「対岸の火事」と「他山の石」〜似て非なる朝日社説と産経社説
今回は、最近の興味深い朝日社説と産経社説を比較・検証して、プチメディアリテラシーをしてみましょう。
●黄禹錫(ファン・ウソック)教授ES論文捏造問題を取り上げる両紙社説
本日(24日)付けの朝日社説と産経社説では、韓国の黄禹錫(ファン・ウソック)教授ES論文捏造問題を取り上げています。
まずは朝日社説から・・・
韓国ES疑惑 「対岸の火事」ではない
病気や事故で壊れた組織を、自分の細胞で作り直す、夢のような治療が実現するかもしれない。そんな期待を人々に抱かせ、世界の注目を一身に集めてきた黄禹錫(ファンウソク)・ソウル大学教授の論文データは捏造(ねつぞう)だった。
ソウル大学の調査チームが発表した中間報告に、韓国は大きな衝撃を受けている。黄教授はこの分野で世界の最先端を走る国民的英雄とされてきたからだ。
影響はそれにとどまらず、科学研究そのものへの信頼も揺るがしかねない。なぜこんな事態が起きたのか。さらに解明を進めなければならない。
黄教授は5月、胚(はい)性幹(ES)細胞11株をつくったと米科学誌サイエンスに発表した。心臓や筋肉など、何にでもなれる可能性を秘め、万能細胞とも呼ばれているものだ。
患者自身の細胞を使えば、拒絶反応の起きない臓器移植も夢ではない。再生医療という新しい治療法につながるとして各国が競っている研究分野だ。
黄教授の論文は、世界で初めて実際に患者の細胞を使い、しかもES細胞が非常に効率よくできたことを示す結果だったため、高い評価を受けた。
ところが、ソウル大の調査によると、9株分は他の2株のデータをもとにでっち上げたものだった。その2株についても、いわれる通りのES細胞かどうかは調査中という。その結果がどうであれ、この論文が信頼に足りず、科学史上に汚点を残したことは間違いない。
倫理面での問題も指摘されていた。ES細胞は卵子を壊してつくるため、日本も含めその研究を厳しく規制している国が多い。ところが、黄教授は研究チームの女性から卵子の提供を受けたほか、金銭のやりとりもあった。
黄教授は昨年初めには今回の研究の先駆けとなる論文で、今年に入っても犬のクローンづくりで「世界初」を連発。こうした業績から、韓国政府は「最高科学者第1号」に選び、破格の研究費を与えていた。皮肉なことに、こうした成果は今やすべて再調査の対象だ。
黄教授はなぜ捏造に走ったのか。共同研究者の主張との間に食い違いもあり、分からない部分は多い。政府から巨費を与えられ、国民から期待を寄せられたプレッシャーを指摘する声もある。
捏造問題は韓国だけの話ではない。それも政府の研究費が多くつぎ込まれているバイオの分野で目立つ。論文の取り下げが続き、日本の研究への信用が落ちたとさえいわれる。
いうまでもないが、科学は信頼の上に成り立つ。黄教授の問題を他山の石に、日本の科学界も、研究に不正を潜り込ませない方策を真剣に考える時期だ。
政府は今後5年間、科学技術の研究開発に25兆円を投ずる方針を掲げた。財政が悪化するなかでも、未来への投資として例外的に認められた。この資金を正しく効率的に使うのは、科学者が国民に負う義務である。
朝日新聞【社説】2005年12月24日(土曜日)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
次に産経新聞社説から・・・
■【主張】ES細胞捏造 世界を欺いた責任は重い
韓国の黄禹錫(フアンウソク)・ソウル大教授グループの胚性幹細胞(ES細胞)研究をめぐる疑惑を調査していた同大学の調査委員会が中間発表を行った。
その結果は「黒」だった。今年五月に米科学誌「サイエンス」で発表した論文は捏造(ねつぞう)であるという。残されている細胞についても外部の研究機関でDNAの素性を調べることになった。
黄教授の研究については女性からの卵子入手方法についての倫理問題をきっかけに、さまざまな疑問や疑念が浮上している。
黄教授を全面支援してきたソウル大学と韓国政府は、事実関係を徹底解明することが必要だ。それを怠ると、韓国発の他分野の研究も信用を失うことになるだろう。
ES細胞は受精から数日経過した卵(らん)(胚)を壊し、内部の細胞を培養してつくる。あらゆる臓器や組織に分化する能力を備えているので万能細胞とも呼ばれる。
