木走日記

場末の時事評論

フジ産経グループの大罪に気づいていない産経社説

●関テレ捏造 放送人の誇りを取り戻せ〜傍観者のような産経新聞社説にフジ産経グループとしての自戒が見られないのはどういうことか?

 昨日(5日)付けの産経新聞社説から。

【主張】関テレ捏造 放送人の誇りを取り戻せ

 関西テレビ発掘!あるある大事典II」の捏造(ねつぞう)問題で、同局社長が辞任し、検証番組が放映された。関西テレビ、制作元請けの日本テレワーク、実際に番組を作った孫請け制作会社「アジト」のスタッフらが登場し、経緯を詳細にたどったものだ。

 番組から見えてきたのは、「面白さ、わかりやすさ」がすべてであるかのごとき呪縛(じゅばく)だった。

 捏造行為に走ったアジトのディレクターは「面白くしていくため、わかりやすくするためには仕方のない選択だった」と語った。社外調査委員会メンバーの一人は「企画会議は、どうやってわかりやすく、面白く見せるかという議論ばかりだ」と指摘している。

 しかも、「面白さ、わかりやすさの意味をはき違えていた」といわざるを得ない。

 彼らは、複雑極まりない現実を安直に単純化し、派手な演出で、面白おかしく表現してみせることを「面白さ、わかりやすさ」だと考えていたようだ。綿密な取材、堅実な演出に裏打ちされた番組こそが、視聴者の知的好奇心を刺激する見応えのあるものになることを忘れていたのではないか。

 「面白さ、わかりやすさの罠(わな)」に陥る危険性を抱えているのは関西テレビだけではない。近年報道番組を含めて「やらせ」や捏造が続発していることからもわかる。

 視聴率を重視するスポンサーや広告代理店が存在する以上、視聴率偏重から直ちに脱却せよというのは無理だろう。それでも、「テレビを取り巻く現実とぶつかってでも良質の番組をつくる」という制作者の情熱や意気込みが伝わる番組が少なすぎないか。

 問題解決には、NHK、民放が中心になり、現場の制作会社も含め、業界全体の意識改革を促さねばなるまい。そのための研修システムも必要だろう。少ない予算と厳しい日程での作業を強いられる制作会社に対しても、プライドを持てるような待遇や権利関係の見直しなども検討すべきだ。

 テレビは、世代や生活環境などの違いを越え、大衆全体に影響を及ぼす強烈なパワーを持つメディアだ。すべての放送人は、その担い手であることを改めて自覚し、誇りと自制心を取り戻してほしい。

(2007/04/05 05:05)
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070405/shc070405001.htm

 関西テレビ発掘!あるある大事典II」の捏造(ねつぞう)問題で、同局社長が辞任し、検証番組が放映されたことを受けての産経社説なのでありますが、社説の結語。

 問題解決には、NHK、民放が中心になり、現場の制作会社も含め、業界全体の意識改革を促さねばなるまい。そのための研修システムも必要だろう。少ない予算と厳しい日程での作業を強いられる制作会社に対しても、プライドを持てるような待遇や権利関係の見直しなども検討すべきだ。

 テレビは、世代や生活環境などの違いを越え、大衆全体に影響を及ぼす強烈なパワーを持つメディアだ。すべての放送人は、その担い手であることを改めて自覚し、誇りと自制心を取り戻してほしい。

 なるほど「問題解決には、NHK、民放が中心になり、現場の制作会社も含め、業界全体の意識改革を促さねばなるまい」と、ことは関西テレビだけの問題じゃない、放送界上げての取り組みが必要であるとしています。

 社説は「すべての放送人は、その担い手であることを改めて自覚し、誇りと自制心を取り戻してほしい。」と結ばれております。

 ことは関西テレビだけの問題じゃない、放送界上げての取り組みが必要であるという論説ですが、まさに同じ言論・報道の機関として新聞界から放送界を高見から見下ろした正論であります。
 
