木走日記

場末の時事評論

悪びれない人たち〜「恥の文化」に対する反逆者たち

●アジア5都市調査でわかる日本人のしつけの傾向〜「他人に迷惑を掛けるな」

 昨日(8日)の産経朝刊記事から・・・

東京っ子 早寝早起きTV漬け アジア5都市調査

 東京の幼児は他のアジア都市の幼児に比べ早寝早起きだが、テレビ漬け−。教育シンクタンク「ベネッセ教育研究開発センター」(東京)が行った東京、ソウル、北京、上海、台北の幼児の生活調査から、こんな傾向が浮かび上がった。また、東京の親は「友人や家族を大事にする人」に子供が育ってほしいと願う半面、「社会に尽くす人」「周囲から尊敬される人」にと願う傾向は他都市より低かった。

 調査は5都市の3歳から6歳までの幼児を持つ保護者約6000人に聞き取り形式で実施。「午後9時台より早く寝る」と答えたのは東京75.8%、上海79.5%だったが、ソウルは36.3%、台北は26.4%。起床時刻が午前7時より早いのは東京75.6%、北京95.9%、上海89.4%と多いがソウルは48.2%、台北は56.1%だった。睡眠時間は東京で平均10時間6分。5都市で唯一、10時間を超えた。

 「テレビをほとんど毎日見る」は東京で94.6%。ソウル79.2%、台北78.4%、北京74.3%、上海64.3%に比べ最も高く、1日の視聴時間も東京は3時間43分で他都市より長かった。パソコン使用では東京は「ほぼ毎日」「週3、4回」を合わせても4.3%。ソウルの40%に比べ際立って低い。習いごとをする幼児の割合は5都市とも5割超。特に英会話人気は東京17.8%、ソウル11.2%など総じて高かった。

 「子供に将来、どんな人になってほしいか」とたずねたところ、5都市とも3分の2超の保護者が「自分の家族を大切にする人」と回答。東京ではさらに「友人を大切にする人」(74.5%)「他人に迷惑をかけない人」(71%)が他都市より高かった。

 一方、「仕事で能力を発揮する人」は東京20.1%で、北京46.9%、台北48.9%。ソウルは「リーダーシップのある人」が46.8%と他都市に比べずば抜けて高かった。

【2006/02/08 東京朝刊から】産経新聞
http://www.sankei.co.jp/news/060208/sha033.htm

 うーむ、「「ベネッセ教育研究開発センター」(東京)が行った東京、ソウル、北京、上海、台北の幼児の生活調査」だそうですが「調査は5都市の3歳から6歳までの幼児を持つ保護者約6000人に聞き取り形式で実施」そうであります。

 いや実に興味深い記事であります。。

 しかし当記事担当の産経新聞記者に少しばかりアドバイスさせていただきたいのですが、記事タイトルの「東京っ子 早寝早起きTV漬け」はいただけません。

 なぜならこの興味深いアンケートが示している内容は、そのようなライフスタイルだけではなく、より重要な奥深い精神文化的な差異が表出していると思われるからです。

 記事タイトルの「東京っ子 早寝早起きTV漬け」は、おいときまして、不肖・木走が関心を持ったのは、記事に掲載されている「子供に将来どんな人になってほしいか」の親のアンケート結果表であります。

 見やすく以下にまとめてみました。

子供に将来どんな人になってほしいか

項目 【東京】 【ソウル】 【北京】 【上海】 台北
友人を大切にする人 74.5 14.3 14.2 11.3 13.9
他人に迷惑を掛けない人 71.0 24.7 4.9 4.6 25.1
自分の家族を大切にする人 69.7 69.2 71.8 75.7 84.1
仕事で能力を発揮する人 20.1 21.2 46.9 39.0 48.9
まわりから尊敬される人 12.0 28.3 45.5 43.0 23.2
社会のためにつくす人 11.1 18.7 27.6 23.1 26.7
リーダーシップのある人 6.1 46.8 15.5 25.6 22.4

 どうでしょう、日本(東京)の親だけ子供に対する期待が他のアジア都市と比べてはっきりと違いがあり、顕著に特徴が出ていますよね。

 上位三つの項目で表現すれば各都市の親たちの子供に対する期待は次のように表現できるのでしょう。

【東京】
友人を大切にし、他人に迷惑を掛けないで、できれば家族を大切にする人になってほしい。
【ソウル】
家族を大切にし、リーダーシップのある、できればまわりから尊敬される人になってほしい。
【北京】
家族を大切にし、仕事で能力を発揮し、できればまわりから尊敬される人になってほしい。
【上海】
家族を大切にし、まわりから尊敬される人になり、できれば仕事で能力を発揮する人になってほしい。
台北
家族を大切にし、仕事で能力を発揮し、できれば社会のために尽くす人になってほしい。