黄教授が世界的な注目を集めたのはこのES細胞を、世界で初めてヒトの体細胞クローン胚からつくり出した、と発表したからである。この技術は脊髄(せきずい)損傷などの患者を救う再生医療につながる。黄教授は再生医療の実現に期待を寄せた世界中の人々を欺いていたわけである。その責任は重い。
科学研究上の不正として、今回の捏造は史上最大級のものである。どうしてこうしたことが起きたのか。
理由のひとつとして、韓国は科学研究分野ではまだ途上国であるということがあげられる。研究の不正防止機構が未成熟だった。
こうした研究の場で生命科学の先端研究が行われた。そこには大きなギャップがあった。
さらには自然科学での初のノーベル賞に最も近い研究者として国をあげての熱狂的な期待があった。その圧力が黄教授を英雄に祭り上げ、研究体制のギャップから「虚構の科学」の芽が伸びたのだ。
日本でも最近、科学研究での不正が目立ち始めている。競争原理や成果主義の導入で、データの捏造などが起きやすくなっている。国の科学技術基本計画で、五十年のうちに三十のノーベル賞を目指している日本も「他山の石」としなければならない。
平成17(2005)年12月24日[土]
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm
どうでしょう、両紙社説を読み比べてみると一見その主旨はほとんど同じように読めます。
問題によっては180度主張が対立する朝日・産経なのですが、今回は珍しく似たような主旨を展開しているようです。
ようは、この韓国で起こった論文捏造問題は韓国特有の問題も内在しているだろうが、日本も他人事で済ましては行けないぞ、という警告を発しているわけであります。
それぞれの社説の結語を見てみましょう。
【朝日社説の結語】
黄教授はなぜ捏造に走ったのか。共同研究者の主張との間に食い違いもあり、分からない部分は多い。政府から巨費を与えられ、国民から期待を寄せられたプレッシャーを指摘する声もある。捏造問題は韓国だけの話ではない。それも政府の研究費が多くつぎ込まれているバイオの分野で目立つ。論文の取り下げが続き、日本の研究への信用が落ちたとさえいわれる。
いうまでもないが、科学は信頼の上に成り立つ。黄教授の問題を他山の石に、日本の科学界も、研究に不正を潜り込ませない方策を真剣に考える時期だ。
政府は今後5年間、科学技術の研究開発に25兆円を投ずる方針を掲げた。財政が悪化するなかでも、未来への投資として例外的に認められた。この資金を正しく効率的に使うのは、科学者が国民に負う義務である。
【産経社説の結語】
さらには自然科学での初のノーベル賞に最も近い研究者として国をあげての熱狂的な期待があった。その圧力が黄教授を英雄に祭り上げ、研究体制のギャップから「虚構の科学」の芽が伸びたのだ。日本でも最近、科学研究での不正が目立ち始めている。競争原理や成果主義の導入で、データの捏造などが起きやすくなっている。国の科学技術基本計画で、五十年のうちに三十のノーベル賞を目指している日本も「他山の石」としなければならない。
主張の展開も極めて似ています。
朝日は「政府から巨費を与えられ、国民から期待を寄せられたプレッシャーを指摘する声もある」、産経も同様に「自然科学での初のノーベル賞に最も近い研究者として国をあげての熱狂的な期待があった」と韓国固有の問題があるとふれています。
そして、朝日は「黄教授の問題を他山の石に、日本の科学界も、研究に不正を潜り込ませない方策を真剣に考える時期だ」、産経も同様に「五十年のうちに三十のノーベル賞を目指している日本も「他山の石」としなければならない」と、他人事ではなく日本の科学界にも警鐘を鳴らすかたちで締めくくっています。
「対岸の火事」と「他山の石」、ことわざを用いているとこまで似ています。
実は朝日と産経、やっぱり君たちは仲がいいんじゃないですか?(苦笑
・・・
●韓国政府よりも日本を批判したい朝日とあくまでも韓国を批判したい産経
メディアリテラシーの素材として、この一見同質に思える両紙社説の微妙なしかし根深いニュアンスの違いを読み取ってみましょう。
誰にも一目瞭然なのは社説タイトルでありまして、
【朝日】韓国ES疑惑 「対岸の火事」ではない
【産経】ES細胞捏造 世界を欺いた責任は重い
つまり、朝日の主眼はあくまでも日本への警告なのであり、産経の主眼は教授及び韓国政府への批判なのであります。
