ビジネスマンよ、サバイバルのためガバナビリティを高めよ〜「リストラされない社員になる4カ条」(日経記事)を補足する
1週間ほど前の日経新聞記事が興味深かったです。
リストラされない社員になる4カ条 人事のプロが指南
(1/3ページ)2011/11/28 7:00
http://www.nikkei.com/life/living/article/g=96958A90889DE1E4E4EBE5E4E2E2E0E0E3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E1E2EBE0E2E3E3E6E0E6E4
人事のプロが指南する「リストラされない社員になる4カ条」が書かれているのですが、興味のある読者は記事を直接お読みいただくとして、まとめ的に4カ条を列挙いたしますとこうなります。
リストラされない社員になる4カ条
第一条 イチロー型の社員を目指す
絶えず自分を磨き、キャリアプランを微調整
第二条 節目の年齢で本気で転職を考えてみる
自分の能力を再確認し、気の緩みを抑える
第三条 会社のロボットにならない
他社でも通用する課題解決力を養う
第四条 外国人と渡り合える気力、体力を持つ
まず、伝えようという気持ちが大切
うむ、キャリアコンサルタントなど人事の専門家は「いまやリストラはどんな人にも降りかかってくる可能性がある病気のようなもの。その時になって後悔しないように、日ごろから予防策を心がけておいた方がいい」と口をそろているそうです。
確かに時代はこれまで終身雇用制度の慣習で守られてきた日本人正規社員ビジネスマンにとって大変厳しい状況を迎えつつあるといっていいでしょう。
経済のグローバル化のもとで大企業とはいえ容赦のないリストラが断行され始めています。
今回はこの問題について愚考してみたいと思います。
日経記事によれば、「絶えず自分を磨き」、「気の緩みを抑え」、「他社でも通用する課題解決力を養」い、「外国人と渡り合える気力、体力を持つ」べきとあります。
キャリアコンサルタントやヘッドハンティング会社社長のアドバイスであり、それぞれ人事のプロの発言です、まあノウハウとしてはこのとおりなのでしょう、「リストラされない社員になる」ためにこの4カ条を実践せよというわけです。
不肖・木走は本職で零細ITコンサル業を20年近く経営してきました、また中小企業の経営再建のお手伝いをすることも生業としてきまして実際に企業のリストラ策を現場にて経験してきました。
その私の目で見てこの「リストラされない社員になる4カ条」はそれぞれの専門家の具体的なアドバイスであり異論はありません。
ただ、どうも記事を読んでいてこれじゃ「リストラされない社員」というよりも「うまく転職できる社員」になる4カ条じゃないのか(苦笑)と思わざるを得ませんでした。
転職の際に上記の4カ条だけでは、「ほう、元気があって能力もあるな、しかしこういうタイプはいつやめるかわからんな」などと誤解を与える可能性が大です。
ひとつひとつは大事なテクなのでしょうが、この4カ条を信じて「リストラされない社員」になれるのかどうか、ちょっと疑問な点があります。
大切な何かが欠けていて「仏作って魂入れず」じゃないけど、テクに走りすぎている感が否めないのです。
あくまで現在の職場をリストラされないことを目的とするならば、大切な点を補足をしたいと思います。
それは一言で言えば心構え、ハート、熱情(パッショ)です、職業に対する情熱と忠誠心です。
考えてみると上記の4カ条はすべて自分中心のノウハウであり自己スキルアップに関しての具体的アドバイスです、これらは重要ですが有能な組織人に求められている全てではありません。
私は組織人として極めて重要な能力として、"governability"(ガバナビリティ)、被統治能力を挙げたいのです。
ガバナビリティは日本ではよく指導力とか組織力とかの間違った意味で誤用されることが多いのですが、その正確な意味は「ガバナンスされる能力」、支配される能力という意味になります。
