木走日記

場末の時事評論

あくまでも過去にこだわる執念深い韓国の文化はインチキな「族譜」のせいだ〜興味深い「独島博士」の論文

kibashiri2006-05-22




●どうせパパの先祖はサルでしょ!〜娘カナコよ!墓穴を掘ったな!パパの先祖はお前の先祖だ!(爆笑)

 小4の娘カナコが学校で妙な知恵を付けてきました。

カナコ「パパ、人間は昔サルだったって本当?」
パパ木走「ああ、本当だとも。大昔人間はサルの仲間だったんだ。そこから進化してきたんだよ。昔はチンパンジーみたいに人間も毛むくじゃらだったんだよ」
カナコ「ふーん、パパのお父さんは毛がなかったけど・・・」
パパ「ムッ、(我が亡き父を無辱したな、この小娘が、彼はただのハゲだっただけだゾ(苦笑))・・・ヤレヤレ、カナコや、よくお聞き。人間がサルの仲間から分岐したのは何百万年も前のことなんだよ、カナコのおじいちゃんやそのまたおじいちゃんの頃の話じゃないんだ。ものすごい昔のことなんだ」
カナコ「チョンマゲの頃?」
パパ「・・・(汗。 もっともっと昔だよ、お洋服も着ていない頃だよ」
カナコ「ああ、恐竜の頃かあ」

 ヤレヤレ、だいたいが100年前、1000年前、一億年前の時代の差異が理解できていない、オバカな子供に時の流れを教えるのは大変なわけでして、ましてや我が娘はとびきり論理的でない脳味噌のできなので骨が折れるわけです。

 こういうときは時間の物差しを子供でもわかりやすい別のものさしに言い換えて比喩してあげると理解が早まるモノであります。

パパ「カナコや、よくお聞き。今カナコの隣にママと手をつないでるとしよう。それでママの隣にはママのママ、つまり君のおばあちゃんが手を繋いでいるとする。そうやって、1mごとにママのママがどんどん横繋がりで手をつないだと考えてごらん。」
カナコ「それじゃ、2mで終わりだモン。カナコとママとおばあちゃんで終わりだモン。ひいおばあちゃんはこの前死んじゃったモン!」
パパ「それはそうなんだけど、頭の中だけのお話だからいいんだよ。カナコのとなりのママ、そのとなりのママのママ、その隣のママのママのママ、そうやってご先祖様がずうっと先までカナコと一列で手を結んでいると想像してごらん」
カナコ「うん、わかった」
パパ「カナコはママにとっては遅い子供だったけど、そうだなあ、ママ達が子供を産む年齢が平均25年だとすると、カナちゃんと隣のママの1mは25年の時間が流れているんだよね。ママのママ、ママのママのママ、ママのママのママのママまでは、50年、75年、100年の時間が流れている」
カナコ「・・・」
パパ「いいかい、かなこ、そう考えると、6m先のカナコのご先祖、つまりカナコのママのママのママのママのママのママ、この人は150年前の人だから、江戸時代の最後のころ、つまりチョンマゲの頃の人なんだね」
カナコ「じゃあ、綺麗な着物来ていたんだね」
パパ「(お前の先祖はお城のお姫様か?(爆笑))・・・ ハハハ、そうだったかもね。でね、そうやって、そうだな100mぐらい先のご先祖様を見てみると、今から2500年前だから、そのころは日本じゃ縄文時代だから、もう毛皮かなんか着ていて足も裸足だったんだよ。」
カナコ「100mって、カナコの家からかどのタナカさんちぐらいだね。そうかタナカさんちはジョウモンなんだ」
パパ「・・・(大汗。 とにかく、そうやって遡っていくと、現世人類が誕生したのが、今から20万年前ぐらいだから、8000m、8km先のご先祖様まではいまのカナコとはそれほどかわらなかったんだ」
カナコ「八キロ先ってどこなの?」
パパ「そうだな練馬からだったら池袋の駅ぐらいかな」
カナコ「ふーん、それでどこまでご先祖様と手をつなげていけばご先祖様はサルになるの?」
パパ「そうだね、人類の祖先が、猿人、原人、旧人、新人と進化してきたのは、ここ500万年ぐらいだと言うから、練馬からなら200km先(500万年前)、ほらこの前旅行で行った草津温泉、あそこの辺まで手をつないでいけばご先祖様はもうほとんどサル状態だろうねえ」
カナコ「ふーん、なんだか嫌だなあ、ママのご先祖がサルだなんて・・・ パパのほうがお髭もチクチクしてるし足も臭いから、サルっぽいのに」
パパ「ムムッ(怒。 バカモン、娘カナコよ!墓穴を掘ったな!パパの先祖はお前の先祖だ!」
カナコ「カナコはお髭ないし足も臭くないモン。あ、わかった、パパの先祖はお腹デブデブだからオラウータンだわ、きっと」
パパ「ムムムム・・・(大汗)」

