木走日記

場末の時事評論

慚愧(ざんき)に堪えない24日朝日新聞社説

 松岡利勝農林水産相の自殺は何とも衝撃的でありました。

 今日(29日)の各紙社説も一斉に本件を取り上げています。

【朝日社説】松岡氏自殺―疑惑も晴らさぬままに
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

【読売社説】松岡農相自殺 悲惨な死が促す政治の信頼回復
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070528ig90.htm

【毎日社説】農相自殺 安倍政権の状況は深刻だ
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/

【産経社説】松岡農水相自殺 政治とカネに蓋をするな
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070529/shc070529001.htm

【日経社説】農相自殺「政治とカネ」うやむやにするな(5/29)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20070528AS1K2800128052007.html

 各社説ですが、松岡農水相の自殺を「衝撃的で、そして何とも痛ましい出来事」(【毎日社説】)と捉えつつ、「政治とカネの問題を厳しく追及されているさなか、十分な説明を果たさないまま、自ら命を絶つ結果となったのは残念」(【産経社説】)としています。

 【読売社説】以外の社説では任命責任者である安倍首相の責任にも言及しています。

 安倍首相への打撃も大きいだろう。内閣の閣僚が、理由はともあれ自殺にまで追い込まれたのだ。首相は任命責任を認めているものの、それは決して形式だけのものではないはずだ。 (【朝日社説】)

 この日も「期待していたのに残念だ」と語った首相だが、悲劇的な結末に至ったのは、首相が政治とカネの問題に対する国民の不信や怒りを軽視し、けじめをつけてこなかったツケとはいえないか。そして、閣僚自殺という事態を迎えたこと自体、政権のもろさや危うさを物語ってはいないか。(【毎日社説】)

 松岡氏を閣僚に起用し、疑惑を追及されても擁護してきた安倍晋三首相の責任も小さくない。参院選を控え政権にとって大きなダメージだ。

 (中略)

 ・・・松岡氏には、職責を続行させた。

 閣僚を更迭した場合のメリットとデメリットを計算し、批判を受けることも承知の上で、あえて政治的判断をしたのだろう。結果的には政権運営上の失策といわれても仕方ない。(【産経社説】)

 安倍首相は農相の自殺について「大変残念だ。慚愧(ざんき)に堪えない思いだ」と語った。これまで首相は与党内にもあった辞任を求める声を封じて農相を一貫してかばい続け、農政改革への取り組みに期待をかけてきた。こうした首相の対応が適切であったかどうかが今後厳しく問われることになろう。現職閣僚の自殺という異様な事態によって安倍政権が極めて深刻な打撃を受けるのは間違いない。(【日経社説】)

 「悲劇的な結末に至ったのは、首相が政治とカネの問題に対する国民の不信や怒りを軽視し、けじめをつけてこなかったツケとはいえないか」(【毎日社説】)、「こうした首相の対応が適切であったかどうかが今後厳しく問われることになろう」(【日経社説】)、「結果的には政権運営上の失策といわれても仕方ない」(【産経社説】)、各紙とも松岡農相をかばい続けてきた安倍首相の責任を厳しい目で捉えております。

 一方、【読売社説】ですが、「軽々な推測は避けねばならない」とした上で、「考えるべきは、同じ悲劇が二度と起きないよう政治は何をすべきかだろう」とし、「政治とカネをめぐる問題は、何よりも、党派を超えて政治が身を正し、有権者の信頼を確保するという視点から考えるべき」であり、「参院選を念頭に置いた政争の具などにしてはなるまい」としています。

 さらに事務所費よりはるかに重大な問題を民主党は抱えてるだろうと指摘します。

 今国会は、事務所費ばかりが問題になっているが、民主党角田義一参院副議長が北朝鮮と密接な関係のある団体から献金を受けていた事実は、はるかに重大だ。こうした問題の究明が、きちんとなされていないのは解せない。(【読売社説】)

 まあ【読売社説】の「政争の具などにしてはなるまい」という主張も理解できなくは無いですが、他紙社説のいう「首相の対応が適切であったかどうかが今後厳しく問われる」(【日経社説】)のは、避けがたいことでしょう。

