木走日記

場末の時事評論

日本一わかりやすい朝日社説の解説を試みてみる

 今日は与太話であります。くれぐれもユーモアでもって笑い流してくださいませ。



●手に負えない宗教の話し〜風刺漫画 節度と寛容の心を持て

 今日(7日)の朝日社説から・・・

風刺漫画 節度と寛容の心を持て

 表現の自由が民主主義を支える基本的な権利であることは言を待たない。だが、それが宗教の尊厳とぶつかり合う時、どこまで踏み込むことが許されるのだろうか。

 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画をめぐる欧州諸国とイスラム社会の対立は、この悩ましい問題をあらためて私たちに突きつけている。

 発端は昨年の秋、デンマークの日刊紙が掲載した12枚の風刺漫画だった。

 導火線付きの爆弾のようなターバンを巻いた男のイラスト。短剣を手にした絵もある。いずれもムハンマドを描いた戯画である。

 イスラム教は偶像崇拝を禁止し、預言者を描くことも禁じている。イスラム教徒の目には、これらの漫画は宗教上のタブーに正面から挑戦し、自分たちの宗教を侮辱するものと映った。

 中東諸国がデンマーク政府に抗議し、欧州各紙がそれに反発して漫画を転載したことから騒ぎは一挙に燃え広がった。

 中東の各地で欧州諸国の大使館に群衆が抗議に押しかけた。放火された施設もある。抗議の波は、イスラム圏のインドネシアなどにも広がりつつある。

 暴力も心配だが、このままでは逆にイスラムの国や各地に散らばるイスラム系の人々が孤立していきかねない。「文明の衝突」にしないよう、早く冷静さを取り戻す必要がある。

 一連の抗議行動は、80年代末の「悪魔の詩」事件を思い起こさせる。インド系英国人の作家、サルマン・ラシュディ氏の作品が「イスラムを冒涜(ぼうとく)するものだ」と攻撃された事件である。

 当時のイランの指導者、ホメイニ師は作家に「死刑」を宣告した。日本では、この作品を翻訳した筑波大学助教授が何者かに殺害された。ラシュディ氏はいまだに身を隠している。

 表現の自由を暴力で抑え込む動きを容認するわけにはいかない。穏当な抗議行動はともかく、放火や襲撃は論外だ。

 だが、一方で、イスラム社会の現状にも目を向けないではいられない。

 自由にものを言えるイスラムの国は、ひと握りしかない。経済的にも欧米に後れを取り、屈折した思いを抱く人々が多い。そこに、表現の自由を振りかざして「預言者の戯画」を突きつければ、どんなことが起きるか。

 積もり積もった不満のはけ口として、扇動者に利用されることは目に見えている。イスラム過激派に格好の攻撃材料を与えることにもなる。

 イスラム圏にも穏健な教えを説く指導者は少なくない。異なる宗教との共存を唱え、寛容な社会づくりを呼びかけている。そうした人々をこそ後押ししたいのに、今回のような騒ぎになれば、それもかなわない。

 表現の自由はかけがえのないものだ。だが、人が心のよりどころとする宗教などへの配慮は欠かせない。自由をしっかりと守るためにも節度を保ちたい。

【社説】2006年02月07日(火曜日)付  朝日新聞社
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 うーん、宗教の絡んだ話は手に負えません(爆)

 報道の自由と宗教への配慮とは、難しい問題なのであります。

 読者のみなさまもよくご存知の通り、不肖・木走は宗教とか哲学とかの話は、全くの門外漢であり、手も足も出ません。

 ・・・

 そうか、そのような考察をしたい人々はもっと他のまじめなブログを拝読しているに違いないのであって、当「木走日記」を愛読してくれていてましてや、与太話までもおつき合いしてくれる奇特な読者は私と同じように、宗教オンチ・哲学オンチにちがいない。