 娘カナコよ、現実をしっかり科学しなさい、科学を!!
 
 ・・・

 誰だって自分のご先祖様のことは気にはなるのでしょうが、まあ今の日本では、よほどの名家でもない限りせいぜい数代先のご先祖様のことぐらいしか頭にはないわけです。

 このあたりの意識はやはり民族の歴史や文化とも根強く結びつけられているようで国により民族により意識の仕方もマチマチなのでありますが、たとえば移民国家アメリカの場合なんか建国してから200年しか立っていないのですから、先祖と言ってもみんな移民や不幸にも奴隷としてアメリカ大陸にやってきた人達なんですよね。

 先祖に対するこだわりで言うとお隣の国、韓国では「族譜」とういう家系図が重宝されているようであります。



●興味深い、玄大松・東京大学東洋文化研究所助教授の「韓国人の独島意識形成過程とその構造」と題する論文

 今日(22日)の産経新聞朝刊記事から・・・

「独島領土は歪曲」 韓国人学者、異例の批判論文

 【ソウル=黒田勝弘】日韓が領有権を争っている竹島・独島問題をめぐって日本糾弾一辺倒の韓国で、歴史歪曲(わいきょく)を含む一方的な情報注入による過剰な愛国主義や、日本に対する過去イメージ偏重など韓国社会の現状を批判し、「国際的に通用する客観的な事実と論理」の必要性を強調する学術論文が発表され話題になっている。
 このほど出版された『日本学叢書1/日本は韓国にとって何か』(金栄作・李元徳共編、ハンウル社刊)に収録されている玄大松・東京大学東洋文化研究所助教授の「韓国人の独島意識形成過程とその構造」と題する論文で、小学生から大学生まで若い世代に対する意識調査(2001年、約1200人を対象に実施)を分析したものだ。“独島タブー”のある韓国で、韓国側の主張や姿勢に対する韓国人学者の“批判”はきわめて異例だ。

 調査によると「独島は韓国の領土」という意識は小学入学前に48%が持っており、小学生では94%にもなる。この領土意識は大衆歌謡、テレビ、教科書、教師、父母…などを通じて形成され、このうち小学生など若年層ほど大衆歌謡の影響が大きく出ている。

 大衆歌謡というのは1980年代以降、韓国で広く歌われている「独島はわれらの地」という歌で、歌詞には島の位置から自然環境、歴史的根拠、日本のことなどが詳しく織り込まれている。とくに古代6世紀の新羅時代から韓国領だったという古文献のことまで登場するため、韓国国民の多くは歌の文句で島に関する知識を得て、そう信じ込んでいる。
 しかし論文は古代史の「三国史記」はもちろん、韓国が歴史的根拠としてよく引用する中世の「東国輿地勝覧」や「太宗実録」「成宗実録」なども鬱陵島の記録であって竹島・独島は関係なく、歌の文句を含め「事実関係の歪曲」だと指摘している。

 論文はまた、韓国マスコミの歴史問題や「独島」問題に関する日本批判は「過酷なほどだ」といい、調査においてさえ「韓国マスコミは事実報道より反日感情を扇動し」「両国の意見を不公平に取り上げている」とする意見がかなり出ているとしている。

 調査では領土問題で「日本の主張にも根拠がある」18%、「日本を刺激すべきでない」9%、「国際司法裁判所で解決」25%、「日韓共同管理」5%、「戦争の可能性」30%などといった結果も出ている。

