木走日記

場末の時事評論

問われているのは先生のガバナビリティではないのか〜ある私学におけるコンサル経験を踏まえての朝日社説に対する一考察

●採決禁止 東京の先生は気の毒だ 〜朝日新聞社

 今日(15日)の朝日社説から・・・

採決禁止 東京の先生は気の毒だ

 あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう、こっけいな話ではないだろうか。

 東京都教育委員会が、都立学校の職員会議で先生たちの挙手や採決を禁止したことだ。

 都教委は今年初め、高校など263校の都立学校に対して運営のあり方を自己点検させた。その結果、学校行事などのやり方をめぐり職員会議で挙手や採決をしていたところが十数校あった。

 学校を運営する決定権は校長にある。職員会議は校長の仕事を補助する機関にすぎない。校長が職員会議の意見に影響されるのは、けしからん。

 そう考えた都教委は、全校に「学校経営の適正化」を求める通知を出した。その中で「挙手、採決などの方法で職員の意向を確認するような運営は行わないこと」と述べた。さらに念を入れて、児童や生徒の成績判定、卒業認定についても職員会議での挙手や採決を禁じた。

 今回の通知は、学校運営を校長や幹部らの会議で決めるよう強く求めている。その会議で十分論議をせずに職員会議で議論してはいけないとも指示している。挙手や採決を禁止するだけでなく、議論することも制限しているのだ。

 普通、挙手や採決をするのはどんなときだろう。色々な意見があり、なかなかまとまらないときに、どの案に賛成か手を挙げてもらう。賛否をもっとはっきりさせるときには採決する。

 もちろん、なんでも多数決で決めればいいというわけではない。校長は指導力を発揮しなければならないし、最終的に学校の方針を決めるのは校長である。

 しかし、その場合でも先生たちの意見を聞きながら、方針を決めるのが常識ではないか。先生たちの意見が割れたときには、挙手してもらって全体の意向を知りたいということもあるだろう。

 そうしたことを一切許さないというのは、どう考えても、行き過ぎである。

 賛成か反対か、採決によって多数意見を決める方法は、民主主義の大事なルールとして、先生が子どもたちに教えていることだ。その先生たちが、職員会議では挙手も採決も禁じられていると知ったら、子どもたちはどう思うだろう。

 卒業式などで国旗掲揚や国歌斉唱を強制するにあたって、都教委は国旗の位置などを細かく指示した。通知や指示で学校をがんじがらめにするのが、どうやら都教委の流儀のようだ。

 学校運営の決定権を持ちながら、ハシの上げ下ろしまで枠をはめられる校長は気の毒である。挙手や採決を禁じられる先生も、まことにかわいそうだ。

 いや、だれよりもかわいそうなのは、児童や生徒たちだろう。

 学校の活力は、校長や先生の意欲と熱意から生まれる。先生が決定事項に従わされるだけの存在になれば、学校の活力が失われかねない。

 そんな学校で学ぶのは、子どもたちにとって悲劇である。こっけいな話というだけでは、すみそうにない。

【社説】2006年04月15日(土曜日)付  朝日新聞社
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 ・・・

 「あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう、こっけいな話ではないだろうか。」点は、朝日にまったく同感です。

 このようなみっともない通達、「東京都教育委員会が、都立学校の職員会議で先生たちの挙手や採決を禁止したこと」は、いかにいま公立学校現場のガバナビリティ(被統治能力)が地を這うがごとくの低水準であることかの何よりの証左だと思うからです。



●数年前の話〜ある学校法人(私学)の学内事務総合IT化計画のコンサルティング

 私が本業のIT業においてある学校法人(私学)の学内事務総合IT化計画のコンサルティングをさせていただいたのは数年前のことです。

 現在では契約も切れていますが、マナー上、学校名や地域など、その学校法人が特定される情報はお伝えできませんが、どのような規模の学校かは文脈で推測いただけると思います。

 私がその学校のコンサルをお引き受けした経緯は、現在でも私が外来講師をしている工学系の学校の講師仲間の紹介で、その学校の理事会からの直接の依頼を受けたのがきっかけでした。

 その学校の規模は数千人規模の在校生を抱えている中堅校という位置付けですが、ご多分に漏れず、少子化による学生数の減少から経営の効率化が求められていて、かつ学生サービスの向上を計りそのサービス向上を広報活動で利用して学校のピーアールに利用したい、大きく2つの理由で理事会側は学内事務総合IT化計画を推進したいとのことでした。

 で、この学内事務総合IT化計画を一旦一括受注したあるコンピュータメーカー(イニシャルを言えばすぐみなさんに特定されてしまう有名どころであります(苦笑))が、受注から1年後、いっこうに計画がおもうように進まないことを理由に学校側と物別れし撤退してしまったのであります。

