メディアは「体罰」という言葉を使うのをやめよ〜単なる暴行・傷害事件として冷徹に扱うべきではないか?
10日付け毎日新聞社説から。
社説:高2生自殺 体罰は絶対許されない
毎日新聞 2013年01月10日 02時30分
http://mainichi.jp/opinion/news/20130110k0000m070087000c.html
スポーツ指導の名の下に行われていたとしても、暴力を伴う体罰は実質的には虐待であり、絶対に許されない。体罰の実態や自殺との関連を徹底的に調査し、再発防止策を確立しなければならない。
男子生徒が残した遺書などには、顧問による体罰や、主将としての責任に苦しんでいたことが書かれ、体罰が自殺の引き金になった可能性が高い。
うむ、「大阪市立桜宮高校の2年男子生徒が自殺し、バスケットボール部顧問の男性教諭から体罰を受けていたと記した手紙を残していた」との報道ですが、社説によれば「過去にも男子バレーボール部で顧問の男性教諭による体罰が発覚し、停職3カ月の処分を受けている」とあります。
桜宮高は五輪メダリストやプロ野球選手も輩出してきたスポーツ強豪校だ。男子バスケットボール部も過去5年で3回インターハイに出場するなどの成績を上げている。一方で過去にも男子バレーボール部で顧問の男性教諭による体罰が発覚し、停職3カ月の処分を受けている。
スポーツ強豪校では特に、成果を出すために体罰が広く行われ、厳しい上下関係の中で「愛のムチ」として見過ごされてきた傾向がある。しかし、こうした体質は根本的に改めなければならない。
「スポーツ強豪校では特に、成果を出すために体罰が広く行われ、厳しい上下関係の中で「愛のムチ」として見過ごされてきた傾向がある」のはその通りですが、もし本気で「こうした体質は根本的に改めなければならない」のだとしたら具体的にはどうすればいいのでしょうか。
社説はこう結ばれています。
だが、実際には体罰は減少せず、文科省の統計では90年代後半以降、体罰で処分された教職員は年間400人前後で推移している。大阪だけでなく、全国的に体罰を容認する風潮が根強く残っているのが現実だ。
体罰を根絶するには社会全体での取り組みが必要だ。教育委員会や教師だけでなく保護者も強い意思を持って対応していかねばならない。
うーん、「体罰を根絶するには社会全体での取り組みが必要」なのはその通りなのでしょうし、「教育委員会や教師だけでなく保護者も強い意思を持って対応していかねばならない」のも正論でしょうが、この社説からは具体的な対策が見えてきませんのが残念です。
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「体罰を根絶するには社会全体での取り組みが必要」という観点からひとつ提案があります。
メディアは「体罰」という言葉を使うの辞めませんか。
「体罰」は教育の名の下で行われている単なる「虐待」や「暴行」であり、暴行罪や傷害罪(死亡した場合は致死罪)に問われる犯罪行為です。
「体罰」の「罰」の意味することは明らかに「生徒に身体的な罰を与える」ことであり、つまり非が生徒側に有ることを前提にした教師による「躾」(しつけ)的な印象を与えています。
暴行罪や傷害罪(死亡した場合は致死罪)に問われる犯罪行為が「躾」であるはずがありません。
「体罰」という言葉自体に含まれている教育的「愛のムチ」的な語感が、この暴力行為に対して社会全体が甘く見過ごしてきた要因となっていませんでしょうか。
メディアは「体罰」という言葉でカモフラージュすることはやめて、単なる暴行・傷害事件として冷徹に扱うべきでないでしょうか。
(木走まさみず)