 韓国では過去、韓国の立場を支持する日本の学者の主張や研究はよく紹介されている。今回の論文は日本の主張を支持するものではなく、韓国側の方法論を批判するものだ。論文は結論で「韓国では戦後60年間、学界と言論界が一緒になって客観的事実より植民地支配の記憶と反日感情に訴え、愛国主義を前面に国民に誤った認識を植えつけてきた」と述べている。

【2006/05/22 東京朝刊から】(05/22 09:00)
http://www.sankei.co.jp/news/060522/kok033.htm

 うーん、興味深い論文であります。

 韓国人の学者が「日本に対する過去イメージ偏重など韓国社会の現状を批判し、「国際的に通用する客観的な事実と論理」の必要性を強調する学術論文」を発表したそうであります。

 たしかに「今回の論文は日本の主張を支持するものではなく、韓国側の方法論を批判するものだ。」そうですが、論文は結論で「韓国では戦後60年間、学界と言論界が一緒になって客観的事実より植民地支配の記憶と反日感情に訴え、愛国主義を前面に国民に誤った認識を植えつけてきた」と述べているそうであります。

 まあたしかに竹島問題では日本側は純粋に領土問題として議論するのが普通なのでありますが、韓国側は歴史問題に必ず絡めてきますよね。

 で、この論文を発表した玄大松(ヒョン デソン)東京大学東洋文化研究所助教にとても関心を持ちました。

 少し調べてみるとこの学者さんとても冷静で聡明な方のようであります。



●「独島博士」玄大松氏「大統領が前に出て紛争のレベルを上げるのは、外交的な敗着」〜一年前の韓国記事から

 一年前の韓国・中央日報記事から・・・

「独島博士」玄大松氏、東京大学教授に

「独島(ドクト、日本名・竹島)領有権をめぐる紛争は、歴史的な問題であると共に、国際政治的な利害が絡まっている懸案。韓国はこれを歴史認識の問題としてのみ考える傾向が強い。日本は領有権紛争の側面だけで考えようとする。韓国の主張を、日本の人々が理解できないのは、そうした原因からはじまったもの」。

独島問題が韓日関係と両国民の感情に及ぼした影響を実証的に研究した論文で、博士学位を取得した韓国人が、東京大学の教授に任用された。4月の学期から東京大学東洋文化研究所に在職中の玄大松(ヒョン・デソン、45)博士は、在日韓国人を除いた韓国人留学生としては2人目の東京大学教授。

玄教授は海洋高校を卒業した後、7年間航海士として勤めた後、28歳に大学に進学した晩学派。韓国外国語大を卒業した後、日本に留学し、東京大学大学院・政治学研究科で修士・博士の学位を受けた。同氏の博士論文(04年)「戦後韓日関係と領土問題」は、米国の戦後処理策と65年の韓日基本条約締結の過程で、独島問題がどのように取りあつかわれたかについて考察している。

同教授は「大統領が前に出て紛争のレベルを上げるのは、外交的な敗着」だとした。領土問題は短期間に解決できる問題ではないから、(独島を)持っている側が興奮し、世論化・公論化させるのは賢明な政策ではない、とのこと。

イェ栄俊(イェ・ヨンジュン)特派員

2006.05.03 18:16:23
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=75363&servcode=400§code=400&p_no=&comment_gr=article_75363&pn=3

 そうか、玄大松(ヒョン・デソン)博士は韓国では「独島博士」と呼称されているのか・・・

 なんか「独島博士」って、「独島将軍」みたいで嫌なんですが(苦笑

 しかし一年前に次のような見識であったとは御立派であります。

同教授は「大統領が前に出て紛争のレベルを上げるのは、外交的な敗着」だとした。領土問題は短期間に解決できる問題ではないから、(独島を)持っている側が興奮し、世論化・公論化させるのは賢明な政策ではない、とのこと。

 つい先日のトンデモナイ「力の限り独島を守る」ノムヒョン談話を予言していたような、一年前の知的で聡明な見解ではないですか。

 韓国人の中にもこういう冷静な意見があること自体とても嬉しく思うのは私だけではないでしょうが、この「独島博士」こと玄大松(ヒョン・デソン)博士、少し調べてみたらとても興味深い論文を以前から発表しているのであります。



