木走日記

場末の時事評論

青島幸男さん死去:さらば日本の古き良き「明日があるさ」時代

 朝日新聞から・・・

東京都知事青島幸男さん死去
2006年12月21日

 放送作家、俳優、小説家、国会議員とマルチな活動で知られた前東京都知事青島幸男(あおしま・ゆきお)さんが、20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で急死した。74歳。東京都出身。先月1日に自宅で転倒し、入院して病気が判明。19日夜までは元気だったが、この日朝、容体が急変した。「ビールでも飲みたいね」が、家族に残した最後の言葉。妻美千代さん(69)は「死に方も含めて、最後まで青島幸男らしかった」と、さばさばした表情だった。

 (後略)
http://www.asahi.com/culture/nikkan/NIK200612210012.html

 家族に残した最後の言葉が「ビールでも飲みたいね」とは、さすがテレビ創生期の放送作家にして、作詞家としても活躍して、超人気クレイジーキャッツの「すーだら節」などの一連のヒット曲を生んだ青島さんらしい、いかにも「軽い」フレーズでありましたね。

「スーダラ節」
青島幸男作詞・萩原哲晶作曲

チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体(からだ)に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねえ
ア ホレ スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーララッタ
スーララッタ スイスイ
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/suudarabushi.html

 青島幸男さんと石原慎太郎都知事は、「国会議員の経験のある東京都知事で高名な作家」というだけでなく共通点がとてもおおいのあります。

 ともに1932年生まれ、68年の参院選全国区で当選し、政界入りしてタレント議員と呼ばれました。またともに絵筆を握り、青島さんはは二科展入選を果たしたこともある腕を持っていたのは有名な話で、青島さんが監督した映画「鐘」はカンヌ映画祭に入選したりもしましたっけ。

 もっとも似ているのはここまでで純文学の芥川賞作家である強面(こわもて)の「重い」石原氏に比べ、直木賞作家の青島さんはあくまでも「軽かった」のでありますね。

 ・・・

 都知事になって散々の評価の中で一期で退任、その後参院選に出馬するも続けて落選と、正直政治家としては晩節を汚してしまった感は否めませんが、作家、映画監督、参院議員、都知事と、多才にして多彩を極めた生涯のうち、誰の目にも眩(まぶ)しく映ったのはやはり、抜き手をきってテレビ草創期を泳ぎ回った、あの「青島だぁー」の姿かも知れません。

 先ほど紹介した植木等さんが歌った「スーダラ節」が大ヒットしたのは日本が高度経済成長の坂道を一気に駆け上がっていた1961年であります。

 それはまたテレビというまったく新しいメディアの青春時代でもあったわけで、そのテレビの放送作家だった青島さんがある日の番組「シャボン玉ホリデー」で、自らベレー帽をかぶりパイプをくゆらせふんぞり返りカメラの前に現れて言った、「青島だァ、この本はオレが書いているんだ、文句があるかあ」、この「青島だぁー」が流行語になった時代でありました。

 ひらめくままの奔放な才気は、「スーダラ節」の歌詞や「シャボン玉ホリデー」の寸劇となって世に飛び散り、戦後復興の坂道をのぼる人々の足取りに、笑いという軽快なリズムを与えたのです。

 昭和30年代、戦後日本の高度経済成長期、時代の寵児であった青島さんなのでした。

 ・・・

 青島幸男を紹介するのに昭和30年代の話や元都知事だった話より、若い読者には近年「ジョージア」コーヒーのCMに採用され吉本喜劇の芸人達やウルフルズが唱ってリバイバルし、TVドラマ化までした「明日があるさ」の元歌の作詞者と言った方がご理解されやすいかも知れません。

