木走日記

場末の時事評論

「メディアミックス」市場の寵児〜ONEPIECE(ワンピース)

 日本国民ほど大人から子供まで漫画が好きな国民はいないでしょう。

 海外でも日本のマンガは「MANGA」という呼び名で広く受け入れられています。欧米では、1970〜1980年代に日本のアニメ作品がテレビ放映されはじめたことなどをきっかけに、マンガにも注目が集まるようになりました。現在米国では、コミック(「グラフィックノベル」とも呼ばれます)市場全体に占める日本のマンガ作品の割合は5割を超えるともいわれます。また、フランスやドイツをはじめとする欧州各国、韓国や中国などのアジア地域でも多くの日本マンガが出版され、人気を博しています。こうした海外での人気を受けて、政府はマンガを有力な「ソフトパワー」のひとつと位置づけ、関連産業の海外展開を後押ししようとしています。

 ところで日本国内のコミック誌市場で大きな変化が生まれています。週刊少年ジャンプ週刊少年マガジンなどコミック誌の売上が長期低落傾向にあるのです。現在の週刊少年コミック誌の市場は600万部規模でありますが、ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンの主要4誌の発行部数は以下のとおり。

■少年向け週刊コミック誌主要4誌発行部数

雑誌名 出版社名 発行部数
週刊少年ジャンプ 集英社 2,876,459
週刊少年マガジン 講談社 1,571,063
週刊少年サンデー 小学館 678,917
週刊少年チャンピオン 秋田書店 500,000(※)

※以外は印刷証明付部数、※は出版社公表数字
JMPA(社団法人日本雑誌協会 調べ)
http://www.j-magazine.or.jp/data_001/index.html

 売れなくなっても600万部規模でありますから一大市場には違いないのですが、その発行部数はピークの16年前頃に比較し半減しているというのですから驚きです。

 日本のマンガ市場は、戦後の経済成長と軌を一にするように拡大してきました。1959年に週刊の『少年マガジン』(講談社)と『少年サンデー』(小学館)が創刊され、この2誌が現在のコミック誌の先駆けです。これ以降、後に発行部数の世界記録を打ち立てる『少年ジャンプ』(集英社・1968年創刊)をはじめ、一時王者ジャンプを抜き発行部数トップの時期もあった『少年チャンピオン』(秋田書店・1969年創刊)、この4誌(+『少年キング』(少年画報社・1963年創刊・現在休刊)が現在までしのぎを削り、読者層、市場規模ともに右肩上がりで拡大し、1990年代にはコミック誌の販売額は3000億円を超えるまでになりました。かつては「子ども向けの読み物」とされたマンガですが、現在では老若男女を問わず多くの人々に楽しまれる一大コンテンツへと成長を遂げています。



●週刊コミック誌の歴史を振り返る

 1959年に創刊された『少年マガジン』と『少年サンデー』はそれまで貸し本屋の単行本や『ぼくら』や『少年』、『少年クラブ』、『少年画報』といった月刊誌中心だった少年コミック市場で初の『週刊』コミック誌として登場しました(創刊号はサンデー30円マガジンが40円でした)。
 60年代を通じてこの2強時代が続きますが、前半は発行部数でサンデーが独走します、横山光輝伊賀の影丸」(1961年)、赤塚不二夫「おそ松くん」(1962年)、藤子不二雄オバケのQ太郎」(1964年)、藤子「パーマン」(1966年)とヒット作品が続きました。

 一方1965年の「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まります、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとし、その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年1月にはついに少年誌として初めて100万部を突破しました。

 1968年に『少年ジャンプ』(集英社)、続く『少年チャンピオン』(秋田書店)が週刊化されます。

 後発のジャンプは10万5千部で創刊、人気作家を先発2誌が囲い込む中、後発2誌は新人作家発掘に力を入れ新機軸を打ち立てていきます。

 マガジン・サンデーの購読者層が高学年化(中学・高校以上)する中、ジャンプはあえて小学生高学年にターゲットをしぼり、「ハレンチ学園」・「男一匹ガキ大将」(1968年 -)などがまずヒット、1971年には公称発行部数が100万部を突破、1973年8月に『週刊少年マガジン』を抜いて雑誌発行部数で首位、さらに「ど根性ガエル」・「トイレット博士」(1970年 -)、「侍ジャイアンツ」・「荒野の少年イサム」(1971年 -)、「アストロ球団」・「マジンガーZ」(1972年 -)、「包丁人味平」・「プレイボール」(1973年 -)とヒット作品が連発、その後も続くジャンプ黄金時代を築くことになります。