●族譜・アイデンティティ・日韓関係〜玄 大松(ヒョン デソン) 2004.07.12

 ここに2年前の玄大松(ヒョン・デソン)博士の興味深い論文が公開されています。

『族譜・アイデンティティ・日韓関係』 
玄 大松(ヒョン デソン) 2004.07.12
 http://asj.ioc.u-tokyo.ac.jp/html/031.html

 全文は是非あちらでご一読していただくとして、おもしろい考察ですね、この論文は。

 彼曰く日本と韓国の歴史に関するこだわり方はここ100年の話ではないのだそうであります。

 朝鮮通信使江戸幕府との間を往来していた1719年(享保4年)には、第9次通信使節の一人の申維翰という人物と雨森芳州との間ですでに次のような会話が交わされていたのですね。

雨森「(前略)ひそかに貴国人の撰する文集を見るに、その中で言葉が敝邦に及ぶところは必ず、倭賊、蛮酋と称し、醜蔑浪籍、言うに忍びないものがある。我が文昭王(徳川家宣)がその末年に、たまたま朝鮮文集を見て、群臣たちに曰く、『あにはからんや、朝鮮が我を侮ることここに至らんことをと』と、終生憾みに思っていた。こんにち諸公たちは、この意を知るや否や」

申維翰「その意はおのずから容易に知りうるところだが、顧みるに、貴国こそ、諒解していないようだ。君が見た我が国の文集とは、何人の著であるかは知らぬが、しかしこれすべて壬辰の乱(文禄・慶長の役)の後に刊行された文であろう。豊臣秀吉は我が国の通天の讐であり、宗社の恥辱、生霊の血肉、実に万世になかった変である。我が国の臣民たる者、誰か、その肉を切り刻みて食わんと思わぬ者がいようか。上は薦紳から下は厮隷にいたるまで、これを奴といい賊といってかえりみないようになり、それが文章に反映したとしても、もとより当然のことであろう」

 なんだか最近の論争とあまりにそっくりでデジャブ(既視感)が禁じ得ないのは私だけでしょうか(苦笑

 で、玄大松(ヒョン・デソン)博士によれば、日本人は過去に執着せず「水に流したがる」民族なのだそうです。

 日本人の行動様式、思考様式の一つに、「水に流す」というのがある。過ぎ去ったことには拘らず、論わず、責めず、咎めず、忘れ、受容し、許すということが、日本においては穏やかな人間関係を維持するための生活の知恵とされ、また美徳とされるのである。樋口清之は、「水に流す」という日本人の思想、すなわち「日本人の『洗浄志向』、穢れや罪をも洗い流す『禊ぎ』という考え、モンスーン気候の恩恵により発達した稲作文化と、稲作の要となった水を中心とする共同体の確立、水に神を見、水の流れを生活心情、さらには生きる哲学まで高めた精神文化」が、日本人と水との深い関わり合いの中から育まれてきたに違いないと述べている。(『日本人はなぜ水に流したがるのか』PHP文庫、1993年)

 そして一方「あくまでも過去にこだわる執念深い韓国の文化」の原因のひとつとして、「韓国の家族制度」に注目しているわけですね。

 一方、文禄の役から約130年後の申維翰の答えにみるように、文禄・慶長の役が朝鮮の人々に残したトラウマと怨嗟の念は、日本に対する敵愾心となり、鎖国時代、植民地時代を通してさらに深まり、未だ延々と続いている。過去のことを水に流したがる日本文化が、豊かな水資源を有する日本の風土から生まれたものであるとすれば、あくまでも過去にこだわる執念深い韓国の文化はどこから生まれたのであろうか? 

 私はその一つの社会構造的要因として、韓国の家族制度があるのではないかと思っている。

 韓国では「族譜」が神聖視されていて小学校2年生の教科書にすでに記述されているようです。

 韓国の小学校2年の教科書『正しい生活』に「族譜」という物語がある。小学校2年生の「サンスゥ」は曾祖父の法事の日、祖父から族譜について話を聞く。祖先のなかに親孝行をして褒章を受けた方や国のために命を捧げた方々がいることを聞き、家門の祖先を誇らしく感じる。そして、「サンスゥ」は祖先に肖らなければと固く決意する、という内容である。児童たちがこの物語を学ぶ際には、宿題として自分の家門の族譜を調べさせられ、偉大なる祖先が誰なのかを知るようになるのはもちろんのことである。このようにして、族譜は個人と門中、ひいては社会との関係を表象する記号としての意味をもつものとして、神聖視される。