 これは興味深い結果です。

 他のアジアの国の親たちが、とにかく自分の家族をまず大切にし友人や他人に対する配慮にはあまり重きを置いてはいないのに比し、日本(東京)の親たちは、何よりもまず、友人や他人への配慮を子に求めているのです。

 しかも記事に有るとおり、3歳から6歳までの幼児を持つ保護者が対象のアンケートですから、若い世代の親が対象であると想定できるわけです。

 「友人を大切にしろ」とか「他人に迷惑を掛けるな」を一番の価値観と見なしているのは、日本独自の精神文化が今も脈々と若い世代の親たちに継承されているという視点で考察してみると、興味深いのであります。

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 かつて、60年ほど前アメリカの女性人類学者ルース・ベネデクトがその著書【The Chrysanthemum and the Sword; patterns of Japanese Culture(邦訳名:菊と刀)】で、日本は『恥の文化』であると喝破していましたが、この記事のアンケート結果を見る限り、その指摘は世代を繋いで今の幼児の親の世代(20代〜30代)にも受け継がれているようにもおもわれるのです。

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●「罪の文化」と「恥の文化」〜「菊と刀」に見る日本社会の体質は今に生きているのか?

 ベネデクトの「菊と刀」は60年近く前に、アメリカによる日本占領統治時代に発行された日本文化論であります。

菊と刀

【The Chrysanthemum and the Sword; patterns of Japanese Culture アメリカの女性人類学者ルース・ベネデクトの主著の一つ。原著は1946年に刊行され、48年(昭和23年)に日本語訳が出版された。第二次世界大戦下のアメリカの一連の戦時研究の中から生まれた。日本研究の名著である。直接現地調査が出来ないという制約にもかかわらず、在米日系人との面談、文学や映画の分析を通じて、複雑な日本社会の体質に鋭く迫っている。日本社会を特徴づける上下関係の秩序に注目し、その秩序の中で「各人にふさわしい位置を占めようとする」人々の行動や考え方について、「恩」「義理」といった日本人独特の表現を手がかりに分析を進めている。とりわけ日本の文化を、内面に善悪の絶対の基準を持つ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化した点は、戦後の日本人に大きな衝撃を与えた。】--(ブリタニカより)

【-----アメリカの文化人類学者 R.ベネデクトによる日本文化論。1946年刊。日本人の<義理><恩><恥>といった観念の解釈をめぐって、戦後日本の思想界に大きな波紋を投じた。第二次大戦中、米軍の攻勢が確実になった頃、政府、戦時情報局は彼女に日本研究の仕事を委嘱した。現地調査が不可能であるため、彼女は、日本に関する書物、日本人の作った映画、在米日本人との面談等を材料として研究をすすめ、対象社会から文化類型を抽出しようとする方法に基づいて、日本文化の基調を探究し、執筆した。日本人は礼儀正しいといわれる一方、不遜で尊大であるともいわれ、固陋であると同時に新しい事物への順応性が高いともいわれる。また美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方では、力を崇拝し武士に最高の栄誉を与える。それは欧米の文化的伝統からすれば矛盾であっても、菊と刀は一枚の絵の二つの部分である。民族の思考と感情から出た習慣と行動には必ず一貫性があるという、ベネデクトの文化統合形態の理論に彼女の直感的な人文学的才能がプラスされ、欧米人による日本文化論として名著との評判が定着した。この著作に対して日本では川島武宣津田左右吉和辻哲郎鶴見和子らの批判と評価がなされた。】---(平凡社 世界大百科事典より)

菊と刀 ルース・ベネデクト
http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/KIKU-to-Katana.html

 このベネデクトの「日本の文化を、内面に善悪の絶対の基準を持つ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化した点」は、当時から賛否両論議論され、多くの反論も生まれてきたわけです。

 しかし、前述の記事の結果を見ても、日本の若い親たちだけにみられる「友人を大切にしろ」とか「他人に迷惑を掛けるな」といったしつけを重視している傾向は、まさにベネデクトのいうところの「他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」」的思考なのかも知れません。

 私には、私自身も2児の父親として実感しているのですが、日本の親の発想のベースに「(自分自身)恥をかくな」「(他人に)恥をかかせるな」といった感覚が脈々と根強くおそらくさらにその親の世代から継承されているのだと感じています

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●福岡の「サムシング」 限界設計繰り返す 「姉歯」と手口酷似

 今日(9日)の産経新聞記事に、「偽装の手口が姉歯秀次建築士(48)と酷似して」いる「耐震強度偽装事件」が報道されています。

福岡の「サムシング」 限界設計繰り返す 「姉歯」と手口酷似

 耐震強度偽装事件が拡大した。新たに構造計算書の偽造が発覚した福岡県春日市の設計会社「サムシング」(廃業)の仲盛昭二元社長は、別のマンションの構造計算をめぐり「誤った構造計算の欠陥住宅を売られた」と居住者から訴訟を起こされていた。さらに、同社が極限までコストを削減する「限界設計」を繰り返していたことも業界関係者の話で判明、偽装の手口が姉歯秀次建築士(48)と酷似していたことが分かった。

