暗黒の独裁政権時代の真相解明が永遠に封印されたのは「彼の死」のせいではない〜産経社説に反論する
イラク高等法廷で死刑が確定してから、わずか4日後のサダム・フセイン元イラク大統領の絞首刑執行であります。
●これはどうしたことか、米国主導の裁判の正当性についての評価に踏み込まない日本のマスメディア社説
この死刑執行を受けて本日の主要紙社説は、今年一年を総括する社説で本件にも簡単には触れてる毎日社説を除く4紙が一斉に取り上げています。
【朝日社説】フセイン処刑 報復合戦につなげるな
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【読売社説】[フセイン処刑]「憎悪の悪循環をどう断ち切るか」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061230ig90.htm
【産経社説】フセイン死刑執行 報復ではなく団結の日に
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/061231/shc061231000.htm
【日経社説】処刑だけではイラク新時代は生まれない(12/31)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20061230MS3M3000830122006.html
各紙社説の結語を並べてみましょう。
【朝日社説】フセイン処刑 報復合戦につなげるな
いまイラク政府は、刑の執行を誇大に宣伝すべきではない。それよりも旧フセイン政権幹部の復権など、当面の安定化につながる施策を急ぐべきだ。
まずイラク政府は当面の安定化につながる施策を急ぐべきとする朝日社説であります。
【読売社説】[フセイン処刑]「憎悪の悪循環をどう断ち切るか」
ブッシュ大統領は、年明けにも新たなイラク政策を明らかにする予定だ。これまでのイラク政策のどこが間違っていたのか、なぜ機能しなかったのか、率直な検討が必要だろう。柔軟で効果的な新政策を打ち出し、イラク支援の実を挙げることが重要だ。
米国ブッシュ大統領は柔軟で効果的な新政策を打ち出すべきとする読売社説です。
【産経社説】フセイン死刑執行 報復ではなく団結の日に
絞首刑に立ち会ったイラク政府高官の一人は米CNNテレビのインタビューに「この日を報復の日ではなく、新しいイラクを築く団結の日にしたい」と語った。この言葉をかみしめたい。イラクの国民議会選挙が行われたのはちょうど1年前、本格政権が発足してからまだ7カ月である。
「この日を報復の日ではなく、新しいイラクを築く団結の日にしたい」との言葉をかみしめ、発足してからまだ7カ月のイラク政府の今後に期待する産経社説です。
【日経社説】処刑だけではイラク新時代は生まれない(12/31)
国民融和を進める狙いで閣僚ポストをスンニ派も含む様々な勢力に割り振ったが、結果として政府の各省がそれぞれ強い党派色を帯びてしまった問題もある。政府に一体性がないから、経済復興も遅れ、失業者を各勢力の武装組織が吸収する悪循環が続く。元大統領処刑は過半数の国民に受け入れられるとしても、イラクの現政権は、政府を政府として機能させていくという、より重要な課題に、まず取り組む必要がある。
元大統領処刑は過半数の国民に受け入れられるとしてもイラクの現政権は、政府を政府として機能させていくことを最優先に取り込むべきとする日経社説であります。
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タイトルを見ても一目ですが全紙押しなべて、この死刑執行の今後のイラク情勢への影響を他人事のように憂いているわけですが、その結語はいずれも主張として弱いと言わざるを得ません。
その主張の弱さはそれぞれの社説の結語を読めば理解できます。
これはどうしたことか、ひとつには、この胡散臭い大義「人道に対する罪」を振りかざす米国主導の裁判の正当性についての評価があいまいなために、あるいはそれに深く踏み込んで考察していないがために、今回のサダム・フセイン元イラク大統領の絞首刑執行の意味を肯定的にせよ否定的にせよ、メディア自身の言葉として言論対峙していないことが原因なのでしょう。
米国主導の裁判の正当性についての評価に踏み込まないために、それぞれの論説の結語が、今後のイラク情勢についてまるで評論家のように憂いているおざなりな陳腐な表面的な文章で、無難にまとめざるを得ないのであります。
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どの社説も主張の弱さは大差ないですが、4紙の中から「今回の裁判の是非もまた、歴史の評価に委ねるのが妥当」と逃げを打っている産経社説を今日は取り上げてみましょう。
