木走日記

場末の時事評論

商店街の憂鬱〜中小企業の減少に歯止めがかからない日本

●地元商店街の崩壊にみる日本の今日的課題

 私の実家は東京近郊の小さな商店街に店を構えております。

 その商店街で実家が理事をつとめている関係もあり、当ブログでも何回かその商店街の話をエントリーしてきました。

■やさしき商店街の人たちと『やきにくのおばちゃん』
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050313
■東京10区徹底検証〜百合子降臨で興起玉砕
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050913

 連休中、数年ぶりに久しぶりに実家の商店街を歩いてみて、その地盤沈下ぶりに驚かされました。

 休日の午後だというのに商店街を歩いている人もほとんどなく、店舗の1/3近くはシャッターを降ろしているのでした。

 シャッターを降ろしている店の主には多くの私の幼なじみもいるはずなわけですが、豆腐屋さん、乾物屋さん、洋服屋さん、酒屋さん、パーマ屋さん、畳屋さん、実に多くの私の知己の店が店じまいしておりました。

 実家の母から商店街の窮状を間接的には聞いていたのですが、さすがに自分の目で目の当たりにしてみると、自分が育った街であるので余計感傷的に考えてしまうのでしょうが、これはもう停滞感とか衰退感といった生やさしい表現ではすまない、まさにひとつの街が痩せ枯れて「崩壊」しつつある現実そのものだと思いました。

 ・・・

 なんとも虚しいのが、半数近くの店がシャッターを降ろし人通りもほとんど途絶えたその商店街のアーケードやカラー舗装だけが真新しく一新されていることです。

 皮肉なことです。

 御存知の読者も多いとは思いますが、「大店法」改正やこれに伴なう特定商業集積法などにより郊外型大型店舗の進出により、全国各地の地元商店街は少なからずの打撃を受けたのですが、行政・自治体側も改正中小小売商業振興法などの助成・支援施策といった、いわば商店街の救済的施策を行ってきたわけです。

 しかし、何億円というその税金による支援策も、商店街整備のほとんどはアーケードやカラー舗装で終始しているのが現状であり、こうしたハード整備が地場商店街のために有効な策となってはまったくいないのが多くの商店街の現状であり、皮肉なことにカラー舗装などで町並みは美しくなったけれど、やめる店が続出してしまっているわけです。

 ・・・

 全国の九割以上を占める近隣型商店街は、これからも一時しのぎの改造を繰り返すことが予想されるわけですが、私の地元商店街の窮状を見る限り、そのような行政のワンパターン支援策では商店街の崩壊をくい止めることは難しいだろうと思わざるを得ませんでした。

 ・・・

 私は自身零細企業経営者の立場から、小泉首相の自由競争原理に支配された経済自由化施策に反対することが多いのですが、この商店街の崩壊現象もその小泉悪政の結果であるとステレオタイプに論じるつもりは、実はありません。

 地元商店街の衰退は多くの地場産業の衰退と期を同じくしており、バブル崩壊からここ20年近く続いている構造的傾向であることをよく理解しております。

 シビアに分析すれば、消費者の求める商業施設として、商店街が自助努力してこなかった結果が、現在の衰退にあるのであって、消費者からみて国の税金を使ってまで商店街に生きのびてもらう必要がどこにあるのか、国民の意識の中に商店街の崩壊が必ずしも地域の衰退とイコールではないことも承知しております。

 ・・・


 しかし、それでもこの商店街の崩壊現象に、日本が抱えている多くの今日的課題が濃縮されて現出していると私は考えています。



●中小企業の減少に歯止めがかからない〜読売社説

 今日(8日)の読売社説から・・・

5月8日付・読売社説(1)
 [中小企業白書]「創業世代の大量引退に備えよ」

 中小企業の廃業が急増し、開業がそれほど増えない。日本経済の活力の維持に、ブレーキがかからないか心配だ。

 経済産業省がまとめた2006年の中小企業白書は、日本の中小企業がデフレ不況から脱し、景況感が改善してきたと分析している。そうした明るい兆しにもかかわらず、中小企業の減少に歯止めがかからないという。

