木走日記

場末の時事評論

世の中はたいていの失敗に寛容である理由〜料理も人生も「不可逆変化」との戦い

 今日の朝日新聞記事から・・・

木村投手、1年間の謹慎処分に 西武・金銭授受問題
2007年03月19日12時57分

 日本野球連盟は19日、東京都内で臨時の常任理事会を開き、プロ野球の西武球団から不正な金銭を受け取っていた東京ガス木村雄太投手(21)に対し、19日から1年間の謹慎処分とすることを決めた。練習試合を含め、すべての対外試合への出場が禁止されるが、練習への参加は認められた。チームは、19日から都市対抗東京1次予選(5月24日開幕)まで公式戦への出場を禁止した。

 同連盟の松田昌士(まさたけ)会長は「木村選手ははっきりと反省している。これからも野球に自分の人生をかける意思があることも配慮して処分を決めた」と話した。

http://www.asahi.com/special/070313/TKY200703190171.html

「木村選手ははっきりと反省している。これからも野球に自分の人生をかける意思があることも配慮して処分を決めた」

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 「覆水盆に返らず」といいます。

 一度こぼした水は二度と元には戻らない、ときに取り返しの付かないミスもある、という戒めであります。

 まあ、過ぎた失敗をくよくよ考えても仕方ないよ、ってニュアンスも含まれているのでしょう。

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 また「失敗は成功の母」といいます。

 失敗を糧として次の成功に結びつければよい、人生に失敗は付き物だがそこから何を学ぶかが重要なのだ、という戒めとも解釈できます。

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 さていずれの言葉が正なのか・・・

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 不肖・木走は実家が商売人であったこともあり、いまでも時々料理をすることを趣味にしております。

 で、料理というのはつくづく思うのですが、おいしい料理を作るという工程は、これはもう人生そのものなんですね。

 なんの話かと申しますと・・・

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●チームリーダーA君の悩み

 私の会社の30才のA君は、中堅エンジニアとして昨年よりチームリーダーとして4名の技術者をたばねる立場になりました。

 彼は仕事上のあることで思い悩んだ挙げ句、ある日、社長である私にアドバイスを求めてきました。

 彼の今の最大の悩みは部下の統率であります。

 「ミスを指摘したら、反省もせずふてくされてしまった」

 「ミスを大目に見ていたら、反省もせず同じミスを繰り返す」

 彼はミスをしでかした部下を反省させて、次から同じミスをおかさないように指導したいわけですが、それがうまく部下に伝わらないで悩んでいるのであります。

 聞けば、彼は部下のミスを指摘するとき、「技術的にどうして発生してしまったミスなのか」をエンジニアらしく徹底的に技術論で部下に指導していました。

 つまりミスの原因を本人にきつく指導しようとしたのであります。

 私に言わせれば、これでは駄目なのです。

 「因果」で言えば、「因」つまりミスの原因、なんでこんなミスをしでかしたのか、ばかり責め立てていますが、いっこうに、「果」つまりミスの結果、このミスがどんなに取り返しの付かないことを引き起こすのか、そこを部下に理解させようとしていなかったのです。

 このミスが「不可逆変化」として結果としてどのようにお客様に迷惑を掛けてしまうのか、その結果ソフトハウスとしてのこの会社の信用失墜(ときに損害)につながれば所属の会社にも迷惑をかけてしまう、最終的には自分の評価がそこなわれていく、ミスを放置すれば、つまり取り返しの付かない事態を招く可能性があることを、若い技術者達にまず真っ先に指導しなければいけないのです。

 仕事上のミスの多くは「不可逆変化」「覆水盆に返らず」であり、だからこそ、ミスを犯さないように細心の注意を注いで当たらなければならないことを認識させなければなりません。

 失敗を軽視させてはのびる芽ものびないのであります。

 まず、失敗は厳しく指摘し、結果責任が伴うことを強く認識させるのです。

 その上でですが、しかしながら人は神様じゃないから失敗しないことはありえない、大事なのは同じ失敗を二度と繰り返さないことであると諭すべきなのであります。

 私はA君に次のようにアドバイスをしました。

 まず、「ミスを大目に見ていたら、反省もせず同じミスを繰り返す」のは人間として当たり前。で、これは指導者としては論外、あなたは部下のミスは放置せず厳しく指摘すべきである。

