木走日記

場末の時事評論

朝日新聞社説「96年前の虐殺 追悼拒む都知事の誤り」に反論する〜関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の犠牲者数「六千余名」の信ぴょう性を徹底検証

東京都の横網町公園の一等地とも言える場所に堂々と立つ「関東大震災朝鮮人犠牲者の慰霊碑」であります。

公園の公式サイトより。

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑
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http://tokyoireikyoukai.or.jp/park/%e6%96%bd%e8%a8%ad%e6%a1%88%e5%86%85/%e6%9c%9d%e9%ae%ae%e4%ba%ba%e7%8a%a0%e7%89%b2%e8%80%85%e8%bf%bd%e6%82%bc%e7%a2%91/

関東大震災時の混乱のなかで、あやまった策動と流言ひ語により尊い命を奪われた多くの朝鮮人を追悼し、二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないことを願い、震災50周年を記念して昭和48年(1973)に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」により立てられた碑です。

この碑文の犠牲者数「六千余名」となっております。

今回はこれを取り上げます。

この数値「六千余名」は、実は千葉県船橋市立馬込霊園内(霊園入口から100mほどの右手)の一角にある在日朝鮮人連盟中央本部によって建立されたもの「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」の石碑の数値を参考にしたものです。

大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」の金承学らによって震災後に組織された「罹災同胞慰問団」が秋から冬にかけて調査した結果によれば6661人をベースに調整した結果6415名を得たものです。

関東大震災犠牲同胞慰霊碑
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E7%8A%A0%E7%89%B2%E5%90%8C%E8%83%9E%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91

この表における最大の犠牲者数神奈川県の4106名に着目してください。

後ほどこの数値の信ぴょう性を検証いたします。

さて朝日新聞は8月29日付けで「96年前の虐殺 追悼拒む都知事の誤り」と題した社説を掲げています。

(社説)96年前の虐殺 追悼拒む都知事の誤り
2019年8月29日05時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S14156440.html?iref=editorial_backnumber

関東大震災で殺害された朝鮮人の追悼式に、小池百合子東京都知事は今年も追悼文を送らないと表明したことを批判します。

 96年前の関東大震災の混乱の中、日本で暮らしていた多くの朝鮮人や中国人が、住民の「自警団」や軍、警察によって殺害された。その追悼式に、小池百合子東京都知事は今年も追悼文を送らないと表明した。

 式典は市民団体の主催で1974年以降、墨田区内の都立公園で開かれ、歴代知事がメッセージを寄せてきた。小池氏も就任直後の2016年は前例にならったが、翌年から取りやめた。震災の犠牲者全てを対象とする法要で哀悼の意を示しているから、というのが理由だ。

 だが天災による死と殺害は明らかに性質が異なり、承服し難い。のみならず知事は虐殺について「様々な見方がある」「歴史家がひもとくもの」とあいまいな言い方に終始している。

 事実を軽視し、過去に学ぶ姿勢に欠ける振る舞いで、厳しい非難に値する。

自民党議員の「追悼碑の説明文にある「六千余名」という犠牲者数は過大だ」という質問がきっかけだと説明します。

 きっかけは議会での自民都議の質問だった。自警団の行動は震災に乗じて凶悪事件を起こした朝鮮人らへの自衛措置だったとし、公園内の追悼碑の説明文にある「六千余名」という犠牲者数は過大だと批判した。

 だが、「朝鮮人が暴動を起こす」「井戸に毒を入れた」といった話がデマだったことは、当時の政府が認めている。詳しい調査がされなかったため正確な犠牲者の数は不明だが、内閣府中央防災会議の報告書(08年)は1千~数千人が殺されたと推計。「大規模災害時に発生した最悪の事態」と位置づけ、教訓とするよう訴えている。

