木走日記

場末の時事評論

従軍慰安婦問題:「狭義の強制性」表現を乱用して国際的誤解を生じるミスを犯している安倍政権

 昨日(5日)の産経新聞電子版記事から

首相、「謝罪の必要なし」 慰安婦問題、米下院で決議されても

 安倍晋三首相は5日午前の参院予算委員会で、米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、「決議案は客観的事実に基づいていない。決議があっても謝罪することはない」と述べ、決議案に強い不快感を示した。

 また、首相は、慰安婦問題を謝罪した平成5年の「河野洋平官房長官談話」について「基本的に継承していく」と明言。その上で「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性はなかった」と述べ、狭義の強制性を重ねて否定。米下院の公聴会で証言した元慰安婦の証言についても「裏付けのある証言はない」と述べた。

 民主党小川敏夫参院幹事長への答弁。小川氏が「きちんと謝罪しないと、日本が戦争に対する反省をしていないと受け取られる」と主張したのに対し、首相は「戦後60年の日本の歩みは高く評価されてきた。小川氏は日本の歩みを貶(おとし)めようとしている」と強く反発。「小川氏は決議案が正しいと思っているのか」と切り返す場面もあった。
(2007/03/05 11:39)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070305/shs070305001.htm

 「「河野洋平官房長官談話」について「基本的に継承していく」と明言。その上で「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性はなかった」と述べ、狭義の強制性を重ねて否定。米下院の公聴会で証言した元慰安婦の証言についても「裏付けのある証言はない」」とした安倍首相なのであります。

 国会において狭義の強制性を重ねて否定する安倍首相なのであります。

 ・・・

 不埒(ふらち)な喩えは百も承知で、亭主が過去の浮気で妻に責められている夫婦の会話を想起してみましょう。

妻「あなた、3年前の浮気、ちっとも反省してないじゃないの?」
夫「いやもう2年前に反省文書いたじゃないか」
妻「本当に心から謝罪してるの? ちっともその反省が私には伝わらない」
夫「何度謝罪させれば気が済むんだ? 第一あの反省文は事実を正しく捉えていない面がある。」
妻「自分で書いておいてなにをいまさら否定するのよ」
夫「いや全面的に否定する分けじゃない。だが、私の浮気相手は飲み屋のネイチャンで向こうからモーション掛けてきた。小遣いほしさのプロの仕業だ。愛のある本当の素人同士の浮気じゃなかった。つまり、広義の「浮気」はあったのは認めるが、私から能動的に愛情をもってモーションを掛けたという狭義の「浮気」じゃだんぜんなかった」
妻「なにわからない理屈こねてんのよ、広義とか狭義とか、なに四の五のいってるのよ、浮気は浮気でしょ!」
夫「だから、2年前の反省文の主旨は今でも尊重してるってば」
妻「信じられない。訴えてやる!!」
夫「何で3年前のことで、今更訴えられなきゃいけないんだよ(トホホ」

 従軍慰安婦問題を夫婦の浮気問題に置き換えてみたのですが、私がこのたとえ話で示したかったことは、従軍慰安婦の問題を軽んじているわけでは決してありません。

「亭主の浮気」に乱暴に喩えてみたのは、安倍政権の論法の危うさを浮き彫りにして警鐘を鳴らしたかったからです。

 このたとえ話での亭主の言い訳「広義の浮気はあったが狭義の浮気はなかった」という情けない言い分に、実は安倍首相の「慰安婦問題では、広義の強制性はあったが狭義の強制性はなかった」という論法が酷似しているのを明確に示したかったからです。

 「広義の強制性はあったが狭義の強制性はなかった」という論法は、そもそも条件付きながら強制性をともなう慰安婦召集があったことを認めている点で非常に弱い主張ととらわれがちですし、そもそもこのようなややこしい日本語のニュアンスは、国際的にはなかなか通用しませんし、今回もそうですが正しく翻訳すらされません。

 特に文法的にYESかNOかを明確にしたがる英語文化圏、なかでもアメリカ人には極めてわかりにくいのです。

 その意味で、従軍慰安婦問題で「広義の強制性」表現を乱用している安倍政権は、自ら国際的誤解を生じる致命的ミスを犯していると思えるのです。

 昨年10月の当ブログエントリーから抜粋。

■[社会]「広義のいじめ」とか「狭義の強制連行」とか〜元の言葉が負のイメージの場合の安直なカテゴリー分けの表現方法としての限界

(前略)