 その上で「ミスを指摘したら、反省もせずふてくされてしまった」点について、あなた自身の指導方法を少し変えるべきである。

 部下も技術者だからなぜこのミスが発生したのかその原因は自分自身でよくわかっているはず、その点を技術的にあなたに繰り返し指摘されてはふてくされてもしまうだろう。
 技術論も大切だけ上司たるあなたはミスの原因を指摘するよりも、このミスを放置してしまった場合の発生が想定されるお客様の実被害、それに伴う弊社の信用失墜、いかに取り返しがきかない事態を招く可能性があるのかを教えなければならない。

 そして同じミスを犯さないようにすれば結果として技術者自身のスキルアップに繋がることをよく理解させるべきである。

 おおよそこのようなことをアドバイスしたのであります。

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 このA君の部下を指導する上での悩みは、実に示唆に富むのであります。

 つまり、「失敗は成功の母」という失敗肯定論と「覆水盆に返らず」という失敗否定論でありますが、若手を指導する上では順番があるのであります。

 失敗など誰でもするよ、一度や二度の失敗はどうってことないさ、逆に失敗から学ぶことのほうが多いんだから、おおいに失敗していけばよろしい。

 「失敗は成功の母」だよ。

 このような「失敗は成功の母」論を先に認識させては若い人は伸びないのであります。
 失敗に対して緊張感を失い精神的に弛緩してしまうからです。

 まずは、

 仕事上の失敗の多くは「不可逆変化」であり取り返しが付かない場合が多いのである。
 プロである以上お客様に迷惑を掛けるような仕事上の失敗はいっさい許されるモノではない。

 「覆水盆に返らず」である。

 失敗はときに取り返しの付かない事態を招くことを厳しく理解させることであります。
 この認識を絶えず持ち続けることで、自分自身を緊張させ向上させることにつながることを強く意識させます。

 そしてその上で初めて「失敗は成功の母」論を持ち出すと効果的なのであります。



●料理も人生も「不可逆変化」との戦い

 世の中のおよそ「変化」と呼ばれるモノは、科学的には「不可逆変化」と「可逆変化」に大別することができます。

 つまりある時間変化を伴う現象において、時間の流れを逆にした現象が存在しないならその変化は「不可逆変化」といい、それこそもう元の形態には戻れない変化なのであります。

 で、料理するという作業はこれはもう大部分が科学的には「不可逆変化」、つまり元の形態には戻れない変化の連続なのであります。


 簡単な例で考えてみましょう。

 今常温の温度の水を火に掛けて沸騰させるとします。

 沸騰させた後、火を止めれば、十分な時間が経過すればその水はやがてゆっくりと熱を放散し、常温に戻ることでしょう。

 つまり水を熱するとか冷ますという変化は変化の向きを変えることが可能であるという意味で「可逆変化」と言うことができましょう。

 しかし熱水で生卵をボイルするとすると、生卵は数分の内に「ゆで卵」に変化します。
 火を止めてやがて水の温度が十分に常温に戻っても、一度できた「ゆで卵」は「生卵」には二度と戻りません。

 つまり卵を茹でるという変化は「不可逆変化」なのであります。

 起こった変化を元に戻すことは永遠に不可能なのです。

 実は料理を作るという行為はその各フェーズでこの失敗したら元に戻すことは永遠に不可能な「不可逆変化」的失敗をどう認識してどう回避して、どう段取りをうまくするか、その連続で腕がためされることになるわけです。

 たとえば水の入っている鍋に誤って醤油を一滴垂らしたとします。

 当然ですが、鍋の中の水にその醤油は拡散して溶けていきますが、もしそのとき「今の一滴の醤油は間違いだからも元に戻せ」と言われても誰もこの醤油が水に自然に溶けていくという「不可逆変化」に逆らって元の状態、「鍋の水」と「一滴の醤油」に分離して戻すことはできません。