 ・・・

 「有権者の負託を受けている国会議員、まして閣僚が自殺するのは残念な行為だと言わざるを得ない」(【毎日社説】)のはそのとおりでありまして、今回の件は国民にとっても、国会において彼を批判してきた側も擁護してきた側も与野党ともに衝撃を受けたことでありましょう。

 肝心なことは、各紙社説も指摘しているように、松岡農水相自殺をもって「政治とカネに蓋をするな」(【産経社説】)、つまり疑惑の追及と「与野党が十分に協議して今国会で政治資金規正法改正案の成立を図る」(【日経社説】)、適切な改善策を立案することを目指すべきであります。

 酷な言い方になりますが、国政に停滞は許されないのでありますし、安倍政権はいまこそその危機管理能力が試されているのだと思います。

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●慚愧(ざんき)とは「自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと」

 安倍首相は農相の自殺について「大変残念だ。慚愧(ざんき)に堪えない思いだ」と語ったそうであります。

ざんき 1 【▼慚▼愧/▼慙▼愧】

(名)スル
〔「ざんぎ」とも。元来は仏教語で、「慚」は自己に対して恥じること、「愧」は外部に対してその気持ちを示すことと解釈された。「慚」「慙」は同字〕自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと。
「―に堪えない」「我輩常に―するです/社会百面相(魯庵)」

三省堂提供「大辞林 第二版」より
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%D8%D0%D8%C3&search_history=&kind=&kwassist=0&mode=0&jn.x=28&jn.y=14

 なるほど、慚愧(ざんき)とは「自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと」であり、 彼を素直に辞任させておけばこのような悲劇は起こらなかったのではないかという思いからなのでしょうか、安倍首相が何を持って「慚愧(ざんき)に堪えない」としたかはわかりませんが、「大変残念だ。慚愧(ざんき)に堪えない思いだ」とは安倍首相の偽らざる心情であり衝撃の大きさを物語っているように感じましたです。

 彼を擁護してきた安倍首相が衝撃を受けて「慚愧(ざんき)に堪えない」と発言したのはそのとおりの想いなのでしょうが、一方、ネットでも当ブログを含めて多くの時事系ブログが彼を批判してきたわけですが、彼を批判してきた私を含めてメディアや野党も後味の悪さを感じたのは否めませんところではありましょう。

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 もちろん各紙社説も指摘するとおり、この悲劇をもって「政治とカネ」の問題への批判や追及がおろそかになることは許されません。

 いかなる事態が起ろうとも、政治権力に対する批判言論はひるむことがあってはなりません。

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●慚愧(ざんき)に堪えない24日朝日社説

 いかなる事態が起ろうとも、政治権力に対する批判言論はひるむことがあってはならないと言いましたが、それにしてもなあと思うのは本件に関する一連の朝日社説の日本語の表現であります。

 例えば、朝日新聞の24日社説の表現は、偶然とはいえ指摘するのも愉快ではない「予言」めいた描写になってしまったわけですね。

政治とカネ―踏みにじられた倫理綱領

(前略)

 首相はまだ問題の核心が分かっていないようだ。「やるべきこと」は最初からはっきりしているではないか。松岡氏の首に縄をつけてでもきちんと説明させることなのだ。

(後略)

http://www.asahi.com/paper/editorial20070524.html

 「松岡氏の首に縄をつけてでもきちんと説明させること」ですか。

 本日の社説でも「死者にムチ打つつもりはないが」などの表現があるわけですが、どうにも朝日社説の日本語の表現が、日本を代表するメディアと自認する割には配慮を欠いているようでそのクオリティがいただけません。

 「首に縄をつけてでも」と書いたのは5日前の社説だからこの悲劇を露とも知らずに書いただけなのでしょうけど、偶然とはいえこの間の悪さと言うか運の悪さはどうなんでしょう。

 しかし運だけでは片付けられない問題でもあるような気もします、つまり朝日社説の論調は普段からしばしば、「首に縄をつけてでも」とか「死者にムチ打つつもりはないが」とか、なんか余計と思われる情緒的過大表現が目立つからです。

 ・・・

 もちろん結果論でありましょう。

 朝日新聞編集部も今回の24日社説における「偶然」の表現は、さすがに「慚愧(ざんき)に堪えない」思いを抱いたことでしょう。

 他者を批判するときの表現には気をつけなければならないのだと一連の朝日社説を読んで、改めて考えさせられた次第です・・・自戒を込めて。



(木走まさみず)