八月に思う〜ただ静かにしめやかに
次期首相の有力候補である野田氏の発言が波紋を呼んでいます。
18日付けの朝日新聞と産経新聞の社説がこれを取り上げていますが、久しぶりに真っ向からその主張がぶつかりあっており興味深いです。
【朝日社説】野田氏の発言―言葉を選ぶ器量を待つ
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【産経社説】戦犯と財務相発言 「犯罪人でない」は当然だ
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110818/plc11081802530005-n1.htm
野田佳彦財務相が、靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯について、戦争犯罪人ではないとの見解を示したわけですが、朝日社説は「言葉を選ぶ器量を待つ」と、発言をたしなめています。
朝日社説のポイントはここ。
刑を終えたのだから、もはや犯罪者ではない。まつられているのが犯罪者でない以上、首相の靖国参拝にどんな問題があるのか、という理屈立てだ。
だが問われているのは刑を終えたか否かではなく、彼らの行為が戦争犯罪かどうかであり、歴史認識である。野田氏の議論は焦点を外している。国の内外を問わず、戦争で肉親を失った数多くの人々の心情をいたずらに傷つけるだけだ。
刑を終えているからではなく行為そのものが犯罪行為であることを重要視しています。
社説の結語は「国のリーダーの言動で再び歩みを止め」てはならないと結んでいます。
歴史をめぐる問題は、苦労を重ねながらここまで積み上げてきた。国のリーダーの言動で再び歩みを止め、処理すべき課題に向き合えない事態を繰り返すべきではない。
一方の産経社説は野田発言を「戦犯に関する経緯を正しく踏まえた考え方」と肯定しています。
産経社説のポイントはここ。
戦犯に関する経緯を正しく踏まえた考え方である。
野田氏が指摘した国会決議は日本が主権を回復した昭和27年4月前後から、当時の左派社会党も含め、ほぼ全会一致で採択された。これを受け、刑死・獄死した戦犯の遺族にも年金が支給されるようになった。旧厚生省から靖国神社に送られる「祭神名票」にも戦犯が加えられ、合祀された。
中国や韓国にのみ配慮し、「A級戦犯」合祀を理由として首相の靖国参拝に反対する人たちは、もう一度、この赦免決議の原点を思い起こすべきだ。
日本の国会において、赦免決議は「当時の左派社会党も含め、ほぼ全会一致で採択」のだと指摘しています。
社説の結語は首相が靖国神社に堂々と参拝する日を取り戻したいと結んでいます。
大変、興味深い、がしかし耳にタコの双方の主張なのでありますが、8月は広島・長崎の原爆投下、終戦記念日と、日本にとって先の大戦を思い出しお盆も重なり先人たちを弔う季節でもあります、少しこの問題を愚考したいと思います。
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A級戦犯の問題は2重構造を成しています。
そもそも戦勝国が下した「A級戦犯」なる戦争犯罪は正義なものなのか。
日本は文明開化以来、日清戦争、日露戦争と太平洋戦争前に大きな2つの戦争をしてきましたが、ともに勝利し、前者では台湾を、後者では南樺太を領土として割譲、そもそも戦争犯罪など問われませんでした。
当時は欧米列強がアジア・アフリカを植民地支配しつつ、まさに「帝国主義」的領土拡張競争をしていたわけですが、かれらの植民地支配やあるいは戦争行為において、その「犯罪性」を国家単位で追及されたことはありません。
第二次大戦で敗戦したドイツと日本は、それぞれ勝者連合国主導により、戦争犯罪に問われたわけですが、敗者のみを断罪するこれらの裁判は、当時から批判も含めた論争を呼んでいました。
敗者のみが犯罪者なのか、戦争勝者に犯罪はなかったのか、という素朴な問いかけです。
東京大空襲に象徴されるB29の大量の焼夷弾による民間人対象の都市爆撃、広島、長崎の原爆投下、これらは「日本の国力を減じ」かつ「戦争終結を早めるため」との美名のもとでおこなわれましたが、数十万の民間人を意図して大量虐殺している点で今日的視点でとらえるだけでなく当時の価値観からも「犯罪行為」との疑義はあったわけです。
しかるに連合国のそれらの行為は一切不問で枢軸国日本とドイツの「蛮行」のみが裁かれたわけです。
産経社説の行間からはそもそも連合国から押し付けられた「戦争犯罪」なる「正義」に対する強い憤りを感じます。
この大きな背景のもと、朝日社説と産経社説の反目は、一歩譲って「戦争犯罪」を認めたとしてその行為は赦免されているのか、行為を行った人たちは赦免されているのか、という2番目のレベルでの論争をしているわけです。
朝日社説は、行った人々がたとえ国会で赦免されていても、その行為自体は国際的に「戦争犯罪」なのであり赦免されるべき対象ではない、したがって誤解を招くような発言は慎むべきであるというものです。
一方の産経社説は、国会においてほぼ全会一致で赦免決議され正式に合祀されたのだから彼らは「戦争犯罪」者ではもはやない、したがって野田発言はまったく正しいとするものです。
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朝日、産経の双方の主張を読みますと私は「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が浮かんできます。
私見を述べます。
今回も韓国政府が反発しているのですが、この問題を論ずるに当たり中国・韓国の対応がきっかけになることが多いのですが、私はこれら海外の反応は無視すべきだと考えます。
海外から反発を受けたからではなく日本自身、日本人自身でこの問題を総括すべきです。
事実として日本はこの66年間、一度も他国と戦争行為をしなかったし一人として他の国の人間を戦争で殺してきませんでした、ベトナム、イラク、アフガニスタンと戦争行為を繰り返してきたアメリカとは真反対の「平和国家」としての国際的評価を勝ち取っています。
とはいえ、別に戦争犯罪どうこうではなく、300万余の同胞を失い国土が焦土と化した先の戦争の反省のもと、私たちは「平和国家」としての道を選択したわけです。
私は「罪を憎んで人を憎まず」という考えはとても建設的であると肯定します。
「A級戦犯」が含まれてあろうとなかろうと靖国参拝はしてよい、そもそもその「戦犯」なる罪を否定しても言いしその「罪」は罪としてとらえ「人」は人として弔うのもよし、実に日本人らしいしなやかな振る舞いだと肯定します。
ただ、それはしめやかにかつ厳かに行われるべきであり、かつ強制したりメディアががなりたてたりする事象であってはならない、というのが私の個人的意見であります。
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私達は、決して、さきの戦争を忘れてはいけないし、この国の為に、自らを犠牲と亡くなった英霊達の思いや魂を忘れてはならないと思います。
英霊の御霊に祈りを捧げる、その行為を私は個人的に肯定します。
しかし、弔いをする行為の強制は意味がありません。
そうすべきと考える人が一人ひとりの意思で自ら行動すればよろしいと思います。
ただ静かにしめやかに、己の信ずるすべきことをすればよろしいと思っています。
(木走まさみず)