 一方の『週刊少年チャンピオン』がピークを迎えるのは70年代後半になります、『ドカベン』(水島新司)『ブラック・ジャック』(手塚治虫)『がきデカ』(山上たつひこ)と1970年代半ばに大ヒットを連発して大躍進。200万部以上を売り上げ、『週刊少年ジャンプ』を抑えて、一時少年漫画誌のトップに登りつめます、1979年には250万部を達成します。

 低迷していた老舗サンデーですが1980年代前半、黄金期を迎えます、劇画村塾出身の高橋留美子の「うる星やつら」(1978年)、「少年ビッグコミック」で「みゆき」をヒットさせていたあだち充の「タッチ」(1981年)、同じく「エリア88」をヒットさせていた新谷かおるの「ふたり鷹」(1981年)、この3作品の爆発的ヒットでラブコメブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録しました。

 一時的なチャンピオンによる発行部数トップ奪取やサンデーの猛追などはありながら、この時期、1996年まで発行部数トップはジャンプの独走状態でありました。

 1971年に初めて100万部を突破すると、1978年に200万部、1980年に300万部、1985年には400万部、1989年に500万万部、1991年には600万部を超え、ついに1995年に653万部の歴代最高部数を記録 、ギネスブックに登録されます。
 ジャンプ快進撃を支えたヒット作品を年代順にまとめてみると、

・1970年代後半
 「1・2のアッホ!!」(1975年 -)、「東大一直線」(1976年 -)、「すすめ!!パイレーツ」(1977年 -)、「キン肉マン」(1979年 -)などがヒット。それ以外にも「サーキットの狼」・「ドーベルマン刑事」(1975年 -)、「リングにかけろ」(1977年 -)、「コブラ」(1978年 -)、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(1976年 -)は少年漫画雑誌中、最長の連載記録を更新中。
・1980年代前半
 「Dr.スランプ」・「3年奇面組(後の「ハイスクール!奇面組」)」(1980年 -)、「ストップ!! ひばりくん!」・「キャッツ♥アイ」(1981年 -)、「キックオフ」(1982年 -)、 「ウイングマン」(1983年 -)、「きまぐれオレンジ☆ロード」(1984年 -)、「キャプテン翼」・「ブラック・エンジェルズ」(1981年 -)、「風魔の小次郎」・「よろしくメカドック」(1982年 -)、「北斗の拳」・「銀牙 -流れ星 銀-」(1983年 -)。

・1980年代中期
 「ドラゴンボール」(1984年 -)、「魁!!男塾」・「ついでにとんちんかん」・「シティーハンター」(1985年 -)、「聖闘士星矢」・「県立海高校野球部員山下たろーくん」(1986年 -)。


・1980年代後半
 「ジョジョの奇妙な冒険」・「燃える!お兄さん」(1987年 -)、「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」・「ろくでなしBLUES」・「ジャングルの王者ターちゃん」・「まじかる☆タルるートくん」(1988年 -)、「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」・「電影少女」(1989年 -)。

・1990年代前半
花の慶次」・「SLAM DUNK」・「珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-」・「幽☆遊☆白書」(1990年 -)、「BØY」(1992年 -)、「地獄先生ぬ〜べ〜」・「NINKU -忍空-」・「とっても!ラッキーマン」(1993年-)。

・1990年代中期
るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」・「みどりのマキバオー」(1994年 -)、「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」(1995年 -)、「封神演義」・「遊☆戯☆王」(1996年 -)。

 すごい布陣なのでありますが、1995年25号で「ドラゴンボール」、1996年27号で「SLAM DUNK」が連載終了、この頃から公称発行部数が減少に転じます。

 ジャンプを猛追していたのが老舗マガジンでした。

金田一少年の事件簿」「はじめの一歩」「シュート!」などの看板漫画を擁する『マガジン』は、看板漫画を失った『ジャンプ』との差を徐々に縮め、1995年には発行部数436万部の過去最高記録を樹立、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返します。

 この期間には「金田一少年の事件簿」「GTO」「サイコメトラーEIJI」などの看板・主力作品がドラマ化され、どれも高視聴率を記録し、そこから多くの読者を呼びこんだ。また、1998年から始まった「ラブひな」がヒットし、関連グッズも飛ぶように売れました。

 この頃まではひとつのヒット作品が週刊誌の発行部数を押し上げる(あるいは打ち切りで押し下げる)効果が顕著であり、この95年ごろが週刊少年コミック市場の発行部数1200万部規模のピークを迎えたのであります。



●「メディアミックス」市場の寵児〜ONEPIECE(ワンピース)