 私がその学校にコンサルとして依頼されたのは、そのメーカーが撤退してしまった1ヶ月後のことなのでした。

 策に困った理事会側が、直接別のメーカーに依頼する前に、学校法人にもくわしいIT専門家に学校側の人間として相談役とメーカーとの交渉窓口をしてもらおうということになったらしいのです。

 そんな経緯でコンサル契約させていただいた私の最初の仕事は、なぜ当初のIT化の計画が予定通り進まなかったのか、その原因を分析することでした。

 企業側が設計した提案資料や過去一年の議事録、理事会側や各現場の教職員のヒヤリング、私と社員2名で膨大な資料の分析と各担当者の聞き込みを2ヶ月間させていただきました。



●決定的な意志決定手法の欠落〜利害対立を生むボトムアップ方式とトップダウン方式の衝突

 この学校の問題点はいろいろあったのですが、私たちの2ヶ月間の分析の結果はっきりしたことは、計画が進まない最大の原因は、複雑に絡み合うその意志決定手順の煩雑さと非効率性にありました。

 学校業務事務は大きく学務事務と教務事務に別れます。

 学務事務は、学費管理や学生証発行、卒業生も含む各種証明書の発行、図書管理、そして、職員や講師の人件費管理、構内施設管理など多種多様ですが、まあ一言で言えば一般企業で言えば、総務及び経理事務というところでしょうか。

 いっぽう教務事務は、これは各教務室主導の学生の出席管理、成績管理でありまして、カリキュラム編成やクラス編成、定期試験管理(試験監督表管理)や進級判定、卒業判定も含めた学生管理事務であります。

 中には入試事務のように、受験料や入学金納入事務のような学務事務と採点及び面接合否判定などの教務事務が混在する事務もあったりもします。

 で、この学校では当初メーカー側と学校側で「IT化推進会議」なる定例会議を各週のように開いてIT化計画をメーカー側が作成、それを学校側が承認する形で進めていく予定でした。

 その「IT化推進会議」のメンバーですが、経営側(理事会側)からは、今回のIT化計画の事実上の責任者でもある副理事長が出席、学務事務側からは、各事務所の事務局長が、教務事務側からは、副学長、各学部各学科の学部長もしくは副学部長、特にITにくわしい教員有志数名、といった構成であり、メーカー側は3,4名が常時参加していたようです。

 「IT化推進会議」がなぜうまく機能しなかったのか、それは各現場の意見集約が反映されず事実上会議参加メンバーとメーカー側でトップダウンで計画を決定し、その計画を各現場に説明すると現場でことごとく反対されてしまったからでした。

 ひとつ具体的事例をあげてみます。メーカー側が提案した新しい図書館蔵書管理システムでは、学校が管理しているライブラリー(専門書、本、雑誌、DVD他)の貸し出し状況が、学生や教員が自宅のパソコンからでも、複合検索ができ、貸し出し状況も把握でき、教職員IDや学生IDで在宅予約もできるという、この学校の旧来のサービス(電話による問い合わせもできなかった)に比べて画期的なものになるはずでした。

 最新の学生サービスとして広報にも使えると言うことで理事会側も大乗気だったそうです。

 ところがこの計画が「IT化推進会議」で承認され現場の事務局に伝えられると図書事務側の職員から猛烈な反対運動が展開されました。

 DVDは著作権の関係から学外貸し出しは問題があるという正統な理由から、パソコン操作は嫌いという意味不明(苦笑)な理由まで噴出したようですが、ようはこの新システムが稼働すると図書担当職員が現在の体制から人数的に半減が可能であるという点が、現場職員の反対理由だったわけです。

 この学校の教職員組合は複雑で3団体に別れていたのですが、図書事務はそのうちのひとつの組合の中心的事務局だったことも大きい要因だったのかも知れません。

 この図書事務だけではなく、教務事務においてもある学科では教務事務の出欠管理システム(これも学生証のIDカード化による斬新的な提案でした)が、なぜかその学科の教務会議において反対多数で否決されてしまったこともあったそうです。

 よくよく調べてみれば、この学校では長年、経営側(理事会)がトップダウンで決定してきた運営方針をことごとく現場(主として教務)が反対運動を展開し、またぎゃくに現場がボトムアップ方式に提案してきた改善案を、経営側がことごとくはねつけてきた経緯があったのでした。

 特に一部組合員達と理事会との反目は目を覆うばかりのひどい状況なのでした。

 かわいそうなこのメーカーは、そんな学内のひどい状況に振り回されてトップには承認をもらいながら現場では開発が進められないと言うジレンマに一年間も振り回されたのでありましょう。