 元歌は、青島幸男作詞中村八大作曲で故坂本九が唱って1963年に大ヒットいたしました。

明日があるさ

青島幸男 作詞
中村八大 作曲



いつもの駅でいつも逢う
セーラー服のお下げ髪
もうくる頃もうくる頃
今日も待ちぼうけ
明日がある明日がある
明日があるさ



ぬれてるあの娘コウモリへ
さそってあげよと待っている
声かけよう声かけよう
だまって見てる僕
明日がある明日がある
明日があるさ



今日こそはと待ちうけて
うしろ姿をつけて行く
あの角まであの角まで
今日はもうヤメタ
明日がある明日がある
明日があるさ



思いきってダイヤルを
ふるえる指で回したよ
ベルがなるよベルがなるよ
出るまで待てぬ僕
明日がある明日がある
明日があるさ



はじめて行った喫茶店
たった一言好きですと
ここまで出てここまで出て
とうとう言えぬ僕
明日がある明日がある
明日があるさ



明日があるさ明日がある
若い僕には夢がある
いつかきっといつかきっと
わかってくれるだろ
明日がある明日がある
明日があるさ
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk0/ashitagaarusa.html

 なんだか今考えると「声かけよう声かけよう だまって見てる僕」とか「今日こそはと待ちうけて うしろ姿をつけて行く」とか、間違いなくストーカー行為(苦笑)じゃないのかと思ってしまうのですが、63年という時代背景の中で、青島さんは、おそらく男子高校生であるだろう主人公のシャイで純粋な恋心を中村八大の軽快なリズムに併せて付けたのであります。

 地方から都会への中学卒・高校卒の集団就職の若者達が高度成長を続ける当時の日本経済の原動力であった時代であります。

 この6番の歌詞はあまりに有名でその後のリバイバルでもここの台詞はそのまま使われています。

明日があるさ明日がある
若い僕には夢がある
いつかきっといつかきっと
わかってくれるだろ
明日がある明日がある
明日があるさ

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 時代は移り、日本の高度経済成長は終わり、バブル崩壊による長い不況、最近では格差拡大や少子化による人口減という、無邪気に「明日があるさ」などと日本の将来を楽観することはできない時代になりました。

 リバイバルした「明日があるさ」の歌詞では、元歌の持つ牧歌的な癒される楽観主義は影を潜めます。

ある日 突然考えた
どうしてオレは頑張ってるんだろう
家族のため? 自分のため?
答えは風の中

 余談ですが、歌詞の最後「答えは風の中」という一文、これは年配の方はご存知でしょうが、ボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」(風に吹かれて)という曲の中で使用されるフレーズ“The answer is blowin in the wind.”(答えは風の中にある)を意識したものでしょう。

 日本自身決して豊かではなかったが若く活力に満ち将来に希望を持ち得た時代から、老成した閉塞した時代へと移り変わってきた、この「明日があるさ」の歌詞の変遷には、オーバーかもしれませんがそれぞれの時代背景が見事に顕れているのではないかと思います。

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 あくまでも庶民的で「軽い」乗りの青島さんが死去した昨日、新聞には日本の将来像について暗いニュースが載っていました。

 朝日新聞記事から・・・

将来の出生率1.26に低下、人口の4割が高齢者に
2006年12月20日19時39分
 国立社会保障・人口問題研究所は20日、2055年までの日本の将来推計人口を発表した。女性が生涯に産む子どもの数(合計特殊出生率)の50年後の見通しは、02年の前回推計の1.39から1.26に大幅に低下。人口減少が加速し総人口は46年に1億人を割り込む。55年には8993万人に減り、65歳以上が人口に占める高齢化率は今の倍の40.5%になるとしている。「現役世代の収入の5割」の年金給付維持が政府の約束だが、このまま少子高齢化が進めば、年金積立金の長期的な運用が改善しない限り、給付水準が5割を維持できなくなるのは確実だ。

(後略)

http://www.asahi.com/life/update/1220/008.html

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 時代はすでに青島さんが描いた「軽い」「明るい」社会ではなくなろうとしています。

 ある意味でこの人は時代を存分に駆けめぐった幸せな人生を送ったと言えましょう。

 合掌。



(木走まさみず)



<参考サイト:本日青島さん死去を扱っていた新聞コラム>
■読売新聞コラム:読売手帳 12月21日付・編集手帳
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061220ig15.htm
毎日新聞コラム:余禄 青島さんが亡くなった…
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/yoroku/
日経新聞コラム:春秋 春秋(12/21)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20061220MS3M2000520122006.html