつけた県立第一高女、第二高女、首 里高女など7校の女子生徒460人あまりが看護婦として戦場で働き、また弾丸や食料を背負って戦場を走り回りました。そしてそのほとんどが戦死しました。今は靖国神社に祀られ、お鎮まり戴いております。 この沖縄から、鹿児島へ疎開(空襲のため引っ越しすること)するため対馬丸という輸送船で航行中、敵潜水艦の魚雷攻撃を受けて悲しい最後をとげた1500人の方々がいます。その中には、六百数十人の小学校児童もいたのです。 また、戦争のために勉強を休んで工場で懸命に生産に取り組んでいた時、空襲のため亡くなった、たくさんの男子・女子の学生がいます。 昭和20年8月20日のことでした。もう戦争が終わっていたのに突然攻めてきたソ連軍の行動を日本本土に通話し続け、敵の迫ってくる中で「みなさん、これが最後です。さようなら」の声を最後に全員、みずからの生命をたった樺太(今のサハリン)真岡の女子電話交換手さんたちがいらっしゃいます。 また、神さまの中には、敵の飛行機が日本の各地を空襲の最中、消火などの先頭に立って活躍中に倒れた方々。戦場でお母さん、お姉さんのようにしたわれた、赤十字のマークもりりしい従軍看護婦さん。南方の戦場に向かう途 中、軍の輸送船もろとも海底深く沈んだ船員さんたち。戦場で取材中、敵の弾に倒れた従軍報道班の新聞記者やカメラマンたち…こういう方々がすべて祖国日本のために生命をささげられた尊い神霊として、大切に祀られているのです。 また、大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます。さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”とせられ、無惨にも生命をたたれた千数十人の方々…靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています。 靖国神社は国民みんながお参りする神社です。これで、靖国神社には、どんな神さまが祀られているのか、おわかりいただけたことでしょう。 靖国神社の神さまは、日本の独立と平和が永遠に続くように、そしてご先祖さまが残してくれた日本のすばらしい伝統と歴史がいつまでもいつまでも続くように、と願って、戦いに尊い生命をささげてくださいました。 日本が今、平和で栄えているのは、靖国神社の神さまとなられた、こういう方々のおかげなのです。 この方々が戦争の時、ご自分の生命までささげて守ってくださった「私たちの日本」を、これからも大切にしていってください。 そして、みんなで靖国神社にお参りし、神さまに感謝の気持ちをささげ、立派な人となることを誓いましょう。白鳩たちも神社のお庭の上を飛びながら、みなさんがお参りにこられるのを楽しみにしています。
靖国神社公式ページ 靖国神社Q&A より抜粋
http://www.yasukuni.or.jp/annai/qanda.html
本殿への合祀対象者は原則として戦死・戦傷死・戦病死した軍人・軍属に限られているわけですが、「敵の飛行機が日本の各地を空襲の最中、消火などの先頭に立って活躍中に倒れた方々。戦場でお母さん、お姉さんのようにしたわれた、赤十字のマークもりりしい従軍看護婦さん。南方の戦場に向かう途 中、軍の輸送船もろとも海底深く沈んだ船員さんたち。戦場で取材中、敵の弾に倒れた従軍報道班の新聞記者やカメラマンたち…こういう方々がすべて祖国日本のために生命をささげられた尊い神霊として、大切に祀られている」わけで、日本軍に何らかの形で協力して殉死した者は軍人・軍属でなくとも例外的に祀られているのであります。
とはいえ、東京大空襲や沖縄戦、広島・長崎で命を失った一般国民の御霊や、あるいは戊辰戦争当時の会津藩の白虎隊や西南戦争で時の政府に反旗を翻した西郷隆盛など明治期における「賊軍」とみなされた者たちは、当然ですが靖国神社本殿には合祀されていません。
しかし靖国神社のじつにおおらかな精神が発露されているなと思うのは、靖国の本殿にはまつられない人をまつるための所を用意している点であります。
