木走日記

場末の時事評論

田原総一朗氏の主張が日本の国益に沿うとは到底思えない

 田原総一朗氏がBLOGOSにて、「今こそ、憲法とともに あの戦争のことを考える時」、「あの戦争を総括する 絶好のチャンスだ」と論じています。

ワシントン・ポスト』など外国主要メディアの安倍首相批判、ここが大間違いだ!
http://blogos.com/article/62207/?axis=g:0

 記事の結語。

しかし、独立後60年が過ぎた。 日本人の手で、あの戦争を ちゃんと総括すべき時期が 来ているのではないか。 このままでは『ワシントンポスト』に いいように書かれてしまい、 反論すらできないのだ。

安倍さんは憲法改正をぶち上げた。 そのため、日本中で憲法に対する議論が かつてないほど盛り上がっている。 今こそ、憲法とともに あの戦争のことを考える時だろう。 そして、あの戦争を総括する 絶好のチャンスだと僕は思うのだ。

 田原氏は記事中、『ワシントン・ポスト』など外国主要メディアの安倍首相批判は2つの点で間違っていると主張します、一つ目は、「太平洋戦争」は「日本の侵略」ではない、ということだそうです。

だが僕は、安倍さんの言動はともかく、 両紙の批判は間違っていると考える。長年、僕は日本の近代史を 取材してきた。 その結果、満州事変、日中戦争は 日本の侵略だったという結論に達した。 しかし、太平洋戦争は違う。 太平洋戦争は、「侵略国」である、 イギリス、アメリカなどの連合国、 そして同じく「侵略国」である日本との 闘いだった。 当時、イギリスもアメリカも、そして日本も 植民地を「持てる国」だったのだ。

 二つ目は、極東軍事裁判は「平和に対する罪」という罪名のもとA級戦犯が処刑された、これも間違っていたと主張します。

ワシントン・ポスト』は、 「あの戦争はアメリカにとって正しい戦争だった」 という前提で安倍さんを批判した。 日本という「悪い国」を、 アメリカをはじめ連合国が やっつけたということなのだろう。 だから敗戦後、日本人は次々に 戦犯として裁かれた。 極東軍事裁判では、 「平和に対する罪」という罪名のもと、 A級戦犯が処刑された。

これもまた間違っている、 と僕は考えている。 そんな罪は、太平洋戦争の 前まではなかった。 連合国側が「平和に対する罪」を作り、 そして過去にさかのぼって、 日本を裁いたのだ。 今でいえば「事後法」で、 そんな裁きは到底、許されることではない。だが、その裁判の結果を 日本は受け入れた。 受け入れたことで日本は、 1951年、独立を認められる。 敗戦した国は弱いのだ。

 今こそ、憲法とともにあの戦争を総括すべきと、訴えるジャーナリスト田原総一朗氏なのであります。

 そして、太平洋戦争はそもそも日本の侵略戦争ではなくなおかつ極東軍事裁判は完全に誤りであると、氏は主張します。

 ちょっと待っていただきたいです。

 この国の言論界に影響力を持つ著名ジャーナリストのお1人・田原総一朗氏ともあろう人が、戦後日本が受け入れて独立が認められた極東軍事裁判の結果を、そしてここまで60年間曲がりなりにも国際的には平和裏に経済発展してきたことを支えた外交姿勢の中核である対米追従政策を、ここにきてアメリカに逆らいちゃぶ台返しせよとおっしゃるのでしょうか?

 戦後、先達達が敗戦国として焼け野原から数々の苦難を乗り越え、守り発展させて来た敗戦国日本の外交努力を、このタイミングで、アメリカに逆らって完全にひっくり返す。

 本気ですか。
 今の日本にとってこのようなキナ臭いことに優先順位を高めるべきではないし、アメリカと歴史的な価値観を根本から争うようなこと、いまの日本にそのような覚悟も余裕もないわけでしょう。
 安倍政権に強く警告したいです。

 穏健保守を自認する私は、アベノミクスを積極的に支持していますし、領土問題では中国に対しても韓国に対しても日本は妥協せず毅然と対処すべきであると思っています。

 だがしかし、戦後レジームの脱却、そこから帰着する極東軍事裁判結果の評価の見直し、アメリカをはじめ戦勝国を敵に回すような大立ち回りをこのタイミングで目指すとするならば、安倍政権の高支持率は急降下することは必定でありましょう。

 田原総一朗氏に反論しておきます。
 いまの日本には、アメリカと歴史的価値観を争うような覚悟も余裕もありませんし、そのようなことを今アメリカに強く主張することが、日本の国益に沿うとは到底思えません。



(木走まさみず)