例えば、朝日は決して直接的には韓国および韓国政府を批判対象にはしていません。
産経がはっきりと「韓国は科学研究分野ではまだ途上国である」として「国をあげての熱狂的な期待があった。その圧力が黄教授を英雄に祭り上げ」たことを批判しているのに対し、朝日はせいぜい「韓国政府は「最高科学者第1号」に選び、破格の研究費を与えていた。皮肉なことに、こうした成果は今やすべて再調査の対象だ。 」と間接的に皮肉る程度です。
逆に日本への批判は朝日がより具体的にふれています。
・・・
両紙の社説の文章構成から両紙のスタンスの微妙な違いを検証することにしてみましょう。
両紙の社説の構成を次の3種類に大別することにします。
1.客観報道および教授個人への批判
2.韓国および韓国政府の直接的批判
3.日本への批判及び警鐘
まず、朝日社説ですが全1131文字(句読点含む)中、
1.客観報道および教授個人への批判 886文字
2.韓国および韓国政府の直接的批判 0文字
3.日本への批判及び警鐘 245文字
次に、産経社説ですが全851文字(句読点含む)中、
1.客観報道および教授個人への批判 477文字
2.韓国および韓国政府の直接的批判 261文字
3.日本への批判及び警鐘 113文字
主文の字数も違いますので構成%で両紙を比較してみましょう
朝日 産経
1.客観報道および教授個人への批判 78.3% 56.1%
2.韓国および韓国政府の直接的批判 0.0% 30.7%
3.日本への批判及び警鐘 21.7% 13.2%
実に興味深いです。
このような科学界の話題でも、あくまでも韓国政府よりも日本を批判したい朝日と、あくまでも韓国を批判したい産経の、そのスタンスの違いが微妙にあらわれています。
●利用することわざに象徴的に現れる両紙のスタンスの違いを見逃すな〜「対岸の火事」と「他山の石」
このように細かくリテラシーしてみると、両紙が使用したことわざ「対岸の火事」と「他山の石」の微妙なニュアンスの違いも見逃すわけにはいきません。
ちょっと辞書で調べてみましょう。
【対岸の火事】
他人にとっては重大なことでも、自分には何の痛痒(つうよう)もなく関係のないこと。対岸の火災。【他山の石】
自分の人格を磨くのに役立つ材料。参考にすべき、他人のよくない言行。
「友人の失敗を―とする」
朝日・産経両紙が使用した「他山の石」ですが、由来まで調べてみるとさらに興味深いです。
【故事成語(こじせいご)】
他山の石
【読み方】
たざんのいし
【意 味】
他人の話しぶりや行動を、自分の成長のための参考として役に立たせること
自分よりもおとったものでも、自分を向上させるのに役に立つということ【由 来】
他の山からとれた石が自分の持っている玉(宝石)よりも、価値が低いものでも、その石は、自分の持っている玉をみがく石として役に立てることができるということから、この語ができた。(詩経)
なるほど、朝日の社説タイトルに使用した「対岸の火事」は、「他人にとっては重大なことでも、自分には何の痛痒(つうよう)もなく関係のないこと」であり、自己と相手には何ら上下関係を持っている視点ではありません。
一方、産経も使用した「他山の石」は、「参考にすべき、他人のよくない言行」のことであり、由来でも明らかなように「自分よりもおとったものでも、自分を向上させるのに役に立つということ」のニュアンスが強い、この場合自己側が明らかに相手を見下している視点なのですね。
朝日は社説結語に使用した「他山の石」をタイトルではわざわざ「対岸の火事」に置き換えているのです。
・・・
社説に用いた似たようなことわざの使い分けからも、両紙の韓国に対するスタンスが象徴的にあらわれているのは、実に興味深いのでした。
今日は、似た題材を取り上げつつ、実は似て非なる朝日社説と産経社説について、プチリテラシーしてみました。
(木走まさみず)
<関連テキスト>
●国民的英雄ウソック教授がウソツキ教授になっちゃった物語〜「第1号最高科学者」ってどうよ
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051222/1135236784
●朝日社説と産経社説〜君たちは実は好き合ってるんじゃないのか?
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051028/1130469975