それは1965年に靖国神社の片すみに設けられた「鎮霊社」という小さな霊廟であります。
半年前の韓国・中央日報の皮肉まじりのコラムから・・・
【噴水台】 鎮霊社
日本のテレビでは時代劇の「上得意」の素材として白虎隊を除かすことができない。 1868年、明治維新の主体となった勢力、新政府軍と旧体制である幕府の残党の間に起きた戊辰戦争を背景にした悲劇である。 発端は、激しい攻防戦が繰り広げられた会津藩若松城に起こりあがったひと筋の黒い煙だった。 城の外の丘から煙を目撃した白虎隊の少年武士20人は、城がすでに敵の手中に入ったものと勘違いし、全員が自殺を選んだ。 16〜7歳の年齢だった。 幸い命を救われたただ1人の生存者が証言した白虎隊の最後は、サムライ精神の亀鑑として、忠誠心の標本としていままで受けつがれている。イタリアのファシスト、ムッソリーニがローマ宮殿の石柱で作って送った追慕の塔もそびえ立っている。
だが、白虎隊員らは靖国神社にまつられることができなかった。 明治政府の立場では、天皇陛下に反旗を翻した朝賊、言い換えれば逆賊だったからだ。
明治維新の3傑の1人、西郷隆盛も同様だ。 同氏は幕府政権の打倒に決定的に貢献したが、中央政界の権力闘争で押され、後日は西南戦争を起こし政府に対抗した後、自殺した。 日本の各地に同氏の人柄と業績を賛える銅像が立てられてあるが、決して靖国神社の祭神にはなれない反乱軍の親分だったのだ。
靖国神社の片すみに「鎮霊社」という小さな霊廟が設けられたのは1965年だった。驚くべきことに、ここには白虎隊員と西郷隆盛の霊がまつられている。 戦乱で亡くなった英霊のうち、靖国の本殿にはまつられない人をまつるための所だという。 だから名前が確認できず本殿の名簿に名乗りをあげていない無名の勇士や軍人、軍属ではないとの理由で除かれた民間の犠牲者も含まれている。
その中でも圧巻は、日本とは何の関係もない外国人の英霊だ。 湾岸戦争で亡くなった米軍とイラク人が合祀されており、コソボ内戦の犠牲者もまつられてある。 もちろん遺族の意思は聞かない。 原則としては最近のイラク戦の犠牲者もまつるべきだが、神社側が合祀の儀式を取ったのかどうかは確実でない。
靖国神社は未公開状態だったこの施設を、先週開放し、一般の人々の参拝を受け入れている。 「敵軍を問わず慰霊する精神、世界各地の戦争犠牲者を追慕する崇高たる精神を広く知らせるべき」という主張を受け入れたものらしい。 それなら、戦乱の犠牲者ではなく加害者であることが確かなA級戦犯を堂々と本殿でまつっているのは、またどう説明するつもりだろうか。
イェ栄俊(イェ・ヨンジュン)東京特派員
2006.10.22 18:04:06
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=81019&servcode=100§code=100
「鎮霊社」には、「名前が確認できず本殿の名簿に名乗りをあげていない無名の勇士や軍人、軍属ではないとの理由で除かれた民間の犠牲者も含まれている」と驚きを隠せないこの韓国人記者でありますが、中でも彼が驚嘆したのは「その中でも圧巻は、日本とは何の関係もない外国人の英霊だ。 湾岸戦争で亡くなった米軍とイラク人が合祀されており、コソボ内戦の犠牲者もまつられてある」ことでした。
記事の結語は靖国に批判的な韓国メディアらしく「戦乱の犠牲者ではなく加害者であることが確かなA級戦犯を堂々と本殿でまつっているのは、またどう説明するつもりだろうか。」と皮肉混じりの疑問文で結ばれているのは、何だかなあ、なのではありますが、本殿で祀ることのできない者たちを「鎮霊社」という小さな霊廟で祀ってある靖国神社のこのおおらかさは、実はその事実を知った外国人にとって驚きであるようですね。
・・・
29日付けの東京新聞記事から・・・
【社会】慰安所経営の一般人も合祀
2007年3月29日 朝刊慰安所経営者の合祀を旧厚生省などが決めていたことを示す記述