●暗黒の独裁政権時代の真相解明が彼の死によって封印されてしまった〜産経社説
あらためて本日の産経社説から・・・
【主張】フセイン死刑執行 報復ではなく団結の日に
サダム・フセイン元イラク大統領の死刑執行は、年の瀬に波紋を広げた。
イラク高等法廷の控訴棄却決定によって元大統領の死刑判決は確定していた。イラクの国内法にのっとった執行である。国際社会はイラクの治安状態の改善に向け、一層の冷静な判断と行動が求められている。
「(死刑執行が)イラクの暴力に終止符を打つことにはならないだろう」とのブッシュ米大統領の声明は、現在のイラクが直面する困難を物語る。「内戦」とも表現されるイラク国内の宗派対立の激化に拍車がかかりはしまいか。それが最大の懸念だろう。
3年前に米軍によって拘束されたフセイン元大統領は、米英中心の連合国暫定当局(CPA)が指揮する特別法廷を引き継ぎ、イラク国内法に基づいて改称された高等法廷で裁かれた。フセイン独裁政権を担ったスンニ派に弾圧されたシーア派やクルド人が中枢を占める現政権下の裁判に「復讐(ふくしゅう)劇」の側面があった点は否定できない。
人道的な見地から死刑執行に批判的な声もある。
別の視点からみて残念なことは、フセイン元大統領がイラクを支配して以降の、イラン・イラク戦争(1980〜88年)から湾岸戦争(91年)、さらにイラク戦争(03年)に至る暗黒の独裁政権時代の真相解明が彼の死によって封印されてしまったことだ。
元大統領への死刑判決が下された罪状はシーア派住民148人殺害事件(82年)の「人道に対する罪」だけで、化学兵器によるクルド人約5000人の殺害(88年)やクウェート侵攻(90年)について、独裁者当人の証言は空白となった。
イラク人による裁判であったことは救いだったかもしれない。米国によるフセイン政権の排除・イラク戦争開戦の決断と同様、今回の裁判の是非もまた、歴史の評価に委ねるのが妥当であろう。
絞首刑に立ち会ったイラク政府高官の一人は米CNNテレビのインタビューに「この日を報復の日ではなく、新しいイラクを築く団結の日にしたい」と語った。この言葉をかみしめたい。イラクの国民議会選挙が行われたのはちょうど1年前、本格政権が発足してからまだ7カ月である。
(2006/12/31 05:05)
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/061231/shc061231000.htm
この社説の構成はこうですね。
まず今回の裁判の問題点をこの社説は列挙していきます。
・「内戦」とも表現されるイラク国内の宗派対立の激化に拍車がかかりはしまいか。それが最大の懸念だろう。
・フセイン独裁政権を担ったスンニ派に弾圧されたシーア派やクルド人が中枢を占める現政権下の裁判に「復讐(ふくしゅう)劇」の側面があった点は否定できない。
・人道的な見地から死刑執行に批判的な声もある。
その上で残念なのは「暗黒の独裁政権時代の真相解明が彼の死によって封印されてしまった」ことだとしています。
別の視点からみて残念なことは、フセイン元大統領がイラクを支配して以降の、イラン・イラク戦争(1980〜88年)から湾岸戦争(91年)、さらにイラク戦争(03年)に至る暗黒の独裁政権時代の真相解明が彼の死によって封印されてしまったことだ。
そうした負の面はありながら、あえてこの裁判を肯定的に捉えようとしますが、その文は力ない弱い表現にとどまります。
・イラク人による裁判であったことは救いだったかもしれない。
そしてメディアとしての自身の論説を封印するように、
・今回の裁判の是非もまた、歴史の評価に委ねるのが妥当であろう。
裁判の是非を「歴史の評価に委ねるのが妥当」と逃げを打っています。
このような弱い論理で構成されている論説の結語ですから、「新しいイラクを築く団結」に期待するという情緒的な無難なまとめかたにならざるを得ないのでしょう。
・・・
●情緒的な産経社説に反論する〜真相解明を封印したのは断じて「彼の死によって」ではない
この情緒的な産経社説にいくつか反論しておきましょう。
まず「今回の裁判の是非もまた、歴史の評価に委ねるのが妥当であろう。」という、この産経社説の弱い主張に関しては反論する価値はありません。
あらゆる事象が「歴史の評価に委ねるのが妥当」なことは言うまでも無い真実であるからです。
これでは議論になりません。
事実に基づく反論としては「イラク人による裁判であったことは救いだったかもしれない」とした点についてまず、前回のエントリーでも指摘しましたが、今回の国際法廷でもないイラク高等法廷がいかに金も人もアメリカ主導で運営されてきたのか、その実態を無視した表現と言わざるを得ません。
(前略)
