すこし寒気をおぼえる菅直人氏のガバナビリティの低さ
3日付け朝日新聞記事から。
民主、東京で公認一本化 大河原氏は無所属で出馬へ
民主党の海江田万里代表は2日夜、現職2人の擁立を決めていた参院選東京選挙区(改選数5)の候補者を鈴木寛氏に一本化すると発表した。公認を取り消された大河原雅子氏は無所属で立候補する意向を表明。民主党の一部は大河原氏を支援する考えで、東京選挙区は事実上の分裂選挙となる。
(後略)
http://www.asahi.com/politics/update/0702/TKY201307020395.html
東京都議選の惨敗から共倒れを恐れた民主党執行部は、参院選東京選挙区(改選数5)の候補者を鈴木寛氏に一本化、しかし公認を取り消された大河原雅子氏は無所属で立候補するという混乱振りです。
これでは票が集約されないどころか混乱に嫌気をさして民主票がますます離反してしまいかねません。
公認を取り消された大河原まさこさんは 「公示日2日前の決定は到底、納得出来るものではありません」とお怒りです。
緊急のお知らせ・無所属で立候補します!!
大河原まさこ
昨日、民主党は、私大河原まさこの参議院東京都選挙区での公認を取り消しました。前日まで決起集会を開き、ご支持の拡がりを感じ始めていた矢先、しかも公示日2日前の決定は到底、納得出来るものではありません。
確かに都議選の結果は極めて厳しいものとなりました。しかし、今回の参議院選挙は、危ない安倍政権の暴走に歯止めをかける、民主主義の危機に抗する正念場の戦いです。退くわけには参りません。
原発ゼロ、憲法改悪に反対! 主権放棄に等しいTPPには断固反対!を貫いて参ります。
無所属での立候補となりますが、全力で二期目を目指します。
この話、私からいわせていただくと、実は現在の民主党が、組織として二つの致命的欠陥を有していることの象徴的事象なのだと思われます。
まずは、リーダーの統治能力、指導力、リーダーシップのはなはだしい劣化であります。
以下の読売記事によれば、3日に「苦渋の選択をした。厳しい情勢なので鈴木氏に全力を傾ける」と述べ、大河原氏の公認取り消しを決めた海江田代表は、なんとわずか2日前の1日の大河原氏の決起集会では「戦いの中心にあるのは大河原さんだ」などと激励していたというのです。
東京選挙区、民主公認1人に…大河原氏は無所属
民主党は2日、鈴木寛氏と大河原雅子氏の現職2人を公認している参院東京選挙区(改選定数5)で、大河原氏の公認取り消しを決めた。
都議選で惨敗した厳しい状況を踏まえ、このままでは共倒れの懸念があると判断した。
海江田代表ら執行部が党本部で協議して決定した。執行部は党の情勢調査で劣勢だった大河原氏に比例選への転出を打診したが、大河原氏は拒否。大河原氏は無所属で東京選挙区から出馬する意向で、候補の一本化は失敗した。公示直前の混乱に、党内から「執行部の決断が遅すぎた」とあきれる声が出ている。
海江田氏は2日夜、党本部で記者団に「苦渋の選択をした。厳しい情勢なので鈴木氏に全力を傾ける」と述べた。ただ、海江田氏は1日に開かれた大河原氏の決起集会に出席したばかり。集会では「戦いの中心にあるのは大河原さんだ」などと激励していた。
(2013年7月3日07時17分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2013/news1/20130703-OYT1T00019.htm
これでは大河原氏が納得しがたいのも無理からぬところであります。
情勢を見極めて共倒れを防ぐために候補者を一本化する決断をしたのは組織のリーダーとして極めて正しい判断です。
しかし、決断が遅すぎます。
海江田さんはじめ民主党執行部の組織のリーダーとしての統治能力、指導力、リーダーシップは著しく劣化しています。
・・・
さてしかし、本件が真におどろおどろしいのは、彼ら民主党執行部の能力の無さではありません。
二つ目の要因は組織としての民主党構成員のガバナビリティ(被統治能力)の著しい劣化です。
中でも・・・