日本占領下のインドネシアで民間の慰安所を経営し、BC級戦犯として有罪判決を受けた後、獄死した男性について、厚生省(当時)と靖国神社が一九六七年に合祀を決めていたことが二十八日、明らかになった。国会図書館が同日公表した「新編 靖国神社問題資料集」に盛り込まれた靖国神社の内部資料に明記されていた。政府は、いわゆる従軍慰安婦について「おわびと反省の気持ち」を表明しているが、これに先立ち、慰安所経営者の合祀に関与していたことになる。靖国神社が、占領下のアジアで慰安所を経営していた一般人を合祀する方針を決めていたことが判明したのは初めて。
この報告書は、六七年五月九日に靖国神社洗心亭で開催された厚生省援護局と神社側の会議の様子を記録した資料「合祀事務連絡会議開催につき(報告)」。それによると、会議では、厚生省側から合祀事務の担当課長以下七人、神社側から担当の権宮司ら二人が出席、これまで合祀を保留していた対象者について合祀の可否を検討した。
このうち「法務死亡者(一般邦人)」は「合祀する」とされ、その中に「櫻クラブ経営者。(訴因、婦女子強制売淫刑十年受刑中病死)」という人物が含まれていた。
BC級戦犯裁判に詳しい研究者によると、この経営者は四三年九月から四五年九月までインドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で民間の慰安所を経営していた実在の日本人。欧州系の女性らに強制的に売春させたとして、オランダ軍による戦犯裁判で有罪判決を受けた。四六年十一月末から現地で服役していたが、翌月末に病死した。
財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」による「『慰安婦』問題調査報告」は、同クラブを「一般邦人向けの慰安所」とする一方、「経営者には、行政側から強い圧力がかかり、慰安所を開業することになった」と日本側の関与を指摘。「逃げ出そうとした女性は直ちに官警に逮捕され短期拘置された」「軍は設置や規則に関与していた」と記している。
ただし、軍が組織として設置したり、将兵たちが使う目的で設けられたものではないという。
戦争貢献、国が認定
BC級戦犯裁判や慰安婦問題に詳しい林博史関東学院大教授(現代史)の話 記載された男性はバタビアで慰安所を経営していた人物に間違いない。靖国神社の合祀対象は戦争に協力した人物であることが建前。慰安所経営者が、戦争に貢献したことを国が堂々と認めている。旧厚生省が「慰安所を経営してくれてありがとう」と言っているようなもので、重大な事実だ。こうした例があるということは、ほかにも慰安所経営者が合祀されている可能性がある。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007032902004469.html
なぜかネットではこの東京新聞のスクープ記事が一部を除いてはあまり話題になってないようですが、この記事を読んだとき私はとても驚きを隠せませんでした。
この記事の内容が事実だとすれば、これは本当にやっかいな事実が判明してしまったと思いました。
もし記事のとおり、慰安所経営者が本殿で合祀されているのならば、これは「靖国神社のおおらかさ」が完全に裏目に出てしまう、とてもやっかいな問題になりましょう。
一部外国メディアは靖国が本来有している「おおらかさ」などにはふれもせず、ただ「慰安所経営者」が祀られていた事実だけをセンセーショナルに取り上げかねません。
この東京新聞スクープがもし事実だとすれば 広義と狭義にこだわって誤解を招いた安倍首相の外交戦術ミスもあいまってただでさえデリケートな慰安婦問題に、新たに複雑な波紋をなげかけることでしょう。
そして今私の危惧するのはこれからの問題として、慰安婦問題と靖国問題がもし海外メディア上の論説においてリンクしてしまうとすると、これは安倍政権に取り看過できない事態となるであろうという嫌な予感であります。
そうなったならば国内のリベラル派は靖国参拝批判の勢いを増して、逆に保守派は排外的なナショナリズムへと一気に傾斜し、リアリスト安倍氏をもってしてもおさまりがつかないだろうことを危惧するのです。
ここは冷静な事実の検証がまたれます。
(木走まさみず)