木走日記

場末の時事評論

パリの連続テロ事件を「宗教戦争」と捉えてはならないと思う理由

 さてISILによるパリの連続テロ事件であります。

 この事件を「新たな宗教戦争」とのような捉え方で解説しようとする視座の論説がネット上でも多く見受けられます。

 1000年の長きに渡るイスラムユダヤ・キリスト間の宗教対立が、この21世紀にISILの台頭とともに新たな局面に至ったという見立てであります。

 そのようなイスラムの宗教の歴史を俯瞰して西洋文明との対峙として今回の事件を考察することは大事な視点であることを認めた上で、当ブログとしては少し視点を変えて、上から見下して俯瞰するのではなく視点を現場に下ろしてあるがままにこの事件について考察を試みます。

 具体的には、この宗教色色濃いテロ事件から「宗教色」を脱色して、ひとつの犯罪行為として近視眼的に捉えてみたいと考えます。

 つまり「新たな宗教戦争」のような俯瞰的鳥瞰的広い視座を一旦取り除き、宗教抜きでリアルに起こっていることを踏まえたいのです。

 まずISIL( Islamic State in Iraq and the Levant)・「イスラム国」は国家なのかという重要な点です。

 彼らを国家として見なせば、このテロ「事件」(本来単なる犯罪行為)は、「新たな宗教戦争」に崇高な歴史的意味合いをもつ「戦争」に格上げ・昇華されてしまいます。

 本当にそうなのでしょうか?

 ISILは「イスラム国」と自称していますが、単なるイスラム過激派組織・テロリスト集団・犯罪組織に過ぎません。

 彼らは「国」ではない、単なる犯罪者集団です。

 従ってこのテロをいかなる意味合いでも「戦争」と認めてはいけない、これは単なる「犯罪行為」です。

 このテロを「戦争」と認めれば、ましてや「新たな宗教戦争」のような大きな意味を認めれば、それは犯罪者集団の思うツボにはまる愚を犯してしまいます。

 この犯罪者集団を「国家」として認めては決してなりません。

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 さらに、このテロ事件を宗教色を脱色して単なる「犯罪行為」として考えてみる必要性があるのは、「宗教戦争」「宗教対立」のような歴史的な視点、俯瞰した視座の持つ弱点でもあります、小異に拘らなすぎる点を補完する必要があるからです。

 今回のテロ事件が「イスラム対西洋諸国」的な「宗教戦争」のような大局観だけで見てしまうと、当然のことながら小さな重要なことを見落としがちになります。

 はたしてISILは全イスラム圏を代表しているのか、はたまた16億の全イスラム圏をISILのようなテロ集団と同一視して良いのかという点です。

 いうまでもなく答えはNOです。

 イラク・シリア間にまたがって活動するスンニ派イスラム過激派組織であるISILの最大の攻撃目標は、同じイスラム教徒であるシーア派であります。

 ISILは異教徒も襲撃しますが彼らの主敵はシーア派です。

 彼らはイスラム同士間で殺戮を繰り返している異端過激集団であります。

 なぜなら彼らの主目的は西欧列強が線引きした現国境を無きものにしてスンニ派が支配する大イスラム帝国の復活にあるからです。

 世界16億の多くの善良なイスラム教徒はISILのような過激思想とはまったく無縁です。

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 ISILによるパリの連続テロ事件であります。

 いろいろな考え方はあるのでしょうが、「新たな宗教戦争」のような捉え方をすること自体は否定はしませんですが、そこに固守することはテロ集団に利用されうる点で危険です。

 ISILは「国家」ではなくただの「犯罪集団」です。

 ましてや彼らは全イスラム圏を代表しているわけでは決してありません。

 ISILによるパリの連続テロ事件は「宗教戦争」と捉えてはならないと思うのであります。

 読者のみなさんはどう思われますか?



(木走まさみず)