 流言飛語によって民族的な差別意識を増幅させた市民が、何の罪もない人々を殺傷したというのが、事件の本質なのだ。

社説は小池知事の振る舞いは「日本のみならず世界の心ある人々が知れば、幻滅し、その資質を疑うだろう」と批判して結ばれています。

 この件にとどまらない。

 日本の負の歴史について、研究の蓄積を無視した主張を言い募り、あるいは一部に疑問を投げかけて、諸説があるかのような空気をつくり出し、公的な場から消し去ろうとする「歴史修正主義」の動きが近年相次ぐ。追悼文の取りやめを定着させることは、そうした風潮に加担する行為に他ならない。

 人種や民族、宗教などの違いを理由に排斥するヘイトクライム憎悪犯罪)への対策は、国際的な課題だ。最近の日本でも大きな災害が起きるたびに、外国人が犯罪を重ねているといった悪質なデマが飛び交う事態が繰り返されている。

 東京では来年、あらゆる差別を禁じる憲章の下、五輪・パラリンピックが開かれる。高い確率で直下型地震も見込まれる。その都市のトップが、ヘイトクライムの過去に真摯(しんし)に向き合おうとしない。日本のみならず世界の心ある人々が知れば、幻滅し、その資質を疑うだろう。

さて犠牲者「六千余名」という人数の検証していきましょう。

まず当時の関東エリアの全人口と犠牲者数を「震災死亡者調査票」をもとに調査した学者のレポートを見てみます。

関東大震災における避難者の動向
「震災死亡者調査票」の分析を通して
関西学院大学災害復興制度研究所研究員
北原 糸子
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http://www.fukkou.net/research/bulletin/files/kiyou4_kitahara.pdf

犠牲の多かった1都6県の人口と死亡者数が表になっています。
ちなみに表から神奈川県では推定人口が1,379,000人で犠牲者数が31,859人ですから、死亡率は2.3%だったことがわかります。

さて次に神奈川県在住の当時の朝鮮人人口を押さえておきます。

次のレポートで5年ごとの都道府県別朝鮮人の人数が明らかになっています。

震災復興期の東京府朝鮮人労働者
    に関する人口・職業分析
松本俊郎
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http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/42108/20160528051714670665/oer_016_4_107_145.pdf

神奈川県を注目すると、1920年で514人、1925年で5,561人とこの五年で10倍以上増えていることがわかります。

関東大震災は1923年ですから、514人と5,561人の間と推測できます。

同じレポートの次のグラフから1923年の朝鮮人人口がわかります。

震災復興期の東京府朝鮮人労働者
    に関する人口・職業分析
松本俊郎
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http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/42108/20160528051714670665/oer_016_4_107_145.pdf

この勾配から、関東大震災時の、関東圏の朝鮮人の人数はおよそ14000人、神奈川県の朝鮮人人数はおおよそ3000人と推測できます。

さてまとめます。

碑文の犠牲者数「六千余名」の根拠になっている調査では、神奈川県における虐殺犠牲者は4106名となっています。

しかし今検証したとおり、当時神奈川県の朝鮮人はその総数で3000人と推測され、犠牲者数は1000人以上オーバーしてしまいます。

一歩譲って犠牲者数4106名を正しいと認めるとすると、統計上1920年で514人だったのが、1923年に4106名虐殺されたのにもかかわらず、しかしその2年後に5,561人に人口に戻っていることになります。

この人口推移は上記レポートグラフや表の数値を検証すれば、まったく有り得ないでしょう。

つまり関東大震災で神奈川県で4106名も朝鮮人が虐殺されることは統計上不可能なことは、

1.当時神奈川県には約3000人しか朝鮮人はいなかったと推測されること。
2.4000人も虐殺されていたら、2年後に5561人に人口を有するには、その期間だけで少なくとも9500人は増えなければならないこと。

この2点で自明です。

碑文の犠牲者数「六千余名」の根拠として、その三分の二の神奈川県の犠牲者数が、今検証したとおり有り得ない数値であることがわかります。

朝日新聞社説に明確に反論しておきます。

小池百合子都知事の「様々な見方がある」「歴史家がひもとくもの」との態度は正しいのです。

少なくとも碑文の犠牲者数の「六千余名」はその信ぴょう性はまったくないと言えましょう。



(木走まさみず)