 したがって腕のいい料理人ほど、各食材の下準備にも慎重な上にも慎重に時間を掛けて準備しますが、同じぐらい各種調味料の入れるタイミングとその分量には注意をは払います。

 たとえばスープ系料理で調味料を入れすぎたら、原則として元に戻すことは永遠に不可能であることを理屈ではなく体で覚えているからです。

 入れすぎた塩を薄めるために水などを加えたら、料理の初期段階ならともかく、調理工程の途中では、そこまでの調理の過程で絶妙にバランスを取ってきた食材と他の調味量の関係がだいなしにしてしまいます。(できた即席ラーメンに誤って胡椒を入れすぎたので、スープをお湯で薄めてごまかしたら、肝心のスープの味が台無しになってしまうのと同じですね。)

 では水で薄めるのでなく「からすぎ」を中和するために砂糖を入れてしまったら、火に油といいますか、さらに取り返しの付かない「不可逆変化」を促してしまうだけであることを、料理人は熟知しているのです。

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 このようなことを考えますと、日本料理であれフランス料理であれ中華料理であれ、その各工程がとても重要視されていることは納得がいきます。

 各調理のメインの工程(焼く、煮る、時に冷やす)だけでなく、前もっての食材の下準備から仕上げの調味料の入れ加減・タイミングまで、実によく計算されているのでございます。

 修行の時、最初は皿洗いだけ、次には料理の食材の加工だけ(キャベツの千切りとか野菜の皮剥きとか)、次には煮るだけ、そして最後の最後にメインディッシュの仕上げを任されるわけでありまして、そこまで修行するのに10年掛かるなんてことも大げさではないようですね。

 毎日毎日職業として訓練してもそれだけの時間が掛かるということでしょう。

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 料理人の世界のこの何年もつらい修行をして一人前に成長するというとても今風とは思えない形態は、どうなんでしょう、おそらくなにも料理に限ったことではないのでして、それこそいろいろな職人の世界、仕事の世界、広く同様の修行が今も求められているのでしょうね。

 で、個々の料理はたしかに取り返しの付かない「不可逆変化」との戦いなのですが、一回の失敗も許されないというわけでもまたないところがミソなのでしょう。

 つまり確かに一回一回の調理は真剣勝負で失敗は許されないわけですが、仮にそのときに失敗しても、実は料理人自身は次の機会が与えられているわけで、同じ料理を次回作るときに同じ失敗を繰り返さなければ、その料理人の腕が上がったという評価にもつながるわけです。

 おもしろいですね、たしかに一回一回の料理は「不可逆変化」なので真剣勝負で失敗は許されないですが、人生というモノは再チャレンジ可能なので、失敗を肥やしにして次の成功につなげれば結果としてその人の評価は向上することになるのですね。

 料理であれ陶芸であれ、ある技能を収得するという過程においては、「不可逆変化」においては失敗は許されないという厳しい真剣勝負の繰り返しがまずその人を育てていくのだと思います。

 そうしてその日々の真剣勝負の修行の中で、実は失敗ことから学習することによって進歩するわけでして、広い意味では「再チャレンジ」可能な世界なのであります。

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 人は年を取ることはできますが若返ることはできません。つまり人間の齢(よわい)は、タイムマシンでも発明されない限り「不可逆変化」なのであります。

 そして人生でしでかす失敗の多くは、実は「不可逆変化」、その場では取り返しの付かない場合が多いわけです。

 「覆水盆に返らず」です。

 しかしながら、長い目でとらえると、人生の各フェーズで失敗は絶対許されない「不可逆変化」とされているかといえば、実はそうでもないところが救いとなっているのでありまして、人はときに「失敗は成功の母」としてその効用を肯定するのです。

 私には「覆水盆に返らず」と「失敗は成功の母」、一見矛盾するこの二つの戒めは、底辺で通底しているように思えるのであります。

 失敗をしない人間などこの世に一人もいません。

 失敗自体は「不可逆変化」で取り返しが付かないことが多いですが、世の中はたいていの失敗に寛容である理由は、それが失敗を必ずしでかす全て人間に取り、救いとなっているからであります。



(木走まさみず)