 おそらくはいかなるメーカーがどのような素晴らしい提案をしたとしても、このような現場の状況では絶対に計画はうまくは運ばなかったことでしょう。



●私が理事会に提案した改善措置〜徹底的な情報公開と意志決定手順の簡素化

 上記のような現状を踏まえて、六ヶ月後、私が理事会に提案した改善措置は3つの柱からなっていました。

 1.事前の徹底的な情報公開

 まず理事会にお願いしたのは、現場の各職員の協力を得やすくするために、このIT化計画を推進するに当たり、一名の教職員もこの計画を理由には失職させないという確約をしてもらい、それを全教職員に徹底通知してもらうことでした。(多分に各組合対策という色合いの強いモノでした)

 その上で、この計画がこの学校の存続のために何故必要なのか、また教職員や学生にとり、この計画が実現されればいかに多くのメリットがあるのか、そのためにこれだけの費用を掛けてこれだけの期間でこのような手順でこの計画を進めていくのだという、この計画の目的と内容を徹底的に教職員に情報公開してもらうことにしました。


 2.意見集約はボトムアップ方式で、意志決定はトップダウン方式で

 複雑に絡み合うその意志決定手順と過去の経営側と組合側の対立というしがらみを断ち切るために、民間企業では当たり前のことですが、意志決定手順を簡素化いたしました。
 まず現場からの意見集約を充分に行うことを理事側に了承いただきました。いいシステムを構築するためには現場の意見や要求を無視しては不可能です。

 実際に現状業務にはどのような問題があるのか、このようなことが機械化できたら効率的になるはずだ、といった現場担当者ならではのリアルなユーザー要求を徹底的に洗い出すことを理事側に納得してもらいました。

 次に教職員側には、そのような要求要望を踏まえてシステム化を計るが、予算と実現性との兼ね合いを考えて当然システム化できない要求は却下されたり実現優先順位が下がることを了承いただきました。

 つまりは前回の失敗を踏まえ、まず現場の意見をボトムアップ方式で吸い取った上で、それを良く検討した後、経営会議で決定したシステム化計画は、全学全職員一丸となって実現に向け協力して参加していくということです。

 ようするに、意見集約はボトムアップ方式で、意志決定はトップダウン方式で行うという手順の確立を同意してもらいました。

 3.中堅ソフトハウスの活用

 しきり直して計画を進めるわけですが、撤退したメーカーと同様のベンダーを選択するよう理事会側は私に強く希望してきました。

 対外的な体面上大手メーカーに依頼しないと体裁の問題があるというのが理由でした。
 私は中堅ソフトハウスの活用を逆提案しました。

 いくつかのサブシステムごとに優秀なソフトハウスを担当させ個別にシステムを実現して行くべきであると強く主張しました。

 前回の失敗から私はこれは全システムが本格稼働するのはまだかなり紆余曲折があるだろうと考えていたからです。

 全体を一括に受けてはメーカー側がもたないだろうという危惧と、個別にサブシステムごとにソフトハウスに受注させれば、彼等もビジネスですから自分たちの担当のシステムだけには責任を持ち計画を遂行してくれるだろうと考えたのでした。

 理事会側と私の案の折衷案として、体面的なことも考慮して、各サブシステムの総合的な連携のところだけをある大手メーカーに担当させることとしました。

 ・・・

 これらの改善策を踏まえて、当初予定より1年半遅れでIT化計画は再出発を遂げたのでありました。

 この結果、もちろんそれでも組合の反対やいろいろな問題はありましたが、まがりなりにも3年に渡る総合IT化計画は無事達成できたのでありました。



●ガバナビリティの確立が組織を救う〜自己保身と権力闘争からの脱却こそ肝要

 この例で私が提案した改善策は幸いにも学校側に理解をいただき採用していただけましたが、この改善策はひとことでいえば、この組織の被統治能力(ガバナビリティ)の向上を効果的に行うことを目的にしたモノでした。

 組織の被統治能力(ガバナビリティ)の向上とは、指導者側にとっても組織構成員側にとっても極めて重要な概念でありながら、私が仕事上コンサルティングを通じていつも感じることは、経営者側も雇用者側もガバナビリティの向上が何故必要なのか、その本当の意味を正しくは理解していただけないことが多いのです。

 今回も多くのお金と1年半という時間を無駄にしてしまった失敗がなければ、理事側も教職員側も協力いただけたかどうかは怪しかったのでしょう。

 一般に、統治能力(リーダーシップ)とか被統治能力(ガバナビリティ)とかの話になると、経営者側は、あたかも軍隊のような上位下達方式の徹底をイメージしてしまうようです。

 しかしこれは大きな間違いです。

 私から言わせれば、被統治能力(ガバナビリティ)とは、組織の指示系統に忠実に振る舞うことにより全体の共通の利益が実現しそれが個々の利益にも連動しているという共通意識の確立が大前提になければならないものであります。