 01〜04年、中小企業の廃業は年平均29万社に達したが、開業は17万社にとどまった。年間12万社も減少した計算だ。

 この結果、中小企業総数は約433万社となり、ピークだった1986年の約533万社から100万社も減った。

 産業界でも新陳代謝は必要だろう。新しい企業が生まれる一方で、退場する企業が出てくるのは仕方ない。

 しかし、気掛かりな傾向もある。

 01〜04年の廃業企業のうち、4分の1が後継者難を理由に挙げた。経営状況が悪くなくても、事業承継を断念したケースが、かなり含まれている。

 経産省中小企業庁は、各地の商工会議所などと協力し、事業相続の相談などに応じる支援体制を検討中だ。

 親族や社内だけでなく、意欲のある外部の人材へ、事業承継を橋渡しする場ができないか。中小企業のM&A(企業の合併・買収)市場を育て、世代交代のチャンスを広げたい。幅広い支援体制の構築を急ぐ必要がある。

 白書によると、中小企業経営者の平均年齢は、02年時点で58・5歳だった。そのうち55歳以上の経営者が引退したいと答えた年齢は平均で65・1歳だ。

 高度成長期などに創業した個人事業主が高齢になり、今後数年で次々に引退する時期を迎えることがうかがえる。

 団塊世代のサラリーマンが大量退職する2007年問題と同じ中小企業の高齢化問題ともいえる。日本経済の一つの転機になる可能性もあるのでないか。

 じり貧を防ぐには、中小企業の開業を増やすのが有効だ。

 最近、サービス業や卸売り・小売りなどの業種で、女性や高齢者層を中心に開業が増加している。起業希望者も、女性と高齢者で増えているという。

 少子高齢化、人口減の社会では、女性と高齢者の活用が成長のカギを握っている。創業意欲を歓迎したい。団塊世代のチャレンジにも期待は大きい。

 今月施行された会社法は、最低資本金制度を撤廃して、資本金が0円でも会社を設立できるようにした。

 開業支援策を一段と充実させて、元気な中小企業を増やしたい。それが日本経済の活性化の源泉なのだから。

(2006年5月8日1時28分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060507ig90.htm

 読売社説はまずここ20年で100万社(年平均5万社)も中小企業数が減じていることを案じています。

 中小企業の廃業が急増し、開業がそれほど増えない。日本経済の活力の維持に、ブレーキがかからないか心配だ。

 経済産業省がまとめた2006年の中小企業白書は、日本の中小企業がデフレ不況から脱し、景況感が改善してきたと分析している。そうした明るい兆しにもかかわらず、中小企業の減少に歯止めがかからないという。

 01〜04年、中小企業の廃業は年平均29万社に達したが、開業は17万社にとどまった。年間12万社も減少した計算だ。

 この結果、中小企業総数は約433万社となり、ピークだった1986年の約533万社から100万社も減った。

 そして、主に後継者難の問題を捉えて中小企業の開業を増やす開業支援策を一段と充実させるべきだとこの読売社説は主張していきます。

 じり貧を防ぐには、中小企業の開業を増やすのが有効だ。

 最近、サービス業や卸売り・小売りなどの業種で、女性や高齢者層を中心に開業が増加している。起業希望者も、女性と高齢者で増えているという。

 少子高齢化、人口減の社会では、女性と高齢者の活用が成長のカギを握っている。創業意欲を歓迎したい。団塊世代のチャレンジにも期待は大きい。

 今月施行された会社法は、最低資本金制度を撤廃して、資本金が0円でも会社を設立できるようにした。

 開業支援策を一段と充実させて、元気な中小企業を増やしたい。それが日本経済の活性化の源泉なのだから。

 ・・・

 商店街の話に戻しますが、「後継者難」による廃業も確かに切実なことでありまして、「少子高齢化、人口減の社会」からマクロ的に分析可能な側面もあるでしょう。

 私の地元の商店街でも後継者難から店をたたみ第三者に渡してしまうケースも少なくありません。

 しかしながらより本質的な問題は、地元商店街では「喰っていけない」「儲からない」からこそ後継者が継ぎたくても継ぐことのできないシビアな現実にあるのでしょう。

 読売社説の指摘通り「後継者難による廃業」が1/4近くにのぼるのも事実でしょうが、残りの3/4が慢性的な売上げ減等の赤字によるモノであることは忘れてはいけないでしょう。

 資本主義の自由競争を正とするならば、競争力のない零細資本が淘汰されるべきであることは歓迎されるべきことであり、消費者満足を第一に考えるならば、より低価格で高品質のサービスを提供する資本がシェアを伸ばしていくことは健全な市場であるとも言えるわけです。

 中小企業事業団が発行した『商店街の街づくり百科』をみると全国の商店街が政府の助成により実施した環境整備の事例が写真入りで紹介されています。

 一部の広域型商店街を除くと、どの頁をめくっても同じようなアーケードとカラー舗装のオンパレードであり、とても優れたデザインとは言えないものが多いのです。

 つまり、組合員がまとまってこのような努力を払ってきたいわば前向きの商店街ですら、消費者の眼からみると地域特性もなく、やぼったくセンスの悪い商業空間にしか映らないわkです。これでは最新でかつ質の良い空間のデザインと強力なマーチャンダイジング力をもつ大型店や全国チェーンの専門店との競争で負けるのは当然でありましょう。

