木走日記

場末の時事評論

『愛国心』なんて強制してもうまくいきっこない〜愛国無罪と荒れる卒業式と産経社説と愛国行進曲の替え歌についての一愚考

kibashiri2006-05-28




●『愛国心』という言葉から連想される異なる二つのイメージ〜中国の『愛国無罪』デモと日本の「大荒れ」成人式

 不肖・木走は『愛国心』というと、近年の2つの事象を想起しつつまったく異なる二つのイメージを連想してしまうのであります。

 最初は狭量な『愛国心』なるものに対する純粋な嫌悪感であります。

 昨年春の中国の反日デモ大暴動で参加した若者が口々に叫んでいた『愛国無罪』なる言葉であります。

 『愛国無罪』とは、ご承知のように「国を愛することから行われる蛮行に罪はない」を意味する中国語の言葉です。

 ところで、昨年の反日デモには正確には『抗日有理、愛国無罪とのスローガンが掲げられたのですが、この言葉の由来は文化大革命時のスローガン造反有理、革命無罪』との関連も指摘されているようですが、多くの意見は1930年代の満州事変から日華事変に至る混乱の中起きた1936年の救国入獄運動(5月に宋慶齢らにより結成された全国各界救国联合会の幹部が国民政府に逮捕された事件)の際に用いられたスローガン愛国無罪、救国入獄』が発祥とされているようです。

 つまり、中国の愛国スローガンの変移を簡単にまとめると

【戦前】・・・1930年代
 愛国無罪、救国入獄』
文化大革命】・・・1960年代
 造反有理、革命無罪』
【現在】・・・2000年代
 『抗日有理、愛国無罪

 で、昨年の反日デモの時にも大いに注目された指摘に、実は、天安門事件以降の中国の愛国教育・反日教育が強化されたことが、反日デモに使われたスローガン『抗日有理、愛国無罪』と本質で繋がっているのではないか、そのために中国政府も極めて対応に苦慮してしまったのではないかという分析です。

 いきすぎた『愛国心』教育というものが、反日教育と結びつきながら中国当局が国内融和手段として利用してきた結果、ささいなきっかけで政府も抑制不能な暴動と化したわけですが、危険なのは、不確かな洗脳教育を受けた者たちの短絡的な行動であります。

 『抗日有理、愛国無罪』と叫びながら、日本料理店や上海日本領事館などへの投石破壊活動を行う中国の若者達の報道をTVで見るに付け、他国のこととはいえ、偏狭で排外的な『愛国心』なるものに対する純粋な嫌悪感を抱いたのは、おそらく私だけではなかったでしょう。

 ・・・

  私が『愛国心』というと連想してしまうもうひとつの事象は、近年の日本の大荒れの成人式なのであります。

 みなさんもよくご承知のことでしょうから個別の報道を取り上げませんが、最近の成人式は「大荒れ」と報道されています。一部の自治体では、式を妨害した人たちが逮捕される騒ぎにまでなっています。

 もちろん、ここまで大騒ぎをする人は、ごく一部です。法的には少年ではないけれど彼らの行動を悪さをする「非行少年」の心理として考えてみればはやいのでしょう。

 式の進行を妨げる行為、市長の演説をやじり倒す、クラッカーをならす、国旗や市旗を引き下ろす、やりたい放題するわけです。

 まるで暴走族の暴走行為と同じです、

 無視して出席しないわけではなく、市に抗議したり式を断固中止させようというわけでもなく、出席はし、そして悪ふざけをする。

 中学生ぐらいのワルにはよく見られる行動です。

 ・・・

 憂うべきはガバナビリティ(被統治能力)の完全なる欠落です。

 集団の一員としてふるまうことができない。

 ルールを守ることができない。

 他者に敬意を払うことができない。

 私はべつに愛国主義者ではありませんが、このような大荒れの成人式の報道をTV等で見ると、日本の将来に暗澹とする想いを持ってしまうのであります。

 今日の産経社説(後述)によれば、内閣府の調査で「国を愛する気持ちをもっと育てる必要がある」と答えた人は八割を超えたそうでありますが、これら一部の大馬鹿者たちの愚かな振る舞いを見ると、それもそうであろうと大いに頷いてしまうのであります。

