人の死を枕話にする残念な癖がある産経抄子さん
大新聞の朝刊一面には名物コラムがありますね、朝日の「天声人語」、読売の「編集手帳」、毎日の「余録」、産経の「産経抄」、日経の「春秋」であります。
これらコラムは社説や記事や解説などでは書けない編集部の本音などが垣間見れて興味深いのですが、ときにしばしばとんでもない論説を目にすることもあるのであります。
で、日本の大新聞の一面コラムでは、しばしば人の死を利して己の主張をする悪癖があり、大新聞編集部のお下品さを晒すことになるのでありますが、中でも産経抄はひどいです。
当ブログでは過去何回もこの人の死に便乗した自己主張をする愚かなコラムを批判してきました。
2つの例で振り返っておきましょう。
まずはゴジラ映画の音楽を担当した作曲家の伊福部昭さんが亡くなったときの平成18(2006)年2月10日の産経抄。
九十一歳で亡くなった作曲家の伊福部昭さんは、ゴジラ映画の音楽を担当したことで“おたく族”にも熱烈な信奉者がいるが、テーマ音楽のみならず、ゴジラの鳴き声も「発明」したそうだ。
▼封切りが迫るなか、ゴジラの鳴き声が決まらない。録音部が動物園で猛獣の咆哮(ほうこう)をとり、回転速度を変えたり、複数の動物の声を混ぜたりしたが、しっくりこない。そこで音楽担当の伊福部さんがコントラバスの弦を、松ヤニを塗った革の手袋でしごくアイデアを思いついた。空想の怪物に命が吹きこまれた瞬間だ。
▼北海道生まれの伊福部さんは幼いころアイヌの歌や踊りに触れ、独学で作曲を始めた。大学も北大農学部に進み、音楽家としては異端の道を歩んだ。だからこそ型にはまらない発想による情念の旋律が生まれた。これまた独学で日本の特殊撮影を世界標準に押し上げた円谷英二氏の映像とあいまって、ゴジラは不朽の名作となった。
▼第一作は戦争の記憶も生々しい昭和二十九年に封切られたが、そのときの「東京襲来ルート」が興味深い。一度目は品川周辺だけ。二度目は芝浦に上陸して新橋、銀座を経て永田町の国会議事堂を壊し、平河町から遠回りして上野、浅草と都心を時計回りに隅田川へ消えた。
▼平成十六年まで二十八作つくられたゴジラは新宿副都心をはじめ、ニューヨークまで遠征して暴れ回ったが、第一作同様、皇居の付近に足を踏み入れたことはない。「ゴジラ=戦死した兵士の霊」との怪説を唱えた評論家もいるほどだ。
▼だからどうした、といわれそうだが、破壊王ゴジラでさえ、タブーを守っている。小泉純一郎首相も皇室典範改正を「政争の具にしない」と繰り返し始めた。その言葉を信じてしばし、見守りたい。
偉大な作曲家の死から話は昭和29年度作品「ゴジラ」の話になり、「平成十六年まで二十八作つくられたゴジラは新宿副都心をはじめ、ニューヨークまで遠征して暴れ回ったが、第一作同様、皇居の付近に足を踏み入れたことはない」とし、「破壊王ゴジラでさえ、タブーを守っている」のだから、「小泉純一郎首相も皇室典範改正」など言わないでタブーを守ってほしいとトンでもない方向に話をまとめてしまいます。
人の死を自己主張に結びつけるお下品さもさることながら、このコラムは重大な事実誤認がありました。
第一作のゴジラの「東京襲来ルート」ですが、「芝浦に上陸して新橋、銀座を経て永田町の国会議事堂を壊し、平河町から遠回りして上野、浅草と都心を時計回りに隅田川へ消えた」(産経抄)このルートは、皇居を守るために「破壊王ゴジラでさえ、タブーを守っている」わけではぜんぜんなく。実はこれは東京大空襲時のB29の大編隊の進入ルートの再現だったのであります。
事実をよく調べもせずに、作曲家の死=>ゴジラ映画=>ゴジラも皇居を襲わないタブーを守っている=>小泉首相も皇室典範にさわるな、タブーを守れ、と強引に自己主張に持っていっているわけです。
参考までに当時の当ブログ。
■ゴジラが皇居を襲わなかった本当の理由〜何もわかっちゃいない産経コラム
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060210
次の例は、作詞家にして右翼民族派思想家であった川内康範さんが亡くなったときの平成18(2006)年2月10日の産経抄。
昭和35年のレコード大賞に輝いた「誰よりも君を愛す」は、川内康範さんにとって、作詞家としてのデビュー作となった。なかでも「愛した時から苦しみがはじまる」のフレーズは、世間に衝撃を与えた。
▼愛する対象が国であっても同じことだ。内閣府が発表した「社会意識に関する世論調査」の結果をみて、そう思った。国を愛する気持ちが「強い」と答えた人が57・0%と、過去最高になったという。
▼といっても国民の多くが、現状に満足しているわけではない。「悪い方向に向かっている」と感じる分野を聞いてみると、「景気」「物価」「食糧」を挙げた人が4割を超え、昨年の前回調査から2倍以上増えていた。
▼「愛国心」=悪だといわんばかりの奇妙な言説は、最近さすがに廃れてきた。それでも、歴史、伝統、文化には愛着があるが、今の日本にはない、などと屁(へ)理屈をこねる人がいる。国というものは、いいところも悪いところもひっくるめて愛するものだ。世論調査の結果は、“世界の常識”に沿ったものといえる。
▼筋金入りの愛国者だった川内さんにとって、日本はどんな国だったのか。軍隊では、ゴリラとあだ名がついた上官にいじめ抜かれた。戦後は、手のひらを返したように自国を断罪する文化人を尻目に、戦没者の遺骨の引き揚げ運動に没頭する。政治家との深いつながりやグリコ森永事件の犯人グループへの呼びかけに対して、心ない非難を浴びたこともある。
