木走日記

場末の時事評論

川内康範さんはただの「筋金入りの愛国者だった」わけではない〜産経コラムの姑息な手法を批判する

 産経コラム【産経抄】は、私の愛読コラムでありますが、時々有名人の死を己の主張に強引に結びつけて論じるというお下品な手口を使うのはいただけません。

 2年前の2月に、ゴジラ映画の音楽を担当した作曲家の伊福部昭さんの死去においては、【産経抄】は、『ゴジラは新宿副都心をはじめ、ニューヨークまで遠征して暴れ回ったが、第一作同様、皇居の付近に足を踏み入れたことはない』、『破壊王ゴジラでさえ、タブーを守っている』というとんでもない主張を展開したので、怪獣オタクでもある私は、そいつは事実と違うと産経コラムへの反駁エントリーをしました。

■[社会]ゴジラが皇居を襲わなかった本当の理由〜何もわかっちゃいない産経コラム
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060210

 このエントリーはちょっとネットでも話題になったのでありました。

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 で、今日(15日)の【産経抄】なのですが、またしても有名人の死去を己の主張に強引に結びつけている、なんとも不快なコラムなのであります。

産経抄】4月15日
2008.4.15 02:16

 昭和35年のレコード大賞に輝いた「誰よりも君を愛す」は、川内康範さんにとって、作詞家としてのデビュー作となった。なかでも「愛した時から苦しみがはじまる」のフレーズは、世間に衝撃を与えた。

 ▼愛する対象が国であっても同じことだ。内閣府が発表した「社会意識に関する世論調査」の結果をみて、そう思った。国を愛する気持ちが「強い」と答えた人が57・0%と、過去最高になったという。

 ▼といっても国民の多くが、現状に満足しているわけではない。「悪い方向に向かっている」と感じる分野を聞いてみると、「景気」「物価」「食糧」を挙げた人が4割を超え、昨年の前回調査から2倍以上増えていた。

 ▼「愛国心」=悪だといわんばかりの奇妙な言説は、最近さすがに廃れてきた。それでも、歴史、伝統、文化には愛着があるが、今の日本にはない、などと屁(へ)理屈をこねる人がいる。国というものは、いいところも悪いところもひっくるめて愛するものだ。世論調査の結果は、“世界の常識”に沿ったものといえる。

 ▼筋金入りの愛国者だった川内さんにとって、日本はどんな国だったのか。軍隊では、ゴリラとあだ名がついた上官にいじめ抜かれた。戦後は、手のひらを返したように自国を断罪する文化人を尻目に、戦没者の遺骨の引き揚げ運動に没頭する。政治家との深いつながりやグリコ森永事件の犯人グループへの呼びかけに対して、心ない非難を浴びたこともある。

 ▼月光仮面を演じた大瀬康一さんが小紙に、川内さんは、「本気で社会の『正義の味方』であろうとした」と語っていた。欠点だらけなのに、愛さずにはいられない。祖国への、そんなやむにやまれぬ思いに突き動かされていたのだろう。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080415/trd0804150217004-n1.htm

 どうなんだろう、このコラムを読むと川内康範さんは「筋金入りの愛国者だった」ことだけが強調されていて、【産経抄】子の「国というものは、いいところも悪いところもひっくるめて愛するものだ」という自己主張に強引に紐付けられているわけですが、【産経抄】子が愛国心に関してどのような心情を吐露されても勝手ですが、もし川内康範さんがこのコラムを天国で読まれたとすれば、彼の気性からして激怒されちゃうかも知れません。

 川内康範さんはただの「筋金入りの愛国者だった」だったわけではないからです。

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 氏は確かに民族派と呼ばれる右派であり、福田赳夫の秘書を務め鈴木善幸元首相、竹下登元首相のブレーンでもあったわけですが、実は彼の愛国の主張は、産経新聞はじめ現在の保守派論壇の愛国の主張とはかなり乖離しておりました。

 川内氏は民族派的思想の持ち主でしたが、憲法9条断固堅持と靖国参拝反対国立追悼施設設置熱烈支持を自著で表明していた事実が、この産経コラムからはすっぽりと抜け落ちているのです。

 例えば氏の回想録である『生涯助ッ人』ですが、

生涯助ッ人 回想録 (単行本)
川内 康範 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E6%B6%AF%E5%8A%A9%E3%83%83%E4%BA%BA-%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2-%E5%B7%9D%E5%86%85-%E5%BA%B7%E7%AF%84/dp/4087802477

 その最終章でわざわざ『特別寄稿/今こそ憲法を越える不戦の決意を持て』という章を設けて平和憲法9条断固堅持を訴えているほどです。

特別寄稿/今こそ憲法を越える不戦の決意を持て 
常に高い志には共感し、最大限の応援をするものの、それが単眼的になると、必ず距離をおく。人生すべてを通し、このように複眼的な視点で、一貫した姿勢を貫いた人は本当に希有であると思う。最後の章は、日本の永久的な不戦の決意を説いた文章だが、現在の「9条の会」に、このような覚悟をもった人間がどれほどいるだろうか。

 川内氏は、防衛庁防衛省となったいまこそ、憲法9条を守れと主張しています。

 日米同盟でアメリカに持ちかけられても、あなた方の作った平和憲法を我々はキチッと守って戦争には加わりません、とハッキリいうべきだとも主張しています。

 また同様の文脈の中で、国立追悼施設設置支持をはっきり明言されています。

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 憂国の国士、川内康範氏はたしかに「筋金入りの愛国者だった」のであります。

 しかし【産経抄】だけ読んでしまうと、氏が憲法9条堅持と国立追悼施設設置を熱烈に主張してきた事実は隠れて見えてきません。

 川内康範さんはただの「筋金入りの愛国者だった」だったわけではありません。

 産経コラムこそ、「屁(へ)理屈をこね」てはいけません。



(木走まさみず)