●「広い意味でいじめ」とか「狭義の強制連行」とか〜元の言葉に強烈な負のイメージがつきまとう場合「広義」や「狭義」のカテゴリー分けは上手な表現方法ではない

 さて、本エントリーで論じたいのは、従軍慰安婦問題の真贋論争ではありません。

 「広義」と「狭義」の使い方であります。

 「広義」か「狭義」かを論じる議論そのものの持つ限界というか「あやうさ」に関してであります。

 かたや事実の検証もろくにせず「(1)従軍慰安婦動員の事実と責任を認める」ことを日本政府に求めている米下院で可決された決議案にたいし、日本国内で内向きに「強制連行」が「広義」か「狭義」を論じる議論はどのくらい説得力があるのでしょうか。

 方法論としては弱いといわざるを得ません。

 一般には、その意味も言葉の定義も負のイメージがつきまとうような元の言葉に、ある基準で「広義」と「狭義」に分けて論じる場合、元の言葉自体は「真」であるといった短絡的な印象を与えがちです。

 日本軍の従軍慰安婦の「強制連行」に関して先入観として非人道的なイメージしか持っていない人々に、「広義」としてはともかく「狭義」としては「強制連行」は「偽」であるといった論法は、それがいかに「客観的」な資料に基づく社会「科学的」アプローチであったとしても、一部とはいえ「強制連行」を「真」と認めている点で、議論の方法論としては弱いといわざるを得ません。

 阿倍首相や日本政府は「狭義の強制性」はなかったなどと弱い論法ではなく、「客観的」な資料に基づく社会「科学的」アプローチによる実証をして、日本政府・日本軍による直接の「強制性」はなかったと、明確に否定すべきではないでしょうか。

 ・・・

 「狭義の強制性」とか「広義の強制性」などというカテゴリー分けは、「強制性」そのものは否定していない点で、国内はともかく国際的にはときに説得力に欠く脆弱な表現方法であることを認識していただきたいです。

 ・・・

 「いじめ」しかり、「強制連行」しかり、元の言葉に強烈な負のイメージがつきまとう場合、「広義」とか「狭義」とかを表現すること自体、その真摯な意図とは別に、ときに第三者の心に安直に負の印象をすりこんでしまう危険がつねにつきまとうのです。

(後略)

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20061031/1162282819

 「阿倍首相や日本政府は「狭義の強制性」はなかったなどと弱い論法ではなく、「客観的」な資料に基づく社会「科学的」アプローチによる実証をして、日本政府・日本軍による直接の「強制性」はなかったと、明確に否定すべきではないでしょうか。」
 半年前のエントリーで私は上のように警鐘を鳴らしました。

 「浮気」にしろ「いじめ」にしろ「慰安婦問題」にしろ、元の言葉に強烈な負のイメージがつきまとう場合、「広義」と「狭義」を使い分けて部分的にしろ肯定してしまっては、国際的にはときに説得力に欠く脆弱な表現方法である、と半年前に当ブログとして警鐘していたのでありますが、今回残念ながらこの杞憂が現実のものになってしまったわけです。

 「広義の強制性」と「狭義の強制性」の定義の問題が、AP電やNYT記事により「強制性」の全否定にすりかわって海外では伝えられているのであります。

 これは明らかに日本政府・安倍政権の戦術ミスです。

 一昨日の日曜日(4日)に読売新聞紙面に本件に関わる興味深いインタビュー記事が掲載されていました。

 電子化はされていないようですが、インタビュー主要部分を抜粋してご紹介いたしましょう。

 インタビュー相手は米国の知日派の代表格であるマイケル・グリーン前米国国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長です。

マイケル・グリーン氏に聞く 「慰安婦」歴史家に任せよ

(中略)

−−−米下院では、民主党のマイケル・ホンダ議員らが慰安婦問題で日本に公式な謝罪を求める決議案を提出し、外交委員会の小委員会で公聴会が行われた。
 「米議会がこの問題に関与するのは大きな間違いだ。特に外交委員会は、北朝鮮の人権侵害、台頭する中国の挑戦など、対応すべき問題が山積している」

−−−日本政府は公式に謝罪しているにもかかわらず、決議が繰り返し米議会に提出されるのは、なぜか。
 「韓国系の住民の多いカリフォルニア州出身議員らが推進しているからだ。反日、反米、親北朝鮮の民間活動団体(NGO)などが絡んでいることもある」

