木走日記

場末の時事評論

「建国以来、大切にしてきた価値観『八紘一宇』」(三原じゅん子氏)〜先生、そんなたいそうなものじゃなかったと思いますよ

 17日付け東京新聞記事から。

「八紘一宇」を礼賛 参院予算委で自民・三原氏

2015年3月17日 朝刊

 自民党三原じゅん子参院議員(50)=比例代表=は十六日の参院予算委員会で、第二次大戦を正当化するスローガンとして、当時の日本政府が用いた「八紘一宇(はっこういちう)」が日本のあるべき姿だと主張した。
 三原氏は多国籍企業への課税に関する質問の中で、「建国以来、大切にしてきた価値観『八紘一宇』を紹介したい」と言及。八紘一宇は強い者が弱い者のために働く考え方だとして「現在の国際秩序は弱肉強食。強い国が弱い国のためにはたらく制度ができて、初めて世界は平和になる。グローバル資本主義の中で、日本がどう立ち居振る舞うかが示されている」と持論を展開した。
 意見を求められた麻生太郎財務相(74)は質問に直接答えず、「こういう考えを持っている人が(戦後生まれの)三原さんの世代にいることに正直驚いた」とかわした。
 八紘一宇日本書紀の文言をもとに戦前の宗教家田中智学がつくった言葉。「世界を一つの家にする」という意味だが、先の大戦中には日本軍のアジア侵略を正当化するため、学校などで教えられた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031702000140.html

 三原じゅん子参院議員が国会にて「八紘一宇(はっこういちう)」が日本のあるべき姿だと主張したそうであります。

 戦前・戦中に掲げられたスローガンには、結構漢字4文字も多く、「八紘一宇」だけでなく、挙国一致、尽忠報国堅忍持久、大政翼賛、五族共和、臣道実践、鬼畜米英などのほか、敗色濃厚になると、本土決戦、一億玉砕など悲壮感漂うものまでさまざまであります。

 東京新聞記事にもある通り、「八紘一宇」はその本来の意味は「世界を一つの家にする」ぐらいの大らかな意味合いなのですが、大戦中に日本軍のスローガンとして利用されてしまったがために、芳ばしい香りがついてしまい終戦後占領軍GHQによって公的な場所での使用を禁止されたいわくつきの言葉なのであります。

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 「八紘一宇」のスローガンが見事に活用されているのが戦争中爆発的にヒットした官制歌謡曲愛国行進曲」なのでありました。

 時は1937年、日華事変が起こり日本は本格的に対中国戦争へとのめりこんでいきます。

 翌1938年の5月には、総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定した『国家総動員法』が公布されます。

 この『国家総動員法』公布にさきがけ、内閣情報局が『愛国の唄』を国民から公募します。

 当選した軍歌が、有名な『愛国行進曲』であり、レコード各社が競作し、当時としては空前のミリオンセラーとなり、各社で映画化(日活)(キネマ)もされました。

 作詞した森川幸雄氏は当時23歳。作曲した瀬戸口藤吉氏は「軍艦行進曲」を作曲した元海軍軍楽隊長当時70歳の瀬戸口直吉氏です。

愛国行進曲(1938年1月) 

(作詞:森川幸雄;作曲:瀬戸口藤吉)=(歌唱:各社)

【一】

見よ 東海の空明けて

旭日(きょくじつ) 高く輝けば

天地の正気 溌刺(はつらつ)と

希望は躍る 大八洲(おおやしま)

おお 清朗の朝雲に  

聳(そび)ゆる富士の姿こそ

金甌(きんおう)無欠 揺るぎなき

わが日本の 誇りなれ

【二】

起て 一系の大君を

光と永久(とわ)にいただきて

臣民われら 皆共に

御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命

征け 八紘(はっこう)を宇(いえ)となし

四海の人を 導きて

正しき平和 うち建てん

理想は花と 咲き薫る

【三】

いま幾度か わが上に

試練の嵐 たけるとも

断乎と守れ その正義

進まん道は 一つのみ

ああ 悠遠(ゆうえん)の神代より

轟く歩調 うけつぎて

大行進の ゆく彼方

皇国つねに 栄あれ

 この歌は、やがて太平洋戦争へと突入し敗戦に至る45年までの8年間、日本中で口ずさまれることになるわけですが、ご覧のとおりその歌詞は1番から3番まで当時の「八紘一宇」の精神に貫かれているわけです。

 特に2番は、「起て 一系の大君を 光と永久(とわ)にいただきて」と天皇のもと、「征け 八紘(はっこう)を宇(いえ)となし 四海の人を 導きて」と「八紘一宇」の精神でアジアを導くのだとしています。

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 当時『国家総動員法』のもと、たくさんの戦時スローガンが誕生してますが、国民の生活は困窮を極めていきます、勇ましいスローガンと真逆な実際を、国民はユーモアで切り替えしています。

贅沢は敵だ

 敵の前に「素」という字が落書きされます。

贅沢は素敵だ!

足らぬ足らぬは工夫が足らぬ

 戦争に男手がとられてしまったことから「工」の漢字にばってんが落書きされます。

足らぬ足らぬはが足らぬ。

 「八紘一宇」の精神に貫かれた「愛国行進曲」ですが、やがて太平洋戦争へと突入し敗戦に至る45年までの8年間、日本中で口ずさまれることになるわけですが、当時の国民も、歌謡曲にまで干渉する国のいきすぎた『愛国主義』政策には、実は内心では辟易していたようです。

 この歌も、当時の戦時協力内閣として登場した東条英機を強烈に風刺する替え歌になります。

 一番の歌詞は「見よ 東海の空明けて」が「見よ 東条の禿頭」となってもう「八紘一宇」の精神などすっ飛んでいます。

見よ 東条の禿頭 

ハエがとまれば、ツルッと滑る

滑って止って またすべる

止って 滑ってまたとまる

おお テカテカの禿頭

そびゆる富士も眩(まぶ)しがり 

あの禿どけろと 口惜し泣き

雲にかくれて 大むくれ

(「愛国行進曲」(見よ東海の夜は明けて)の替え歌:いうまでもなく東条は見事な禿げ頭だった)

 ・・・

 この東条首相を中傷する替え歌は、公式の場で唱われることはあり得なかったでしょう。

 もしこんな替え歌を堂々と唱ったら、非国民として大変な扱いを受けたことは想像に難くないのです。

 しかしながら、この替え歌には戦時下の国民のしたたかな面が垣間見えますですね。

 スターリン時代のソ連で数千万人の粛正が断行されているときに「スターリン諷刺」のアングラ小話が大流行したように・・・

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 「建国以来、大切にしてきた価値観『八紘一宇』」(三原じゅん子氏)ですか。

 三原先生、そんなたいそうなものじゃなかったと思いますよ。

 ふう。




(木走まさみず)