 この正論ですがもちろん異論ありませんが、関西テレビと同じフジ産経グループの産経新聞がここまで堂々と関西テレビだけの問題じゃないと主張するとなると、当事者意識がまったく表出していないこれは少々格好悪い虫が良すぎる無責任な論ではありましょう。

 今回の捏造問題では、もちろん当事者たる関西テレビ、そして関西テレビだけでなくキー局であるフジテレビの責任も厳しく問われているのであり、ことは報道・言論機関としてのフジ産経グループの問題としてクローズアップしているのです、そのグループの責任ある反省と謝罪のコメントがこの社説にはまったくあらわれていない、自戒がないのはどういうことなのでしょうか。

 ・・・

 産経新聞は、今回の不始末におけるフジ産経グループの真の大罪は「民主主義の危機」をもたらせていることに気づいてないようです。



放送法改正案で干渉強める総務省

 実は真の問題とは、今回の関西テレビの情報番組「発掘!あるある大辞典Ⅱ」の捏造をきっかけに、政府は放送法を改正し、放送局に対する規制を強化する方針を打ち出してきていることです。

 たしかに捏造の再発予防は重要ですが、その論には盲点があると、ジャーナリストの町田徹氏は夕刊フジ4月5日号の「深彫り経済レポート」にて警告しています。

 氏のレポートによれば政府が監視役の立場を強めると、放送局はメディアとして政府と対峙し、その行動をチェックできなくなる懸念が強いのであります。

 これは民主主義の危機です。

 先月30日、菅義偉総務大臣は、千草宗一郎関テレ社長を総務省に呼び、現行放送法に基づく行政処分として最も重い「警告」をしました。

 「1ヶ月以内に具体的な再発防止策を報告するとともに、その実施状況について3ヶ月以内に報告する」という中身ですが、もちろん捏造は、公共の電波を占有する放送局にあるまじき行為であり、関テレが委託した調査委員会(委員長・熊崎勝彦弁護士)の報告書によると、発覚のきっかけになった「納豆ダイエット」(1月7日放送分)以外に、実験データの改竄、演出の行き過ぎなど「不適切」な放送が、過去2年間に15本もあったわけです。

 これほどの問題を引き起こしたのだから、「自浄作用、自浄能力に任せるべきだというのでは、国民の理解を得られない」(菅大臣)というのは、もっともらしく聞こえましょう。

 しかし、菅大臣が国会提出準備を進めている放送法改正案には、危険な盲点があります。

 それは、より強固な行政処分の発出権限を、時の政権のメンバー、つまり内閣の一員である総務大臣が所管する総務省に付与するとしている点であります。

 そもそも放送局は、新聞社や出版社と同様、政府を監視する「言論・報道機関」の役割を担うわけであります、この「言論・報道の自由」を守るため、放送局の規制権限を、政権や政治から独立した規制機関に持たせることは、先進国では半ば常識です。

 例えば、大統領制の米国では、放送を所管する連邦通信委員会(FCC)は立法府(議会)の直属ですし、日本と同じ議院内閣制の英国も、通信、放送を規制する機関オフコムを、閣僚が所管する貿易産業省、文化メディア・スポーツ省から切り離して独立させています。

 実は、かつて日本も、戦後すぐ独立行政機関の電波監理委員会が設置されたのですが、吉田茂政権が行政改革を盾に、同委員会を旧郵政省に統合してしまった経緯があります。

 NHKの独立性が弱まり、予算や人事で政府の顔色を伺うようになったのは、この時からなのであります。

 ・・・

 今回の捏造をきっかけに総務省が規制強化、権限強化に走るのは間違いありません。

 そして、同省から放送所管部門を分離・独立させていないまま、放送局を巡る規制強化がおこなわれようとしているのです。


 この先進国の中でも異例の放送法改正案で干渉を強める総務省の放送行政の暴走を、まさに今国会で招こうとしているのは、フジ産経グループ自身なのであります。

 今回の不始末におけるフジ産経グループの真の大罪は「民主主義の危機」をもたらせようとしていることに、産経社説は気づいていません。



(木走まさみず)