 (中略)

平成18(2006)年2月9日[木] 産経新聞
http://www.sankei.co.jp/news/morning/09na1001.htm

 大方の予想の通り姉歯某以外にもとんでもない建築士がいたわけなのですが、そのインタビューが強気一辺倒で苦笑してしまうのであります。

 上記事よりインタビュー部分を抜粋いたしましょう。

 「偽装は断じてない。不備はあったかもしれないが、作為的ではない。技術者として、断固闘います」。仲盛元社長は八日、報道陣にそう語り、疑惑を全面否定した、

(中略)

 ≪仲盛元社長 一問一答≫

 ■偽造していない/木村建設、たまたま建てただけ

 サムシングの仲盛元社長は八日、産経新聞の取材に応じ、偽装を全面的に否定した。主な一問一答は次の通り。

 −−構造計算書を偽造したか

 「していない。事務所は五年前になくなり、(構造計算関係の)書類は一切ない。福岡市からは六日に連絡があった。どのように(市が)計算したのか、話し合って論破したいが、何も見せてもらっていないので分からない」

 −−構造計算はどのように行っていたか

 「チーフを一人置き、その下に三、四人の部下をあてて作っていた。年間六百件前後扱ったが、最終的にはすべての計算書に自分が目を通した」

 −−計算書に連続性がないとの指摘は

 「途中で必要があれば設計を変更している。変更前にさかのぼって出していないだけだ」

 −−強度がクリアされていないが

 「市は一次設計をクリアしていると認めているのに、二次設計の段階で85%なんて数字が出てくるのがおかしい。私がもう一度計算し直して問題ないことを証明したい」

 −−木村建設との関係は

 「たまたまうちの設計した建物を木村建設が建てただけで木村建設そのものは知らない。実際にどこが建築しているか、うちには分からない」

 −−姉歯建築士や平成建設、総研関係者と面識は

 「知らない」

 ・・・

 「偽装は断じてない。不備はあったかもしれないが、作為的ではない。技術者として、断固闘います」とは、強気な発言であります。

 しかしこの仲盛元社長の会見を見聞きして、既視感(デジャブ)を感じてしまうのは決して私だけではないことでしょう。



●悪びれない人たち〜「恥の文化」に対する反逆者たち

 なにやら最近、この手の事件を起こした当事者の強気の会見を繰り返し繰り返し見せられているような感覚に陥ってしまうのです。

 またかよって感じなのです。

 最近の社会面をにぎわしてきた事件の主役達の発言を思い出してしまうのです。

 ライブドア堀江元社長の「ルールはオレが作る」などの発言、ヒューザー小嶋社長の「私どもも被害者だ」発言、東横イン西田社長の「ちょっとしたスピード違反」発言、防衛施設技術協会元理事長の「結果的に天下っただけだ」発言、そして今回の設計会社「サムシング」(廃業)の仲盛昭二一級建築士の「偽装は断じてない。不備はあったかもしれないが、作為的ではない。技術者として、断固闘います」発言・・・

 彼らにはひとつの特徴があるようです。

 それは会見で彼らが決して「悪びれていない」ことです。

 堂々と自己主張をし、自己正当化に徹し他者を批判し、自らが置かれた状況とか他者からの批判にはあたかもまったく意に介さないように強気の発言を繰り返すのです。

 そして彼らの口からは、居住者や利用者や国民などへの他者への配慮ある発言は、ほとんど出てきません。

 ・・・

 彼らは「恥」を知らないのでしょうか。

 これはどういう現象なのでしょうか。

 彼らには、日本固有の精神文化である「(自分自身)恥をかくな」「(他人に)恥をかかせるな」といった感覚が欠落しているようにも思えます。

 日本人の精神的美徳とされている「他人に迷惑を掛けるな」という意識も薄いような印象を他者に振りまいています。

 TVの前で堂々と自己主張を繰り返す彼らは、まるで日本古来の「恥の文化」に対する反逆者のようにも思えてしまいます。

 ・・・

 彼らが「恥の文化」に対する反逆者たちだとして、彼らが法に対しても反逆者になってしまう傾向にあることは、日本にとり良いことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。

 戦後日本の他国に比してのガバナビリティ(被統治能力)の高さによる勤勉性を背景に実現できた高度経済成長が「他人に迷惑を掛けるな」という日本固有の「恥の文化」とどのような因果を有しているのか、専門家でもない私にはわかりません。

 しかしながら、特に最近の新自由主義的風潮の中での「勝ち組」を目指す人間を賞賛する傾向にある世論を考えたとき、日本人の精神文化も何らかの変容を遂げようとしているのかも知れません。

 ただ、私には、日本の若い世代の親たちがこれらの決して悪びれない人たちをどう評価しているのか、そこがとても気になるのでありました。



(木走まさみず)