 その後、現在に至るまで市場は半減いたしております、少子高齢化や不況の影響もあるのでしょうが、一番大きいのは「メディアミックス」効果による市場拡散にあります。

 マンガを原作としたTVアニメやドラマ、映画、ゲームなどの増加があります。

 TVアニメやドラマ、映画、ゲームなどで原作を知った人々はもはや週刊誌の発売部数増へとは繋がりませんでしたが、代わりにそれぞれの作品の単行本の売上に繋がったわけです。

 ここに『ONE PIECE』(ワンピース)という尾田栄一郎による『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて1997年から連載されている漫画があります。

 『ONE PIECE』(ワンピース)が連載開始された97年と言えばジャンプの凋落傾向が始まりマガジンに首位を抜かれた年でありますが、今日を代表する「メディアミックス」作品である『ONE PIECE』(ワンピース)は、週刊少年ジャンプの発行部数を押し上げることはありませんでしたが、TVアニメ、映画、ゲーム等で空前絶後の『ONE PIECE』(ワンピース)旋風を起こしています。

 11月4日付け産経新聞記事から。

史上最高の初版400万部 人気漫画ワンピース64巻
2011.11.4 16:30 [マンガ]

「ONE PIECE」第64巻 (C)尾田栄一郎集英社

 集英社は4日、尾田栄一郎さんの人気漫画「ONE PIECE(ワンピース)」第64巻の初版を400万部発行したことを明らかにした。同社によると、日本の出版史上最多の初版発行部数になる。

 同作は平成9年以来「週刊少年ジャンプ」で連載中で、第1巻からの累計発行部数は2億5千万部を超えた。

 22年に第57巻初版を300万部発行し、「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(上・下)」(静山社、16年)の290万セットの国内初版記録を突破。以後初版部数の記録を更新してきた。今年8月に発売された第63巻は初版390万部でスタートしたが、すでに3刷400万部に到達している。集英社広報室は「既刊も含めて非常に好調なため、400万部の発行に踏み切った」としている。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111104/ent11110416310023-n1.htm

 初版400万部、累計2億5000万部、とすごい数字が並んでいます。

 いまや集英社にとってドル箱コンテンツとなっています。

 これまで発売された関連ゲーム30本以上、映画10本以上、関連DVD商品もことごとくヒットしています。

 集英社は『ONE PIECE』(ワンピース)の勢いをそのまま利用して新たに月刊誌を創刊いたします。

集英社が「最強ジャンプ」創刊 幼年コミック誌初参入


3日に創刊された「最強ジャンプ」の表紙=集英社提供

 大手出版社の集英社は3日、小学校低・中学年の男子を対象にした月刊幼年コミック誌最強ジャンプ」を創刊した。カードゲームやTVゲームの情報、人気キャラクターの付録なども雑誌の人気を左右する独特のジャンルで、これまでは小学館の「コロコロコミック」(発行部数91万部)の一人勝ちが続いていた。

 幅広い年齢層に支持される「週刊少年ジャンプ」を発行する集英社だが、幼年コミック誌への参入は初の試み。少子化の影響も心配されるジャンルだが、伊能(いよく)昭夫編集長は「親も漫画に寛容な世代。子供の数が減っている割に市場は縮小していない。パイを奪い合うのではなく、『少年ジャンプ』のキャラクターや作家層の厚みを生かして市場を広げていきたい」と語る。漫画市場全体の縮小が進む中、「低学年から漫画を読んで楽しんでもらうことで将来のジャンプ読者を育てたい」という狙いもある。

 創刊号は30万部。毎月4日発売で、価格は480円(税込み)。(竹端直樹)
http://www.asahi.com/culture/update/1203/TKY201112030113.html

 この「最強ジャンプ」ですが、小学校低・中学年の男子を対象にした月刊幼年コミック誌で「コロコロコミック」(小学館)の独壇場だった市場への集英社の殴りこみ企画と言っていいでしょう。

 表紙中央に『ONE PIECE』(ワンピース)の主人公が大きく描かれているのが象徴的です。

 日本の少年コミック市場は大きく変貌を遂げました。

 いぜんはヒット作品が大きく週刊誌の部数を押し上げましたが、現在では、ヒット作品はことごとく「メディアミックス」作品となり、TVアニメ、映画、ドラマ、ゲームなどの原作となり、その単行本は出版社に取りドル箱となっています。

 そんな「メディアミックス」市場の寵児、それが単行本2億5000万部を売り上げた『ONEPIECE(ワンピース)』であるといっても過言ではないでしょう。



(木走ままさみず)