 ・・・

 しかしここにひとつの落とし穴があります。

 確かに自由競争による健全な市場原理に任せて消費者満足を第一により優れた生産性と利益率を有する企業が生き残り、生産性の低い企業が淘汰されていくことは、市場全体としては健全であり消費者利益にもかなうのでしょうが、この好景気にもかかわらず日本の中小企業数の減少に歯止めがかからない状況をみてみると、新規プレーヤーが現れにくい閉じた市場になってきてしまっていることが懸念されます。

 飲食業を例にしますと、一部のチェーン店展開した大資本や急成長したグループがどんどん店舗数を増やしているのに比べて、零細資本の地場店舗は激減しています。

 マクドナルドやケンタッキーチキンなどのファーストフード店が全国各地に乱立気味に展開されていき、かわりに地場土着の飲食店は一部有名店を除いては次々に廃業を余儀なくされています。

 また、大資本のコンビニエンスストア同士のシェア争いはご存知の通り熾烈を極め、すでに売上げの増大ではなく取り合いの様相を示しているわけですが、その陰で多くの地場の酒屋さんやパン屋さんや雑貨屋さんが閉店に追い込まれているわけです。

 私が地元商店街の崩壊現象に日本の今日的課題が濃縮して現出していると指摘したのは、まさにこの勝ち組と負け組に二極化し、かつプレーヤーそのものの数が激減していることを指しています。

 ・・・

 自由競争原理が成立する最低限の条件はプレーヤー数は不変であることです。

 1000社ひしめく状況の中から優れた企業500社が生き残り、残りの500社が淘汰され、新たな500社が新規参入して競っていく、このような健全な市場であればよろしいでしょう。

 しかしながら、現実の日本では読売社説の指摘を待つまでもなく、競争力のある優秀な企業が弱小企業を蹴散らす市場の自由競争性は確保されていますが、新規プレーヤーが入れ替わって参入するという市場の機会平等性は多くの業界でほとんど機能していないようです。

 こうなると、一部企業の市場独占化が不可逆的に進行してしまい、後発組は手も足も出ないことになります。

 今、日本では北海道から沖縄、全国どこの商店街にいっても、マクドナルドがあり、セブンイレブンがあり、全国であるにもかかわらず地域をよく見なければ写真だけでは、どの地方の商店街であるかを特定することはまず不可能であるぐらいになってしまっています。

 市場原理にだけ委ねて放置しておけば、全国どこの商店街ものっぺらぼうのような特色のない金太郎飴のようなどこでも同じ顔が現出する味気ない町並みとなりましょう。



●大資本だけでは真に多様性のある市場は形成されないだろう〜企画・計算された大規模スギ林と里山の雑木林の関係

 全国どこでも同じ看板で同じサービスを提供するマクドナルドやコンビニエンスストアの大規模な全国展開は、さながら人工的に植林され管理されている大規模スギ林ににているでしょう。

 そこでは経済性と合理性が支配され、なるほど効率よく管理された日本の林業のひとつの形として戦後日本全国に展開されてきました。

 この喩えで言えば、地場商店街は里山の雑木林のようなものでしょう。

 現代の日本ではその存在価値はほとんど振り返られることなく、都市近郊の宅地化とともに、その数は激減していきました。

 しかしながら、全国一律で同じ顔しか見せない人口植林によって生まれたスギ林では見られない落葉樹を中心にした多様な生態系が里山にはあったわけです。

 今日、崩壊しつつある日本の商店街もまた、里山の豊かな多様性と同様の地域の特色ある多様性をはぐくんできた面はあるでしょう。

 ・・・

 読売社説が主張するように「開業支援策を一段と充実させて、元気な中小企業を増やしたい。それが日本経済の活性化の源泉なのだから。」は、異存無いところですが、その支援策が、たとえば商店街に対する今までのようにハード中心のカラー舗装などの不毛な支援であっては意味が無いと思います。

 健全な多様性を維持するためには最低限の大資本による独占の抑制と、地域特性を活かしたソフト面でのサポートを合わせて有機的な支援策を講じて欲しいと思います。

 競争原理だけの無駄のない味気ない町並みを多くの国民は望んではいないでしょう。

 大資本だけでは真に多様性のある市場は形成されないだろうと思うのです。



(木走まさみず)