−−−自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が河野官房長官談話の見直しを議論しているのをどう受け止めるか。
 「仮に決議案が採択されたとしても、米国の日米同盟に関する政策に与える影響はゼロだ。米メディアの報道も今のところ低調だ。しかし、日本が反発すれば事態は悪化する。共和党民主党の一部議員が、決議案の問題点に気づき、修正や廃案をめざして動き始めたが、日本の政治家が反発すると収拾が難しくなる。日米とも政治家がこの問題に関与すれば国益を損なう。歴史家に任せるべきだ」

−−−安倍首相は「(旧日本軍の)強制性を裏付ける証拠は無かったのは事実だ」と発言している。
 「安倍政権の外交政策、特に国連での対北朝鮮制裁決議採択や、中韓との関係改善に向けた首相の指導力は、ワシントンでも高く評価されている。ただ、慰安婦問題は、高いレベルが政治介入すればかえって複雑化する。強制性があろうとなかろうと、被害者の経験は悲劇で、現在の感性では誰もが同情を禁じ得ない。強制性の有無を解明しても、日本の国際的な評判が良くなるという話ではない」

−−−昨秋、下院で開かれた公聴会靖国神社問題について証言し、日本の立場に理解を示したが、この問題では批判的なのか。
 「慰安婦問題で議会に呼ばれたら、残念ながら日本を擁護できない。靖国問題慰安婦問題は違う。どの国にも戦争で亡くなった英霊に敬意を表す権利があり、中国に介入する権利はない。クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』がヒットしたのは、米国人だけでなく日本人の犠牲者に対する同情を呼んだからだ。しかし、慰安婦問題で同情されるのは被害者女性だけで、日本が政治的に勝利することはない」

読売新聞3月4日紙面4面より 抜粋引用

 マイケル・グリーン前米国国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長ですが、当ブログで何回も紹介してきたアメリカ共和党きっての知日家でありながくブッシュ政権のブレーンを務めてきた、私の最も尊敬するアメリカ人親日家の一人であります。

 このマイケル・グリーン氏の意見ですが、いつもながら冷静なきわめて妥当な分析であると評価できましょう。

 公聴会そのものは、「米議会がこの問題に関与するのは大きな間違い」であり「反日、反米、親北朝鮮の民間活動団体(NGO)などが絡んでいる」ことを指摘しつつ、慰安婦問題自体は「歴史家に任せるべき」であり、「日米とも政治家がこの問題に関与すれば国益を損なう」と断じています。

 彼によれば、「強制性があろうとなかろうと、被害者の経験は悲劇で、現在の感性では誰もが同情を禁じ得ない。強制性の有無を解明しても、日本の国際的な評判が良くなるという話ではない」のであり、本質的には「慰安婦問題で同情されるのは被害者女性だけで、日本が政治的に勝利することはない」からであります。

 ・・・

 まさに正論でありましょう。

 「広義の強制性はあったが狭義の強制性はなかった」という論法は、そもそも条件付きながら強制性をともなう慰安婦召集があったことを認めている点で非常に弱い主張ととらわれがちですし、そもそもこのようなややこしい日本語のニュアンスは、国際的にはなかなか通用しませんし、今回もそうですが正しく翻訳すらされません。

 特に文法的にYESかNOかを明確にしたがる英語文化圏、なかでもアメリカ人には極めてわかりにくいのです。

 その意味で、従軍慰安婦問題で「広義の強制性」表現を乱用している安倍政権は、自ら国際的誤解を生じる致命的ミスを犯していると思えるのです。

 ・・・

 国会の場で安倍首相が、狭義・広義の定義にこだわり慰安婦問題で自己主張を展開するその手法は、それがいかに真摯に正鵠を射ていようとも、外交戦術的には国際的誤解を生じる点で正しい方法とは思えません。

 これでは首相の意に反して結果的に、60年以上前の軍国日本の負のイメージをまき散らすことになってしまっています。

 日本国首相が国会の場で主張すべきは、戦後平和日本の輝かしい実績を礎にした現在の諸施策を扱うべきなのであり、そのような遙か遠い過去の軍国日本の負の遺産に関してではないでしょう。

 なぜならマイケル・グリーン氏が冷静に忠告しているように、国際的には「強制性があろうとなかろうと」「慰安婦問題で同情されるのは被害者女性だけで、日本が政治的に勝利することはない」からです。



(木走まさみず)