木走日記

場末の時事評論

「○○は好きだが○○を好きな人々は嫌い」という香ばしい論法を使いこなそう〜自分の所属するグループ内の人々を自分を棚に上げて糾弾するのに効果的だよ

●私はアニメを愛していますが熱狂的なアニメオタク達は大嫌いなんです

 先日さるアニメ会社の社長さんとランチミーティングしていたときの社長さんのショックな一言。

 「私はね、ネットの効用は肯定していますが、ネットでブログとか適当に書いている人間とか2ちゃんねるとかいう掲示板で匿名で無責任なこと書いている人間はあまり好きじゃないんですよ。」

 ネットでブログとか適当に書いている人間・・・

 あら、やだ、ほっといてちょうだい!!(爆

 ・・・

 失礼しました。

 もちろんこの社長に初対面の私に対する悪意などはなく、目の前にいる私がプライベートでブログを管理していることなどつゆも知らずに話したことなのでしょうが、正直、気分はあまりよろしくなかったです(苦笑

 で、続いて社長さんはこんな一言。

 「あとね、私はもちろんアニメを愛していますが、熱狂的なアニメオタク達は大嫌いなんですよ」

 うーん。

 アニメで食っている人間がこんなこと言っていいのか(汗

 これってどうよ。

 この社長の発言内容はちょっとどうなのかなと思いました。

 なんかとてもひっかかりますね。

 ・・・

 それはさておき、このような論法、「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」、これってよく耳にするひとつの定番型(テンプレート)ですよね。

 「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」

 考えてみれば、たしかに人はときにしばしばこのような香ばしい論法を駆使するのであります。

 今日はこの「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」という香ばしい論法について考察してみたいのであります。



●気を付けよう。この香ばしい論法は使い方を間違えるとブーメランしちゃって完全に自爆してしまう(爆)

 そういえば東京出身の隠れ阪神ファンからこんな話を聞いたことがあります。

阪神というチームは好きだけど熱狂的阪神フアンは大嫌い(苦笑)」

 また私の奥さんはこんな勝手なことをのたまっています。

ルイ・ヴィトンは好きだけどルイ・ヴィトンを持っているオバハン達は大嫌い」

 彼女はこの批判が見事に自分にブーメランしていることに気づいていないようですが(爆)


 で、この種のテンプレートを私の心に当てはめてみると、こういうのもそうかな。

「ワインは好きだけどワイン好きの人のうんちくは大嫌い」

 私はワインが大好きですが、一部のワインが大好きな人のワインに対するうんちく話は大の苦手なのであります。

 能書きはいいんだよ、私の場合、酒なんぞおいしく飲めればいいんだい!!

 私に言わせればこういうことになるのです。

 うーん、こんなのも思いつきました。

「犬猫は好きだけど犬猫好きの人の犬猫好き話は大嫌い」

 私もペット大好きですが、閉口するのが一部のペット好きの人の「うちのなになにちゃんがどうのこうの」という動物を擬人化したどうでも話は大の苦手なのであります。

 そんな人様の家の犬猫の話なんぞ、聞きたくないんであります、私の場合!!

 ・・・

 しかし、こうして具体例で検証してみると、どうも「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」という心理ですが、一歩間違うと「お高くとまってるわね」とか「自分にブーメランしちゃう」とかのリスクをともなっているわけでして、これはかなり危ない論法なんでしょうね。

 ・・・(長考

 そうか、「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」という論法は、慎重に使い方を考えないと自己矛盾を抱えてしまうわけですね。

 だって「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」心理の持ち主自身が実は「○○を好きな人々」の一人なんだもの、これはかなり用法を間違えないようにしなければならない厳しい論法ですよね。

 じゃないと上の例の私の奥さんのように、

ルイ・ヴィトンは好きだけどルイ・ヴィトンを持っているオバハン達は大嫌い」

 人を批判しているつもりが、まさにブーメランしちゃって完全に自爆してしまうわけですな(爆笑)

 その人の立ち位置によっては「なに自分を棚にあげてんだよ」ってことになっちゃうわけです。

 ・・・(長考

 つまりです。

 「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」という論法の正しい使い方は、

 「○○を好きな人々(の行動)は嫌い」と「○○を好きな人々」全体を否定するとそこに発言者自身も含まれてしまうので自爆してしまうわけで、ここはこうみょうに「ある条件の○○を好きな人々(の行動)は嫌い」と、自分を省いて批判しなければならないのですね。

 上記の東京の阪神ファンの例で言えば、「阪神というチームは好きだけど阪神フアンは大嫌い」とすれば自爆(苦笑)ですが、「阪神というチームは好きだけど熱狂的阪神フアンは大嫌い」ならば、ぎりぎりこの人が熱狂的でなければセーフなわけです。

 うーむ。

 気を付けましょう。

 この香ばしい論法は使い方を間違えるとブーメランしちゃって完全に自爆してしまうのです(爆)

 ・・・

 でも、使い方さえ間違えなければこれは使えますね。



●「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」を香ばしく実践練習

 上記の例でもよくわかりますが、特に自分の所属するグループ内の人々を自分を棚に上げて糾弾するのに効果がありそうです(苦笑

 「○○は好きだが○○を好きな人々(の行動)は嫌い」を実践練習してみましょう。

 不肖・木走はプチリベラルのナショナリストと良くわからない立ち位置を自称しています。

 朝日を批判すればリベラル派から批判され、産経を批判すれば保守派から批判され、鳥類からもほ乳類からも「八方美人」とののしられる「へなちょこな蝙蝠(こうもり)さん」のごとき存在なのであります(苦笑

 よおしさっそくテンプレートを使って練習してみましょう。

 まずはプチリベラルな立ち位置から「所属するグループ内の人々を自分を棚に上げて糾弾するのに効果」があるか試してみましょう。

 「私は、リベラルな考え方は好きだけど、一部の日本の中のリベラル派集団の行動はあまり好きでないのです」

 あ、これ本音です(苦笑

 でももう少し具体的なほうがいいかな?

 こんなのはどうでしょう。

 「反戦平和」の理念は尊いが「反戦平和」運動は胡散臭いです。

 うん、だいぶ香ばしく自分を棚に上げて上手になってきたかな。

 次にナショナリストな立ち位置から「所属するグループ内の人々を自分を棚に上げて糾弾するのに効果」があるか試してみましょう。

 「私は、ナショナリストな考え方は好きだけど、一部の日本の中の保守派集団の行動はあまり好きでないのです」

 あ、これも本音です(苦笑

 で、もう少し具体的に。

 「従軍慰安婦」問題の事実の解明努力は大賛成だが、政治家が介在することは反対です。

 あれ、この前のエントリーの主張と同じかあ(苦笑

 うーん、まだまだ修行が必要のようです。

 ・・・

 さあ、みなさんも、

「○○は好きだが○○を好きな人々は嫌い」という香ばしい論法を使いこなしてみましょう。

 ジャンジャン。



(木走まさみず)