木走日記

場末の時事評論

「朝日<<<毎日<日経<読売<<<産経」な感じの各紙社説新元号「令和」への熱量

さて各紙社説は新元号「令和」を一斉に取り上げています。

朝日新聞社説】平成から令和 一人一人が時代を創る
https://www.asahi.com/articles/DA3S13960809.html?iref=editorial_backnumber
読売新聞社説】元号は令和 新時代を実感できるように
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190401-OYT1T50244/
毎日新聞社説】新しい元号は「令和」 ページをめくるのは国民
https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/005/070/094000c
産経新聞社説】新元号に「令和」 花咲かす日本を目指そう 万葉集からの採用を歓迎する
https://www.sankei.com/column/news/190402/clm1904020001-n2.html
日経新聞社説】新しい元号「令和」がひらく未来は
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43184060R00C19A4SHF000/

なかなか各紙特徴のある論説になっており興味深いのですが、ところどころ抜粋しつつ読み比べてみましょう。

日経社説は、近代国家に邁進した「明治」、市民社会が芽生えた「大正」、敗戦と復興そして高度成長の「昭和」、失われたと称される経済停滞と相次ぐ天災、そして戦争のない時代だった「平成」と、明治以降の元号をまとめます。

(日経)
 元号は古くは天変地異や疫病の流行などを機に変えられることがあった。庶民には、さほどなじみ深くなかったとされる。

しかし、明治以降、天皇を中心とした政治体制のもと、その代がかわるごとに改元する一世一元の制度がとられた。このため、元号は政治や経済、暮らしと密接に結び付き、時代の空気を色濃く映し出すようになった。

たとえば「明治」は列強に並ぼうと近代的な国づくりにまい進した時代として、「大正」は市民社会や大衆文化の芽生えたころとして、「昭和」は敗戦と復興、さらには高度成長の歳月として。

そして「平成」は、どうだったであろうか。「失われた」と称されるバブル崩壊後の経済の停滞が続き、阪神大震災東日本大震災など天災も相次ぎ襲った。

と同時に、象徴としての務めを全霊で果たした天皇陛下が回想したように、我が国にとっては「戦争のない時代」でもあった。

令和時代は「多様性が尊重される共生の社会のグランドデザインを描く好機」としつつ、新しい元号が定着していくのか、案じています。

(日経)
令和時代を迎えようとする今、首相が語った理念とは裏腹に、世界は「分断」や「不寛容」といった言葉で語られることが多い。日本にも、その波がひたひたと寄せているとも指摘される。

孤立や暴走を生みかねない世界の現状を前に、多様性が尊重される共生の社会のグランドデザインを描く好機でもあろう。一人ひとりが心にとどめておきたい。

では、今後、この元号は国民に定着していくであろうか。

総じて日経は経済新聞らしく新元号に対して立ち位置がクールなのであります。

社説の結びも「少子高齢化対策、財政再建周辺諸国との関係など、難題は山積している」時代なのだと警鐘を鳴らしています。

(日経)
あと、ひと月足らずで新天皇の即位と改元である。少子高齢化対策、財政再建周辺諸国との関係など、難題は山積している。わたしたちはもちろん、次の世代も「よい時代だった」と振り返ることができるよう、悔いのない選択と決断を心がけたい。

一方、保守読売の社説は改元が「新元号の施行は、国民の心の持ちように一定の影響を及ぼすに違いない」と、クールな日経より少し熱い期待をします。

(読売)
 元号は、日本人に共通の時代意識を生み出してきた。明治以降、天皇一代に一つの元号となり、代替わりと合わせて、人心の一新が図られた歴史がある。

 新天皇の即位と新元号の施行は、国民の心の持ちように一定の影響を及ぼすに違いない。

毎日新聞社説は「かつての元号は権力者が時間を支配する意味を持っていた」と指摘しつつ、現在は元号は一つの「文化」と認知されたとします。

(毎日)
 こうした明るい雰囲気は、陛下の退位を大半の国民が支持したことも影響しているだろう。

 かつての元号は権力者が時間を支配する意味を持っていた。しかし象徴天皇制の現代においては、元号は一つの「文化」であろう。

社説は「令和の時代をどう築いていくのか。国民自身が考えながら、時代のページをめくっていく」と結んでいます。

(毎日)
 平成を振り返りつつ、令和の時代をどう築いていくのか。国民自身が考えながら、時代のページをめくっていくことになる。

朝日新聞社説はそもそも元号は古代中国起源の「皇帝による時の支配」であると主張します。

(朝日)
 中国に起源を持つ元号は、「皇帝による時の支配」という考えに基づく。明治以降に制度化された、天皇一代にひとつの元号という「一世一元」は維持されているものの、国民主権の現憲法の下、国民の間には、西暦との自然な使い分けが定着しているようにみえる。

朝日社説らしいのはその結びです、安倍首相がなんと言おうと「元号への向き合い方は人それぞれである」、「社会をつくり歴史を刻んでいくのは、いまを生きる一人ひとりである」と元号など関係ないと言い切ります。

(朝日)
 「日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるもの」。安倍首相は記者会見で自ら首相談話を発表し、元号が用いられることへの理解と協力を求めた。だが、元号への向き合い方は人それぞれであることは言うまでもない。

 もとより改元で社会のありようがただちに変わるものではない。社会をつくり歴史を刻んでいくのは、いまを生きる一人ひとりである。

産経新聞社説は元号への思い入れが一番アツいようです、元号は「日本が継承してきた東洋の生きた文化」なのであり、「極めて大切な未来へ繋(つな)ぐ伝統文化」なのであると持ち上げます。

(産経)
 現在、元号を使用している国は日本だけになった。日本は、4つ目の「大宝」(701年)から、1300年以上、途切れることなく使い続けてきた。

 日本が継承してきた東洋の生きた文化であるのはもちろん、日本自身にとっても極めて大切な未来へ繋(つな)ぐ伝統文化である。

ここから保守産経社説のアツい論理が展開します、他紙が現在の元号を国民主役ととらえているのに対し、産経は、日本の元号は本質的に「天皇元号」であると言い切ります。

(産経)
 元号法の規定に基づき、内閣が政令で決める現代でも、御代替わりに限って改まる元号は、本質的に「天皇元号」である。

元号は「国民が一体感を持つための元号であり、憲法の精神に沿った存在」であると補足説明しています。

(産経)
 天皇と国民が相携えて歴史を紡いできたのが日本である。だからこそ憲法は、第1条で天皇を「日本国民統合の象徴」と位置付けている。国民が一体感を持つための元号であり、憲法の精神に沿った存在といえる。

興味深いことです。今回の「令和」改元について、その親近感・距離感(アツさ、あるいはサメザメ)で図ると、朝日<<<毎日<日経<読売<<<産経な感じでしょうか。

改元など関係ない「一人一人が時代を創る」のだというツメタイ朝日社説から、元号法の規定に基づき内閣が政令で決める現代でも、法を超越して元号は本質的には「天皇元号」であるとアツく主張する産経社説まで、興味深いのです。

とりあえず、メディアヲッチャーを自負する「木走日記」としては、元号に対する主張がほどよくばらけている今の日本のメディア言論の状況をまあ珍しく健全性がでていると称えときます、この種の議論は多様であるべきですからね。



(木走まさみず)