 自分の所属する社会に対する、感謝の心、謙虚に敬う心、これら社会人として当然情操されるべき資質が、最近の若者には希薄になりつつあることは、多くの識者が指摘している憂うべき傾向であると、私も思います。

 ・・・



教育基本法改正 「愛国心」は明記すべきだ〜産経社説

 今日(28日)の産経新聞社説から・・・

■【主張】教育基本法改正 「愛国心」は明記すべきだ

 国会で教育基本法改正をめぐる本格的な論戦が始まった。特に興味深いのは、愛国心をめぐる論議だ。政府案は「国と郷土を愛する態度を養う」とし、民主党案は「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」としている。小泉純一郎首相は民主党案について、「なかなかよくできている。それほど大きな違いがあるとは思わない。十分審議してもらえば共通点は見いだせる」と述べた。前後の文章を含め、より簡明で素直な表現を目指し、与野党で知恵を絞ってほしい。

 衆院特別委員会で一部野党は、福岡市内の小学校で愛国心が通信簿の評価項目に入れられたケースを取り上げ、愛国心の明記が児童生徒の内心の自由を侵害する懸念を指摘した。

 これに対し、小泉首相は「小学生に愛国心があるかどうかの評価は必要ない」と答えた。子供については、首相の言う通りだが、先生の場合は別だ。学習指導要領で「国を愛する心」の育成が求められており、先生がその指導義務を果たしているかどうかの評価は必要であろう。

 七年前、国旗国歌法が制定されたときも同じような議論があった。当時の野中広務官房長官は「生徒や児童の内心に入ってまで強要しない」と述べ、有馬朗人文相も「口をこじ開けて(君が代を)歌わせることは許されない」と答えた。しかし、先生については、「校長が教員に職務を命じることは教員の思想・良心の自由を侵すことにならない」(有馬文相)とされた。

 国旗国歌法の成立により、先生の指導義務がより明確になり、教育現場の混乱は回避されつつある。愛国心についても、指導要領に加え、教育基本法にも明記し、先生の指導義務を明確化する必要があろう。

 内閣府の調査では「国を愛する気持ちをもっと育てる必要がある」と答えた人は八割を超えた。日本を誇りに思うことを聞いたところ、(1)長い歴史と伝統(42%)(2)美しい自然(41%)(3)優れた文化や芸術(40%)(4)国民の勤勉さ、才能(28%)の順だった。

 民主党案にある「涵養」は、水が自然にしみこむように育てるという意味だ。愛国心というものは、子供たちが日本の歴史を学び、伝統文化に接し、豊かな自然に触れることにより、自然にはぐくまれるものである。

http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm

 政府案は「国と郷土を愛する態度を養う」で、民主党案は「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」でありますが、小泉純一郎首相は民主党案について「なかなかよくできている」と評価しているそうです。

 この教育基本法改正で「愛国心」は明記すべきだと強く主張する産経社説でありますが、主張の核心部分はここでしょう。

 これに対し、小泉首相は「小学生に愛国心があるかどうかの評価は必要ない」と答えた。子供については、首相の言う通りだが、先生の場合は別だ。学習指導要領で「国を愛する心」の育成が求められており、先生がその指導義務を果たしているかどうかの評価は必要であろう

 つまり、ターゲットは児童ではなく先生なわけです。

 国旗国歌法の成立により、先生の指導義務がより明確になり、教育現場の混乱は回避されつつある。愛国心についても、指導要領に加え、教育基本法にも明記し、先生の指導義務を明確化する必要があろう。

 産経は愛国心教育を徹底するためには『悪しき元を断たなきゃダメ』という発想で、「愛国心についても、指導要領に加え、教育基本法にも明記し、先生の指導義務を明確化する必要があろう。」と主張しているのです。