▼月光仮面を演じた大瀬康一さんが小紙に、川内さんは、「本気で社会の『正義の味方』であろうとした」と語っていた。欠点だらけなのに、愛さずにはいられない。祖国への、そんなやむにやまれぬ思いに突き動かされていたのだろう。
川内さんが作詞した曲の「愛した時から苦しみがはじまる」のフレーズから、なぜか「愛する対象が国であっても同じことだ」と愛国心の話に持っていき、産経抄子の持論「国というものは、いいところも悪いところもひっくるめて愛するものだ」と強引に持っていきます。
「筋金入りの愛国者だった川内さん」と故人を称えているわけですが、ここでもこのコラムは巧みな故人に対する事実隠蔽をして読者に誤解を与えています。
確かに川内さんは民族派であり筋金入りの右派でしたが、実は今日の産経などの保守論壇の論客たちとは、はっきり一線を期していた孤高の人なのでありました。
民族派である川内さんは憲法9条護憲派であり、靖国参拝反対派でありました。
氏の回想録である『生涯助ッ人』では、その最終章でわざわざ『特別寄稿/今こそ憲法を越える不戦の決意を持て』という章を設けて平和憲法9条断固堅持と国立追悼施設設置を熱烈に主張しているほどです。
生涯助ッ人 回想録 (単行本)
川内 康範 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E6%B6%AF%E5%8A%A9%E3%83%83%E4%BA%BA-%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2-%E5%B7%9D%E5%86%85-%E5%BA%B7%E7%AF%84/dp/4087802477
川内さんの「愛国」の心は、実は産経など靖国支持派とは真逆なのでありますが、産経コラムだけ読んでいるとそんなことはまったくふれられていないのでありました。
参考までに当時の当ブログ。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080415/trd0804150217004-n1.htm
■川内康範さんはただの「筋金入りの愛国者だった」わけではない
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20080415
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そして23日付け産経抄から。
4月23日
スーちゃんはもう55歳になっていたのか。女優の田中好子さん、というより元キャンディーズのスーちゃんが亡くなったとの深夜の一報には驚かされた。しかも笑顔の陰で20年近くがんと闘っていたとは。
▼キャンディーズは、後発のピンク・レディーとはちょっとファン層が違う。今では死語となった国民的アイドルという言葉がぴったりの存在だった。若い読者には、50人近くいるAKB48の人気を3人で背負っていた、といえばわかってもらえるだろうか。
▼いや、ファンも時代ももっと熱かった。彼女たちの全盛期は昭和50年から3年間だったが、ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕され、王貞治選手はメジャーリーグの本塁打記録を抜く756号を放った。オイルショックを脱して景気も再び右肩上がりとなり、デフレという言葉も知らなかった。
▼何よりも彼女たちを記憶に残る存在にしたのは、「普通の女の子に戻りたい」と突然、引退を宣言し、言葉通り実行した引き際の鮮やかさだ。「年下の男の子」だった抄子は、そのうち「普通の女の子」に飽きるさ、とにらんでいたが、芸能界に復帰しても再結成しなかったのは立派だった。
▼それにひきかえ、と書くのもスーちゃんに失礼だろう。原発事故で、体育館暮らしを強いられている被災民から「もう帰るんですか!」と怒鳴られた菅直人首相の辞書には「引き際」という文字がない。
▼部下である財務副大臣に「辞任論は当然」とバカにされても我慢しているとは、気の毒で仕方がない。でも、菅さんには全盛期がないので「微笑がえし」を歌ってお別れはできないのだろう。被災民にも国民にも逆の意味で記憶に残る首相になるのは、間違いない。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110423/plc11042303000001-n1.htm
別に産経抄子に品格など無い物ねだりするつもりはないのですが、それにしても55歳の若さで乳ガンで亡くなわれた田中好子さんの話から菅直人首相の引き際の話に持ってくるとはなんとも筋の悪いコラムであります。
「それにひきかえ、と書くのもスーちゃんに失礼だろう」と、「菅さんには全盛期がないので「微笑がえし」を歌ってお別れはできない」との軽口は、人の死をもてあそぶような後味の悪さだけが残ります。
田中好子さんの早すぎる死を悔やみ元キャンディーズが全盛期に鮮やかな引退をした話題をしたいならすればいいのです。
菅総理がなかなか辞めないことを批判するならばそれもそれで大いにすればいいのです。
しかしながら無理矢理に人の死の話から始めて結局は政権批判するなどとは、下品すぎてとても同調できる筋立てではありません。
元キャンディーズの田中好子さんの死=>キャンディーズのいさぎよい引退・解散の話=>なかなかやめない菅総理にいやみを言う
ふう。
いつもどおりの論理展開です。
いつもこうなのです。
人の死は話のきっかけだけ。
本当に最後に主張したいことは別にあって、ただマクラ話としてそのとき話題の人の死に触れているだけです。
人の死を枕話にする残念な癖がある産経抄子さんなのでした。
(木走まさみず)