●「あくまでも過去にこだわる執念深い韓国の文化」はインチキな「族譜」のせい

 ところが、この「族譜」ですが、考えてみると韓国でも一般庶民が苗字姓を持てるようになったのは20世紀になってからでそれまでは大多数の国民は「族譜」とは無縁だったようです。

 しかし、前述したように韓国人のすべてが名字を持つようになったのは、20世紀に入ってからである。15世紀に23点、16世紀に43点、17世紀に148点に過ぎなかった族譜の刊行が、18世紀に398点へと飛躍的に増えたのは、単に印刷技術の発達によるだけではない。族譜があれば軍役が免除されるなど、族譜をもつこと自体が特権であったためでもある。それゆえ族譜の偽造が大量に行われた事実は『朝鮮王朝実録』の記事にも散見できる。19世紀末の身分制度の崩壊と、植民地時代での身分の変動に伴い、1920年代には毎年族譜がベストセラーになったくらい、族譜の編纂は盛んになった。その多くが「作られた伝説」であることは言うまでもない。すなわち、いま各家庭で神聖なものとして奉られているほとんどの族譜が実は「幻の族譜」なのである。

 博士は現在の韓国の「族譜」の大半が実はデタラメの「幻の族譜」であると言い切ります。

 しかしいかにデタラメであろうがこの「族譜」が韓国人に与えるイデオロギー的影響は無視できないと博士は考えます。

 16−17世紀には、姓氏さえも持っていなかった奴婢は全体人口の30−40%であり、人口の40−50%を占めていた百姓も族譜を持つことは不可能であった。にも拘わらず、現在韓国のほとんどの家庭が5−6世紀からの始祖から始まる族譜を持っている。族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である。
猪口孝の2003年のアジアバロメーター調査によれば、韓国人の政府信頼度は21%で非常に低いが、85%の人々が祖国に対して誇りをもっている。いま国を動かしている人たちは私と関係ないが、この国は私と血が直接繋がっている「祖父の祖父の祖父」が作り上げたものである。誇りに思わざるを得ない。このようなコンテクストからみれば、国に対する韓国人のプライドは十分納得できよう。

 うむ、なるほど「族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である」わけかあ・・・

 これは考えさせられますねえ。

 以前から韓国人の苗字姓の数はとても少なくて日本人のそれはとても多かったのは知っていましたが、深い理由があったわけです。

韓国人の5人に1人が金氏であり、ほとんどの国民が100くらいの氏族に収斂されると先に述べたが、日本はどうであろうか。日本には漢字の名字では約10万、呼び方まで区別すれば約30万の名字がある。上位の100姓氏は2,800万人で全人口の22%、上位7,000姓氏までが全人口の約96%くらいになる。(丹羽基二編『日本苗字大辞典』芳文館、1996年刊によれば291,531の姓氏があり、1999年8月の追録編により追加された269姓氏を合わせると291,800姓氏になる。私は日韓のこのような親族体系の違いが、一元的な韓国社会、多元的な日本社会を特徴づける理由の一つではないかという感を拭いきれない)。

 まあ日本だって考えてみれば国民全員が苗字姓を持ったのは明治維新からのここ140年ほどなんで韓国と大差ないわけですが、かたや韓国では「5人に1人が金氏であり、ほとんどの国民が100くらいの氏族に収斂される」事態をまねき、かたや日本では約10万の苗字姓が現れたわけなんですね。

 博士の言葉は重いのです。

 私は日韓のこのような親族体系の違いが、一元的な韓国社会、多元的な日本社会を特徴づける理由の一つではないかという感を拭いきれない

 ・・・

 そうか、ようするに、「独島博士」こと玄大松(ヒョン・デソン)博士によれば、「あくまでも過去にこだわる執念深い韓国の文化」の原因はインチキな「族譜」のお陰で、「現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である」と思いこんでるからなんですね。

 ・・・

 そうか「あくまでも過去にこだわる執念深い韓国の文化」はインチキな「族譜」のせいなのか・・・(←少し論理をはしょりすぎですかね(苦笑))



(木走まさみず)