 しかし、どうなんでしょう、法律や教育で『愛国心』なる心のありようにまで強制するのは、私はエレガントではないと考えてしまうのです。

 だいいち、今の先生方に『愛国先生』として児童を指導する力量はあるんでしょうか。

 こういうことは強制するとろくなことにはならないような気がするのです。



●『愛国』華やかりし時代の日本の軍歌をノスタルジックに振り返ってみよう〜「見よ 東海の空明けて」が「見よ 東条の禿頭」に(苦笑)

 中国で『愛国無罪、救国入獄』が叫ばれたのが1936年、翌37年には日華事変が起こり日本は本格的に対中国戦争へとのめりこんでいきます。

 さらに翌38年の今月・5月には、総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定した『国家総動員法』が公布されます。

 この『国家総動員法』公布にさきがけ、内閣情報局が『愛国の唄』を国民から公募します。

 当選した軍歌が。有名な『愛国行進曲』であり、レコード各社が競作し、当時としては空前のミリオンセラーとなり、各社で映画化(日活)(キネマ)もされました。

 作詞した森川幸雄氏は当時23歳。作曲した瀬戸口藤吉氏は「軍艦行進曲」を作曲した元海軍軍楽隊長当時70歳の瀬戸口直吉氏です。

愛国行進曲(1938年1月) 

(作詞:森川幸雄;作曲:瀬戸口藤吉)=(歌唱:各社)

【一】
見よ 東海の空明けて

旭日(きょくじつ) 高く輝けば

天地の正気 溌刺(はつらつ)と

希望は躍る 大八洲(おおやしま)

おお 清朗の朝雲に  

聳(そび)ゆる富士の姿こそ

金甌(きんおう)無欠 揺るぎなき

わが日本の 誇りなれ

【二】
起て 一系の大君を

光と永久(とわ)にいただきて

臣民われら 皆共に

御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命

征け 八紘(はっこう)を宇(いえ)となし

四海の人を 導きて

正しき平和 うち建てん

理想は花と 咲き薫る


【三】
いま幾度か わが上に

試練の嵐 たけるとも

断乎と守れ その正義

進まん道は 一つのみ

ああ 悠遠(ゆうえん)の神代より

轟く歩調 うけつぎて

大行進の ゆく彼方

皇国つねに 栄あれ

 この歌は、やがて太平洋戦争へと突入し敗戦に至る45年までの8年間、日本中で口ずさまれることになるわけですが、当時の国民も、歌謡曲にまで干渉する国のいきすぎた『愛国主義』政策には、実は内心では辟易していたようです。

 以下は、戦時強力内閣として登場した東条英機を揶揄する替え歌です。

見よ 東条の禿頭 

ハエがとまれば、ツルッと滑る

滑って止って またすべる

止って 滑ってまたとまる

おお テカテカの禿頭

そびゆる富士も眩(まぶ)しがり 

あの禿どけろと 口惜し泣き

雲にかくれて 大むくれ

(「愛国行進曲」(見よ東海の夜は明けて)の替え歌:いうまでもなく東条は見事な禿げ頭だった)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kaeuta.htm#doukyou

 ヤレヤレです(苦笑)

 ・・・



●『愛国心』なんて強制してもうまくいきっこない

 この東条首相を中傷する替え歌は、公式の場で唱われることはあり得なかったでしょう。
 もしこんな替え歌を堂々と唱ったら、非国民として大変な扱いを受けたことは想像に難くないのです。

 しかしながら、この替え歌には戦時下の国民のしたたかな面を垣間見た気がします。

 スターリン時代のソ連で数千万人の粛正が断行されているときに「スターリン諷刺」のアングラ小話が大流行したように・・・

 ・・・

 私は自分の国を愛する心はとても大切であると考えています。

 その意味で愛国心を育む教育は必要なのでしょう。

 しかし、愛国教育も産経社説の主張するように法律で強制するようなエレガントさにかけてしまうやり方では、決して成果が上がらないのではないでしょうか。

 国を挙げて愛国歌謡を強制したって変な替え歌ができちゃうのがオチなのです。

 『愛国心』なんて強制してもうまくいきっこないのであります。



(木走まさみず)