木走日記

場末の時事評論

人間はどのような精神状態のときもっとも脳が活性化するのか

 「人は落ち込んだときおバカになる、したがって元気のない人間はおバカである」

 あるアパレル系の営業部門の管理職が私にこう宣ったのであります。

 なんだかなあ、おとなしい気質の人が聞いたら反感買いまくりの暴言でありますが、彼曰く、

 「大きな声で挨拶もろくにできない営業マンなんぞクズである。挨拶なんぞどんなに大きな声を出したって経費はゼロ円なのだ」

 うーん、マクドナルドの「スマイル0円」につながる名言(迷言?)ではありますが。
 この男、そういえば普段からはた迷惑なほど声が大きく、基本的に内緒話というものができないのであります。

 カラオケ行っても、大声でがなる、唸る、どなる、でありまして、おまけに音痴なくせにマイクを離さないという、極めてはた迷惑な男なのであります。

 うーん、「元気のない人間はおバカである」と言い切るこの営業部長なのですが、どうもご本人自身が「元気のある人間にもおバカがいる」ことを証明しているように思えるのは、おそらく私がひねくれているおバカだからなのでしょう。

 ・・・

 さて、一般に「元気のある人間」と「元気のない人間」はどっちがおバカなのかという話は、どっちにもおバカは分布しているという単純な事実を踏まえれば、考察するには価しない愚問でありましょうが、一方の「人は落ち込んだときおバカになる」という命題は、これは私の興味を大いにそそったのであります。

 うん、実感としてこれはありなのですね。

 一人の人間はどのような精神状態のときもっとも脳が活性化するのか、小さいとはいえ一企業を経営している不肖・木走にとって、自分自身の生産性も含めてですが、社員の生産性をどう向上させるか、これは実に重要な命題なのであります。

 で、私自身の技術者としての自己分析ではっきりいえることは、人間は余分な感情を抱いてしまっていると間違いなくその生産性は落ちるのであります。

 例えば落ち込んでいる場合です。

 落ち込んでいる状態のとき、それは当然お客様に怒られたとか上司になじられたとか何らかの原因があるものであります。

 落ち込んでいる・・・悲しい、恐ろしい、絶望感

 気分は塞ぎ込んでいるわけですが、当然脳はただでさえ萎縮していますのに、さらに人間の脳のたちが悪いことには落ち込んでいるときほど仕事をしていても違うことを考えがちですし、集中力は当然落ちるのであります。

 考えてみれば情緒がこのように不安定になるのは何も落ち込んでいるときだけではありません、何かの原因で怒りに支配されたとき、やはり人間は仕事どころではなくなるのであります。

 仕事していても憎らしい顔や場面が走馬燈のように脳裏に浮かんではその人の心を揺さぶりその度に仕事の効率は著しく落ちるのであります。

 よく怒りにまかせておもいっきり仕事をした、というような表現を見聞きしますが、実際に話をしてみると、本当に怒りながら仕事をしているというわけではなく、たいていの場合、怒りを忘れて仕事に没頭した、あるいは怒ることを忘れるために仕事に没頭したというあたりの話なのであります。

 本当に怒りに震えていたら仕事に意識を集中などできないのであります。

 で、たちが悪いのは、落ち込んでいるのに怒りも収まらないと言う究極の情緒不安定ミックス状態であります。

 落ち込んでいるのに怒っている・・・

 例えば自分のミスを上長に理不尽に叱責された場合です。

 ミスを犯した自分に責任はあるので、当然その人は落ち込むわけですが、その叱責のされ方が納得のいかない理不尽なものに感じた場合、落ち込んで悲しい自己嫌悪に陥るとともに上長にたいする激しい怒りの感情がふつふつとわき起こってしまうケースですね。

 私も悪いがあいつのしかり方は許せない、落ち込んだり怒ったり感情の起伏が激しくてこれはもう手に負えない、仕事どころではないのであります。

 ・・・

 感情の起伏の激しいタイプは仕事にムラが発生しやすいのは道理なのでありますが、では感情の起伏がなければ仕事の効率は上がるのかというとどうやらそうでもないのであります。

 緊張感のない精神的に弛緩した状態では、何の感情が心になくても、ちんたらちんたらしか仕事できないのです。

 ほげーっとした完全にとぼけた頭では頭の回転を早くしようもないのであり、この場合も集中力に欠け生産性はまったく向上しません。

 つまり、悲しんだり怒ったりしていては仕事にならないのでありますが、かといって何の感情もなく弛緩していてはやはり駄目なのであります。

 では、どのような心の持ちようがよろしいのか?

 私の過去経験ではもっともその人間の生産性を高める感情は「好き」という感情であります。

 人は何かを好きになると、脳は極めて活性化され、能動的になるのであります。

 この場合ただ問題はその能動的になるベクトルをうまく目の前の仕事に向けることができるかどうか、そこのところの自己制御能力であります。

 たとえばウチの会社の若い従業員が熱く恋愛をしているとすると、私にはすぐにわかってしまいます。

 それまでぼーっとしていた男が、突然浮き浮きとして積極的に仕事に前向きに取り込みだしたら、間違いなく彼は恋に落ちているのであります。

 ただ、それまでぼーっとしていた男が、ますます宙をみながらぼけーっとしちゃって時々ニタリニタリしてしまったら、これも間違いなく彼は恋に落ちているのでありますが、残念ながら自己制御能力が崩壊してしまっているこまった例なのではありますが。

 で、目の前の仕事が「好き」になれば一番生産性が向上するのは言うまでもないことであります。

 仕事であれ勉強であれこれは言えることでありますが、対象物を好きになると言うことはその人の脳を活性化させ生産性を高める最大の効果があります。

 私は週に一度講師として教壇にたってIT関連の科目を教えていますが、最初の授業で私が言うことは「君たちはこの科目を好きになりなさい。そうすればジャンプが大好きな人が毎週ジャンプを買うのが楽しみになるように、この授業を受けるのが楽しみになるはずです」と指導します。

 私の場合「科目を好きになる特効薬は教えている先生を好きになる、尊敬することが早道である」とか、余計なことまでいってますが。

 ・・・

 仕事も勉強ももっとも生産性を高める感情は「好き」という感情なのであります。

 そこで私は私の従業員にはこう指導しています。

 「自分の仕事を好きになりなさい」

 「自分のお客様を好きになりなさい」

 「自分の会社を好きになりなさい」

 「特に社長を好きになりなさい」

 最後の指令以外はけっこううまくいっているようです。

 ジャンジャン。



 (木走まさみず)