水面下で彼らの前で大きく一本化の動きに立ちはだかり、執行部の決断を遅らせた民主党東京都連の重鎮、元内閣総理大臣菅直人氏の執拗な一本化妨害工作があったのであります。
菅さんははやくも民主党公認候補ではなく大河原氏を全面的に応援することを自身のブログで宣言しています。
東京選挙区民主党候補の一本化で、大河原雅子さんの公認が取り消されることになった。私はこれまでも「原発ゼロ」を鮮明にしてきた大河原さんを支援してきたが、民主党の公認がなくても大河原候補を全力で応援する。
すごいですね、元党代表にして元総理である民主党現職国会議員が自党候補に反旗を翻し無所属候補を全面的に応援すると宣言しているのです。
この菅さんの行為の意味するところは、民主党という組織にとって完全なる「利敵行為」になるわけですが、菅さんの頭の中には組織員としての規範はほぼないようです。
驚くべきことです。
この政治家にはガバナビリティ(被統治能力)が完全に欠落しています。
ガバナビリティー【governability】とは、自主的に統治されうる能力、被統治能力のことです。
日本では統治能力と間違って使われる例がありますが、本来は支配される能力です、日本では従順さのようなマイナスのイメージが付きまといますが、本来は肯定的な能力ですね、組織のルールを守る能力とでも言えましょう。
例えば戦後のドイツ国民と日本国民は極めてガバナビリティーが高く、連合軍の占領政策に積極的に従い、驚異的な戦後復興を成し遂げたわけです。
さて、菅氏の組織構成員としてのこのガバナビリティの驚くべき低さはいかがでしょう。
おそらく彼の頭の中には自分の所属する組織である民主党へのリスペクトはほとんどないのでしょう。
・・・
うむ、菅直人氏のガバナビリティの低さには本当に驚かされます。
何故ならば、実は統治能力であるリーダーシップと、被統治能力であるガバナビリティには強い相関関係があることを私は個人的に体験しているからです。
2年前の当ブログのエントリーより該当箇所をご紹介。
(前略)
私は会社経営のかたわら、大学や専門学校、ときに商工会の経営者セミナーなどで講師をさせていただいています。
そのとき本当に感心するのは、中小企業の経営者のみなさんの受講中のガバナビリティの高さです。
限られたセミナーの時間内で私のつたない講義を一言一句聞きもらさないという緊張感が教室にみなぎっています。
私語ひとつありませんし、講義後のQ/Aタイムでは何人も積極的に講義内容に関する自分の抱いた疑問点をぶつけてきます。
中小企業経営者の皆さんは理想的な「生徒」さんなのであります。
このエピソードを話すのは、能力としてのガバナビリティが持つ意味を積極的に再定義するのに、多くの示唆に富んでいる事例だと私が解釈しているからです。
普段、小さいとはいえ会社を経営されている社長さんは立派なリーダーです、構成員(メンバー)の頂上に位置する統治する側の人間です。
その彼らが経営者セミナーの受講生となったとき、いち構成員として極めて高いガバナビリティを私(講師・リーダー)に示してくれるわけです。
つまり構成員としてのガバナビリティの高さとリーダーとしてのリーダーシップは極めて相関しているというのが私の印象です。
組織の中でよき構成員(被統治能力が高い)はよき指導者(統治能力が高い)になりうるということです。
(後略)
2011-12-06 ビジネスマンよ、サバイバルのためガバナビリティを高めよ より
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20111206
私の経験では「組織の中でよき構成員(被統治能力が高い)はよき指導者(統治能力が高い)になりうる」のですが、逆に表現すれば、悪しき構成員(被統治能力が低い)はよい指導者にはおそらくなれないだろうとも、思えるのです。
菅直人氏のガバナビリティの低さ、この事実が真におどろおどろしいのは、この人物が3.11のときの日本の指導者であったということです。
すこし寒気をおぼえます。
(木走まさみず)