 私はコンサルのときによくヨットのクルー(乗組員)の話をします。

 ヨットレースに参加するほどのレベルのヨットクルー達はキャプテン(船長)の指示を的確に把握して、それぞれの持ち分での役割で自分に与えられた役目を忠実に実現していきます。

 全員がキャプテン(船長)の手足となり忠実にそのミッションをこなすことで初めて、ヨットは速度を上げ最善のコース取りをし優勝を目指すことができることを熟知しているからです。

 クルーの中に一人でも指示に従わないものがいれば良い成績を収めることなどできないのです。

 その意味で世界最高水準のヨットクルー達の被統治能力(ガバナビリティ)は最高なのでありましょう。

 経営者達がここで見落としてはならないのは、彼等には共通の目的意識(この場合優勝ですか)があるからこそ、この高いガバナビリティが実現している点です。

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 一方組織構成員側にも多くの問題があります。

 ときに自己保身や組合がらみの権力闘争の側面からだけしか、この重要な問題を捉えることができず、自分たちの意志決定の権利が剥奪されてしまう、つまり自己保身の面でしか捉えなくて、被統治能力(ガバナビリティ)の向上とか聞けば胡散臭い上位下達の軍国主義的発想であるといった決め付けが先行してしまいます。

 しかしこれも大きな間違いです。

 上記の例の学校のコンサルのときに印象的な議論がありました。

 私が組織論としての意志決定手法の簡素化がいかに計画を推進するために有効なのか、その話をしているとある職員が私にこう反論してきました。

「教育は営利目的の民間企業とは本質的に違うんだよ。効率、効率とあなたは二言目にはいい、決定事項は全学一丸で達成すべく協力し合おうと軍隊的なことを言うが、学校は軍隊じゃないんだ」

 いやはやなんともであります。

 彼の目には経営側の決定事項に従うことは軍隊的上位下達にしか映っていないのでありましょう。

 本来、統治能力(リーダーシップ)とか被統治能力(ガバナビリティ)とかの組織運営論には、イデオロギーは関係は全くないことを彼にはどうしても理解できなかったようです。

 彼の所属する学科は現場の反対が最後まで続きIT化が最も遅れました。今回のIT化による教務事務の簡素化を最後に受け入れた彼の学科は、しかし現在では一番有効に新システムを利用している学科に変貌しています(苦笑)

 よりよいものを組織全体で導入するときに、組織構成員が被統治能力(ガバナビリティ)を向上させ効率よく振る舞うことに、どんなイデオロギーが必要なのでありましょう。

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●今、問われているのはむしろ先生側のガバナビリティではないのか

 朝日社説に戻ります。

 今回の通知は、学校運営を校長や幹部らの会議で決めるよう強く求めている。その会議で十分論議をせずに職員会議で議論してはいけないとも指示している。挙手や採決を禁止するだけでなく、議論することも制限しているのだ。

 普通、挙手や採決をするのはどんなときだろう。色々な意見があり、なかなかまとまらないときに、どの案に賛成か手を挙げてもらう。賛否をもっとはっきりさせるときには採決する。

 もちろん、なんでも多数決で決めればいいというわけではない。校長は指導力を発揮しなければならないし、最終的に学校の方針を決めるのは校長である。

 しかし、その場合でも先生たちの意見を聞きながら、方針を決めるのが常識ではないか。先生たちの意見が割れたときには、挙手してもらって全体の意向を知りたいということもあるだろう。

 そうしたことを一切許さないというのは、どう考えても、行き過ぎである。

 賛成か反対か、採決によって多数意見を決める方法は、民主主義の大事なルールとして、先生が子どもたちに教えていることだ。その先生たちが、職員会議では挙手も採決も禁じられていると知ったら、子どもたちはどう思うだろう。

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 もしも公立教員の中で、一般企業の組織構成員経験者が多数派だったらと思わずにはいられません。

 「賛成か反対か、採決によって多数意見を決める方法は、民主主義の大事なルールとして、先生が子どもたちに教えていることだ。」はその通りでしょうが、「採決によって多数意見を決める方法」では組織が成り立たないからこそ、ヨットクルーにはキャプテンがいて、会社には社長がいて、学校には校長がいるわけです。

 「意見集約はボトムアップ方式で、意志決定はトップダウン方式で」という一般組織の常道の観点からは、この朝日社説はどう読み解けばいいのでしょう。

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 長年の私の仕事上の経験からひとつだけこの朝日社説に指摘できることは、校長の統治能力(リーダーシップ)の問題もさることながら、今、問われているのはむしろ先生側の被統治能力(ガバナビリティ)の低さではないのか、ということであります。

 読者のみなさまはこの問題いかなるご意見をお持ちでしょうか。



(木走まさみず)