 ・・・

 よーし、この朝日社説、読者のわかりやすいように「捏造」してさしあげて、みんなでこの問題を身近な問題として考察してみましょう。

 よーし仕方がない、不肖・木走まさみず自らを諷刺してしまいましょう



●日本一わかりやすい朝日社説の解説を試みてみる

 上記の朝日社説を少しだけ文字列置換して身近な問題に置き換えてみました。

 置換した文字列は以下の21ポイントです。

宗教・イスラム教=ハゲ イスラム教徒・イスラム=ハゲの人
預言者ムハンマド・予言者・ムハンマド=木走まさみず
欧州諸国・欧州各紙=マスメディア
欧州諸国の大使館=アサピ新聞販売店
デンマークの日刊紙=アサピ新聞
デンマーク政府=アサピ新聞本社
中東諸国=木走一族
中東の各地=練馬の各地
イスラム圏のインドネシア=ハゲ圏の板橋
導火線付きの爆弾のようなターバンを巻いた=誰が見てもズラとわかるカツラをつけた
短剣=毛髪剤
国=人たち
悪魔=植毛
文明=頭髪
インド系英国人=脳内酒乱のリーマン親父
サルマン・ラシュディ氏=M田氏
イランの指導者、ホメイニ師=木走の娘カナコ師
死刑=丸坊主
殺害=バリカン
欧米=髪の毛を有する人々
経済的=ルックス的

 では、こんな感じ・・・

風刺漫画 節度と寛容の心を持て

 表現の自由が民主主義を支える基本的な権利であることは言を待たない。だが、それがハゲの尊厳とぶつかり合う時、どこまで踏み込むことが許されるのだろうか。

 ハゲの木走まさみずの風刺漫画をめぐるマスメディアとハゲ社会の対立は、この悩ましい問題をあらためて私たちに突きつけている。

 発端は昨年の秋、アサピ新聞が掲載した12枚の風刺漫画だった。

 誰が見てもズラとわかるカツラをつけた男のイラスト。毛髪剤を手にした絵もある。いずれも木走まさみずを描いた戯画である。

 ハゲは偶像崇拝を禁止し、木走まさみずを描くことも禁じている。ハゲの人の目には、これらの漫画はハゲ上のタブーに正面から挑戦し、自分たちのハゲを侮辱するものと映った。

 木走一族がアサピ新聞本社に抗議し、マスメディアがそれに反発して漫画を転載したことから騒ぎは一挙に燃え広がった。

 練馬の各地でアサピ新聞販売店に群衆が抗議に押しかけた。放火された施設もある。抗議の波は、ハゲ圏の板橋などにも広がりつつある。

 暴力も心配だが、このままでは逆にハゲの人たちや各地に散らばるハゲ系の人々が孤立していきかねない。「頭髪の衝突」にしないよう、早く冷静さを取り戻す必要がある。

 一連の抗議行動は、80年代末の「植毛の詩」事件を思い起こさせる。脳内酒乱のリーマン親父、M田氏の作品が「ハゲを冒涜(ぼうとく)するものだ」と攻撃された事件である。

 当時の木走の娘カナコ師はM田氏に「丸坊主」を宣告した。日本では、この作品を翻訳した筑波大学助教授が何者かにバリカンされた。M田氏はいまだに身を隠している。

 表現の自由を暴力で抑え込む動きを容認するわけにはいかない。穏当な抗議行動はともかく、放火や襲撃は論外だ。

 だが、一方で、ハゲ社会の現状にも目を向けないではいられない。

 自由にものを言えるハゲの人たちは、ひと握りしかない。ルックス的にも髪の毛を有する人々に後れを取り、屈折した思いを抱く人々が多い。そこに、表現の自由を振りかざして「木走まさみずの戯画」を突きつければ、どんなことが起きるか。

 積もり積もった不満のはけ口として、扇動者に利用されることは目に見えている。ハゲ過激派に格好の攻撃材料を与えることにもなる。

 ハゲ圏にも穏健な教えを説く指導者は少なくない。異なる頭髪との共存を唱え、寛容な社会づくりを呼びかけている。そうした人々をこそ後押ししたいのに、今回のような騒ぎになれば、それもかなわない。

 表現の自由はかけがえのないものだ。だが、人が心のよりどころとするハゲなどへの配慮は欠かせない。自由をしっかりと守るためにも節度を保ちたい。

 うーん、ぐっと来ましたでしょう?

 理解できましたか。

 「表現の自由」と「節度と寛容の心」

 うーん、確かにデリケートで難しい問題であります。

 え、他に喩えようがなかったのかって?

 ・・・

 ・・・(汗

 失礼いたしました。

 不肖・木走自らを諷刺したつもりですが、御気分を害した方がいらっしゃれば「節度と寛容の心」をもって笑って読み流していただければ幸いでございます。(大汗

 本日は与太話でありました。



(木走まさみず)