たしかに、イラク高等法廷は国連ではなく占領国である米国の主導でつくられ、国際法廷ではないのは事実で、米政府が6100万ドル(約72億円)(【朝日記事】)か約七千五百万ドル(約八十九億円)(【赤旗記事】)か諸説ありますが、予算の全てと約140人の米政府要員が「顧問」という名目でテコ入れしてきたのであり、事実上米国の意向の元に一方的な裁判が展開してきたという批判が耐えないのであります。
(中略)
イラク高等法廷は国連ではなく占領国米国の独断・主導でつくられ運用されている、公正な人員を配置されているとはまったく言えない、国際法廷ではない、言葉は悪いですが人も金も米国が牛耳り傀儡として裁判長など表面的な人事だけイラク人をお飾りで置いた、まさに米国の米国による米国のための茶番裁判劇であるわけです。
どうせ茶番ならば、「人道に対する罪」などという胡散臭い大義は振り回してほしくないです。
(後略)
■[国際]フセイン元大統領死刑確定:胡散臭い大義「人道に対する罪」を振りかざす米国の米国による米国のための茶番裁判劇 より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20061228/1167277976
そして何よりも産経社説のその主張が表面的であると思えるのは次の記述です。
別の視点からみて残念なことは、フセイン元大統領がイラクを支配して以降の、イラン・イラク戦争(1980〜88年)から湾岸戦争(91年)、さらにイラク戦争(03年)に至る暗黒の独裁政権時代の真相解明が彼の死によって封印されてしまったことだ。
「暗黒の独裁政権時代の真相解明が彼の死によって封印されてしまった」のは結果的に一見正しい表現ですが、この文章では、米国のこの裁判に対する不当な圧力がまったく見えてきません。
今回の裁判では、一貫して米国がイラク政府を支援したとされるイラン・イラク戦争や、米国によってあるとされていた大量破壊兵器に関する話は全く出なかったのは有名な話です。
米国にとって都合が悪い部分は取り上げられなかったのです。
「暗黒の独裁政権時代の真相解明が永遠に封印」されたのは「彼の死」のせいではありません。
産経社説は、一連の裁判の中で米国にとって都合が悪い部分は取り上げられなかった事実を無視してはいけません。
説得力の無い産経社説に反論するには同じ産経記事(こちらは説得力のある専門家による)を持って行いましょう(苦笑
今日の産経記事の大野元裕・中東調査会上席研究員の話から・・・
元大統領死刑、反米の象徴・テロ誘因も 大野元裕研究員
(前略)
もともとフセイン裁判自体、政治的なものだった。判決は中間選挙直前に言い渡されており、米政府は否定するものの、「因果関係があるのでは」と疑われても仕方がない。裁判では、米国がイラク政府を支援したとされるイラン・イラク戦争や、大量破壊兵器に関する話は全く出なかった。米国にとって都合が悪い部分は取り上げられなかったことになる。
(後略)
(2006/12/31 02:55)
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/061231/usa061231000.htm
・・・
歴史は勝者によって綴られると言います。
その意味では「今回の裁判の是非もまた、歴史の評価に委ねるのが妥当であろう。」という、この産経社説の弱い主張は意味深長にも捉えることができます。
米国にとって都合が悪い部分は一切取り上げられることなく、米国主導の茶番裁判により、サダム・フセインは、胡散臭い大義「人道に対する罪」という罪状により、絞首刑となりました。
しかし「暗黒の独裁政権時代の真相解明が永遠に封印」されたのは「彼の死」のせいではありません。
産経社説は、一連の裁判の中で米国にとって都合が悪い部分は取り上げられなかった事実を無視してはいけません。
米国の茶番劇裁判による「米国にとって都合が悪い部分は取り上げられなかった事実」までも被告のせいにしては、いかに悪者であろうとも、それではサダム・フセインは浮かばれません。
(木走まさみず)
<関連テキスト>
■[国際]フセイン元大統領死刑確定:胡散臭い大義「人道に対する罪」を振りかざす米国の米国による米国のための茶番裁判劇
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20061228/1167277976
<追記>
読者の皆様、今年もあとわずか、拙いブログに一年間お付き合いいただきましてありがとうございます。
来年もこんな調子で好き勝手なエントリーをしていくと思いますがよろしければお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
どうか、皆様良いお年をお迎えくださいませ。(31日 PM23:20)
(木走まさみず)