悪く言えば「従順さ」といってもいいでしょう、しかしこの英語の本来の意味はもっと積極的で肯定的なニュアンスを持っています。
よく海外では、戦後のドイツ復興と日本復興において、「同じ占領軍に支配され国土が廃墟の中でそれぞれ奇跡の経済復興を遂げたのは、ドイツ人と日本人がガバナビリティが極めて高かったからだ」というような評論を見受けます。
この場合、ガバナビリティの使われ方は「従順」のような消極的意味では必ずしも無く、両国民は占領軍に支配される能力が高くその力を源泉に復興を遂げたのだという肯定的な意味合いがあるわけです。
国という単位ではなく会社、あるいはチームといった小規模のグループにおいても組織構成員のガバナビリティは組織の命運を握るほど重要な要素となります。
私はよく経営者セミナーの講師などでガバナビリティの話をするとき例に出す話があるのですが、世界ヨットレースに出場するほどのレベルのヨットチームの構成員のガバナビリティの高さです。
ヨットチームを構成する構成員(クルー)は練習のときからそれぞれの持ち場で最高のパフォーマンスを出せるように自身の能力の向上に努めますが、と同時にリーダー(キャプテン)の指示を以下に忠実に実現するべく全神経を集中して命令を実践することをトレーニングいたします。
ちょっとした風向きの変化などでリーダーは迅速に自分のヨットが一番有利になるような操舵をしなければなりません、それに対して構成員は自分の持ち場の範囲で最高のパフォーマンスで応えることで、チームの勝利という共通の目的に向かってまい進する訳です。
日本ではこの被統治能力を語るとき、どうしても「社畜」とか「会社の奴隷」とか負のイメージがつきまとうことが多いです。
しかし、そのような「従順さ」を競うようなマイナス面ではなく、ひとつの能力としてガバナビリティは特に海外では肯定的に論じられることが多いのです。
私は会社経営のかたわら、大学や専門学校、ときに商工会の経営者セミナーなどで講師をさせていただいています。
そのとき本当に感心するのは、中小企業の経営者のみなさんの受講中のガバナビリティの高さです。
限られたセミナーの時間内で私のつたない講義を一言一句聞きもらさないという緊張感が教室にみなぎっています。
私語ひとつありませんし、講義後のQ/Aタイムでは何人も積極的に講義内容に関する自分の抱いた疑問点をぶつけてきます。
中小企業経営者の皆さんは理想的な「生徒」さんなのであります。
このエピソードを話すのは、能力としてのガバナビリティが持つ意味を積極的に再定義するのに、多くの示唆に富んでいる事例だと私が解釈しているからです。
普段、小さいとはいえ会社を経営されている社長さんは立派なリーダーです、構成員(メンバー)の頂上に位置する統治する側の人間です。
その彼らが経営者セミナーの受講生となったとき、いち構成員として極めて高いガバナビリティを私(講師・リーダー)に示してくれるわけです。
つまり構成員としてのガバナビリティの高さとリーダーとしてのリーダーシップは極めて相関しているというのが私の印象です。
組織の中でよき構成員(被統治能力が高い)はよき指導者(統治能力が高い)になりうるということです。
多くの企業のリストラ策を現場で見てきた私から言わせていただければ、日経記事にある「リストラされない社員になる4カ条」をテクニックとして否定しません。
しかしそのようなテクニックの土台として組織構成員に求められる基礎能力こそがガバナビリティだといえます。
私はガバナビリティの高い社員をリストラ対象からはずすようアドバイスした経験もあります。
能力が高くてもガバナビリティが低い社員は、会社に損失をもたらすリスクがあります。
、ガバナビリティが高い社員は、自分のために、組織の利益のため与えられた役割を自己の能力を最大限発揮して結果を出していきます。
ポイントは自分のためであるというところです。
ビジネスマンに求められる能力のひとつとしてガバナビリティはもっと注目されて良いのではないかと、私は思っています。
このつたないエントリーが読者の参考になれば幸いです。
(木走まさみず)